学位論文要旨



No 217048
著者(漢字) 福島,啓之
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,ヒロユキ
標題(和) 関係修復の国際政治 : 戦後日本のアジア外交をめぐる認識と平和の力学
標題(洋)
報告番号 217048
報告番号 乙17048
学位授与日 2008.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17048号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 准教授 木宮,正史
 早稲田大学 教授 田中,孝彦
内容要旨 要旨を表示する

本論は、戦後日本がアジア近隣諸国との関係修復をどのように進めたのかを、人の認知心理という観点から説明している。考察の対象となる戦後の関係修復とは、過去に対立が戦争や征服にまで発展した相手である旧敵国の存在を政治的に認めることである。そして、その国との将来にわたる平和共存を受け入れることを意味する。関係修復の要因を説明するにあたっては、国際政治心理の分析枠組みを用いている。この分析枠組みは、国際政治の理論枠組みに認知心理の知見を取り入れ、両者の融合を図る立場である。このような立場から分析を行うのは、戦後の日本によるアジア近隣諸国との関係修復には、指導者の認識、判断が深く関わっていたと考えられるからである。

序章では、本論の問題設定および分析の視角を明らかにしている。本論において扱う問題は、戦後日本の指導者がアジア近隣諸国との関係修復を果たそうとするにあたり直面した、二つの大きな障害の克服である。まず、多国間レベルにおいては、「同盟の影」というべき問題が生じた。冷戦の二極対立構造の中で、同盟国である米国との関係を良好に保ちながら、同時に旧敵国との関係を改善していくことの両立は容易ではなかった。次に、二国間レベルにおいては、「過去の影」というべき問題が生じた。韓国や中国をはじめとするアジア近隣諸国の間には、過去に多くの損害をもたらし、重大な加害国となった日本に対する不信感が、戦後も根強かった。本論は、指導者の認知心理に焦点を当てることで、これら二重の障害を日本がどう克服し、アジア近隣諸国との関係修復を進めたのかについて、その全体像を見渡している。そして、国際政治心理の分析枠組みを用いて、旧敵国との関係修復に求められる認知心理的な条件を明らかにしようとしている。

序章ではまた、本論の構成の紹介も行っている。本論は、理論研究と事例研究の二つの部分からなる。そして、序章と結論も含めた八つの章で構成される。理論研究の部分は、第一章から第三章までである。事例研究の部分は、第四章から第六章までである。本論の結論については、第七章でまとめられている。

第一章では、戦後日本のアジア近隣諸国との関係修復に関する先行研究を整理し、批判している。主に外交史の範疇に属する既存研究の中には、歴史解釈に関していくつかの共通点がみられる。本論では、それらを大きく分けて三つの仮説に類型化することを試みている。一つ目は、同盟国追随仮説と呼ばれる、対米関係への配慮を重視する立場である。二つ目は、経済協力仮説と呼ばれる、経済援助を重視する立場である。三つ目は、過去の責任回避仮説と呼ばれる、過去の清算を重視する立場である。これらについて、本論は相対性に基づく視点を提示し、批判を行っている。批判においては、共時的な連関の切断、通時的な変動の分割、観察者の視点と当事者の視点の同一視という、三つの問題を指摘している。これらの問題を解決するためには、認知心理的なアプローチを用いるべきであるというのが、本論の立場である。

第二章では、国際政治の理論と人の認知心理に関する研究の融合を図り、国際政治心理の分析枠組みに基づいて、旧敵国間の関係修復に関する仮説を導いている。それらは、二つのレベルに分けて整理される。一つは、多国間レベルのものである。もう一つは、二国間レベルのものである。

多国間レベルにおいては、多国間の友敵関係に働く力学への配慮が、関係修復の条件となる。多国間の関係には、敵への接近と味方との結束の間での板ばさみがみられる。このジレンマは、旧敵国との関係にも波及する。友敵関係のジレンマを克服するための基本的な戦略としては、次の二つの三角外交戦略が考えられる。まず、両面戦略は、同盟国と仮想敵国を競わせて、同盟国との関係を維持しつつ、仮想敵国との関係修復を図るというものである。次に、協力の輪戦略は、同盟国からその友好国へと味方の連鎖を数珠繋ぎに延ばし、同盟国の友好国と関係修復を図るというものである。これら関係修復の三角外交戦略が機能する上では、二つの条件がある。一つは、国際体系のレベルでの条件であり、もう一つは国内政治のレベルでの条件である。第一に、国際体系のレベルにおいて、指導者は友敵関係の変化の方向性、すなわち趨勢、に関係修復の機会を見出すといえる。第二に、国内政治のレベルにおいて、指導者は安全と経済のいずれをより重視して国内の支持を得ようとするかに基づき、関係修復の相手を選択する。そして、国際体系にみられる友敵関係の趨勢と指導者の国内政治上の動機は、これらが組み合わさることで関係修復の複合的な要因として作用するとみるべきである。

