学位論文要旨



No 217065
著者(漢字) 森本,晴之
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,ハルユキ
標題(和) 土佐湾及び周辺海域のマイワシにおける資源減少期の成熟産卵生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 217065
報告番号 乙17065
学位授与日 2008.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17065号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 佐野,光彦
 東京大学 准教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

北西太平洋のマイワシ Sardinops melanostictus は日本における重要な漁業資源であるが,過去に大規模な個体数変動を繰り返してきた。その資源量は1960年代から1980年代への20年間で十数万トンから数千万トンへと増加したが,1988年からの連続した加入量の激減の結果,1990年代に入ってピーク時の1/10以下までに減少した。資源変動に伴って,分布域,回遊範囲,成長,肥満度が劇的に変化したことが知られる。しかし,これらと密接な関係にある成熟・産卵特性の変化については知見が少ない。

資源急減期における成熟・産卵生態と成長・栄養状態との関係を調べることは,本種の資源変動の機構解明のために重要な基礎的知見となる。また,1回当たりの産卵数とその変動要因を解明することは,本種の年間総産卵数による資源量の推定の精度向上に大きく貢献する。本研究では,資源が急減した1989~1996年の間,土佐湾及びその周辺海域においてマイワシを定期的に採集し,雌魚の成熟・産卵及び成長・栄養状態に関する特性値の経年変動とそれらの関係について検討し,1988年以降の資源量急減の原因の一つとして,maternal effectが産卵数・卵質を通して資源変動の潜在的要因となる可能性について論議した。

1. 成熟と産卵生態

資源が急減した1989~1996年の間,土佐湾において中層流し網(11月~3月)及び釣り(4~10月)によりマイワシ雌を採集し,生殖年周期,成熟・産卵様式及び産卵開始時刻など成熟・産卵生態について検討した。

雌魚の生殖腺指数(GSI),卵巣成熟段階,及び吸水卵母細胞,排卵後濾胞,退行卵母細胞の保有率の経月変化によって生殖年周期を検討した結果,秋季(11~12月)と春季(2~3月)の産卵群の存在が認められた。最終成熟直前の1~8歳雌魚のGSI及び卵母細胞径の年齢比較から,秋季・春季産卵群ともに1~2歳の若齢魚,及び両群それぞれ5歳以上,7歳以上の高齢魚は,1回当たりの産卵数が少なく,卵サイズが小さいことが判明した。GSI及び卵母細胞径の秋季・春季の比較から,両産卵群はそれぞれ相対的に大卵少産,小卵多産の繁殖様式をもつことが推察された。吸水卵母細胞及び新・旧排卵後濾胞の保有割合から算出された産卵間隔は,秋季・春季でそれぞれ3~5日,7~8日で,秋季が有意に短かった。少産である秋季産卵群は産卵間隔を短くすることによって産卵回数を多くする特性をもつ可能性が示唆された。吸水した卵母細胞を保有する雌(吸水雌)の卵母細胞径の度数分布におけるモードが秋季・春季ともに3~4と複数観察され,また,排卵後濾胞保有個体の成熟段階が秋季・春季それぞれ第2次,第3次卵黄球期で,それら卵母細胞が未退行の個体を多く観察できたことから,産卵回数は依然不明であるが,少なくとも2回目の産卵を行う可能性はきわめて高い。

18~22時の間に約1時間間隔で採集した雌における卵巣の水分,卵母細胞の体積,GSI及び吸水雌割合の経時変化から,卵母細胞の吸水完了と産卵開始の時刻がそれぞれ20時,21時頃であることが判明し,個体レベルで1回当たりの産卵数,卵サイズを検討できる雌魚の採集時間帯が把握された。

2. 生物学的特性値の経年変化

マイワシ資源量変動により強く影響するのは,2~3月に産卵する春季産卵群であることから, 1990~1996年の間,土佐湾で2~3月に産卵する雌魚を採集し,成長・栄養状態,成熟・産卵に関する特性値及び年齢組成の経年変化について検討した。

1987~1992年級の成長が,この間,経年的に良化し,各年級とも肥満度が1993年に有意に増加した。また,最終成熟直前の雌のGSI,1回当たりの産卵数及び卵黄体積が有意に増加した。このことは資源の急減が始まった1989年前後のマイワシは,栄養状態が悪く,再生産能力が低かったことを示している。

年齢組成の経年変化から,1988~1991年級群の加入が極端に不調で,主たる親魚の年齢が3歳から5,6歳へと高齢化した。1回当たりの産卵数,卵黄体積,産卵回数及び吸水雌の割合(産卵加入率)において高齢魚が若齢魚に有意に劣る現象が観察され,加入の不調による産卵群の極端な高齢化は資源減少を助長したことが考えられる。

