学位論文要旨



No 217087
著者(漢字) 坪井,潤一
著者(英字)
著者(カナ) ツボイ,ジュンイチ
標題(和) 河川性サケ科魚類におけるキャッチアンドリリースの資源維持効果に関する研究
標題(洋) The effectiveness of catch and release fishing in sustainable use of stream-dwelling salmonids populations
報告番号 217087
報告番号 乙17087
学位授与日 2009.02.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17087号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 准教授 山川,卓
 東京大学 准教授 平松,一彦
 北海道大学 准教授 松石,隆
内容要旨 要旨を表示する

遊漁は、商業漁業と同様に、魚類資源に大きな影響を与えうる要因である。釣っても持ち帰らずに生きたまま放流するキャッチアンドリリースは、魚類資源維持のための遊漁ルールとして定着しつつある。しかし、キャッチアンドリリースは魚に対し、針を刺す、針を外すまで暴れさせる、体を干出させる等、様々なストレスを与えるため、リリースされた全ての個体が生き残るとは限らない。

遊漁が魚類資源に与える影響や、キャッチアンドリリースが個体に与える影響を調べた研究は多いが、ほとんどは、リリース後の追跡調査が容易であり、環境を自由に設定できるいけすや人工池を対象地としていた。釣獲後に人工池で高密度に飼育すると、釣り針による傷から病気が発生しやすく、死亡率が過大推定される可能性がある。そのため、自然環境で釣獲実験を行い、リリース後の成長、生残、および釣られやすさを調査することは、キャッチアンドリリースの資源維持効果を正当に評価する上で、さらには、これまで人工環境で行われた研究の妥当性を検討する上で重要である。

本研究では、河川性サケ科魚類であるイワナSalvelinus leucomaenisおよびアマゴOncorhynchus masou ishikawaeを対象として、遊漁が魚類資源に与える影響、キャッチアンドリリースの資源維持効果を評価するために、1)単位努力当り漁獲尾数(以後CPUE)の資源量指標としての有効性、2)キャッチアンドリリースが成長、生残、および釣られやすさに与える影響、3)釣られやすい個体の特徴と釣獲に対する学習効果、4)釣り針を食道や胃まで飲み込んだ個体に対する釣り糸切除を行った後のリリースが、生残に与える影響、および残留針の動態を明らかにすることを目的とした。

1)CPUEの資源量指標としての有効性

2004年5月8日から6月6日に、山梨県を流れる富士川水系荒川の88ヶ所の淵でイワナおよびアマゴを対象に、釣獲実験を行った。淵全体で餌釣りを行い、淵ごとの釣獲圧を等しくするため、釣獲時間を淵面積1m2当り30秒とした。同日に、潜水目視により淵内の種別個体数を計数した。予備調査では、潜水目視尾数と電気ショッカーを用いた捕獲から算出された推定尾数に、有意差が認められなかったため、潜水目視尾数を淵内の生息尾数(以後、資源尾数, N)とした。本研究ではCPUEはポアソン分布に従うと仮定した。CPUEと資源尾数の関係CPUE = aNbが、直線モデル(b = 1)と得られたデータからパラメータbを推定した曲線モデルのどちらに相応しいかAIC(赤池情報量規準)を用いて解析を行った。

調査を通じての漁獲率(総漁獲尾数 / 総資源尾数)は、イワナで17.9 %(46 / 257尾)、アマゴで10.8 %(90 / 830尾)であり、イワナのほうが有意に釣られやすかった(p = 0.001)。1回の釣獲実験で10 %以上の資源が漁獲されたため、これら河川性サケ科魚類の資源量は遊漁によって減少しやすいことが明らかになった。また、CPUEと資源尾数には正の相関があり、種間でも有意差がみられた(p < 0.001)。そのため、CPUEと資源尾数の関係を種ごとに解析したところ、イワナでは直線モデル、アマゴでは曲線モデル(上に凸)が選択された。同所的に生息するイワナ、アマゴを対象に、同じ方法で釣獲を行っても、CPUEと資源尾数の関係は種ごとに異なったため、CPUEの資源量指標としての有効性については、資源ごとに検討する必要が示唆された。

