学位論文要旨



No 217045
著者(漢字) 日高,薫
著者(英字)
著者(カナ) ヒダカ,カオリ
標題(和) 異国の表象 : 近世輸出漆器の創造力
標題(洋)
報告番号 217045
報告番号 乙17045
学位授与日 2008.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17045号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,康宏
 東京大学 教授 小佐野,重利
 史料編纂所 教授 松井,洋子
 東京文化財研究所 所長 鈴木,規夫
 神戸市立博物館 主幹 岡,泰正
内容要旨 要旨を表示する

本論は、16世紀後半から19世紀半ばにかけての時期に、日本から西洋に向けて輸出された漆器を対象とし、これらの装飾様式が、日本と西洋双方の異国認識を反映しながら、どのように形づくられていったかについて美術史的視点から考察を加えるものである。

西洋という新たな「異国」のために制作された漆器の装飾には、注文主の意向を反映して、西洋が求めた日本(あるいは東洋)のイメージが重ねられたが、同時に日本がそれまでの対外交流の歴史の中で育んできた異国イメージも投影されている。注文者・制作者・受容者の国籍が一致しない輸出漆器は、それぞれの異国趣味や異国認識を取り込みながら、それらの実像とは異なる造形を、共同作業によって生みだしていったといえるだろう。

当該分野に関する研究は、欧米の研究者に先導されるかたちで近年著しい進展を見せているが、これらは主として、漆器輸出の歴史の流れと、それに呼応した漆器様式の変化、その受容にまつわる現象の解明に注がれてきた。これに対し、本論は、輸出漆器の制作の場に焦点をあて、国内向け漆器にみられるような漆工芸の伝統的表現が、いかに輸出漆器に反映され、また、新たな顧客たる西洋人のための漆器制作に、いかなる工夫が凝らされているかなど、従来の研究では見過ごされがちだった問題に焦点をあてる。とくに、蒔絵・螺鈿という日本を代表する漆芸技法とそれに密接する表現、また、輸出漆器装飾のために選択された主題・モティーフとその具体的な表現等に着目することにより、日本の制作者側の意識を読み解き、これに西洋側の文脈、すなわち、交易品として求められた要素や他者認識が絡み合うことによって、新たな造形が生み出されるに至った経緯を明らかにし、西洋からの視点に偏りがちであった当該領域の研究に、日本美術史研究の立場からの新しい視座を提示しようと試みた。

本論は、研究史と問題の所在を明らかにした序章、および本論4部14章に、終章を加えた構成をとる。以下に各部の内容を要約する。

まず、第I部「世界史の中の日本漆器」では、最新の研究動向と今後の研究の展望を示しながら、桃山時代から江戸時代にかけての漆器輸出の流れを概観することによって、この分野の研究の意義と重要性とを明確にする。当該研究に欠くことのできない論点でありながら、本論の中核部では十分に論じることができない問題について補いつつ、II部以降の考察への導入とした。

ここで筆者は、南蛮漆器のデザインの源泉や、それらの影響が、ヨーロッパのみならず、貿易船の寄港地であったインド、中南米等に認められることにふれ、中国・東南アジア・インド・中南米を含む広範な地域を視野に収めた、海域交流史的視点からの輸出漆器研究の重要性をとくに強調している(第一章)。従来、輸出漆器は、日葡交流、日蘭交流、東西交流という文脈で語られることがしばしばであった。もちろん、輸出漆器の歴史を東洋と西洋という二項対立的構造でとらえる方法は、そこに反映した異文化との関わり合いのあり方、自他認識を探る観点からきわめて有効である。しかし、今後の研究においては、こうした見方をいったん取りはらい、海を通じて繋がり合った貿易船の寄港地のあいだの文化交流の媒体として、輸出漆器をとらえ直していくことが求められよう。西洋が日本製漆器をどのように受け止め、日本観がいかに形成されていったという問題も、もちろん今後さらに深く考察されるべき大きな課題であるが、これについては、欧米における研究が先行しているため、本論では、漆器を注文した西洋人が日本製漆器に求めた幻想の東洋のイメージに注目しながら、江戸時代の輸出漆器とその受容について概観するにとどめている。(第二章)。

