No | 217066 | |
著者(漢字) | 佐藤,光秀 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | サトウ,ミツヒデ | |
標題(和) | 海洋の鉄循環における動物プランクトン摂食の役割 | |
標題(洋) | Roles of zooplankton grazing in the iron cycling of the sea | |
報告番号 | 217066 | |
報告番号 | 乙17066 | |
学位授与日 | 2008.12.22 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 第17066号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 鉄はすべての生物にとって必須元素であり、全球一次生産の約半分を担う海洋植物プランクトンも例外でない。鉄供給の少ない外洋表層において鉄は一次生産を制限する要因のひとつになっている。近年、外洋表層の溶存鉄のほとんどすべてが有機物と錯形成していること、有機配位子の種類により植物プランクトンによる鉄利用能が変化しうることが明らかになり、海洋一次生産の鉄律速の理解のために有機配位子の組成が鍵となってきた。天然に存在する主要な有機配位子の化学構造はいまだ不明であるが、プランクトン細胞内のポルフィリン化合物や鉄貯蔵タンパクがプランクトン間の食関係を経て海水へ放出され、鉄の配位子としてはたらく可能性が指摘されている。また、鉄制限海域において、動物プランクトンの摂餌と排糞にともなう有光層での溶存鉄の再生は植物プランクトンによる再利用にとってきわめて重要な供給過程である。したがって、動物プランクトンの摂食は、直接的な制御以外に次の2つの機構から植物プランクトン群集の構造や生産力に影響を及ぼすと考えられる。第一に、溶存鉄そのものを再生し、生物が利用可能な鉄を表層に再供給すること、第二に、餌料となったプランクトン由来の有機鉄配位子を海水中に供給することにより、植物プランクトンによる鉄利用能を制御するという間接的なはたらきである。本研究は、これらの仮説を検証し、動物プランクトンの摂食過程が鉄制限海域の植物プランクトン群集構造に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。はじめに、動物プランクトンによる摂食を定量的に評価するために、フローサイトメトリーによるピコ・ナノ植物プランクトンの計数に必要なサンプルの保存条件を検討し、さらに動物プランクトンの摂食圧をグループごとに見積もる手法を開発した。つづいて、摂食が溶存鉄の再生および有機鉄配位子の生成に及ぼす影響を評価するための手法を検討し、これを太平洋赤道域および北太平洋亜寒帯域で適用した。最後に、摂食にともない海水中に放出された有機配位子が植物プランクトンによる鉄利用能に及ぼす影響を、藻類培養株を用いたバイオアッセイにより評価した。 微小動物プランクトンの摂食速度推定法の開発 動物プランクトンによる摂食が植物プランクトン群集構造に与える直接的な影響を定量するには、動物プランクトン群集のさまざまなグループの摂食速度を知る必要がある。しかし、摂食速度の測定に最もよく用いられる希釈法では摂食者を一括して取り扱うため、動物プランクトン各グループの摂食を把握するのは難しい。それに対し、サイズ分画法はフィルターの目合を変えることによって摂食者の組成が異なる複数の海水試料を段階的に作成することができるため、これをもとに各グループの摂食を見積もることが可能になる。この点に着目して新たな摂食量推定法を開発した。岩手県大槌湾の天然プランクトン群集を用いた検討の結果、ピコ植物プランクトンはナノサイズの鞭毛虫に、ナノ植物プランクトンは繊毛虫により多く摂食されていることを定量的に評価することが可能になった。しかし、亜寒帯および亜熱帯外洋域でもこの手法を適用したが、生物量の低さや培養期間中のプランクトン組成の変動により、定量的な解析はできなかった。したがって、この手法は比較的生物量の高い沿岸域において有効であると結論された。 摂餌にともなう鉄の再生および有機配位子の生成 摂食にともなう溶存鉄および有機鉄配位子濃度の変動を解析するために、カートリッジフィルターを用いて現場海水から濃縮したプランクトン群集を試験海水に添加し、微小動物プランクトンによる摂餌を調べた。これに加えて植食性カイアシ類を表層海水に添加する実験を行った。溶存鉄濃度、有機配位子濃度、栄養塩濃度、植物プランクトン色素濃度、微小動物プランクトン密度を経時的に測定し、得られた結果にプランクトン間の被食・摂餌の数理モデルを当てはめ、プランクトン各グループ間の物質フラックスを推定した。有機配位子濃度の測定は2-(2-チアゾリルアゾ)-p-クレゾールを競合配位子に用いた吸着-濃縮カソーディングストリッピングボルタンメトリーによったが、一部の培養実験ではより条件安定度定数の大きい2,3-ジヒドロキシナフタレンを用いた。 