学位論文要旨



No 217081
著者(漢字) 田中,謙司
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ケンジ
標題(和) 経営データを活用した書籍流通業のビジネスモデルの研究
標題(洋)
報告番号 217081
報告番号 乙17081
学位授与日 2009.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17081号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮田,秀明
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 元橋,一之
 東京大学 准教授 大澤,幸生
 東京大学 准教授 武市,祥司
内容要旨 要旨を表示する

世界的にも経済付加価値の中心がサービス業へ移行していく中、サービス業の生産性はその国の中で経済競争力につながる重要な要素となっている。それにもかかわらず国内におけるサービス業の1人当たり付加価値額は、低く全国平均である10.4百万円を下回ったままである。特に小売業は全労働人口の22%を占める業種であるが、付加価値額は全国の11%に過ぎず、低生産性の主な原因となっている。

本論文では、生産性の低い小売流通業の改革の一つとして、書籍流通業界を対象として生産性改善の研究を行う。小売業の中での書籍流通業界は(1)アイテムの多様性、(2)業界プレイヤ数の多さ、(3)商材の一過性、(4)商習慣の特殊性の4つの特徴を持ち、その結果、返本率約40%という非効率を抱えている。さらに近年では経済不況やネットなどの新媒体の出現により90年代後半から市場の減少傾向に歯止めがかからない状態が続き、書店や出版社の転廃業が社会問題化している。

それに対し書籍分野の研究では再販制度問題などの定性的な研究が中心で、数値的なアプローチによる生産性効率化の研究はほとんどみられない。また、物流分野をみるとでは、サプライチェーン効率化などの研究により成果を上げてきているが、鞭打ち効果の削減のための物流リードタイム短縮などの静的な管理手法が主体で、すでに物流リードタイムが3日程度と短い書籍流通業界では効果が限定的である問題があった。

そこで本論文は、小売流通業の改革の一つとして書籍流通業界を対象とし、業界全体の生産性向上を実現する具体的なビジネスモデル、その実現のための業界統合情報システムを提案することを目的とする。なお、業界統合システムの構築においては、全体最適のための全プレイヤの情報統合と多プレイヤ間の時間軸管理という二つのアプローチを用い、その構築に不可欠な一過性商材の需要予測法などの要素技術は必要に応じて開発する。この提案するビジネスモデルは、アウトプット帳票により統合情報システムを現実オペレーションへ反映させ、実証実験を通じてその有効性も検証する。

第2章では書籍流通業界とその構造的課題について述べている。書籍流通には、出版社、取次、書店および顧客の4者が存在する。特に顧客を除く業界3者で、2万以上プレイヤが存在する。一方で出版社から配本される本は通常数千部で全書店には行き渡らない。したがって本の確保を巡って出版社、取次、書店の互いの駆け引きすることが常態化している。このように2万近くのプレイヤが各自の持つ限られた情報に基づき、局所最適を目指すため、結果的に全体の流通非効率を増幅させている。これら非効率に対して各プレイヤが各自対策を打っているものの効果は限定的で解決されない。このような状況から業界として全体最適の観点からの構造的な改善が求められている。

第3章では、全体最適のための情報システム設計について述べている。本論文で提案するシステムでの複数プレイヤの時間軸管理には、書籍商材の需要予測法が必要であった。既存の予測法では書籍商材の特徴に対応できるものがなかったため新たに開発した。書籍商材の予測では、稼働アイテム数80万点、かつ年間11万点が新規投入されている「多様性」と、初期をピークに低減する販売推移となる「非線形性」、販売後2週間後にピークとなる「短命性」に表わされる特殊性が課題となっていたが、特定商材グループにおいてN日目の累積販売数とM日目の累積販売数に相関関係があることを用いたNM予測法を基に修正NM法を開発し、一定の精度を得た。NM法ではグループ内の売上の上位・下位の商材は常に予測精度が低いままであるという問題があったが、過去予測と実績の比率を新規予測へフィードバックする点、予測に用いるグルーピングをさらに上位・中位・下位へ分け発売後の実績から対象商材がフィットするグループを選択して予測を行う点の2点を修正し、精度が改善されることを示した。この予測法に優良店長の経験則を踏まえ、全国予測傾向を反映する全国係数と、個店での販売実績を反映させた個店係数を用いて個店特性を反映させた販売予測法を開発し、個店レベルの予測も可能とした。

これら販売予測法、個店予測法を用いて、本論文で提案する書籍流通業界の全体最適の実現を支援する業界統合情報システムを構築する。このシステムは、共有データベース部、共通機能部、サブシステム部の3部からなる。共有データベースでは、各プレイヤの店舗の販売、送品、返品データの週次更新データと前年度データ、および出版予定データを統合してデータベース化する。共通機能部では、データに基づき全国予測、個店予測、それを用いた個店適正展示数などの各プレイヤへ意味のある情報を算出する。サブシステム部では、共通機能部において算出した情報を書店、取次、出版プレイヤがオペレーション上で実行・意思決定できる帳票としてアウトプットする。書店サブシステムでは、個店予測に基づく展示推奨リスト、発注推奨リスト、返本推奨リストの3帳票を、取次サブシステムでは、新刊配本リスト、追送品推奨リストの2帳票を、出版サブシステムでは、初刷数の推奨、増刷推奨リストの2帳票をアウトプットする。

