学位論文要旨



No 217047
著者(漢字) 佐藤,宏美
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロミ
標題(和) 国際法における上官命令抗弁 : 国家行為、軍律と国際法秩序
標題(洋)
報告番号 217047
報告番号 乙17047
学位授与日 2008.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第17047号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐伯,仁志
 東京大学 教授 大沼,保昭
 東京大学 教授 浅香,吉幹
 東京大学 教授 川出,良枝
 東京大学 教授 中谷,和弘
内容要旨 要旨を表示する

国際法上違法な国家行為に関与した国家機関個人を直接国際法の下で訴追・処罰するという考え方は、ニュルンベルク裁判を契機として国際社会一般の関心を集めた。同裁判で適用されたニュルンベルク憲章は、国際刑事法上の様々な原則を打ち出した。そのうち上官命令抗弁に関する「ニュルンベルク原則」は、問題の犯罪行為について上官命令を根拠とした免責を否定している。同「原則」は、国際刑事法の分野におけるその後の国際立法作業において、1つの範型として重視されてきた。

しかし、半世紀にわたる作業の中で、上官命令をめぐる問題が常に解決をみない争点となってきたこともまた事実である。「ニュルンベルク原則」という指標が存在するにもかかわらず、なぜ議論は紛糾し続けるのか。そもそも、上官命令抗弁に関する「ニュルンベルク原則」とは何を意味していたのか。本稿は同抗弁をめぐる議論の構造を明らかにし、それが国際法の発展過程において示す意義について考察を加えるものである。

ニュルンベルク憲章の成立過程を検討する際に1つの参考となるのは、同憲章の起草に携わった諸国の当時の国内法制である。米・英・仏の3ヶ国の国内判例及び軍事法令等については、第2次大戦終結直前までの時期において、これらがすべて条件付で上官命令抗弁による免責の可能性を認めていたという点に特徴がある。他方で、このような憲章起草国の国内法状況とは異なり、上官命令の問題をめぐる終戦前の国際立法作業は未だその最初期段階にあった。この時期に成立したいくつかの国際文書は、関連国際規則の統一的理解に寄与するものではない。

このように、特に国際的な立法作業が混沌としている状況の中で、上官命令抗弁に関する規則を定立しようとしたのがニュルンベルク憲章であった。同憲章第8条は、上官命令に従い行動した事実を免責事由として認めない。同条が認めるのは、「正義の要請」があった場合にこれを減刑事由として考慮することのみである。この規定は、少なくとも、命令の事実に自動的な免責効果を認めないという点では明確である。ニュルンベルク憲章第8条は、従来の国際立法作業に現れていた混乱を一応収束さた点で積極的に評価できるものであった。しかし他方で、同憲章は、憲章起草国の国内法制等で争点となっていた問題について、起草国の立場を明確に示すものとはならなかった。即ち、行為者における違法性の意識や違法性の明白さ、また命令に伴う強制といった問題である。

ニュルンベルク憲章の起草過程は、当時の起草国が、同憲章第8条を厳格な絶対責任主義を導入したものと解していたことを示している。強制等の事実を考慮に入れたうえで、命令を根拠とする免責を広く否定する考え方である。ニュルンベルク主要戦犯裁判判決は、命令の事実のみをもって免責を認める可能性を明確に否定したうえで、「道義的選択」の余地を「真実の基準」として提示した。しかし、裁判所は、この「道義的選択」の余地が何を意味するのか、またこれを基準として認められるのが免責であるのか減刑であるのかといった点について、その見解を具体的に示すことはなかった。

国際軍事裁判所が上官命令の問題について明確な判断を下さなかったことは、これに続きドイツの占領地域内で行われた後続裁判の過程に重大な混乱を引き起こした。後続裁判は、ニュルンベルク憲章と一体をなす管理理事会法第10号の下で行われた。しかし、後続裁判判決の多くは、命令に伴った強制の事実に免責効果を認める立場を支持することを示唆したのである。主要戦犯裁判の段階で不安定な様相を示した「ニュルンベルク原則」は、後続裁判に至って裁判所が厳格な絶対責任主義を否定したことにより、深刻な矛盾を抱えることとなった。ニュルンベルク裁判に倣う形で行われた東京裁判も、このような「原則」のねじれに修正を加えるような内容を持ち得なかった。