土佐湾では1994年3月以降,満1歳の吸水雌が採集され始め,翌年11月には満1歳雌の60%以上を吸水雌が占め,資源急減過程において成熟年齢は1歳へ低下した。1991~1993年級の肥満度が満1歳時から高く,栄養状態の良化が1歳での成熟を促進したと推察された。しかし,同時に,1992年級まで良化した成長が1993年・1994年級において低下が観察され,この成長の悪化は1歳ですでに成熟へエネルギーが配分されたことによると推察された。

3. 成熟産卵特性と栄養状態との関係

産卵直前の吸水雌における成熟・産卵に関する特性値と栄養状態との関係,卵と母体の脂質の関係を個体レベルで検討し,さらに夏季に分布する索餌場の違いが成魚の栄養蓄積量に及ぼす影響を検討した。

吸水雌の肥満度及び筋肉脂質含有率と卵巣重量の間,卵巣重量と1回当たりの産卵数の間には有意な正の相関関係が認められ,産卵期前に十分栄養を蓄積した親魚はより多くの卵を産出することがわかった。また,卵巣と背部普通筋肉の脂質含有率の間,両組織の総脂質脂肪酸に占める海産魚の必須脂肪酸であるエイコサペンタエン酸(EPA)の割合の間において,有意に高い正の相関関係が認められ,卵の脂質は量的・質的に母体の脂質の影響を強く受けることが判明した。

夏季の索餌期を青森東方沖で過ごすマイワシは土佐湾沿岸域で過ごすマイワシに比べて,肥満度が有意に高く,腹腔内脂肪量,肝臓重量,肝臓・筋肉の脂質含有率が2~3倍,肝臓,筋肉の中のエネルギー源となるトリグリセリド(TG)含有率が3~4倍,肝臓のEPA含有量が5倍以上多く,有意な差異が認められた。このような夏季索餌期における大きな栄養蓄積量の違いは,冬春季の成熟したマイワシの肥満度,産卵数及び卵質に影響することが明らかになった。

4. 生物学的特性値の地理的変化と回遊型

1990~1992年2月の土佐湾沿岸域と四国・九州沖合域のマイワシ雌における年齢組成,成長・栄養状態及び成熟・産卵に関する特性値を比較し,これら特性値の地理的変化が生活型(大回遊型,小回遊型)に起因する可能性について検討した。

2.においてすでに示した土佐湾の雌魚同様に,沖合域の雌魚においても年齢組成の経年変化から,1988~1991年級群の加入が極端に不調で,主たる親魚の年齢は3歳から5,6歳へと高齢化した。その進行は沖合域のマイワシの方が顕著であった。

一方,成長速度は,沖合域の雌魚が土佐湾の雌魚に比べて有意に大きく,肥満度も有意に高かった。これらのことから,加入の不調がより顕著であった沖合域のマイワシは,個体数減少による密度効果がより強く働き,栄養状態の向上と成長の良化が土佐湾のマイワシより促進されたことが推察された。また,肥満度における有意な差異に対応して,GSI,1回当たりの産卵数(BF)及び卵黄体積の平均値は,沖合域の雌魚が土佐湾の雌魚に比べて有意に高かった。土佐湾の雌魚の BFは約3万粒以下が,一方,沖合域の雌魚のBFは約3万粒以上が主体で,卵黄体積との間にそれぞれ正,負と逆の相関関係が認められた。以上のような生物学的特性値の地理的変化は,密度効果だけでなく,夏季の索餌期の餌料環境の良否も影響したことが推察され,産卵生態における回遊群の特異性,大回遊型,小回遊型といった生活型の違いに起因する可能性が示唆された。

まとめ

本研究の結果,マイワシ親魚の再生産能力はその栄養状態に強く影響を受けること,また,資源の急減が始まった1989年前後の太平洋側主産卵場である土佐湾及びその周辺海域におけるマイワシ親魚の栄養状態は悪く,再生産能力が低かったことが明らかとなった。このことが加入の極端な不調をもたらし,親魚の高齢化と,さらに一層の再生産能力の低下を引き起こしたことが推察される。

親魚の成長と栄養状態の悪化が,産出卵の小卵化と卵質の低下,卵黄仔魚期の成長の悪化を招き,そのことが摂餌開始期以降の仔魚・稚魚の成長や健全な発育に影響を及ぼし,餓死率や被食率の増加などによって生残率が極端に低下したという一連のストーリーが考えられる。資源急減の直接の原因とされる1988~1991年級の連続した加入の極端な不調のメカニズムにおける潜在的要因としてMaternal effectの可能性の存在が示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

