学位論文要旨



No 217075
著者(漢字) 齋藤,聡志
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,サトシ
標題(和) ワイン酵母OC-2による物質生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 217075
報告番号 乙17075
学位授与日 2009.01.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17075号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

酵母S.cerevisiaeは、パン、清酒、焼酎、ワインなどの人類食文化に多大な影響を与えてきた微生物の代表的存在である。

これは、遺伝子組換え技術が使用される以前より、人類の文化的側面が強いものであるが、パスツールが発酵現象を微生物による生命現象として解明したこ事により、科学的な解析が進み、ひいては酵母ゲノム解析等、生物学的基礎データ-の蓄積が進んだ。

今後、実用化に結びつけるため、酵母宿主についての検討も重要な研究課題であると考えられる。清酒酵母等での遺伝子導入研究や、YEpベクターの利用による物質生産系に関する研究が検討されている。

例えば実験室酵母による乳酸生産系ではAdachiらが、酵母S.cerevisiaeにおいて乳酸生産は可能であるが、1%程度の低レベルの乳酸生産を報告しているに過ぎなかった。

清酒酵母において効率的にマーカー遺伝子を付与する方法等が報告されている。

本研究では、実用株であるワイン酵母OC-2のホモタリック性を活用し染色体へ遺伝子導入する方法論と物質生産性について検討する事を目的とした。

ワイン酵母OC-2を用いたデルタ配列染色体導入法によるグルコアミラーゼ生産パン酵母の育種(第2章)

本研究において、澱粉原材料を多様化した新商品開発技術を開発する事を目的としてワイン酵母OC-2のトリプトファン要求株を作製しAspergillus oryzaeのグルコアミラーゼcDNAをYEpベクターYIpベクター、d-配列を利用した染色体への多コピー導入方法について検討した。前培養で選択圧をかけない場合YEpベクターにおいても、その細胞内での不安定性から高グルコアミラーゼ活性を示す事はなかったが、d-配列を利用した染色体導入方法は、パルスフィールドゲル電気泳動の結果より導入遺伝子数にばらつきはあるが、複数の染色体にまたがって導入遺伝子が存在する結果ではなかった。これは、染色体上のδ-配列をターゲットに相同組換えが起き、サザン解析結果の導入遺伝子コピー数と比較するとタンデムに遺伝子導入により、遺伝子の多コピー導入が可能となったものと推察した。

この実験結果より、少なくとも染色体に10コピー程度の遺伝子導入できれば、従来のYEpベクターによる遺伝子導入法と比べて、飛躍的に高物質生産性が得られるものと考えられた。

しかし染色体の10コピーの遺伝子導入を行う事は、煩雑な実験操作である。OC-2株とδ-配列を利用すれば、可能であるが、染色体上のターゲット領域が不明であり、得られた形質転換株のグルコアミラーゼ活性もばらつきが大きい。

遺伝子コピー数、染色体の導入位置によっても物質生産量に違いがあるものと考えられる。

ワイン酵母OC-2を用いた高光学純度を有する乳酸高生産株の育種(第3章)

本研究では、遺伝子導入位置を確認し、遺伝子コピー数と物質生産量との 関係を明確にする事を試みた。酵母S.cerevisiae染色体中にピルビン酸をアセトアルデヒドに変換する反応を触媒するPyruvate decarboxylaseをコードする遺伝子はPDC1、PDC5、PDC6の3種が存在することが知られている。通常PDC1のみが機能しており、酵母S.cerevisiaeのエタノール生産に大きく貢献している点に着目し、PDC1プロモーター制御下に乳酸生産遺伝子であるLDH遺伝子を導入する事で、LDH遺伝子の高発現と高い乳酸生産性を得る事に成功した。更に、PDC1プロモーターとLDH遺伝子のカセットを6コピーまで増加させ、実用培地であるケーンジュースをベースとした培地で光学純度99.9%以上のL-乳酸を12.2%生産する事を確認できた。

これは、従来Adachiらが報告しているYEpベクターを用いた乳酸生産量の10倍以上の乳酸生産性を示す事から染色体中のPDC1プロモーターにより乳酸遺伝子であるLDH遺伝子を高発現させる事は、乳酸製造方法として有効な方法であるといえる。

PDC1プロモーターは培地中のグルコース濃度に依存して発現量が向上する点、PDC5遺伝子とのAutoregulation機構の存在によりPDC1 ORFが削除された場合、PDC1プロモーター活性が向上するため、高糖濃度培地において染色体中のPDC1プロモーター制御下に異種遺伝子を導入する方法は物質生産に有効な手法である事を確認した。