上官命令抗弁に関する「ニュルンベルク原則」は、以上のように未解決の問題を多く内在させている。しかし、それは少なくとも、同抗弁の自動的免責効果を否定するという点では明確な規則を提示するものであった。それでは、この「原則」は理論的にはどのような意味を持ち、国際法の発展過程においてどのような意義を有するのであろうか。

ニュルンベルク憲章の起草過程では、戦争犯罪人の処罰を確実にすることが重視され、同憲章第8条について理論的な考察が加えられることはほとんどなかった。もっとも、上官命令を国際刑事法上の抗弁として認める根拠についても、従来から一貫した見解が確立していたわけではない。上官命令抗弁の根拠としては、国家行為免責の理論、軍律の絶対性、命令に際して現実に生じた強制、違法性の意識、違法性の明白さの問題がそれぞれ挙げられていた。ニュルンベルク裁判判決は、これらのいずれの要素についてもそれを明確に否定する意図を示していない。しかし、少なくとも客観的には、同判決は、国家行為免責の理論と軍律を絶対視する見解を同時に斥けたものと評価することができる。

第2次大戦後の国際立法作業は、「ニュルンベルク原則」が確実に示した規則と、同「原則」が内包する不安定さの双方を、基本的にはそのまま引き継いでいる。1980年代以降の国際立法作業において上官命令抗弁について一貫して争点となってきたのは、命令に伴う強制や、違法性の意識、違法性の明白さの問題である。

これらの問題について、国連国際法委員会の「人類の平和と安全に対する罪に関する法典草案」が明確な立場を打ち出していないのとは対照的に、1998年採択の国際刑事裁判所規程は上官命令に関する全般的な規則を一応示している。同規程は、行為者が命令の違法性を意識していなかったこと、命令の違法性が明白ではなかったことを条件に上官命令抗弁による免責を認め、強制については別の条文でこれを免責事由として認める可能性を示している。しかし、国際刑事法の実体法的規則に関わる諸規定や、ひいては裁判所規程そのものが、今後国際社会でどのような形で受け入れられていくかという点については予断できない。

上官命令抗弁をめぐる国際立法作業の状況は、ニュルンベルク後の関連判例にも影響を及ぼしている。近年注目されている国内判例においては、厳格な絶対責任主義を積極的に支持する立場はみられないものの、条件付免責の是非についても一致した見解は示されていない。他方で、国連安全保障理事会の設立した旧ユーゴ国際裁判所の判例は、命令に伴った強迫(duress)との関連で厳格な絶対責任主義を採用している。

このように、国際立法作業、関連判例を通じて、上官命令抗弁による条件付免責の是非については一致した立場が形成されていない。そのこととは対照的に、ニュルンベルク以降の学説は、概ね条件付免責を支持している。もっとも、ほとんどの論者が違法性の意識、違法性の明白さを根拠とした免責を支持しているのに対し、強制の要素の扱いについては統一的な見解は形成されていない。

上官命令抗弁に関する国際規則の定立作業においては、以上のように、条件付免責、特に強制の問題について議論が紛糾したままの状態が続いている。ただ、ニュルンベルクで確実に示された自動的免責の否定という原則については、これがその後の議論においても一貫して支持されているということに留意する必要がある。自動的免責を否定した「ニュルンベルク原則」は、国家行為免責の理論、あるいは軍律の絶対性を抽象的なレベルで強調する見解を、合わせて否定する効果を有していた。ニュルンベルクを機に、国際刑事法の管轄が国家行為、とりわけ軍隊の行為に広く拡大し、またそのような原則が現在に至るまで堅持されているという事実は、国際法の発展過程において重要な意義を持つ。

それでは、条件付免責の是非に関する問題についてはどのような対処が考えられるだろうか。確かに、これまでの国際立法作業の経緯が示すように、国際社会は一貫して、強制を根拠とした免責を否定することに「ためらい」を見せてきた。しかし、その一事をもって、条件付(強制を根拠とした)免責という規則の確立を主張することは適当ではない。従来の議論から導くことができるのは、条件付(強制を根拠とした)免責の否定は困難であるという結論であり、それ以上ではない。

