学位論文要旨



No 217072
著者(漢字) 平石,界
著者(英字)
著者(カナ) ヒライシ,カイ
標題(和) 配分ルール推論と信頼への進化心理学的アプローチ : 一般的傾向と個人差
標題(洋) An evolutionary psychological approach to sharing-rule reasoning and trust : General patterns and individual differences
報告番号 217072
報告番号 乙17072
学位授与日 2008.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17072号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 准教授 村上,郁也
 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
 東京大学 准教授 開,一夫
内容要旨 要旨を表示する

進化心理学(Evolutionary Psychology)は、心もまた自然淘汰による進化の産物であるという立場から研究を行う、心理学への研究アプローチである(Cosmides & Tooby, 1997)。進化心理学では、人間行動と心理を、「配偶」「子育て」「他者との協力」といった進化・適応上の重要な領域によって分類する。これは、「知覚」「記憶」「推論」といった標準的心理学の分類とは異なる軸であり、後者を水平軸とすれば、垂直軸にあたるものである。言い換えれば、どのような「知覚」や「記憶」や「推論」が「他者との協力」において適応的であるか、理論的実証的に検討するのが進化心理学である。それゆえ進化心理学は、標準的心理学によって別の水平軸に分けられている心理の領域をつなぐ視点を提供する。

本論文は進化心理学的アプローチにより、協力的集団の形成という垂直軸を提案し、社会心理学や人類学の知見からWason選択課題(Wason, 1968;以下WST)における内容効果について仮説を立て検証した。そしてWST上でみられた個人差が、他者一般への信頼感の個人差との関連することを検証し、他者一般への信頼感がパーソナリティとの関連することを検証した。

ヒトは、非血縁者をも含む大小さまざまな集団をつくり協力する点で、他の動物と比較して際だった特徴を持つ。また協力的集団形成は、欧米や日本での社会心理学研究だけでなく、狩猟採集社会などの伝統社会における人類学研究からも報告されるなど、現生人類に普遍的な現象であると考えられる。さらに協力的集団の形成と維持には、二者間での協力関係の形成と維持とは異なった力学が働く。それゆえ協力的集団形成は、進化心理学的に重要な垂直軸を形成すると考えられる。

第2章および第3章では、以上の第1章での議論をふまえ、協力的集団の場面を設定したときのWSTでの内容効果について検討した。WSTでは、「PならばQ」という条件文と、P、非P、Q、非Qに該当するケースが示され、条件文の正誤を判断するためには、どのケースについて不明な情報(PのケースがQであるか否か、等)を確認する必要があるか選択するよう求められる。規範論理学的にはPと非Qを選択することが正答であるが、抽象的な条件文を用いた場合、正答率は10%程度と低い。しかし「ビールを飲むならば、19歳以上でなければならない」といった条件文を提示し、4つのケースは4人の人物に該当するとした文脈を与えると、Pと非Qを選択する回答が増加する内容効果が知られている。

WSTでの内容効果に対して、二者間の社会的交換に特有の推論メカニズムにより生じるとした進化心理学による社会契約仮説(Cosmides & Tooby, 1992)や、許可・義務スキーマにより生じるとする実用的推論スキーマ仮説(Cheng & Holyoak, 1985)など、領域特殊な推論の効果であるとする仮説が提示されている。一方で「テキスト処理」(Almor & Sloman, 1996)、「ルール解釈」(Ahn & Graham, 1999)、「関連性の評価」(Sperber, Cara, & Girotto, 1995)といった領域一般的な処理により内容効果が生じるとする仮説も提唱されている。領域特殊な理論が垂直軸を強調する一方、領域一般な理論は水平軸を強調するものと言える。本論文では、協力的集団の文脈を与えたときに特有の内容効果が生じることを予測・検証した点で、垂直方向の視点を持つものである。

