学位論文要旨



No 217071
著者(漢字) 木ノ下,義宏
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,ヨシヒロ
標題(和) 担癌患者手術に対する同種血輸血の影響と自己血輸血の有用性
標題(洋)
報告番号 217071
報告番号 乙17071
学位授与日 2008.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17071号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 講師 長谷川,潔
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

1990年代後半より厚生労働省から様々な通達が示され、輸血療法に関する新しい法律も制定され、これらにしたがって、日本赤十字社血液センターは様々な活動を行ってきた。その結果、現在、安全性の高い輸血用血液が供給されるようになり、免疫学的副作用や輸血後感染症は激減している。しかし、同種血輸血の副作用をゼロにすることは困難であり、これを回避するためには自己血輸血が最も有用である。一方、癌の拡大根治手術が近年普及し、輸血用血液の使用量は増加傾向にある。その背景には、拡大手術による生存率の向上が、輸血のデメリットを上回るという前提条件が受け入れられていたためと考えられる。しかし、同種血輸血は様々な免疫反応を引き起こす可能性があり、その結果として、患者の予後に影響を及ぼす可能性が考えられる。よって、担癌患者に対して自己血輸血を計画的に行うことにより同種血輸血の回避が可能となり、さらには術後合併症の頻度軽減や予後の改善が期待できる。そこで、食道癌の定型手術に対して系統的な自己血輸血プログラムの実施により同種血輸血回避を行い、同種血輸血が術後感染症と予後に及ぼす影響について統計学的解析を行なった。

また、消化器外科領域において縫合不全はきわめて重要な術後合併症であり、縫合不全を契機に、出血、狭窄、あるいは敗血症となり重篤化する可能性がある。消化管吻合をより確実なものとするために縫合不全予防策として吻合部周囲にフィブリン製剤の使用が行われるようになってきた。しかし、腸管吻合部には多数の細菌が存在するため、吻合部周囲に散布したフィブリン塊に含まれる栄養素が培地となって細菌増殖を促す可能性が考えられる。実際にin vitroではフィブリン糊内で細菌増殖が起こることが証明されている。本来であれば、フィブリン糊内で腹水中と同様の免疫反応が起これば細菌増殖は抑制されることになるが、少なくとも現在市販されている全てのフィブリン糊は種々のウイルスを除外するための加熱処理により、免疫担当細胞も除外されている。それに比べ、患者自身の血液より精製される自己フィブリン糊は熱処理の過程を必要としないため、含まれる免疫系による細菌の増殖抑制効果が期待される。

方法・結果

I. 同種血輸血が術後感染症に及ぼす影響

1984年1月より1997年12月まで虎の門病院消化器外科で食道癌と診断され切除された508例中、1994年5月より自己血輸血プログラムを開始し、基準を満たす100例を自己血群とした。自己血輸血を行う以前の1984年1月から1994年4月までの症例で、自己血輸血の採血基準を満たし、術前合併療法のない同一術式の248例のうち、同種血輸血を受けた82例を対照群とした。2群間で術後感染症の発症頻度について検討した。臨床病理学的因子のうち、2群間で体重に差を認めたが、その他の因子には有意差を認めなかった。術後感染症を合併した症例はそれぞれ11例と22例で、両群間に有意差を認めた(p=0.008)。肺炎合併例はそれぞれ8例と17例で2群間に有意差を認めた(p=0.016)。4単位以上の同種血輸血を行った症例は26例で、そのうち16例(61.5%)が感染症を合併した。これは、同種血輸血を必要としなかった群の感染症合併率(13.3%、22例)に比して有意に高かった(p<0.0001)。術後感染症の有無を目的変数としてロジスティック回帰分析を全症例に対して行ったところ、同種血輸血は術後感染症の危険予測因子の一つとなった。

II. 同種血輸血が予後に及ぼす影響

対象は1984年1月から1994年4月までに、3領域リンパ節郭清を施行した胸部食道癌切除例319例とした。周術期に同種血輸血を行った症例を同種血輸血群(111例)、同時期にいかなる成分の同種血輸血を行わなかった症例を無輸血群(208例)とし、予後について解析した。無輸血群の5年生存率は58.6%、同種血輸血群のそれは44.8%と2群間にlog-rank testで有意差を認めた。背景因子を平均化させ、輸血が予後に及ぼす影響を多変量解析(Cox regression model)にて検討した。高齢者、男性、低分化型扁平上皮癌は予後を悪化させ、またリンパ節転移、深達度、根治性も予後を悪化させる因子であった。同種血輸血は有意な因子として採用されなかった。