命令に伴う強制の扱いをめぐる問題については、国際立法のあり方そのものについて改めて検討を加える必要があると思われる。

まず、本稿で確認した「ニュルンベルク原則」とこの残された問題は、重要な点で異なった法的性格を有しているという点に注意する必要がある。「ニュルンベルク原則」の導入は、国際法が国内法秩序へ介入する範囲を構造的に拡大する帰結を伴っていた。これに対し、条件付免責をめぐる議論は、命令に伴い現実に生じた様々な状況を具体的に勘案する。

他方で、条件付免責に関する問題のうち特に強制抗弁の扱いについては、諸国の国内法制のあり方が多様である。そのような中での国際立法作業は、諸国がそれぞれの歴史の中で形成してきた国内刑法原則に変更を迫ることを意味する。

国際刑事法の履行については、従来からその相当部分が国際法と国内法の共同により一定程度実現されてきた。上官命令抗弁の議論に関する上記のような要素、問題点に鑑みるならば、国際刑事法の伝統的な適用パターンを積極的に再評価し、その機能範囲を国内刑法との関係で限定的にとらえ直すという選択肢も検討の余地があるのではないか。そのような選択肢も含めて、この問題に関する国際法と国内法とのあり方については、柔軟に検討する必要があると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は序章および結章を含め全5章からなる。その内容の要旨は以下の通りである。

国際法上違法な国家行為に関与した国家機関の刑事責任を問うという考えは、ニュルンベルク裁判を契機として国際社会の大きな関心を集めた。同裁判で適用されたニュルンベルク憲章の上官命令抗弁に関する規定は、犯罪行為について上官命令を根拠とした免責を否定する。この原則は、国際刑事法の分野における第二次大戦後の国際立法作業において1つの範型として重視されてきた。

しかし、半世紀にわたる作業の中で上官命令をめぐる問題は常に未解決の争点となってきた。上記「ニュルンベルク原則」が存在するにもかかわらず、なぜ議論は紛糾し続けるのか。そもそも、上官命令抗弁に関する「ニュルンベルク原則」とは何を意味していたのか。本論文は、同抗弁をめぐる議論の構造を明らかにし、国際法の発展過程におけるその意義について考察するものである。

ニュルンベルク憲章を検討する際に参考となるのは、憲章の起草に携わった諸国の当時の国内法制である。米・英・仏の3ヶ国の国内判例及び軍事法令等は、第2次大戦終結直前までの時期において、すべて条件付で上官命令抗弁による免責の可能性を認めていた。他方、上官命令の問題をめぐる国際的な立法作業は未だその最初期段階にあった。この時期に成立した国際文書は関連国際規則の統一的理解に寄与するものではない。

このように国際的な立法作業が混沌としている状況の中で、上官命令抗弁に関する規範を定立しようとしたのがニュルンベルク憲章であった。憲章第8条は、上官命令に従って行動した事実を免責事由として認めない。同条が認めるのは、「正義の要請」があった場合にこれを減刑事由として考慮することのみである。この規定は、少なくとも命令の事実に自動的な免責効果を認めないという点では明確である。憲章起草国は、第8条を強制等の事実を考慮に入れたうえで命令を根拠とする免責を広く否定する、厳格な絶対責任主義を導入したものと解していたのである。

他方、第二次大戦後の国際軍事裁判所の判決は、命令の事実のみをもって免責を認める可能性を明確に否定した上で、被告人に「道義的選択」の余地を認めた。しかし、判決は、「道義的選択」の余地が何を意味するのか、これを基準として認められるのが免責なのか減刑にとどまるのかという点について、明確な見解を示さなかった。このことは、ドイツ占領地域内で行われた後続裁判の過程に大きな混乱を引き起こした。後続裁判は、ニュルンベルク憲章と一体をなす管理理事会法第10号の下で行われたが、判決の多くは、命令に伴った強制の事実に免責の効果を認めることを示唆した。主要戦犯裁判の段階で不明確さを含んでいた「ニュルンベルク原則」は、後続裁判の判決の多くが厳格な絶対責任主義を否定したことにより、深刻な矛盾を抱えることとなった。ニュルンベルク裁判に倣う形で行われた東京裁判も、このような矛盾を解消するものでなかった。

