学位論文要旨



No 217041
著者(漢字) 淡野,博久
著者(英字)
著者(カナ) アワノ,ヒロヒサ
標題(和) 建築物の持続的活用の推進に向けた政策デザインに関する研究
標題(洋)
報告番号 217041
報告番号 乙17041
学位授与日 2008.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17041号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 准教授 藤井,恵介
 東京大学 准教授 大岡,龍三
 東京大学 准教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

建築物の物理的寿命(正常な管理等の下で使用が可能な年数)、効用持続年数(旧式化等により空間の効用が失われるまでの年数)を伸長させるとともに環境性能の改善を図り、建築分野全体としての環境負荷の低減(以下「建築物の持続的活用」という。)を推進するためには、新築段階におけるデザインの改善に加え、運用管理段階における(1)適切な維持保全、(2)改良保全(性能・機能を改善する改修・模様替え)、(3)ストック取引の円滑化を推進する必要がある。

新築段階におけるデザインの改善に関しては対象となる建物の所有形態等にかかわらず経済的インセンティブや情報開示制度等の共通の政策デザインで一定の成果が得られる一方で、運用管理段階においては対象となる建物の所有形態や講ずべき措置(上記(1)~(3))の内容に応じてオーダーメイドで推進方策をデザインする必要があり、そのようなアプローチはストックの維持保全、改良保全等を妨げているシステムの構造を理解し、システム上の制約要因等に的確に対応した政策デザインとすることが前提となる。

このため、建築ストックの持続的活用の推進に向け、実効性の高い政策をデザインするためのルールを整理すべく、建築ストックの適切な維持保全、改良保全及び流通を妨げているシステムの構造をシステム思考に基づく因果ループを用いて明確にした上で、OECD各国による試行錯誤的な取組みについて、各課題への有効な対策を模索するための社会実験が各国で実施されているものととらえて比較分析した。結果として、建築ストックを対象として持続的活用の推進に向け実効性の高い政策をデザインするためには、次の3項目を共通ルールとして適用する必要があることが確認された。

(a) システムの構造上適切な維持保全等を妨げている要因の影響を低減することに重点を置くこと

(b) 当該方策自体の副作用等の中期的影響も考慮すること

(c) 根本的解決を常に念頭に置きつつ対応すること

各ルールの説明及び当該ルールの裏付けとなっている政策デザインのあり方に関する比較分析結果事例の主要なものは以下の通りである。

ルール1;システムの構造上適切な維持保全等を妨げている要因の影響を低減することに重点を置くこと

建築ストックの適切な維持保全、改良保全及びストック取引の推進に関しては、ストック特有の様々な制約要因が存在する。ストックの持続的活用の推進に向け、実効性のある政策を推進するためには、これらの影響を低減することに重点を置いた政策デザインとする必要がある。

例(1);適切な維持保全を阻害する所有形態毎の制約要因に対応した政策デザイン

・適切な維持保全の確保に向けては(1)借家における家主と借家人の利益相反、(2)共同住宅における集団意志決定費用、(3)一戸建て住宅地における高齢化の進行による日常メンテナンス能力や資金負担能力の低下などが制約要因となっている。

・このため、例えばマンションにおける適切な維持保全の確保については、公的な情報提供による管理体制整備支援や紛争処理体制の整備など集団意志決定費用の低減を図る方策を重点的に講じていくことが有効である。

例(2);適切な改良保全を阻害する建築規制の凍結効果に対応した政策デザイン

・建築関連規制は一般に用途毎に異なり時代とともに強化される。このため、ストックの改良保全に際して新築建築物に適用される規制内容をそのまま適用した場合、適合させるために必要となる付加的工事による追加負担や使用中断、形態変更の必要性等を嫌気して改修・用途変更の実施を控える「凍結効果」が発生する。

