学位論文要旨



No 217061
著者(漢字) 榎本,淳一
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,ジュンイチ
標題(和) 唐王朝と古代日本
標題(洋)
報告番号 217061
報告番号 乙17061
学位授与日 2008.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17061号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大津,透
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 藤原,克巳
 情報学環 教授 石上,英一
 明治大学 教授 氣賀澤,保規
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、中国唐王朝と古代日本の外交関係を制度的な観点から明らかにし、中国文化の古代日本への流入と影響について研究したものである。二部構成を取り、第一部では唐代朝貢体制の構造・機能と日本古代の外交制度の特質について論じている。第二部では、第一部の成果を基に、朝貢体制下における中国文化の日本への流入の実態と、朝貢体制変質・崩壊後の日本文化の変容の問題を扱っている。以下、各章及び補論・付論の概要を記す。

序章 本章の視角と構成

唐代の朝貢体制について定義し、朝貢体制から唐日の外交関係及び中国文化の伝播・影響を考えるという研究視角の有効性・必要性について述べている。また、本論文を構成する各章・補論・付論の成立の経緯と概要について説明している。

第一部

第一章 律令国家の対外方針と「渡海制」

山内晋次氏の渡海禁制についての研究に触発されて、『小右記』に見える「渡海制」がどのような法律・法令に該当するのかを検討し、賊盗律謀叛条であることを明らかにした。また、「渡海制」が律に基づくものであることから、「渡海制」が意味する公使以外の出入国禁止という外交方針は、律令法を媒介として唐から継受した中国の伝統的な外交規範であったことを指摘した。律令的な対外方針が変化する過程から、日本古代国家の変質についても簡単な見通しを述べている。

補論一 広橋家本「養老衛禁律」の脱落条文の存否

第一章の論文への利光三津夫氏の御批判に対する反論である。利光氏は、広橋家本「養老衛禁律」には脱落条文があり、その中に唐律の越度縁辺関塞条に相当する条文があったのであり、「渡海制」とはその脱落条文を指すとして、筆者の説を批判された。この補論では、広橋家本「衛禁律」には脱落条文は無かったことを論証し、利光氏の根拠とされた裁判例をも検討して、自説の補強を行った。

補論二 渤海が伝えた「大池青節度康志*交通之事」について (*=日+壹)

天長四年(八二七)来日の渤海使が伝えた情報について検討し、池青節度康志睦が日本との通交を要望しているという内容であったことを推定した。また、この情報に対する日本側の対応から、「臣下に外交無し」という律令制的な外交体制が九世紀においても堅持されていたことを指摘した。

第二章 唐代の出入国管理制度と対外方針

西嶋定生先生の遣唐使の国書研究に導かれ、先生が利用された『性霊集』中の「為大使与福州観察使」という史料に着目して生まれた研究である。「竹符・銅契」と「文書」というキーワードから、唐代の出入国管理制度と対外方針の変化について論じた。唐朝は、律令制下では公使以外の出入国を禁じていたが、八世紀末から九世紀初めの頃になると私的な対外通交を認め、「公憑」による出入国管理を行うようになったことを明らかにした。

第三章 律令貿易制度の特質

日唐の関市令の比較検討から、両国の貿易管理制度の違いを論じたもので、先進文物の流出を防ごうとした唐と先進文物の独占的入手を図った日本という対照的なあり方を描き出した。また、官司先買制度が日本独自の制度であり、この制度が古代国家の末期まで維持されたことの重要性を指摘している。

補論三 北宋天聖令による唐関市令朝貢・貿易管理規定の復原

『天一閣蔵明鈔本天聖令校証 附 唐令復原研究』(中華書局、二〇〇六年)に収められた孟彦弘氏の「唐関市令復原研究」を批判的に検討し、第三章で行った唐関市令の復原について修正・補足を行った。

第四章 唐代の朝貢と貿易

唐代の朝貢体制と民間貿易を視点として、唐朝と日本を含めた東アジア諸国との関係や、東アジア地域の変貌について論じており、第一部を総括した内容となっている。

第二部

第一章 遣唐使と通訳

遣唐使の歴史を概観した上で、遣唐使が唐においてどのようにしてコミュニケーションをとったかという問題について論じたものである。会話が苦手で、文書や筆談によるコミュニケーションが行われたことを述べ、文字中心の中国文化受容の実態との関連に触れている。

付論一 『太平寰宇記』の日本記事について

宋代の地理書『太平寰宇記』巻一七四中の倭国条の史料典拠について考証している。本記事中では、『唐会要』の倭国・日本国条も利用されていることから、『唐会要』の通行本(武英殿聚珍版本)の不備を補い得ることなど『太平寰宇記』の史料価値・有用性について述べた。