上官命令を抗弁として認める根拠については、ニュルンベルク裁判以前に一貫した見解は確立しておらず、国家行為免責の理論、軍律の絶対性の観念、命令に伴う強制、被告人の違法性の意識、違法性の明白さの程度などが挙げられていた。ニュルンベルク裁判判決は、これらについてそれを明確に否定する意図は示していない。しかし、少なくとも客観的には、同判決は国家行為免責の理論と軍律を絶対視する見解を斥けたと解される。

第2次大戦後の国際立法作業は、「ニュルンベルク原則」が示した規範内容と同「原則」が内包する不安定さの双方を引き継いでいる。

ニュルンベルクで示された自動的免責の否定という点は、その後も一貫して支持されている。ニュルンベルクを機に、国際刑事法の管轄が軍隊の行為を含む国家行為に広く拡大し、自動的免責を否定する観念が堅持されているという事実は、国際法の発展過程において重要な意義を持っている。

他面において、上官命令に伴う強制、違法性の意識、違法性の明白さ等の問題は、1980年代以降の国際立法作業において一貫して争点となってきた。これらの問題について、国連国際法委員会の「人類の平和と安全に対する罪に関する法典草案」は明確な立場を打ち出していないが、1998年の国際刑事裁判所規程は上官命令に関する全般的な規則を一応示している。同規程は、行為者が命令の違法性を意識していなかったことと命令の違法性が明白ではなかったことを条件に上官命令抗弁による免責を認め、強制については別の条文でこれを免責事由として認める可能性を示している。しかし、同規程が今後国際社会でどのような形で受け入れられていくかという点については、予断を許さない。

国内・国際判例も、統一的な方向性を示していない。国内判例では、厳格な絶対責任主義を積極的に支持する立場はみられないが、他方、条件付免責の是非について一致した見解は示されていない。国際判例では、国連安全保障理事会が設立した旧ユーゴ国際刑事裁判所の判例が、命令に伴った強迫との関連で厳格な絶対責任主義を採用している。

このように、国際立法作業、関連する判例を通じて、上官命令抗弁による条件付免責の是非について統一的な立場は形成されていない。学説では、多くの論者が違法性の意識と違法性の明白さを根拠とした免責を支持しているものの、強制の要素の扱いについては統一的な見解は形成されていない。

以上のように、上官命令抗弁については、その具体的規範内容、特に条件付免責と強制の問題について統一的な解釈が不在の状態が続いている。

これまでの国際立法作業の経緯が示すように、国際社会は一貫して強制を根拠とした免責を否定することには「ためらい」を見せてきた。ただ、その一事をもって、一部の学説のように、強制を根拠とした条件付免責という規則の確立を主張することは適当ではないだろう。従来の議論から導くことができるのは、強制を根拠とした免責の否定は困難であるという結論であり、それ以上ではない。

命令に伴う強制の問題については、国際立法のあり方そのものについて改めて検討を加える必要がある。

まず、本論文で確認した「ニュルンベルク原則」と強制の問題は、重要な点で異なった法的性格を有しているという点に注意する必要がある。「ニュルンベルク原則」の導入は、国際法が国内法秩序へ介入する範囲を構造的に拡大する帰結を伴っていた。これに対し、条件付免責と強制抗弁をめぐる議論は、命令に伴い現実に生じた様々な状況を具体的に勘案する。特に強制抗弁の扱いについては、諸国の国内法制のあり方が極めて多様である。そのような中での国際立法作業は、諸国がそれぞれの歴史の中で形成してきた国内刑法原則に変更を迫ることを意味する。これは諸国の重大な抵抗を引き起こすことになる。

国際刑事法の履行については、伝統的に国際法と国内法の協働によりそれが実現されてきた。上官命令抗弁の議論に関する上記のような問題状況に鑑みるなら、こうした国際刑事法の伝統的な適用パターンを積極的に再評価し、国際法の機能範囲を国内刑法との関係で限定的にとらえ直すという選択肢も考えられてよい。そのような選択肢も含めて国際法と国内法とのあり方を柔軟に検討することから、込み入った問題の解決の糸口が見出されるように思われる。