二国間レベルにおいては、関係修復の意思の疎通が求められる。対立が戦争や征服にまで発展した二国の間では、敵意の連鎖が関係修復の意思の疎通を図る上での妨げとなる。その結果、被害国はどのような認識枠組みを持っており、加害国の関係修復の意思表示が被害国にどう伝わるかが大きな問題となる。加害国による関係修復の意思表示の仕方には、モノによる援助とことばによる謝罪がある。そして、それらの効果は、被害国の認識枠組みに次のように依存する。第一に、モノによる援助が関係修復の意思表示として有効なのは、被害国が将来の利益を追求している場合に限られることが指摘される。被害国が過去の損失を恨んでいるならば、モノによる援助は有効ではなく、かえって反感をかう恐れがある。というのも、過去の損失を恨む気持ちは、援助という経済的な手段により、支配されてしまうのではないかという不安につながるからである。第二に、被害国が過去の損失を意識し、戦争や征服の再発防止を望んでいる場合、ことばによる謝罪が関係の修復を図る上で大きな意味を持つ。その有効性は、謝罪の相対的なコストに基づくシグナリングの機能に由来する。これにより、本当に反省し、関係修復を望んでいなければ、加害国は謝罪のことばを口にしたりしないだろうと、被害国は見極めがつく。関係修復の意思の疎通についてはまた、モノからことばへの段階的なアプローチの仕方が有効であるという見方ができる。すなわち、まず援助により相手側の物質的な欲求に配慮した上で、謝罪により心理的な反感を緩和していくのである。

第三章では、実証分析を進める上での方法論上の問題点を検討し、分析を体系的に行うための設問および指標を明らかにしている。本論は、因果関係の究明に有効な分析手法として、戦後日本のアジア外交を対象とした事例分析を行っている。だが、それは、質的データを扱うため、変数を評価する尺度が、量的データを扱う数量分析ほど明確ではない。また、ある事例分析から得られる示唆が、他の事例にどの程度あてはまるかについて、一般化の判断が難しい。これらの問題点を解決するにあたり、本論では分析内容の焦点を絞るとともに、分析枠組みの構造を明らかにしている。そして、事例分析の枠組みを明確にするため、独立変数と従属変数に関する一般的な設問を設け、その指標を整理している。

第四章では、吉田政権の台湾、中国との関係修復の取り組みと、鳩山政権の韓国、ソ連との関係修復の取り組みを分析している。分析を行なうにあたっては、多国間の友敵関係に関する指導者の認識、その国内政治上の動機、旧敵国に対する外交戦略に焦点を当てている。朝鮮戦争により東西陣営が対決姿勢を強める中、吉田政権は、同盟国である米国の要請に応える形で、台湾と国交を正常化した。その国内背景としては、吉田政権が主権の回復により、国内の支持を確保しようとしたことがあったとみられる。これに対し、米ソ冷戦下にもかかわらず、鳩山政権は冷戦の雪解けを好機ととらえ、ソ連と国交を回復した。その国内背景としては、漁業資源に強い関心を持っていた河野農相が、交渉の主導権を握ったことがあったとみられる。

第五章では、岸・池田政権による韓国、中国との関係修復の取り組みについて、主に経済協力の効果という観点から検討している。まず、岸政権と韓国の間で、関係の修復は進まなかった。岸政権のことばによる反省の表現は、将来の利益を追求していた韓国に強い印象を与えることができなかった。さらに、岸政権と中国の関係も悪化した。岸政権は、「政経分離」の方針に基づいて、日中間の貿易の働きかけを行なった。だが、中国側は経済的な利益よりも、安全保障上の見地から日本が政治的に中国に接近することを望んだ。そのため、経済面での交流の試みは、頓挫した。続く池田政権は、経済的な結びつきにより韓国、中国両国との関係の進展を図った。この試みは、韓国、中国が経済的な困難の克服に取り組んでいた時期と重なって、日韓の請求権問題の解決、日中の貿易再開をもたらした。