第4章では書籍業界における新ビジネスモデルの設計法を提案しその実証実験を行った。提案する統合情報システムを基に、書籍流通各プレイヤの経営リードタイムや物流などのオペレーション時間を逆算した帳票を用いることで、理論をオペレーションへ反映させる業界全体最適のビジネスモデルを設計する。データ収集から各プレイヤへ推奨し、実施されるまでの期間はプレイヤによって異なり、平均的には出版社が2週間、取次が2-3日、書店も2-3日である。データ収集から推奨まで約3-4日かかることを確認し、これらリードタイムを逆算した推奨を行うことで業界プレイヤの時間軸同期を行う。

本論文で提案したビジネスモデルの実効性を確認するため書店、取次、出版サブシステムにおいて実証をおこなった。その結果、ビジネスオペレーション上において書店、取次、出版の各経営モデルが実際に導入可能でかつ有効に機能することが確認できた。

書店経営モデルでは、2店舗において3か月間の試験運用を行い、過剰展示数を抑えつつ、充足タイトルを拡充させることができ、効率的な店舗展示が実現されることを示した。さらに、返本率の大きな原因の一つであった販売推移と店舗の展示数推移の位相ずれが解消され、未来予測に基づく書店の時間軸同期が実店舗上で実現されていることが確認できた。

取次経営モデルでは、過剰展示と過少展示の書店が混在していた状況から、追送品推奨リストにより店舗間の展示過不足を平準化することで、過剰展示書店割合を減少させ非展示書店割合を20%低下させることができた。つまり、返本リスクを軽減と機会損失回避を同時に実現できた。

出版モデルでは、販売予測に基づいた配本シナリオ、機会損失リスク、売れ残りリスクなどを考慮し増刷意思決定を支援する収益管理モデルを開発し、需要と同期した商品供給を可能とした。その結果、ある出版社では機会損失および販売ピークを逸した過剰供給を減少させる効率的増刷を行うことで、赤字出版数を75%から25%まで改善できうることを示した。

第5章ではモデルの波及効果について概算を行った。書籍流通の各プロセスを分析すると、返本は販売される本に追加した書店、取次、出版社の返本オペレーション費用を約8%近くかけて廃棄している。それら分析を基にエコノミクスモデルを構築して本モデルの書籍業界への導入された際の波及効果を推算した。その結果、全国の返本率が約20%程度削減できると過剰展示冊数削減による返本率改善効果だけで業界全体で20%(2000億円)利益改善が見込まれる。

第6章で結論を述べる。本論文では、生産性の低い小売業の効率改善の一環として、全体最適アプローチと未来予測法による複数プレイヤの時間軸同期アプローチの2つのコンセプトによる出版から書店までの一貫したビジネスモデルを提案し、その実現のための統合情報システムを構築した。そこにおいて、システム構築において必要となった一過性商材の需要予測、および出版リスクを考慮した収益管理法などの各要素を開発した。更に、その実効性を、書店、取次、出版の各サブシステムを用いた実証実験を通じて確認した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は日本の書籍ビジネスを変革する新しいビジネスモデルに関するものである。現状ビジネスを解析して問題点を明らかにし、その問題点を解消するための新しいモデルやソリューションを提案し、情報システムとして具体的にそのモデルを実体化し、現場である書店、出版社、取次社での実証実験を経て、その有効性を検証している。

本論文第1章では、書籍ビジネスの現状を解析し、返本率が40%になるに至った原因を明確にしている。

第2章では書籍流通業界とその構造的課題について述べている。書籍流通には、出版社、取次、書店および顧客の4者が存在し、顧客を除く業界3者でも、2万以上のプレイヤが存在する。一方で出版社から配本される本は通常数千部で全数で17,000店の書店には行き渡らないのがふつうである。したがって本の確保を巡って出版社、取次、書店が互いに駆け引きすることが常態化している。このように2万近くのプレイヤが各自の持つ限られた情報に基づき、アドホックな局所最適を目指すため、結果的に全体の流通非効率を増幅させている。これら非効率に対して各プレイヤが各自対策を打っているものの効果は限定的で解決されていない。このような状況から業界として全体最適の観点からの構造的な改善が必要で、ビジネスモデルの一新が必要であることが示されている。