協力集団においては、全ての成員が協力することが集団全体の利益になるが、個々の成員にとっては他成員の協力に「ただ乗り」(free-ride)した方が利益が大きいという社会的ジレンマが生じる。協力集団の維持にはただ乗りへの対処が必須であるため、協力的集団の文脈を用いると、ただ乗りを検知する回答がWST上で増加することが予測された。 "古代版"社会的ジレンマと言われる食料分配をモデルに、「資源を得るのならば、内集団メンバーでなければならない」(標準型)または「内集団メンバーならば、資源を得る」(反転型)という配分ルール(Sharing-rule)によって、資源が配分される状況を文脈に用いた配分ルールWSTを設定した(図1)。4つのケース(「外集団メンバー」「内集団メンバー」「資源を得た」「資源を得なかった」)は、資源配分を要求している4名に該当するものとされた。

配分状況における「ただ乗り」は視点によって変化すると予測された。資源配分者の視点からは、外集団メンバーが資源を得ることが「ただ乗り」とされ、WST上では「外集団メンバー」と「資源を得た」を選択する回答(外集団排除回答)が増加すると予測された。大学生および小学生を対象とした2つの実験から予測を支持する結果が得られた。一方で資源の被配分者の視点からは、資源提供者が内集団メンバーへの配分を拒否することも「ただ乗り」と捉えられるであろう。そのため「内集団メンバー」と「資源を得なかった」も選択され(非協力検知回答)、結果として4ケース全てを選択する回答が増加すると予測された。第2章の実験3と実験5(大学生回答者)および実験4(小学生回答者)から予測を支持する結果が得られた。一方で、外集団排除回答のみ、非協力検知回答のみを行う回答者も見られた。

第2章の実験結果は、実用的推論スキーマ仮説では説明できないものであったが、社会契約仮説で説明できる可能性が残った。そこで第3章は、配分ルールWSTでの内容効果が社会契約仮説で説明可能か検討した。集団の成員が協働して得た資源が配分されるという文脈を用いることで、同じルールが「内集団メンバーならば、資源を得る」(配分ルール)にも「コストを払った者が、資源を得る」(社会契約)にも解釈されうるよう設定したWSTを用いた。被配分者の視点をとった時、本論文の仮説からは外集団排除回答(「外集団メンバー」と「資源を得た」の選択)の増加が予測される一方、社会契約仮説からは「内集団メンバー」と「資源を得なかった」の選択率増加が予測された。実験1(米国人回答者)および実験3(日本人回答者)から、本論文の仮説を支持する結果が得られた。加えて、二者間の社会的交換の文脈でも、集団の要素を明示すると外集団排除回答が増加することも、実験2(米国人回答者)および実験3(日本人回答者)から示された。

第2章および第3章の実験から、被配分者の視点の配分ルールWSTでは、外集団排除回答と非協力検知回答の両方をする回答者(全て選択)がいる一方、いずれか一方にあたる2ケースだけを選択する回答者もいるといった個人差が示された。第4章では、この個人差が他者一般への信頼感(一般的信頼, general trust)と関連することを検討した。山岸(1998)は、他者一般にたいして高い信頼感をもつことは、悪意のある人物に搾取される危険性が増す短所がある一方で、既存の関係から人を解放し、新たな社会関係を築く機会をもたらすと論じている。つまり一般的信頼の高い人は、社会関係においてより開放的であり、内集団・外集団の区別が少ないことが考えられた。他方で一般的信頼の低い人はより閉鎖的であると考えられた。以上から一般的信頼の低い人(低信頼者)は、より外集団排除の推論をする傾向が強いとする予測を立てた。日本の大学生を対象とした実験により、予測を指示する結果が得られた。

第5章では一般的信頼感の個人差の起源について検討した。信頼研究から、高い一般的信頼は、新たに有利な社会関係を構築する機会をもたらすと論じられている。しかし内向的であったり協調性が低かったりするために、新たな社会関係をゼロから構築するのが困難な個人にとっては、一般的信頼を高くすることのメリットは低いであろう。以上から、外向性と協調性というパーソナリティ次元と一般的信頼のあいだには、前者を原因、後者を結果とする因果関係が見られると予測した。一卵性および二卵性の双生児ペアを対象とした一般的信頼尺度およびNEO-PI-R性格質問紙のデータについて共分散構造分析を行ったところ、予測を指示する因果モデルがもっとも高い適合度を持つことが示された。