第六章では、佐藤・田中政権による韓国、中国との関係修復の取り組みについて、謝罪の果たした役割を中心にみている。佐藤政権に対し、韓国は、過去の植民地支配の謝罪を表明するよう強く要求した。佐藤政権がこれに応じ、過去の反省をことばで表すことにより、国交正常化への流れは決定的なものになったといえる。これに対し、佐藤政権と中国の関係は悪化した。佐藤政権は、「政経分離」の方針に基づいて、日中間の貿易の働きかけを行なった。だが、中国側は日本軍国主義の復活を警戒し、佐藤政権との国交正常化交渉を拒否した。続く田中政権は、日中共同声明の中で、過去の戦争について反省の意思表示を行なった。これにより、中国の日本軍国主義の復活への懸念は緩和されたとみられ、中国は日本との国交正常化に応じた。

第七章では、本論における理論的考察と事例分析から得られた知見を要約するとともに、本論の発展性について展望し、本論の意義を総括している。本論の事例研究は基本的に、理論仮説を支持するものであった。その一方で、本論における議論の前提を見直すことで、議論をさらに発展させることが考えられる。その際には、友敵関係の長期的な変化、国内の意思決定過程、相手国の政治体制の三つが、論点として指摘される。こうした点を踏まえつつ、本論の意義としては、次の三つを挙げることができる。一つ目は、国際政治理論の中に、外交理論の発展していく可能性を見出したことである。二つ目は、国際政治理論と外交史研究の対話という方法論上の問題に関して、認知心理の視角をこれらの結節点として提示したことである。三つ目は、平和の問題という国際政治の根源的な問いについて、敗者の視点から再考を促したことである。

審査要旨 要旨を表示する

主題

本論文は、戦後日本が、サンフランシスコ講和条約以降、近隣諸国(台湾、ソ連、韓国、中国)と関係を修復することを可能にした国際および国内政治的条件を、指導者の認識に着目しつつ、明らかにしたものである。

構成と各章の内容

本論文は、研究を動機づける問題を設定する序章、理論的な考察を展開する第一章から第三章、事例を分析する第四章から第六章、そして結論を述べる第七章から構成される。

まず序章は、戦後日本のアジア近隣諸国との関係修復に立ちはだかった二つの障害、すなわち、「同盟の影」と「過去の影」とを整理する。「同盟の影」とは、冷戦構造の中で、自国の旧敵国・旧植民地とどのような関係を結ぶかという一次的な問題に対して、同盟国である米国の友好国・敵対国とどのような関係を結ぶかという二次的な問題が与えた影響を指す。また「過去の影」とは、日本による支配の歴史がもたらした対日不信感を指す。本論文は、指導者の認知心理に焦点を当てながら、これら二重の障害を日本がどのように克服してアジア近隣諸国との関係修復を進めたのかを考察するとともに、旧敵国との関係修復を可能にした政治的な条件を明らかにしようとするものである。

第一章は、戦後日本のアジア近隣諸国との関係修復に関する先行研究を概観する。既存の外交史研究からは三つの解釈上の立場を抽出することができるだろう。第一の「同盟国追随仮説」は、対米配慮を強調する。第二の「経済協力仮説」は、経済援助の関係修復効果を重視する。そして第三の「過去の責任回避仮説」とは、過去の清算の関係修復効果を重視する。これらの仮説は、≪共時的な連関の切断≫、≪通時的な変動の分割≫、≪観察者の視点と当事者の視点の同一視≫を通じて解釈上のバイアスを生み出すものである。

第二章は、国際政治理論と認知心理研究を融合して、旧敵国間の関係修復の条件を一連の仮説として提示する。すなわち、多国間関係の次元では、国際体系にみられる友敵関係の趨勢と指導者の国内政治上の動機が関係修復に複合的に作用する。これに対して二国間関係の次元では、被害国の認識枠組み(将来の利益を期待するものであるか、過去の損失に不安を覚えるものであるか)と加害国の関係修復の意思表示の方法(援助か謝罪か)が関係修復に複合的に作用するのである。