付論二 北京大学図書館李氏旧蔵『唐会要』の倭国・日本国条について

現在北京大学図書館に所蔵されている李盛鐸氏旧蔵『唐会要』抄本の存在を紹介し、その史料的な性格について検討を加え、抄本系『唐会要』の写本としての重要性を明らかにしている。付論一と併せて、日唐関係の基本史料を補正するための素材を提供している。

第二章 遣唐使による漢籍将来

筆者の「唐代の書禁」論(終章の一部)に対する坂上康俊氏のご批判への反論として書いたものである。ただし、単なる反論という形は取らず、遣唐使の漢籍蒐集活動全般を見通すことを第一の目的としている。従来は将来漢籍の量的評価のみ行われてきたことに対し、時間と質という新たな観点から評価し、遣唐使の蒐書活動の困難な実態とその理由・背景について明らかにしている。

第三章 「国風文化」の成立

「国風文化」とはどのような性格の文化か、またどのような時代背景・原因から生まれたのかということについて、中国文物の流入・受容のあり方から論じたものである。「国風文化」は「唐風文化」と異質なものではなく、同じく唐文化を尊重し規範とする文化であり、両者の差異は唐文化の流入の仕方や普及の度合いから生じたものであることを述べている。

第四章 「蕃国」から「異国」へ

東アジアにおいて九世紀以降展開した民間貿易(東アジア交易圏)の拡大によって、日本における対外認識が十世紀に変化し、それにともない律令制的な外交方針や外交体制が形骸化していったことを論じている。九世紀を転換期とみる近年の研究についても取り上げ、十世紀の方により画期性を認めるべきであるという私見を提示している。

終章 文化受容における朝貢と貿易

本論文の結びとして、研究主題ともいうべき外交と文化の関係について具体的に論じている。朝貢体制下における先進文物流出に関する唐朝の制限の厳しさと、民間貿易が展開した時期における文物輸出に関する規制の緩和・消失という変化・相違を指摘し、「唐風文化」から「国風文化」へと転成した背景に中国文化の日本への流入拡大があったことを明らかにした。すなわち、「国風文化」とは、通説の説くような中国文化の影響が薄れることで生まれた純和風文化ではなく、逆に中国文化の影響が強まることによって生まれたエキゾチックな文化であることを明らかにしている。

以上

審査要旨 要旨を表示する

榎本淳一氏の論文『唐王朝と古代日本』は、唐王朝と日本古代の外交関係について、律令法の日唐比較など制度的視点から解明を試み、朝貢体制下における中国文化の日本への流入の実態を明らかにしたもので、貴重な実証的研究成果である。

第一部「唐代朝貢体制と古代日本の外交制度」では、従来平安時代になって日本の外交が消極的・閉鎖的になったことを示すとされた渡海禁制について、それは律の規定であることを明らかにし、公使以外の出入国禁止は、奈良時代以来の一貫した方針であり、院政期になり国家の外交管理が崩壊したとし、さらに日唐律令の貿易管理制度を比較分析し、唐では禁物として文物の流出を防ぐのに対して、日本では官司先買の制度を設けて先進文物の独占的入手をはかる違いを明らかにした。しかし唐朝は、開元年間から私貿易を容認し、八世紀末には「公憑」を用いた私的対外通行を認めるようになり、この朝貢体制の形骸化が東アジア諸国の衰亡をもたらしたと論じる。

第二部「中国文化と古代日本」では、遣唐使による漢籍などの文化流入を分析する。従来は遣唐使と文化輸入を単純に結びつけ、その廃止後中国文化の流入が制限されて国風文化が成立すると考えられてきたが、遣唐使による輸入は絶対量が少ないだけでなく、書物の持ち出し制限などもあり制約が大きかったことを明らかにし、むしろ私貿易の活発化により中国文化の流入が量的に拡大したことにより、和漢並立の「国風文化」が成立したと論じ、十世紀には中国を「異国」とみなす相対的な認識が成立するとした。

外交制度を基本において、近年の対外交渉史研究を総括した上で、朝貢体制を基軸に広い視野に立って外交と文化の関係について独自な結論を明快に示していて、高度な実証的成果といえる。方法的論には、律と令、とくに関市令について最新の北宋天聖令を参照して緻密に分析し、日本古代史の枠を超えて中国史料も取り上げていて、日唐律令制比較研究の最良の成果といえる。『日本国見在書目録』の分析から、漢籍の収集の困難さや制約を指摘した点も特記できるだろう。学術論文と広い読者を対象にした文章が混在していてやや形式的統一にかけることや、書物の輸入についてはたとえば円珍・円仁などによる佛教関係書物の将来をどのように位置づけるかなど一層の検討を期待したい点もあるが、極めて高度な研究成果であることは言うまでもない。

以上より本委員会は、本論文を博士(文学)の学位を授与するのにふさわしい独創性の高い業績として認めるものである。

UTokyo Repositoryリンク