これらの理論的検証および実証データから、進化心理学的アプローチにより、推論課題とされるWSTから、社会的態度である一般的信頼、そしてパーソナリティの個人差といった、標準的心理学では別の領域に分けられる諸問題が、協力的集団という軸によって関連性を持つことが示された。一方で、WSTにおける内容効果が領域特殊な推論の産物なのか、それともテキスト処理などの領域一般の能力が、ある文脈で特有の働きを示した結果なのかといった問題については、本論文のデータから結論づけることはできない。進化心理学がもたらす垂直軸の視点は有効なものであるが、標準的心理学の水平的な視点と補完し合うことで初めて、人間行動と心理の包括的な理解が可能になるだろう。

図1:配分ルールWSTの構造

審査要旨 要旨を表示する

ヒトは、非血縁者をも含む大小さまざまな集団をつくり協力する点で、他の動物と比較して際だった特徴を持つ。協力的集団形成は、現代社会のみならず、狩猟採集社会などの伝統社会においても見られ、現生人類に普遍的な現象である。本論文では、この協力的集団の形成に焦点をあて、社会心理学や人類学の知見を踏まえた上で、進化心理学のアプローチにより、Wason選択課題(以下WST)における内容効果について仮説を立て検証を行った。またWST上でみられた個人差が、他者一般への信頼感の個人差との関連することを検証し、他者一般への信頼感がパーソナリティとの関連することを検証した。

本論文の導入に当たる第1章では、進化心理学が従来の心理学とは異なる分析軸を提供する研究領域であり、とりわけ協力的集団の形成と維持が重要なテーマであることが述べられている。進化心理学は、心もまた自然淘汰による進化の産物であるという立場から研究を行う、心理学への研究アプローチである。進化心理学では、人間行動と心理を、進化・適応上の重要な領域によって分類するが、これは、知覚、記憶、推論といった標準的心理学の分類とは異なる軸であり、後者を水平軸とすれば、垂直軸にあたるものである。それゆえ進化心理学は、標準的心理学によって別の水平軸に分けられている心理の領域をつなぐ視点を提供する。協力的集団を形成し、維持することは万人に深く関わる適応的心理課題であり、進化心理学の格好の題材の一つである。

第2章では、協力的集団の場面を設定したときのWSTでの内容効果について検討した。WSTでは、「PならばQ」という条件文と、P、非P、Q、非Qに該当するケースが示され、条件文の正誤を判断するためにはどのケースについて不明な情報(PのケースがQであるか否か、等)を確認する必要があるか選択するよう求められる。規範論理学的にはPと非Qを選択することが正答であるが、抽象的な条件文を用いた場合、正答率は10%程度と低い。しかし「ビールを飲むならば、19歳以上でなければならない」といった条件文を提示し、4つのケースは4人の人物に該当するとした文脈を与えると、Pと非Qを選択する回答が増加する内容効果が知られている。WSTでの内容効果に対して、領域固有処理に関わる仮説としては、二者間の社会的交換に特有の推論メカニズムにより生じるとした社会契約仮説や認知心理学による実用的推論スキーマ仮説があるが、テキスト処理・ルール解釈・関連性の評価といった領域一般的処理に関わる仮説も提唱されている。

協力集団においては、全ての成員が協力することが集団全体の利益になるが、個々の成員にとっては他成員の協力に「ただ乗り」した方が、利益が大きいという社会的ジレンマが生じる。協力集団の維持にはただ乗りへの対処が必須であるため、協力的集団の文脈を用いると、ただ乗りを検知する回答がWST上で増加することが予測された。食料分配をモデルに、「資源を得るのならば、内集団メンバーでなければならない」(標準型)または「内集団メンバーならば、資源を得る」(反転型)という配分ルールによって、資源が配分される状況を文脈に用いた配分ルールWSTを設定した。4つのケース(「外集団メンバー」「内集団メンバー」「資源を得た」「資源を得なかった」)は、資源配分を要求している4名に該当するものとされた。