第三章は、実証分析を進めるにあたって方法論上の問題点を検討し、体系的な分析のための着眼点(多国間関係の次元では、当該国家の指導者による友敵関係の趨勢の認識/当該国家の指導者の政治的動機/関係修復の相手国、二国間関係の次元では、被害国の指導者の認識枠組み/加害国の意思表示の方法/関係修復の成否など)をあらかじめ整理する。

このような理論枠組みを基礎として、事例分析に入る。まず第四章は、吉田内閣の台湾、中国との関係修復の取り組みと、鳩山内閣の韓国、ソ連との関係修復の取り組みを分析する。朝鮮戦争により東西陣営が対決姿勢を強める中、吉田内閣は、同盟国である米国の要請に応える形で、台湾と国交を正常化した。その国内背景としては、吉田内閣が主権の回復により、国内の支持の確保を図ったことがあったとみられる。これに対し、米ソ冷戦下にもかかわらず、鳩山内閣は冷戦の雪解けを好機ととらえ、ソ連と国交を回復した。その国内背景としては、漁業資源に強い関心を持っていた河野農相が、交渉の主導権を握ったことがあったとみられる。

第五章は、岸・池田内閣による韓国、中国との関係修復の取り組みについて、主に経済協力の効果という観点から検討を加える。まず、岸内閣の下で韓国との関係修復は停滞した。岸内閣の謝罪は、将来の利益を期待していた韓国に強い印象を与えるものではなかった。さらに、中国との関係も悪化した。岸内閣は、「政経分離」方針に基づいて日中間の貿易を働きかけたものの、中国側は経済的な利益よりも、安全保障上の見地から日本が政治的に中国に接近することを望んだため、経済交流の試みは頓挫したのであった。池田内閣は、経済的な結びつきにより韓国、中国両国との関係の進展を図った。この試みは、韓国、中国が経済的な困難の克服に取り組んでいた時期と重なり、日韓の請求権問題の解決、日中の貿易再開をもたらすことになった。

第六章は、佐藤・田中内閣による韓国、中国との関係修復の取り組みについて、謝罪が果たした役割を中心に考察する。佐藤内閣に対して韓国は、過去の植民地支配の謝罪を表明するよう強く要求した。これに応じた佐藤内閣が過去を謝罪することにより、国交正常化への流れは決定的なものになった。対照的に、佐藤内閣の下で中国との関係は悪化した。佐藤内閣は、「政経分離」の方針に基づいて、日中間の貿易を働きかけたが、中国側は日本軍国主義の復活を警戒し、国交正常化交渉を拒否した。田中内閣は、日中共同声明の中で、過去の戦争について反省の意思表示を行なったため、中国の日本軍国主義の復活への懸念は緩和されたとみられ、中国は日本との国交正常化に応じることになった。

第七章は、本論文において得られた知見をあらためて整理し、今後の研究の方向性を探るとともに、本論文の意義を総括する。本論文の理論仮説については観察される現実の裏づけを得ることができたが、本論文の分析の前提(特に友敵関係の長期的な変化、当該国の意思決定過程、相手国の政治体制)を注意深く見直すことによって、研究の新境地は一段と広がるだろう。本論文の意義としては、外交論の国際政治理論への位置づけ、認知心理を結節点とする理論と歴史の対話、そして、敗者の平和の考察を挙げることができる。

評価

本論文の成果は、主として三つある。まず第一に、戦後日本の関係修復について先行研究は、≪特定の国家との間≫の≪特定の時期における≫国交回復過程の断片的な知見の蓄積にとどまるがゆえに、解釈上のバイアス(「同盟国追随仮説」、「経済協力仮説」、「責任回避仮説」)から抜け出せていないとみた著者が、戦後日本の関係修復の歴史分析を架橋・統合するために、研究対象を、台湾、ソ連、韓国、中国の四ヶ国との、吉田内閣期から田中内閣期に亘る関係修復過程にまで広げた上で、いささかの躊躇いもなく膨大な時間と労力とを投入して決然と取り組んだ渾身の力作が本論文である。それは、これまで看過されがちであった関係修復の「共時的連関」(すなわち、どの国家との関係修復を優先するかという日本の選択)と「通時的連関」(すなわち、旧植民地との関係を修復するために、援助と謝罪とをどのような順番で組み合わせるかという日本の選択)をあらためて浮き彫りにするものである。