更に、遺伝子の染色体への多コピー導入により乳酸生産量向上について検討した。細胞内のLDH活性、乳酸生産量が向上する事を確認した事から染色体での多コピー導入の有効性を確認した。PDC1プロモーターとLDH遺伝子のカセットを6コピー導入した事により乳酸濃度は12.2%を示し、高濃度の乳酸生産性を示した。

更にポリ乳酸原料の乳酸品質は高い光学純度が要求される。バクテリアである乳酸菌が生産する乳酸の光学純度は一般的に高くない、これは乳酸菌には乳酸ラセマーゼ活性の存在により少量のD-乳酸を生産する事になるためである。その生理的意義は不明であるが、バクテリアの細胞壁構成成分としてD-乳酸が必要であることをGoffin らは報告している。D-乳酸が供給されない場合、D-Alaを代替物として細胞壁構成成分とするが、この場合vancomycin感受性となるとの報告はバクテリアにとってD-乳酸が重要であることを示唆しており、興味深い。

酵母S.cerevisiaeを宿主として乳酸生産を行う場合、極めて高い光学純度となることは、ポリ乳酸製造工程においても有意義であると考えられる。また、真核生物とバクテリアにおいて差異がある点についても大変興味深いものがある。

ワイン酵母OC-2を用いた染色体多コピーβ-グルコシダーゼ遺伝子導入株の育種(第4章)

上述のように、染色体中にPDC1プロモーターと乳酸生産遺伝子であるLDH 遺伝子を6コピー導入する事で高い乳酸生産性が得られる事を示した。第2章、第3章では、OC-2T(トリプトファン要求性株)を使用し、多コピー化する際に薬剤耐性遺伝子であるG418耐性遺伝子、Phleomycin耐性遺伝子を利用したが、いくつかの問題点がある。異種異種遺伝子からのタンパク生産は、細胞内でのタンパク輸送経路に問題が起きる可能性も示唆されており、更に形質転換時のバックグランドも問題となる。

また、組換えDNA分子の安全性評価も慎重に行う必要がある。

効率的な物質生産を実現するための実用酵母としては、薬剤耐性マーカー遺伝子を使用せずに栄養要求性マーカーを使用すれば、上記問題は解決されるため、酵母染色体中に存在する30塩基程度をURA3遺伝子の両端に付加し、FOAプレートとの組み合わせにより、OC-2U株(ウラシル要求性株)を親株としてOC-2ダブルマーカー株である OC-2HU株(ヒスチジン要求性、ウラシル要求性株)を作製した。

作製したOC-2HU株に細胞表層提示型β-グルコシダーゼ遺伝子2コピー導入株、4コピー導入株を作製しPNPG活性を測定したところ、導入遺伝子のコピー数に依存してPNPG活性は顕著に増大する事を確認した。

セロビオースからエタノールを生産する酵母のスクリーニング(第5章)

The Yeasts 3rd editionにセロビオース発酵性のある酵母として登録されていた酵母を選択したが、セロビオースからのエタノール生産能力は酵母菌株により、大きく異なっていた。特に、菌株保存機関名称でPichia pini, Pichia glucozyma, Pichia dorogensis,Pichia henriciiのエタノール生産性が高かった。またPichia piniの中にはエタノール生産性が低い酵母も含まれていたため、26SrDNAの解析を行い、再同定を試みたところ、エタノール生産性が低いPichia piniはすべてPichia trehalophiaと再同定された。

また、26SrDNA解析等によりPichia piniと登録されていたATCC28781が新種酵母であることを見出し、Ogataea neopiniと命名した。この新種酵母がセロビオースをエタノールへ変換する能力の他に、42℃での生育可能である知見を得た事から、Ogataea neopiniは遺伝子資源として有効活用できる可能性があるため、今後プラットフォーム化したOC-2へ導入し,新規な酵母を開発したい。

まとめ

OC-2のホモタリック性に着目し、染色体への多コピー遺伝子導入について検討した。従来のYEpベクターの利用方法と比較すると物質生産性の点で優れている事を確認した。これはワイン酵母OC-2が本来兼ね備えている性質も有効に利用する事で高い生産性を得る事ができた。