本論の中核となる内容は、主として第II部と第III部において論じられる。第II部においては輸出漆器の主題と表現、第III部においては技法と表現の問題をとりあげる。ここでは主として、国内需要の伝統様式の漆器との比較を通じて、輸出漆器様式が選んだものと捨てたものとを明らかにし、また、そこに表れる異国趣味が具体的にどの様な手段で表現されていったかを検証した。

第II部「異国の表象」で扱う主題やモティーフの問題については、従来の欧米における研究においてはほとんど検討されてこなかったといってよい。注文品としての輸出漆器装飾の主題は、西洋人からの指示に大きく左右されたとはいえ、具体的な主題の選択は日本側の制作者に委ねられていたと考えられる。そこで、制作者側からの文脈による主題選択と表現上の工夫によって、輸出漆器に相応しい様式が獲得されていく過程を、輸出漆器の名品として研究史上重要視されてきたファン・ディーメンの箱・マザラン枢機卿の櫃などの実作例を通じて明らかにしようと試みた。

日本が西洋世界と出会う前にとらえていた世界には、中国、朝鮮、天竺、韃靼などがあり、その中核をなしていたのが中国や朝鮮を一括して「唐」とみなし、「やまと」に対置させながらも自らの内的存在として規定していく異国観であった。輸出漆器の装飾には、技法や、主題・モティーフの選択、文様構成や、表現に至るまで、この旧来の異国像が見え隠れする(第一章)。そして、それらは、新たに認識されるようになった「南蛮」や「紅毛」といった西洋の異域とともに、三つ巴ないしは入れ子状態になり、西洋人が求めた異国趣味の造形に絡み合っていくのである。新しい他者をまきこんだ新たな制作環境の中で、従来の他者であった「唐」(中国・朝鮮など)が再確認され、再利用されながら、新たな他者認識が構築されるありさまを、輸出漆器の装飾は顕在化してくれる。そして、これにあたって、蒔絵表現とは以前から親しい関係にあった絵画のモティーフや制作論理が導入され、絵画表現との急速な接近が認められる点も重要である(第二章・第三章)。輸出漆器制作にあたって導入された、漢画的なモティーフや、絵画図様の借用は、そのまま、その後の国内向け漆器の制作現場に受け継がれていったと考えられないだろうか。また、輸出漆器装飾には、現実の異文化体験に基づくモティーフもわずかながら取り入れられており、東西双方の好奇の視線が交錯するイメージの変容に、異文化の出会いの典型を認めることができることは興味深い(第四章)。中国製輸出磁器にみられるように、制作に際して西洋人によって具体的な下絵が提供されたり、西洋的な主題・モティーフが描かれたりすることは、日本の輸出漆器の場合にはまれであるが、極めて完成度の高い作例が1800年前後の一時期輸出されたことが特筆される(第五章)。

第III部「<蒔絵>と<螺鈿>」では、蒔絵と螺鈿という二つの日本漆芸史上重要かつ対照的な加飾法が、異国向けの漆器の装飾に果たした役割に注目しながら、漆器制作にとって根幹となる技術上の選択や新しい試みとその成果を明らかにした。

オランダ東インド会社による輸出漆器様式を代表するのは、漆黒に黄金を組み合わせた蒔絵技法による表現であり、これこそが「漆器=ジャパン(japan)」の語を生む強烈なイメージを形成した。日本的であることを強調するための黒漆地高蒔絵技法による表現が定式化する一方で、西洋の需要に合わせるための様々な技法上の試みも行われており、とくにアジア市場向け製品に採用された多くの特殊な技法は注目に値する(第一章)。また、輸出漆器装飾においては、従来、どちらかといえば異国的な技法ととらえられていた螺鈿が活用されており、新たな表現としての伏彩色螺鈿技法の開発をうながすなど、新しい商品開発に際する積極的な造形意欲を認めることができる(第二章・第三章)。

さいごに第IV部「異国からの土産物」では、やや視点を変えて、交易品としての漆器に求められた役割と、東アジア海域内における漆器交流について考察する。まず、純粋に輸出されるために制作された漆器以外に、日本という国・民族を象徴するものとして贈答されたり輸出され、海外においては愛好と蒐集の対象となった国内仕様の漆器の実例をとりあげる(第一章)。また、中国を中心としたアジア内貿易における漆器の流通や技術交流、中国製輸出漆器にみる日本絵画からの影響などの問題を論じることにより、漆器輸出とメディアを超えた様式交流の複雑な様相を明らかにし(第二章・第三章)、交易品の美術史的研究の可能性を示した。