北西太平洋のマイワシ Sardinops melanostictus は日本における重要な漁業資源であるが,過去に大規模な個体数変動を繰り返してきた。その資源量は1960年代から1980年代への20年間で十数万トンから数千万トンへと増加したが,1988年からの連続した加入量の激減の結果,1990年代に入ってピーク時の1/10以下までに減少した。本研究では,資源が急減した1989~1996年の間,土佐湾及びその周辺海域においてマイワシを定期的に採集し,雌魚の成熟・産卵及び成長・栄養状態に関する特性値の経年変動とそれらの関係について検討し,1988年以降の資源量急減の原因の一つとして,産卵数・卵質を通して雌親魚が資源変動に与える影響について論議した。

1. 成熟と産卵生態

マイワシ雌の生殖年周期,成熟産卵様式及び産卵開始時刻など成熟産卵生態について検討した。雌魚の生殖腺指数(GSI),卵巣成熟段階,及び吸水卵母細胞,排卵後濾胞,退行卵母細胞の保有率の経月変化によって生殖年周期を検討した結果,秋季(11~12月)と春季(2~3月)の産卵群の存在が認められた。秋季・春季産卵群ともに1~2歳の若齢魚,及び両群のそれぞれ5歳以上,7歳以上の高齢魚は,1回当たりの産卵数が少なく,卵サイズが小さいことが判明した。産卵時刻については、夜間に約1時間間隔で採集した雌から,卵母細胞の吸水完了と産卵開始の時刻がそれぞれ20時,21時頃であることが判明した。

2. 生物学的特性値の経年変化

主産卵群である春季産卵群について、1990~1996年の間,土佐湾で産卵する雌魚を採集し,成長・栄養状態,成熟産卵に関する特性値及び年齢組成の経年変化について検討した。1987~1992年級の成長は経年的に良化し,各年級とも肥満度が有意に増加した。また,最終成熟直前の雌のGSI,1回当たりの産卵数及び卵黄体積も有意に増加した。このことは資源の急減が始まった1989年前後のマイワシは,栄養状態が悪く,再生産能力が低かったことを示している。年齢組成の経年変化は,1988~1991年級群の極端な加入の不調により,主たる親魚の年齢が3歳から5,6歳へと高齢化したことを示した。1回当たりの産卵数,卵黄体積,産卵回数及び吸水雌の割合(産卵加入率)において高齢魚が若齢魚に有意に劣る現象が観察され,加入の不調による産卵群の高齢化は資源減少を助長したことが考えられる。

3. 成熟産卵特性と栄養状態との関係

産卵雌の肥満度及び筋肉脂質含有率と卵巣重量の間,卵巣重量と1回当たりの産卵数の間には有意な正の相関関係が認められ,産卵期前に十分栄養を蓄積した親魚はより多くの卵を産出することがわかった。また,卵巣と背部普通筋肉の脂質含有率の間,両組織の総脂質脂肪酸に占める海産魚の必須脂肪酸であるエイコサペンタエン酸(EPA)の割合の間において,有意に高い正の相関関係が認められ,卵の脂質は量的・質的に母体の脂質の影響を強く受けることが判明した。

夏季の索餌期を青森東方沖で過ごすマイワシは土佐湾沿岸域で過ごすマイワシに比べて,肥満度が有意に高く,腹腔内脂肪量,肝臓重量,肝臓・筋肉の脂質含有率が2~3倍,肝臓,筋肉の中のトリグリセリド含有率が3~4倍,肝臓のEPA含有量が5倍以上多く,有意な差異が認められた。このような夏季索餌期における大きな栄養蓄積量の違いは,冬春季の成熟したマイワシの肥満度,産卵数及び卵質に影響することが明らかになった。

4. 生物学的特性値の地理的変化と回遊型

土佐湾沿岸域と四国・九州沖合域のマイワシ雌における年齢組成,成長・栄養状態及び成熟・産卵に関する特性値を比較した。成長速度は,沖合域の雌魚が土佐湾の雌魚に比べて有意に大きく,肥満度も有意に高かった。また,肥満度における有意な差異に対応して,GSI,1回当たりの産卵数及び卵黄体積の平均値は,沖合域の雌魚が土佐湾の雌魚に比べて有意に高かった。以上のような生物学的特性値の地理的変化は,夏季の索餌期の餌料環境の良否も影響したことが推察され,大回遊型,小回遊型といった生活型の違いに起因する可能性が示唆された。

以上、本論文では、マイワシ雌親魚の再生産能力が栄養状態に強く影響を受けること,そして、1988年以降のマイワシ資源の急減の一要因として、マイワシ雌親魚の栄養状態と再生産能力の低下があったことを明らかにした。この結果は資源変動要因として仔魚の生残に及ぼす雌親魚の影響に関する新たな知見を与えるものである。従って本研究は学術上、応用上の寄与はきわめて大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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