本論文の評価は以下の通りである。

本論文の評価すべき特質として、次の点があげられる。

第1に、第二次大戦後の国際軍事裁判、極東国際軍事裁判、およびそれらに付随するBC級戦犯裁判で大きな問題となり、戦後も一貫して論争的な概念であり続けている「上官命令の抗弁」の観念と制度の歴史について、国際法を中心としつつ、主要関係国の国内法、国内判例まで含む全体像を実証的に描き出したことである。「上官命令の抗弁」について19世紀から今日にいたる主要国の国内法令、国内判例、関係条約ないし条約案とその起草過程、国際判例、学説を本論文ほど丁寧にかつ包括的に検討した研究は、国際的にも見られない。「上官命令の抗弁」という論争的な観念を冷静かつ実証的に捉え、その意義を考察する上で前提となる事実と国際法・主要国の国内法の状況を着実な裏付けをもって示したことは、学界への大きな貢献をなすものである。「上官命令の抗弁」を巡る(少なくとも日本の)研究は、今後本論文の到達点を踏まえつつ、その基礎に立って行われることになるであろう。

第2に、本論文は、「上官命令の抗弁」がいかなる意味でいかなる限度で認められるかについて、従来の研究や実務が「上官命令の抗弁」の意味内容を異にしたまま論争的に用いる傾向が強く、そうしたあり方が本観念にかかわる判例、学説、条約などに混乱をもたらし、統一的な概念の確定をもたらすことができなかったことを、裁判過程、条約起草過程、それにかかわる学説などの検討を通して説得的に描き出すことに成功している。こうした法状況の中で、著者は、「上官命令の抗弁」を巡る論争的な立場から一歩退いた地点から、多様な学説を丁寧に整序し、これらの学説がどのような点でどのような意味で共通し、どのような点で対立しているかを描き出し、そうした中で国際法の実定規範の解釈を無理のないかたちで示そうと試みている。こうした著者の謙抑的な姿勢から導かれる分析は概ね説得的であり、異なる立場に立つ者に対しても一定の説得力をもつと思われる。

第3に、著者は、厖大な国際・国内判例、条約起草過程、学説を丹念に検討することによって、「上官命令の抗弁」ということばで示される法原則が、上官の命令によって違法な行為を行ったという事実がそれ自体としては免責の効果をもたないという限度では国際法上一般に認められているものの、それ以上の規範内容としては今日なお依然として揺らぎの中にあり、国際法上確定されていないと主張する。著者は自己の主張について極めて謙抑的な姿勢を一貫させているが、他方、国際社会における「政策志向的選択」を根拠として上官命令の抗弁と強迫の抗弁を限定的に解釈した旧ユーゴ国際刑事裁判所の1997年エルデモヴィッチ事件上訴裁判部判決など、その時点での一般的な法意識と異なると著者が判断する判例や学説には批判的な分析を行っており、こうした具体的な論証のあり方は論理構成上無理がなく、高い説得力をもっている。

もっとも、本論文にも欠点がないわけではない。

第1に、論旨の展開が一般に淡泊であり、「自然」で「常識的」な解釈に流れやすく、自説を粘り強く展開し、そこから一定の方向性を導き出す姿勢が必ずしも十分でない。もっとも、この点は、論争的なテーマである「上官命令の抗弁」の対立的な解釈から一歩退いて、概念と制度の展開史をできるだけ客観的に描き出すという本論文の長所と表裏一体の関係にあると言うことも可能であり、蜀を望む評価と言えるかも知れない。

第2に、事実の検証と法論理の組み立ての両面において若干徹底性に欠ける部分が散見されることである。この点は、現在利用可能な資料上の制約および評価すべき点の第2に挙げた特質からすればやむを得ないものとも考えられる。ただ、全体として無理のない、説得力の高い論文であるだけに、こうした徹底性が備わっていればさらに優れた論文となっていたのではないか、と惜しまれる。

しかし、これらの点は本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、「上官命令の抗弁」の観念と制度について、国際法を中心に、主要関係国の国内法、国内判例まで含む全体像を描き出した優れた研究であり、英語などに翻訳されるなら国際的にも学界への大きな貢献となると考えられる研究である。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度の研究能力を有することを示すものであることはもとより、国際法学と国内法学の架橋の可能性をも示唆するきわめて優れた論文であり、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものであると判定する。

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