III. 自己フィブリン糊内に含まれる免疫系による細菌の増殖抑制効果

食道癌患者より術前に貯血した自己血漿の緩速解凍によりフィブリン糊(以下cryo)を作製し、実験に用いた。臨床的に重要な菌種である、好気性グラム陰性桿菌のEscherichia coli (E. coli)、好気性グラム陽性球菌のStaphylococcus aureus (S. aureus)、嫌気性菌のBacteroides fragilis(B. fragilis)を選択し、細菌が増殖しやすい環境としてTrypticase soy broth(TSB)培地を使用した。フィブリン糊を使用しないcontrolとして、Gifu anaerobic medium(GAM)培地を用いた。実験I:内径約1cmの小試験管内でCryoFGまたは、ベリプラストPのA液(400μL)、B液(40μL )に、TSB(Trypticase Soy Broth)培地3.52mlを加えたものに対し、E. coli、S. aureus、B. fragilisを接種し、35 oCにて8時間培養した後に固形化した内容を、試験管内上部1cm(好気性部分)、下部1cm(嫌気性部分)に分けて解析した。それぞれのフィブリン糊をproteinase Kで溶解し、3回の平均細菌数を測定値とした。対照としてGAM半流動培地にて培養した菌の増殖を観察した。実験II:Cryoを56oC、30分で非働化した後、E.coliを接種し、実験Iと同じ条件で培養後菌量を測定した。さらに非働化Cryoにモルモット補体を加えて同様に培養し、菌量を測定した。結果:CryoFGに4.8×106cfu/mlのE. coliを接種した場合、8時間培養後は好気性部、嫌気性部ともに10cfu/ml以下の殺菌効果を認めた。しかし、S. aureusの培養では、対照と同程度またはそれ以上の菌増殖が認められた。B. fragilisの培養8時間後、菌数は対照と同程度であった。また、市販FGは、E. coli、S. aureus、B. fragilisともに対照と同程度に菌の増殖を認めたCryoを非働化(56 oC、30分)した後、E. coliを接種し、8時間後の菌数を測定すると対照とほぼ同程度に増殖を示した。しかし、モルモット補体を非働化Cryoに加えた場合、E. coliの増殖は再び10cfu/ml以下に抑制された。

考察

同種血輸血による免疫抑制が担癌患者の予後に及ぼす影響について多くの報告がなされている。しかし、手術の難易度、手術時間、周囲臓器への浸潤の程度、リンパ節転移の有無などの臨床病理学的因子に加え、術前貧血、栄養状態などが担癌患者の免疫能に影響を及ぼし、輸血自体の影響を評価することは困難である。これらの因子の影響を除外して、輸血自体が患者予後に及ぼす影響を調べることは重要な課題であり、本研究では、食道癌切除例における同種血輸血が患者予後に与える影響をCox regression modelを用いて検討した。その結果、リンパ節転移の個数、癌深達度及び分化度が予後規定因子であることが確認され、同種血輸血は否定された。これは、食道癌自体が悪性度・侵襲度の高い癌種であることから、単変量解析で輸血が予後に影響を及ぼす因子として抽出されても、多変量解析では輸血以外の因子の影響が強いため、輸血そのものの予後への影響が表面化しない可能性が考えられる。検討Iで示した自己血群とhistorical controlである同種血輸血群でも同様の検討を行ったが、単変量解析で2群間に有意差を認めなかった。比較的予後がよい癌腫を選択して解析することによって、同種血輸血の予後に及ぼす影響が明らかとなる可能性はある。

同種血輸血が術後感染症の頻度を増加させ、輸血量に応じて感染症の頻度も増加することを明らかにした。よって、輸血は担癌患者の手術におけるリスクファクターの一つであると考えられる。