・このため、規制による凍結効果の抑制に向け、改修に際して最適な構造方法・仕様の採用を可能とする性能規定化や規制適用の柔軟化などを講じる必要がある。

ルール2;当該方策自体の副作用等の中期的影響も考慮すること

ルール1に基づき制約要因の影響を低減した政策デザインとしても、当該政策の導入に伴う副作用が中長期的には適切な維持保全・改良保全等を阻害する可能性がある。このため、政策デザインに際しては、このような中期的影響を考慮する必要があり、政策導入後も影響を常にモニタリングし、好ましくない副作用が認められた場合には政策デザインの修正などのフィードバックが常に可能となる体制を整備しておく必要がある。

例(1);ストックの流通円滑化に向けた品質関連不安軽減方策に関する留意点

・中古住宅市場の効率化・活性化を阻害する品質に関する不安の軽減に向け、隠れた瑕疵に係る売主の責任を強化する場合、個人たる売主の危険負担能力に限界があることから、売主と買主との間の紛争が発生し、結局中古住宅の品質に対する不安が解消されないなど、副作用故に政策の実効性を確保することが困難となる。このため、品質に関する購入者の不安軽減に向けては、売主の責任強化よりも中古住宅の品質関連情報が効率的に流通する仕組みを構築する方向が適切である。

例(2);経済的インセンティブによりストックの環境性能改善改修を推進する際の留意点

・環境税のように資源消費コストを引き上げる負担強化措置は省エネルギー化改修等の効果に関する不確定性を低減させる効果を有し、結果として、新築と同様の省エネルギー促進効果を既存建築物に対しても及ぼすことが期待されている。

・一方、所得の低い者ほど省エネ性能の劣った住宅(特に環境税による環境性能改善効果に限界がある賃貸住宅)に居住するケースが多い結果として、低所得者は燃費負担上昇による生活困窮化に対応するために室内気温引下げを余犠なくされ、健康被害が拡大しかねない。このような深刻な副作用は環境税の維持自体を困難化させる恐れがあり、国民の生命・健康を保護する観点からも環境税導入に際しては副作用として弱者世帯の生活困窮化が生じることのないよう、賃貸住宅における省エネルギー改修の支援等十分な弱者対策を推進する必要がある。

ルール3;根本的解決を常に念頭に置きつつ対応すること

制約要因に対応し副作用の低減も図られた政策デザインとしても、当該デザインが成立するための前提条件が未整備の場合には最終的に実効性を欠くこととなる。政策デザインは、そのような前提条件を整備する根本的解決の必要性を常に考慮しつつ行う必要がある。

例(1);凍結効果が緩和される持続的な規制体系の構築に向けて

・集団規制の適用がストックの改良保全に及ぼす凍結効果の低減に向けては、(開発計画の用途・形態等ではなく)計画内容が地域に及ぼす影響(負荷等)に基づき規制する性能規定化や複合用途等に対応した規制の精緻化が有効と考えられる。しかしながら、性能規定化や精緻化を実効性のあるものとするには、各種計画間の整合性を確保し、目標市街地像を中央・地方政府間で共有し、基準等の見直しを可能とする体制(中央で策定したモデルコードに基づき地方が規制適用等)を構築するなど規制の陳腐化・複雑化が回避される前提条件を整備する必要がある。

例(2);中古住宅の品質関連情報開示制度が取引費用の拡大を伴うことなく消費者の不安を軽減させる市場環境の整備に向けて

・中古住宅取引市場の効率化に向けては、売主に住宅品質関連情報の開示義務を課す政策が有効に機能すると期待されているが、品質関連情報の開示費用負担が過大である場合には、取引が阻害され、かえって建替えを促進してしまう恐れがある。

・したがって、中古住宅市場が成長段階にある場合には、簡易な情報開示制度の導入等中古市場の拡大に向けた基礎的な取り組みからスタートし、市場が拡大し連鎖性が高まり売主の多くが買主として情報開示の便益も享受できるようになり、品質関連情報開示コストが損失化するリスクが低下した段階で品質関連情報の開示時期・対象・内容の精密度等のレベルを段階的に充実させていくなど、品質関連情報の開示制度が売主の取引費用の過大な上昇をもたらすことなく購入者の不安を軽減する市場環境の整備を図っていく戦略的な取組みが求められる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、建築にかかわる政策デザインを主題にしており、建築学と政策科学の双方の知見を融合させることによって課題の解決を試みようとした萌芽性のある論文である。従来、建築の新築に関しては、いかなる政策手法が有効であるか、経験的知識が積み上げられ、決して十分とはいえないもののその体系化が図られてきた。しかしながら、建築ストックの持続的利活用については、経験的知識の蓄積は乏しく、その体系化などは学術的に殆どなされてこなかった。本論文は、建築ストックの持続的利活用推進にかかわる政策デザインという学の対象としては未開拓の領域で、知見を体系化しようとしている。