2)キャッチアンドリリースがイワナの成長、生残、および釣られやすさに与える影響

2000年5月23日から8月5日に、北海道南部の4河川において2回の釣獲実験を行い、1回目の釣獲実験で釣られたグループと釣られなかったグループに分けた。調査エリア全体で餌釣りを行い、4河川合計で282個体を釣った。その後、釣られなかった個体を電気ショッカーによりできる限り捕獲し(376個体)、コントロール個体とした。釣獲個体およびコントロール個体の尾叉長を計測後、個体識別が可能であるアンカータグを取り付け放流した。なお、本実験では釣り針を食道や胃まで飲み込んだ個体についても、糸を切らず針を外して放流した。1回目の約50日後に行った2回目の釣獲実験では、標識個体の再捕獲を目的として、釣獲後に電気ショッカーによる捕獲を行った。

1回目の釣獲実験では、釣獲直後からリリースする前までの死亡率は6.7%(19 / 282個体)であり、過去の研究結果(Muoneke and Childress 1994)に近い値であった。また、全ての死亡個体は、釣り針を食道や胃まで飲み込んだ個体であり、針を外した後、多量の出血がみられた。一方、釣獲後生存していた263個体とコントロール個体を放流したところ、約50日後の再捕率(生残率の指標, 全体で75.7%)および成長量は釣獲個体とコントロール個体で有意差がみられなかった。また、2回目の釣獲実験では、大型個体および成長量が大きい個体が釣られやすい傾向がみられたが、実験1回目の釣獲個体が釣られる確率とコントロール個体が釣られる確率に有意差はみられなかった。

3)釣られやすいイワナの特徴と釣獲に対する学習効果

2001年6月1日から8月15日に、北海道南部を流れる汐泊川の支流において複数回の釣獲実験を行った。実験を行う前に、電気ショッカーを用いて調査エリアに生息する1歳以上のほとんどのイワナ(415個体)を捕獲し、尾叉長を測定した後、標識放流を行った。その後、11週間にわたり毎週1回の釣獲実験を行った。2)と同様に餌釣りを行い、釣られた個体はタグ番号を確認した後に再放流した。釣獲11回目の終了後、電気ショッカーにより366個体の標識個体を再捕獲した(再捕率: 88.2%)。

11回の釣獲実験で1個体あたり0 - 7回、平均で2.15回釣られ、オスはメスよりも釣られた回数が有意に多かった。多重ロジスティック回帰分析により、釣獲11回目における釣られる確率を説明する要因を検討したところ、尾叉長および10回目までの釣獲経験数が選択され、大型個体ほど、過去に釣られた回数が多いほど釣られやすかった。そのため、イワナでは、釣られやすさの個体差は、釣獲経験がもたらす学習の効果よりも大きく、キャッチアンドリリースされた個体は繰り返し釣られる傾向がみられた。

4)釣り糸を切ってリリースされたイワナの動態

3)の野外調査では、釣り針を深く飲み込んだのべ88個体(11個体は2度)で、釣り糸を切ってキャッチアンドリリースを行った。糸切りリリースされ実験終了時に再捕獲された個体についてX線撮影を行い、体内に残留している針の動態を調査した。糸切りリリースされた日から再捕獲日までの日数を算出し、残留した針の腐食率および脱落率の経時変化について、ロジスティック回帰分析を用いて解析を行った。腐食率および脱落率がそれぞれ50 %になる日数を、腐食開始および脱落までの推定時間とした。

針を飲み込んだ個体についても無理に針を外した1)の野外実験では、リリース前の死亡率は6.7%であったのに対し、本実験ではわずか0.14%(1 / 735個体)であった。糸切りリリースをされた個体とされなかった個体で、尾叉長および性比に有意差は認められず、針を飲み込みやすい個体の特徴は検出されなかった。糸切りリリースをされた後、68.8%(53/77個体)が再び釣獲され、93.5%(72/77個体)が再捕獲された。さらに、体内に残留した針は、時間が経つにつれて腐食、脱落する傾向が認められ、平均で22日後に針の腐食が始まり、53日後に脱落すると推定された。そのため、糸切りリリースは針を飲み込んだ個体のリリース方法として優れていることが明らかになった。

以上の結果より、CPUEと資源尾数の関係はイワナとアマゴで異なり、アマゴでは比例関係ではなかったため、CPUEを資源量の指標とした場合、資源量の過大評価により乱獲に陥りやすいことが示唆された。アマゴよりも漁獲率が高かったイワナを対象としてキャッチアンドリリースの野外実験を行ったところ、釣獲経験は再放流後の成長、生残、釣られやすさに影響を与えず、キャッチアンドリリースは資源量および釣獲量の維持に有効であることが明らかになった。また、イワナでは釣獲経験による学習効果は低く、釣られやすい個体は繰り返し釣られる傾向がみられたため、キャッチアンドリリースは遊漁資源として価値の高い個体を保護する観点からも、有効な対策であると結論づけられた。キャッチアンドリリースの資源維持効果をさらに高めるためには、針を飲み込んだ個体について糸を切って放流することが有効であった。