第3章では、全体最適のための情報システムの設計について述べている。本論文で提案するシステムでの複数プレイヤの時間軸管理には、書籍商材の需要予測法が必要である。既存の予測法では書籍商材の特徴に対応できるものがなかったため新たに開発している。書籍商材の予測では、稼働アイテム数80万点、かつ年間7万点が新規投入されている「多様性」と、初期をピークに低減する販売推移となる「非線形性」、販売後2週間後にピークとなる「短命性」に表わされる特殊性が課題となっていたが、特定商材グループにおいてN日目の累積販売数とM日目の累積販売数に相関関係があることを用いたNM予測法を基に修正NM法を開発し、一定の精度を得た。NM法ではグループ内の売上の上位・下位の商材は常に予測精度が低いままであるという問題があったが、過去予測と実績の比率を新規予測へフィードバックする点、予測に用いるグルーピングをさらに上位・中位・下位へ分類し、発売後の実績から対象商材がフィットするグループを選択して予測を行う点の2点を修正し、精度が改善されることを示した。全国予測を反映させた全国係数と、個店での販売実績を反映させた個店係数を組み合わせて個店特性を反映させた販売予測法を開発し、個店レベルの予測も可能としている。

本論文では、これら販売予測法、個店予測法を用いて、書籍流通業界の全体最適の実現を支援する業界統合情報システムを構築している。このシステムは、共有データベース部、共通機能部、サブシステム部の3部からなる。共有データベースでは、各プレイヤの店舗の販売、送品、返品データの週次更新データと前年度データ、および出版予定データを統合してデータベース化する。共通機能部では、データに基づき全国予測、個店予測、それを用いた個店適正展示数などの各プレイヤへ意味のある情報を算出する。サブシステム部では、共通機能部において算出した情報を書店、取次、出版プレイヤがオペレーション上で実行・意思決定できる帳票としてアウトプットする。書店サブシステムでは、個店予測に基づく展示推奨リスト、発注推奨リスト、返本推奨リストの3帳票を、取次サブシステムでは、新刊配本リスト、追送品推奨リストの2帳票を、出版サブシステムでは、初刷数の推奨、増刷推奨リストの2帳票をアウトプットするようになっている。

第4章では書籍業界における新ビジネスモデルの設計法を提案し、その実証実験を行っている。提案する統合情報システムを基に、書籍流通各プレイヤの経営リードタイムや物流などのオペレーション時間を逆算した帳票を用いることで、理論をオペレーションへ反映させる業界全体最適のビジネスモデルを設計している。データ収集から各プレイヤへの推奨まで、実施されるまでの期間はプレイヤによって異なり、平均的には出版社が2週間、取次が2-3日、書店も2-3日である。データ収集から推奨まで約3-4日かかることを確認し、これらリードタイムを逆算した推奨を行うことで業界プレイヤの時間軸上の同期オペレーションを行う。

本論文で提案されているビジネスモデルの実効性を確認するため書店、取次、出版サブシステムにおいて実証をおこなっている。その結果、ビジネスオペレーション上において書店、取次、出版の各経営モデルが実際に導入可能でかつ有効に機能することが確認できている。

書店経営モデルでは、2店舗において3か月間の試験運用を行い、過剰展示数を抑えつつ、充足タイトルを拡充させることができ、効率的な店舗展示が実現されることを示した。さらに、返本率の大きな原因の一つであった販売推移と店舗の展示数推移の位相ずれが解消され、未来予測に基づく書店の時間軸同期経営が実店舗上で実現されていることを確認している。

取次経営モデルでは、過剰展示と過少展示の書店が混在していた状況から、追送品推奨リストにより店舗間の展示過不足を平準化することで、過剰展示書店割合を減少させ非展示書店割合を20%低下させることを実現している。

出版モデルでは、販売予測に基づいた配本シナリオ、機会損失リスク、売れ残りリスクなどを考慮し増刷意思決定を支援する収益管理モデルを開発し、需要と同期した商品供給を可能としている。その結果、ある出版社では機会損失および販売ピークを逸した過剰供給を減少させる効率的増刷を行うことで、赤字出版数を75%から25%まで改善できうることを示している。

第5章ではモデルの波及効果について概算を行っている。書籍流通の各プロセスを分析すると、返本は販売される本に追加した書店、取次、出版社の返本オペレーション費用を約8%近くかけて廃棄していることなどの分析を基にエコノミクスモデルを構築して本モデルの書籍業界への導入された際の波及効果を推算している。その結果、全国の返本率が約20%程度削減できると過剰展示冊数削減による返本率改善効果だけで業界全体で20%(2000億円)の利益改善が見込まれることを示している。

第6章で結論を述べている。本論文では、生産性の低い小売業の効率改善の一環として、全体最適アプローチと未来予測法による複数プレイヤの時間軸同期アプローチの2つのコンセプトによる出版から書店までの一貫したビジネスモデルを提案し、その実現のための統合情報システムを構築している。

以上のように、本論文はITと数理を駆使して新しい書籍ビジネスモデルの創造に成功し、実装直前までの段階にまで達している。本論文は学問的価値も高いが、それ以上に新しいビジネスモデルの創造と、それによる社会貢献効果が極めて高いものと認められる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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