配分状況における「ただ乗り」は視点によって変化すると予測され、具体的には資源配分者の視点からは、外集団メンバーが資源を得ることが「ただ乗り」とされ、WST上では「外集団メンバー」と「資源を得た」を選択する回答(外集団排除回答)が増加すると予測された。大学生および小学生を対象とした2つの実験から予測を支持する結果が得られた。一方で資源の被配分者の視点からは、資源提供者が内集団メンバーへの配分を拒否することも「ただ乗り」と捉えられるであろう。そのため「内集団メンバー」と「資源を得なかった」も選択され(非協力検知回答)、結果として4ケース全てを選択する回答が増加すると予測された。大学生および小学生回答者から予測を支持する結果が得られた。一方で、外集団排除回答のみ、非協力検知回答のみを行う回答者も見られた。

第2章の実験結果は、実用的推論スキーマ仮説では説明できないものであったが、社会契約仮説で説明できる可能性が残った。そこで第3章は、配分ルールWSTでの内容効果が社会契約仮説で説明可能かどうかを検討した。集団の成員が協働して得た資源が配分されるという文脈を用いることで、同じルールが「内集団メンバーならば、資源を得る」(配分ルール)にも「コストを払った者が、資源を得る」(社会契約)にも解釈されうるよう設定したWSTを用いた。被配分者の視点をとった時、本論文の仮説からは外集団排除回答(「外集団メンバー」と「資源を得た」の選択)の増加が予測される一方、社会契約仮説からは「内集団メンバー」と「資源を得なかった」の選択率増加が予測された。米国人回答者および日本人回答者から、本論文の仮説を支持する結果が示された。加えて、二者間の社会的交換の文脈でも、集団の要素を明示すると外集団排除回答が増加することも示された。

第2章と第3章の実験から、被配分者の視点の配分ルールWSTでは、外集団排除回答と非協力検知回答の両方をする回答者(全て選択)がいる一方、いずれか一方にあたる2ケースだけを選択する回答者もいるといった個人差が示された。第4章では、この個人差が他者一般への信頼感(一般的信頼)と関連することを検討した。他者一般にたいして高い信頼感をもつことは、悪意のある人物に搾取される危険性が増す短所がある一方で、既存の関係から人を解放し、新たな社会関係を築く機会をもたらす。つまり一般的信頼の高い人は、社会関係においてより開放的であり、内集団・外集団の区別が少ないことが考えられた。他方で一般的信頼の低い人はより閉鎖的であると考えられた。以上から一般的信頼の低い人(低信頼者)は、より外集団排除の推論をする傾向が強いとする予測を立てた。日本の大学生を対象とした実験により、予測を指示する結果が得られた。

第5章では一般的信頼感の個人差の起源について検討した。信頼研究から、高い一般的信頼は、新たに有利な社会関係を構築する機会をもたらすと論じられている。しかし内向的であったり協調性が低かったりするために、新たな社会関係をゼロから構築するのが困難な個人にとっては、一般的信頼を高くすることの利益は低いであろう。以上から、外向性と協調性というパーソナリティ次元と一般的信頼のあいだには、前者を原因、後者を結果とする因果関係が見られると予測した。一卵性および二卵性の双生児ペアを対象とした一般的信頼尺度およびNEO-PI-R性格質問紙のデータについて共分散構造分析を行ったところ、予測を指示する因果モデルがもっとも高い適合度を持つことが示された。

これらの理論的検証および実証データから、進化心理学的アプローチにより、推論課題とされるWSTから、社会的態度である一般的信頼、そしてパーソナリティの個人差といった、標準的心理学では別の領域に分けられる諸問題が、協力的集団という軸によって関連性を持つことが示された。一方で、WSTにおける内容効果が領域特殊な推論の産物なのか、それともテキスト処理などの領域一般の能力が、ある文脈で特有の働きを示した結果なのかといった問題については、本論文のデータから結論づけることはできず、今後の課題として残された。

以上のように、本論文は、協力的集団の形成と維持という適応課題に対して、領域固有的な認知処理が作動することの証拠を多数の実験を通じて示している。実験はおもに教室内で行われたため、十分な統制がとれていない部分もあるが、それらについては側面的な証拠から補強されている。また、本研究を通して、進化心理学的アプローチが、細分化が進む標準心理学や社会科学、人類学を統合的に議論する有効な視点であることが示されている。

したがって、本委員会は一致して、論文提出者に博士(学術)の学位を授与するが適当である、との結論に達した。

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