審査要旨 要旨を表示する

遊漁は,商業漁業と同様に,魚類資源に大きな影響を与えうる.釣っても持ち帰らずに生きたまま放流するキャッチアンドリリースは、魚類資源維持のための遊漁ルールとして定着しつつある.しかし,キャッチアンドリリースは魚に対し,針を刺す,針を外すまで暴れさせる,体を干出させる等,様々なストレスを与えるため,リリースされた全ての個体が生き残るとは限らない.

キャッチアンドリリースに関する研究のほとんどは人工環境の下で行われてきた.しかし,いけすや人工池では,生息密度,捕食者,餌などの生物的環境が,実際の遊漁が行われている自然環境とは大きく異なると考えられる.例えば,河川に生息するサケ科魚類を釣獲後に人工池で高密度に飼育すると,釣り針による傷から病気が発生しやすく,死亡率が過大推定される可能性がある.そのため,自然環境で釣獲実験を行い,リリース後の成長,生残,および釣られやすさを調査することは,キャッチアンドリリースの資源維持効果を正当に評価する上で,さらには,これまで人工環境で行われた研究の妥当性を検討する上で重要である.

本論文「The effectiveness of catch and release fishing in sustainable use of stream-dwelling salmonids populations(河川性サケ科魚類におけるキャッチアンドリリースの資源維持効果に関する研究)」は6つの章よりなる.第1章では,緒言として,遊漁が魚類資源に与える影響,キャッチアンドリリースの資源維持効果に関する既往研究の包括的なレビューを行った.第2章では,水産資源でよく用いられるCPUE(単位努力あたり漁獲量)は必ずしもイワナやアマゴの資源量の適切な指標にならないことを野外調査から明らかにした.漁獲実験ですら淵にいる個体の10%以上を漁獲したことから,遊漁は河川性サケ科魚類資源に強い漁獲圧をかけている可能性を指摘した.第3章では,1回のキャッチアンドリリースは,釣獲後に生残していたイワナの成長,生残および釣られやすさにほとんど影響しないことを明らかにした.釣獲後に死亡した個体は全て釣り針を食道や胃まで深く飲み込んでいた.第4章では,多回のキャッチアンドリリースに基づき,釣獲されやすいイワナ個体の特徴を明らかにした.つまり,オスはメスより,大型個体ほど,過去に釣られた回数が多いほど,釣られやすい傾向がみられた.第5章では,釣り針を深く飲み込んだ後に釣り糸を切ってリリースされたイワナの運命を辿った.これら個体の生残率は十分に高かった.体内に残留した針は時間が経つにつれて腐食して脱落する傾向が認められた.第6章では,総合考察として,キャッチアンドリリースは資源量および釣獲量の維持に有効であること,針を飲み込んだ個体の糸切りリリースは釣獲死亡率を大きく減少させること等について論じた.

審査委員会は以下の点を高く評価した.(1)本文にあたる第2章から第5章までは4報(うち3報は国際誌)の査読付き原著論文として公表済みであり,オリジナリティーの高い成果が示されている.(2)とりわけ,体内に残留した釣り針の腐食過程をX線写真で示した第5章の成果は国際的に注目されており,魚体に刺さった釣り針を切ったリリースが外国で実行に移されている.(3)外国では考えにくい地の利(調査地への良好なアクセス,全数調査を可能とする狭い川幅)を生かして,自然環境での資源動態に関する詳細かつ実証性の高い分析が行われている.(4)全体の構成が良く,学位論文としての十分な仕上がりとなっている.一方,資源動態に関する統計的分析にとどまらず,CPUEと資源量との間に非線形関係が生じるメカニズム,釣られやすさに個体差が生じるメカニズムを順位制,他種の存在の有無,釣り上げられることへの学習効果を考慮して,自然環境で,あるいは人工環境での実験結果との比較を通じて,解明してほしいとの要望が出された.これは研究の今後の発展を期待する意図の下で出され,本論文の価値を損なうものではない.

以上のように,本論文を積極的に評価する見解が相次いだ.審査委員会委員は全員一致で本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた.

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