著者の言う共時的・通時的な文脈の中に、これまで断片的に蓄積されてきた観察を再配置することによって、本研究は、関係修復の国際および国内政治的条件を理論的に解明するのみならず、以下に整理するように理論的な観点から戦後外交史を読み直すことに成功している。本研究のために、台湾、ソ連、韓国、中国との関係修復に関して、二次文献はもとより、アメリカ国立公文書館所蔵の外交文書に至るまで広範に一次資料を渉猟していることは特筆に価する。

第二に、H.モーゲンソ―(Hans Morgenthau)に代表される古典的現実主義の国際政治学の中で、外交論は権力政治論としてその中核に位置づけられ、認識と現実のギャップから強制外交(抑止や強要)の破綻が戦争という形をとってあらわれる政治過程に多くの研究者が関心を寄せていたものの、その外交論がK.ウォルツ(Kenneth Waltz)以降の国際政治学の後景に退く現状において、国際政治理論に外交論を復活させようとするのが本論文の狙いである。とりわけ、本論文が提示する「シグナルとしての謝罪」の分析は、安心供与(reassurance)論として水準が高い。

安心供与とは、相手国にとっての最悪事態の発生につながる非協力的な行動の自制を約束し、相手国の不安を払拭して安心を供与することを通じて、当該国家にとっての最悪事態の発生につながる非協力的な行動の自制を相手国に促す政策を指す。外交の本質が、相手国に対する意図の伝達によって当該国家の利益の実現を目指す国際的な政治過程にあると理解するならば、安心供与外交の成否を分ける鍵は、(過去において実行したがゆえに、現在あるいは将来においても実行したいのではないかと相手国に疑われる)非友好的な行動を自制する、という当該国家の約束の説得力にある。相手国の認識を操作することによって利益が当該国家に生まれる限り、意図の正確な伝達に困難が伴う状況において、どのような政治的条件の下で謝罪は真意の伝達を可能にするのか。本論文は、この問題に不完備情報ゲームの枠組みにおいて理論的な解答を与えるものである。

第三に、本論文は動学的な秩序変動(あるいは秩序再編)論を提供するものである。第二次世界大戦における日本という帝国の敗戦は、旧敵国との関係修復(「水平的関係修復」)のみならず、旧植民地との関係修復(「垂直的関係修復」)をも必要とした。戦後日本は、全面(それゆに一括)講和ではなく、逐次的関係修復を選択したために、二次的な関係を意識しつつ、一次的な関係を修復するという課題に直面した。言い換えれば、自国の旧敵国・旧植民地とどのような関係を結ぶかという一次的な問題と、同盟国の友好国・敵対国とどのような関係を結ぶかという二次的な問題とが、必然的に絡んだのである。著者は、当該国家とその同盟国との二国に同盟国の友好国あるいは敵対国とを加えた三国モデルを、当該国家とその同盟国との関係を軸に二つ組み合わせた四国モデルを構築している。

無論、本論文に改善の余地が見当たらない訳ではない。それは、以下の三点に整理できる。まず第一に、多面的な個々の歴史研究を、著者の三分類(「同盟国追随仮説」、「経済協力仮説」、「責任回避仮説」)のいずれかの類型に分類することは、仮説間の鮮やかな対照を可能にする一方で、個々の歴史研究の性格付けとしてはやや一面的なものになっている。

第二に、認識の主体について、本論文は基本的に指導者個人を想定するものの、内閣などの指導者集団や広く世論を想定しているとの印象も否めない箇所も散見され、厳密な一貫性が認められない。また、認識主体の政治動機(安全保障と経済的利益)の解釈には、著者の恣意的評価を完全に排除しきれていない部分が残る。

第三に、関係修復の理論モデルについては、戦後日本が直面した現実を想定しているために、それを超えた一般化には必ずしも馴染まない部分もある。たとえば、関係修復の可否を左右する要因は限定されており、旧植民地の国内政治体制などは断片的に考察されるのみである。また、本研究の考察は、関係修復の順番と成否に限定されており、関係修復の形態(たとえば、国際会議方式の採否)などは説明の対象とはなっていない。

しかしながら、このような課題は著者自身も既に自覚するところであり、本論文によって示された著者の力量をもってすれば、今後、本論文の説明枠組みの前提を問い直すことによって研究の新境地を切り開くことは十分に可能であると思われる。

結論

したがって、本審査委員会は一致して、論文提出者に博士(学術)の学位を授与するのが適当である、との結論に達した。

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