更に、マーカーリサイクル法を二倍体酵母へ活用する事でワイン酵母OC-2のマルチマーカー株を作製する事で実用酵母のプラットフォーム化を試みた。この取組みにより、ワイン酵母OC-2を宿主とした新規酵母の育種が加速するものと考えられ、野生酵母から得られたOgataea neopinini等S.cerevisiaeにはない性質を付与する新規遺伝子資源の活用などが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

酵母S. cerevisiaeは、パンやワインなどの酒類の製造になくてはならない重要な微生物である。本論文は、実用酵母であるワイン酵母OC-2株のもつ高い耐糖性、耐酸性や発酵性に着目し、OC-2株を有用物質生産に利用することを目的として行った研究をまとめたものである。

第1章の序論に続き第2章では、様々な澱粉原材料を使用したパンの新商品開発技術を開発する事を目的として、ワイン酵母OC-2株を用いて5-配列染色体導入法によりグルコアミラーゼを生産するパン酵母の育種を行った。まず、ワイン酵母OC-2株のトリプトファン要求性株を作製し、麹菌Aspergillus oryzaeのグルコアミラーゼcDNAとδ-配列をもつ染色体組込み型プラスミドを導入した。このようにして染色体上に多コピー導入された株は澱粉を単独炭素源として生育することができ、米やコーンスターチを原料とした新たな食感を有するパンの開発の可能性を示した。

第3章では、ポリ乳酸製造のため、ワイン酵母OC-2株を用いて高光学純度を有する乳酸を高生産する株の育種を行った。酵母S. cerevisiaeはピルビン酸をアセトアルデヒドに変換するPyruvate decarboxylaseをコードする遺伝子としてPDC1、PDC5、PDC6の3つをもつ。通常エタノール生産に主として働いているPDClプロモーター制御下にウシ由来のLDH(lactate dehydogenase)をコードするcDNAを導入する事で、LDHの高発現と高い乳酸生産性が得られることを示した。更に、PDC1プロモーターとLDH遺伝子のカセットを6コピーまで増加させ、実用培地であるケーンジュースをベースとした培地を用いて12.2%という高濃度のL¬乳酸を生産する事に成功した、S. cerevisiae実験室株での生産と比べて、はるかに高い生産性であり、実用株であるワイン酵母OC-2株の有用性を示している。またこのときの光学純度は99.9%以上であった。

一般にiポリ乳酸のために使用される乳酸は高い光学純度が必要とされるが、。乳酸菌が生産する乳酸の光学純度はあまり高くない。酵母S. cerevisiaeを宿主として乳酸生産を行う場合、極めて高い光学純度となることは、ポリ乳酸製造においても有意義であると考えられる。

第4章では、ワイン酵母OC-2株を用いて染色体への多コピーβ-グルコシダーゼ遺伝子導入株の育種を行った。まず、多数の遺伝子を導入するために、OC-2U株(ウラシル要求性株)を親株として二重栄養要求性株であるOC-2HU株(ヒスチジン要求性、ウラシル要求性株)を作製した。さらに、30塩基程度の繰り返し配列をaW遺伝子の両端に付加し、FOA培地を用いたポジティブセレクションによりマーカーリサイクル法を確立し、様々な遺伝子を導入することが可能なOC-2株のプラットフォーム化を行うた。

OC-2HU株に細胞表層提示型β-グルコシダーゼ遺伝子を2コピー導入した株、4コピー導入した株を作製しβ-グルコシダーゼ活性を測定したところ、導入遺伝子のコピー数に依存して活性が顕著に増大する事を確認した。2コピー、4コピー導入株は4%セロビオースを含むYPD培地でそれぞれllg/L, 15g/Lのエタノールを24時間で生産した。

第5章では、菌株保存機関からセロビオースを発酵する可能性のある酵母を集め、セロビオJ一久からエタノールを生産する酵母のスクリー二ングを行った。エタノール生産能力は酵母により大きく異なり、Picbia pini. Pichia glucozyma、Pichia dorogensis,Pichia benriciiのエタノール生産性が高かった。また、26SrDNA解析等により、Pichia piniと登録されていたATCC28781が新種酵母であることを見出し、Ogataea neopiniと命名した。こめ新種酵母などをセロビオースからのエタノール生産のための遺伝子資源として、プラットフォーム化したOC-2株へ導入することにより新規な酵母の開発の可能性について論じている。

以上、本研究は、実用株であるワイン酵母OC-2株を用いて、様々な有用物質の生産を検討したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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