一次生産が鉄律速を受けていると考えられる太平洋亜寒帯域および赤道域において計11回行った培養実験のうち、6回で培養中の溶存鉄濃度に有意な増加が認められた。その増加量は減少した植物プランクトン生物量及び既報の植物プランクトン細胞内鉄含量から推定される量の数倍~100倍程度であった。これから、植物プランクトン以外のプランクトンの細胞内鉄、細胞表面に吸着した鉄、そのほかの海水中の粒子態鉄からの再生が寄与していることが示唆された。そこで、各プランクトン群集の生物量の減少量および既報の細胞内鉄含量から各プランクトン群集からの再生を見積もったところ、溶存鉄増加量の最大約50%が生物細胞からの再生で説明された。これに既報の植物プランクトン細胞表面への吸着鉄量を考慮すると、濃縮プランクトン群集添加実験においてはほぼすべての溶存鉄増加が生物細胞由来の鉄の再生で説明可能であることが明らかになった。このことは、摂餌の際にプランクトン細胞内の鉄に加え、細胞表面に吸着した鉄も再生を受けることを示唆している。これまでの外洋表層における鉄の再生速度は細胞内の鉄のみを対象としてきたが、本研究から、外洋表層の鉄は実際にはこれまでの推定再生速度の2から6倍の速さで生物態と溶存態の間を移動している可能性が示された。 さらに、鉄の再生が確認された実験のほとんどで植物プランクトンの減少にともない有機鉄配位子濃度が増加した。培養期間中、鉄(III)イオンと有機配位子との条件安定度定数は大きく変化しなかったことから、放出された配位子と鉄の配位結合の強さは天然に存在する配位子と同程度であり、海水中の鉄と錯形成すると考えられる。配位子の増加量はクロロフィルa濃度の減少量およびアンモニア濃度の増加量と対応していることから、配位子の増加は植物プランクトン被食過程と強く関連するといえる。この増加は濃縮プランクトン群集添加系、カイアシ類添加系、無添加系のいずれでも認められ、特定の摂食者または被食者に由来するものではないことを示した。また、配位子の増加量には、微小動物プランクトンを含めた全プランクトン被食量の推定値との間にも相関が認められ、動物プランクトン細胞からも被食にともなって有機鉄配位子が放出される可能性が示された。また、有機配位子の生成量が消費プランクトン生物量に比例すると仮定してモデル計算を行ったところ、太平洋赤道域では有機鉄配位子は平均1日程度の滞留時間で回転しているという結果を得た。また、亜寒帯域について同様の計算を行ったところ、摂食にともなう生成以外の配位子供給過程の存在が示唆された。今後、配位子の光分解や摂食以外による配位子の供給過程の検討が必要である。一方、2,3-ジヒドロキシナフタレンを競合配位子として用いた実験では有機配位子の明瞭な増加は観察されず、競合配位子の種類による検出可能な配位子強度範囲の微小な差異が、増加する配位子の検出に影響する可能性が示唆された。 摂食過程で生成した配位子が鉄の利用能に与える影響の評価 上記の培養実験の開始時および終了時に採取した濾過海水中の鉄の利用しやすさをバイオアッセイにより調べた。被験生物として、低鉄濃度海水で前培養したシアノバクテリアSynechococcus sp. ROS株、プラシノ藻Micromonas pusilla CCMP 493株および珪藻Thalassiosira weissflogii CCMP 1052株を用いた。その結果、すべての株で終了時の海水での収量が開始時の海水でのそれより低かった。さらに、両海水に鉄を添加したところ、どちらの海水でも再び増殖が認められたことから、鉄が藻類の増殖制限要因となっていることが示された。このとき、培養終了時の海水における増殖速度はシアノバクテリアやプラシノ藻では有意に低下したが、珪藻では有意に低下しなかった。また、培養終了時の海水に溶存有機物を分解するために紫外線を照射したもので同じ藻類株を培養したところ、処理前の海水に比べて収量が増加した。したがって、鉄再生実験中に生成した配位子は植物プランクトンによる鉄利用能を低下させるが、その効果は種によって異なることが示された。 本研究により、これまで仮説として提唱されてきたプランクトン間の摂食にともなう有機鉄配位子の供給が初めて実験的に検証され、動物プランクトンの摂食が鉄の再循環に及ぼす影響を明らかにすることができた。プランクトン細胞内および表面の鉄は被食にともなって再生されるが、再生された鉄以上の量の有機鉄配位子が同時に海水中に放出され、再生鉄および海水中の鉄と錯形成すること、および、この過程で生じた配位子は、鉄の生物利用能を低減させて、溶存態鉄の滞留時間を大きくするとともに、植物プランクトン種間で異なる増殖抑制効果をもつことが明らかになった。また、生成した配位子は珪藻に対する増殖抑制効果が相対的に弱いことから、鉄制限海域において、鉄供給を受けて形成される珪藻ブルーム中、再生される鉄が他の藻類と比較して珪藻に再び取り込まれやすくなることにより、ブルームを長期化するはたらきがあることが指摘される。以上、本研究により、動物プランクトンによる摂食が、鉄の利用能の制御を通じて植物プランクトンの群集構造と生産に影響を与える機構が示された。今後、本研究で示された摂食以外の過程による有機配位子の生成経路および生成した配位子の化学構造や性状の解明により、海洋、特に鉄制限海域における一次生産の制御機構の理解が深化すると期待される。 | |