フィブリン糊は20年以上にわたり外科領域では世界的に広く使用されている。消化器外科領域では、フィブリン糊による消化管吻合の被覆が縫合不全の防止策として注目されている。しかし、フィブリン糊の使用によって縫合不全率が上昇したという報告も存在し、その原因としてフィブリン糊が細菌の繁殖を促す培地となる可能性、また、半固形であるフィブリン糊の内部が周囲の免疫細胞、抗原抗体反応から隔離され、細菌増殖に好都合な環境になる可能性が考えられる。

そこで本研究では自己フィブリン糊(cryo)が細菌増殖に及ぼす影響について検討した結果、E.coliに対して強い殺菌効果を示すことを確認した。一方、市販フィブリン糊では殺菌効果は認めなかった。Cryo中の補体量を測定したところ、C3,C4はいずれも血漿成分とほぼ同等量存在し、CH50も22.5±5.0U/mlと血漿とほぼ同程度の活性を持っていた。次に、Cryoを非働化し補体を失活させて同様の実験を行ったところ、殺菌効果が認められず、さらに非働化したCryoへのモルモット補体の添加により効果が再現した。したがって、自己フィブリン糊は強い殺菌作用を有することが明らかになり、消化管手術の縫合不全防止策として有用であると考え、今後自己フィブリン糊の積極的な臨床応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、食道癌の定型手術に対して同種血輸血が術後感染症と予後に及ぼす影響について統計学的解析を行なった。さらに患者自身の血液より精製される自己フィブリン糊の細菌の増殖抑制効果について実験を行い以下の結果を得た。

I. 同種血輸血が術後感染症に及ぼす影響

食道癌と診断され切除された508例中、1994年5月より自己血輸血プログラムを開始し、基準を満たす100例を自己血群とした。自己血輸血を行う以前の1984年1月から1994年4月までの症例で、自己血輸血の採血基準を満たし、術前合併療法のない同一術式の248例のうち、同種血輸血を受けた82例を対照群とした。2群間で術後感染症の発症頻度について検討した。臨床病理学的因子のうち、2群間で体重に差を認めたが、その他の因子には有意差を認めなかった。術後感染症を合併した症例はそれぞれ11例(11%)と22例(26.8%)で、両群間に有意差を認めた(p=0.008)。肺炎合併例はそれぞれ8例(8%)と17例(20.7%)で2群間に有意差を認めた(p=0.016)。術後感染症の有無を目的変数としてロジスティック回帰分析を全症例に対して行ったところ、同種血輸血は術後感染症の危険予測因子の一つとなった。

II. 同種血輸血が予後に及ぼす影響

3領域リンパ節郭清を施行した胸部食道癌切除例319例において、周術期に同種血輸血を行った症例を同種血輸血群(111例)、同時期にいかなる成分の同種血輸血を行わなかった症例を無輸血群(208例)とし、予後について解析した。無輸血群の5年生存率は58.6%、同種血輸血群のそれは44.8%と2群間にlog-rank testで有意差を認めた。背景因子を平均化させ、輸血が予後に及ぼす影響を多変量解析(Cox regression model)にて検討した。高齢者、男性、低分化型扁平上皮癌は予後を悪化させ、またリンパ節転移、深達度、根治性も予後を悪化させる因子であった。同種血輸血は有意な因子として採用されなかった。

III. 自己フィブリン糊内に含まれる免疫系による細菌の増殖抑制効果

自己フィブリン糊に4.8×106cfu/mlのE. coliを接種した場合、8時間培養後は好気性部、嫌気性部ともに10cfu/ml以下の殺菌効果を認めた。しかし、S. aureusの培養では、対照と同程度またはそれ以上の菌増殖が認められた。B. fragilisの培養8時間後、菌数は対照と同程度であった。また、市販フィブリン糊は、E. coli、S. aureus、B. fragilisともに対照と同程度に菌の増殖を認めた。Cryoを非働化(56 oC、30分)した後、E. coliを接種し、8時間後の菌数を測定すると対照とほぼ同程度に増殖を示した。しかし、モルモット補体を非働化Cryoに加えた場合、E. coliの増殖は再び10cfu/ml以下に抑制された。

以上、本論文は、同種血輸血によって術後感染症、特に肺炎を起こす可能性が高いと考えられる結論が得られた。予後に及ぼす影響については本研究で明らかとならなかった。さらに自己フィブリン糊内に含まれる補体系によりE.coliの増殖を抑制することが証明された。これらの内容は学位の授与に値するものと考えられる。

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