これらの考察を通じて、漆器輸出の多岐にわたる様相と、日本と西洋双方にとっての異国表象が生みだされる様々な手段を提示することができたと考える。交易品として機能した輸出漆器の研究には、文書など副次的資料からのアプローチが極めて重要であるが、今回は、日本美術史の立場からの研究ということにあえてこだわり、現存する作例の内側から読み取れることをできる限り明らかにしていくという手法を中心に据えたつもりである。

日本文化や日本美術が西欧世界に衝撃を与えた例としては、19世紀末からのジャポニスムがあまりによく知られているが、本論においてとりあげる輸出漆器の受容は、その前段階にあたる、いわゆる「シノワズリchinoiserie」の中に埋没しているためか、どちらかといえば関心の低い分野であった。しかし、ジャポニスム前史ともいえるこの時代における日本文化の愛好もまた、漆塗装技術の著しい発展や、日本的文様モティーフの定着、左右相称を崩した独特の文様構成法の導入など、西洋の装飾芸術に甚大な影響を与え、また、日本イメージを左右する重要な役割を演じたことが知られている。本書は、従来低い評価を与えられがちであったシノワズリ期の日本美術の世界的広まりの一例として、輸出漆器制作をとりあげたが、交易の事実のみならず、その装飾の中に、まさに日本・西洋・その他の地域間の異文化交流による創造活動の成果を見いだすことができるのである。

審査要旨 要旨を表示する

まず、日本の研究者が輸出漆器を主題としたことに、本論文の大きな意義がある。桃山時代から江戸時代にかけて、日本製の漆器が遠くヨーロッパや中国に大量に輸出され、彼の地で愛好され、高く評価されていた。日本美術史の専門家としてその事実を重視し、中心的な研究主題として真摯に取り組み、長年の蓄積を1冊の書物にまとめたこと自体が画期的である。なぜならば輸出漆器は、現在の日本の国境線の中で語られがちな日本美術というものを再考するためのよき題材ではあるが、その研究は地理的な条件に恵まれた海外の研究者たちに主として先導され、必ずしも制作地である日本の美術や社会とじゅうぶんに関連づけた考察がされてきたとはいえない。著者は、ヨーロッパや中国の各地に散在する膨大な量の輸出漆器の遺例を実際に調査し、文献史料との照合をし、ヨーロッパ、日本、中国の研究者による先行研究をよく消化した上で、造形の特徴とその受容について日本側からのさまざまな新しい検討を加えている。

もうひとつの意義を挙げるなら、けっして質的に高い作例ばかりに恵まれているとはいえない輸出漆器を扱うにあたり、特別な優品を分析するのとは違った方法論を自覚し、個々の作例がいかに作られ用いられたかを具体的に明らかにしようとする地道な研究を実践していることである。その歴史研究は、自ずから日本国内の範囲にとどまらず、日欧交流史、日中交流史、ヨーロッパにおけるシノワズリー、ジャポニスムといった広大な領域へと広がっていくが、輸出漆器という事例に即してそれらの一節を着実に解明し、確かな貢献をなしている。特に、輸出漆器を注文する者、制作する者、使用する者の立場から多角的に考察し、それらの間の一方通行でなく、さまざまな力の交錯する場として輸出漆器をとらえようとしている点、また日本とヨーロッパの関係に視野を限定するのでなく両者とアジアとの関係を重視している点が、本論文の重要な特質である。

こうして本論文は、輸出漆器の意匠と技法が、制作者と受容者それぞれの事情で生まれ、変容していったありさまを実証的に跡づけ、日本工芸史研究の分野での近年注目すべき業績となり得た。日本・東洋美術史のすぐれた研究に与えられる第20回國華賞を受賞したのも納得させられる。

もちろん、遺品、史料ともに多くを渉猟した労はたたえられるものの、それらを用いての分析や前提となる歴史観などについて、なお考察を深める余地があるのも事実であろう。叙述の方法や外国語文献の表記にもいくらか問題を残す。とはいえ、全体として 350年にわたる輸出漆器の歴史を概観できる体系を備え、今後の輸出漆器研究の基礎となるだけの充実した内容を持つ本論文は、博士(文学)の学位を授与されるにふさわしいと審査委員会は判断した。_

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