審査要旨 | 鉄供給の少ない外洋表層において鉄は植物プランクトン一次生産を制限する要因のひとつになっている。近年、外洋表層の溶存鉄のほとんどすべてが有機物と錯形成していること、有機配位子の種類により植物プランクトンによる鉄利用能が変化しうることが明らかになり、海洋一次生産の鉄律速の理解のために有機配位子の動態を解明することが鍵となってきた。プランクトン細胞内物質は、プランクトン間の食関係を経て海水へ放出されると鉄の配位子としてはたらく可能性があり、また、鉄制限海域では動物プランクトンの摂餌と排糞にともなう有光層内での溶存鉄の再生は植物プランクトンによる再利用にとってきわめて重要な供給過程である。従って、動物プランクトンの摂食は、直接的な除去以外に次の2つの機構から植物プランクトン群集の構造や生産力に影響を及ぼすと考えられる。第一に、溶存鉄そのものを再生し、生物が利用可能な鉄を表層に再供給すること、第二に、餌料となったプランクトン由来の有機鉄配位子を海水中に供給することにより、植物プランクトンによる鉄利用能を制御することである。本研究は、これらの仮説を検証し、動物プランクトンの摂食過程が鉄制限海域の植物プランクトン群集構造に及ぼす影響を明らかにすることを目的としたものである。 太平洋赤道域および亜寒帯海域において、カートリッジフィルターを用いて現場海水から濃縮したプランクトン群集を試験海水に添加し、微小動物プランクトンによる摂餌が鉄の再生およびその化学的形態に及ぼす影響を調べた。これに加えて、植食性カイアシ類を表層海水に添加する実験を行った。その結果、一次生産が鉄律速を受けていると考えられる太平洋亜寒帯域および赤道域において培養中の溶存鉄濃度に有意な増加を認めた。各プランクトン群集の生物量の減少量および既報の細胞内鉄含量から各プランクトン群集からの再生を見積もった結果、溶存鉄増加量の最大約50%が生物細胞からの再生で、残りのほぼすべてが植物プランクトン細胞表面への吸着鉄からの再生によって説明可能であることを明らかにした。これまでの外洋表層における鉄の再生速度は細胞内の鉄のみを対象としてきたが、本研究は、外洋表層の鉄は実際には細胞表面に吸着した鉄も再生を受けており、これまでの推定再生速度の2から6倍の速さで生物態と溶存態の間を移動している可能性があることを示した。 さらに、天然プランクトン群集を用いた培養系で有機鉄配位子の生成を初めて確認し、配位子の増加量はクロロフィルa濃度の減少量およびアンモニア濃度の増加量と対応していることから、配位子の増加は植物プランクトン被食過程と強く関連すること、さらに、有機配位子の生成量が消費プランクトン生物量に比例すると仮定したモデル計算より、太平洋赤道域では有機鉄配位子は平均1日程度の滞留時間で回転していることが明らかになった。これらの結果は現場における鉄有機配位子の動態を初めてモデル化したものといえる。さらに、上記の培養実験の開始時および終了時に採取した濾過海水中の鉄の利用しやすさをバイオアッセイにより調べた結果、生成した配位子は植物プランクトンによる鉄利用能を低下させるが、その効果は種によって異なり、珪藻に対してはその効果が相対的に低いことを明らかにした。 本研究は、これまで仮説として提唱されてきたプランクトン間の摂食にともなう有機鉄配位子の供給が初めて実験的に検証したものである。これにより、摂食にともなう鉄の再生、その化学的形態と有機配位子との量的関係、および生物による再利用、という一連の経路が明らかになった。プランクトン細胞内および表面の鉄は被食にともなって再生されるが、再生された鉄以上の量の有機鉄配位子が同時に海水中に放出され、再生鉄および海水中の鉄と錯形成すること、および、この過程で生じた配位子は、鉄の生物利用能を低減させて、溶存態鉄の滞留時間を大きくするとともに、植物プランクトン種間で異なる増殖抑制効果をもつことを明らかにした点が評価される。また、生成した配位子は珪藻に対する増殖抑制効果が相対的に弱いことから、鉄制限海域において、鉄供給を受けて形成される珪藻ブルーム中、再生される鉄が他の藻類と比較して珪藻に再び取り込まれやすくなることにより、ブルームを長期化するはたらきがある可能性を初めて指摘した。 以上から、これまで知見の乏しかった動物プランクトンによる摂食が、鉄の利用能の制御を通じて植物プランクトンの群集構造と生産に影響を与える機構が初めて定量的に明らかになった。このように本研究は、海洋、特に鉄制限海域における一次生産の制御機構を解明する上で新たな展開を与え、学術上も応用上も極めて貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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