ひとくちに、建築の持続的利活用といっても、その具体的手段は、(1)適切な維持保全、(2)改良保全(性能・機能を改善する改修・模様替え)、(3)ストック取引の円滑化 など多様である。これらのどの手段を講ずるかによってとるべき政策も個々の国・地域の実情にあわせてオーダーメードされなければならない。そこで求められている知識は、政策そのものにかかわる知識だけではなく、政策を個々の事情に応じてオーダーメードしていくかという、政策デザイン手法にかかわる知識である。

本論文は、このような政策デザイン手法にかかわる知識を「ルール」と呼び、これを導くために、実証的な方法をとっている。具体的には、OECD加盟各国における建築ストックの持続的利活用推進にかかわる政策デザインの事例し、これらの試行錯誤的な取組みは有効な対策を模索するために各国で展開している社会実験であると理解し、その効果及びその要因を分析評価している。分析にあたっては、システム思考による因果ループ図を用いており、実証的にこれらの事例を比較解析し、政策意図の実現を阻害する構造的な要因を特定している。このような、解析を踏まえ、本論文は、次のような既存建築ストックの持続的利用のための政策デザイン手法にかかわる「ルール」を整理している。

第一に本論文が導き出した「ルール」は、「適切な維持保全等を妨げている社会システム上の要因の影響を低減すること」である。これは、例えば、借家における家主と借家人の利益相反や、共同住宅における集団意志決定費用、一戸建て住宅地における高齢化の進行による日常メンテナンス能力や資金負担能力の低下など所有関係に起因する制約要因の影響を低減するような政策デザインをすることを指す。また、建築規制がもつ「現状凍結効果」が働かないように配慮した政策デザインも指す。

第二に本論文が導き出した「ルール」は、「当該方策自体の副作用等の中期的影響も考慮すること」である。これは例えば、中古住宅市場の効率化・活性化を阻害する品質に関する不安の軽減に向け、隠れた瑕疵に係る売主の責任を強化したとしても、個人たる売主の危険負担能力に限界があるために品質に対する不安が解消されない可能性があることを考慮し、むしろ売主の責任強化よりも中古住宅の品質関連情報が効率的に流通する仕組みを整備することを指す。また、環境税のように資源消費コストを引き上げる負担強化措置は省エネルギー化改修等の効果に関する不確定性を低減させる効果を持ってはいるものの、低所得者が燃費負担上昇による生活困窮化に対応するために室内気温引下げを余犠なくされ健康被害が拡大しかねない副作用もありうることを考慮し、環境税導入を十分な弱者対策とともに推進することも指す。

第三に本論文が導き出した「ルール」は、「根本的解決を常に念頭に置きつつ対応すること」である。これは例えば、集団規制の適用がストックの改良保全に及ぼす凍結効果を緩和するために、計画内容が地域に及ぼす影響に基づき規制する性能規定化や、複合用途等に対応した規制の精緻化が有効と考えられるものの、その陳腐化・複雑化を回避するために、目標市街地像を中央・地方政府間で共有し、基準等の見直しを可能とする体制を組むことを指す。また、中古住宅の品質関連情報開示制度が取引費用の著しい拡大を伴うことなく消費者の不安を軽減させる市場環境の整備することも指す。

このように、本論文が、実証的に明らかにし整理した、建築物の持続的活用の推進に向けた政策デザイン手法に関する知見は、学として未成熟な領域の開拓に緒をつける、という学術的意義をもっている。また、日本を含む成熟した工業国において建築ストックの持続的利活用を推進していくために政策デザインを行う実務者に対して有用な知見を提供している。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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