学位論文要旨



No 217088
著者(漢字) 小泉,英樹
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ヒデキ
標題(和) ビール麦由来の酵母早期凝集因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 217088
報告番号 乙17088
学位授与日 2009.02.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17088号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

ビールや発泡酒のようなビール麦を原料とする酒類を製造する際、発酵工程中において早期凝集現象(早凝)と呼ばれる現象が観察されることがある。これは発酵後期に、酵母の資化可能な糖分がまだ麦汁中に残っているにもかかわらず、酵母が凝集して沈降してしまう現象のことをいう。酵母が凝集・沈降すると発酵の進行が停止し、規格外の酒類製品となり、大きな損害を蒙る。早凝は麦芽中の早凝因子と呼ばれる巨大な酸性多糖成分によって引き起こされると考えられていたが、因子の同定には至っていなかった。また早凝活性判定は、非常に手間と時間のかかる手法で行われていた。本研究では、まず早凝活性を既存の手法より高感度、かつ、簡便で短時間に判定できるアッセイ系を確立した。続いて、本アッセイ系を用いて、早凝因子を高度に精製し、構造的特徴を明らかにした。得られた成果の概要は以下の通りである。

1.迅速かつ高感度な早凝活性判定法の開発

正常及び早凝麦汁を用いて発酵試験を行うと、早凝麦汁からの回収酵母は正常麦汁からの回収酵母より明らかに大きな凝集塊を形成する。そこで、発酵工程を経ずに早凝時の酵母凝集塊を再現する手法を構築し、そのまま濁度変化を測定することにより、早凝活性を測定する系を確立した。本手法の開発により、最短でも3日間の発酵工程が必要であった早凝判定が、わずか1時間で可能となった。また、1回の測定に必要なビール麦サンプルはわずか0.8gとなり、極少量の早凝因子の活性も、簡便かつ迅速に測定できるようになった。

2.早凝因子の高度な分画

大量の麦芽から効率良く早凝因子を濃縮するために、酵母をアフィニティー担体として利用する手法を開発した。早凝麦汁を用いて発酵試験を行った際の沈降酵母を0.1M~0.5M NaClで洗浄して早凝因子を含む画分を集め、それを陰イオン交換クロマトグラフィーで2度分画した結果、最終的に早凝活性は2つの画分に分かれた多糖成分に回収された。2つの画分の構成糖を調べたところ、共にアラビノース、ガラクトース、キシロースを主成分とする多糖であり、非常に酷似していた。このことから、これらの多糖成分はラムノガラクチュロナンI骨格を有するペクチン様の構造を有する多糖であり、陰イオン交換クロマトグラフィーで2つの画分に分かれたのは、2つの多糖成分は基本的な構造は同一であるがバックボーンとなるラムノガラクチュロナンI主鎖の含量(長さ)が異なることが原因であろうと推察された。また、早凝因子が活性を示すためには高分子であることは必須ではなく、それが早凝現象を引き起こす際には、ペクチン様物質で認められるようなCaイオンによる架橋の関与があることが推察された。

3.早凝因子の構造的特徴

上記2で精製した早凝因子の構造解析を試みた。各種レクチンに対する結合性を調べたところ、早凝因子は過去の知見通りCon A結合性多糖であることが判明した。Con Aカラムで分画したところ、早凝活性を示す多糖は5mM α-メチル-D-グルコシド(m-Glc)で溶出される画分に回収された。Con Aカラムに供した多糖のうち、5mM m-Glc溶出画分として回収されたのは約13%であり、さらに、5mM m-Glc溶出画分は元の多糖成分のおよそ5倍の比活性を有していたことから、上記2で精製した多糖のうち80%以上は早凝活性を持たない多糖が混入していたことが判明した。素通り画分と5mM m-Glc溶出画分の構成糖を調べたところ、2つの構成は類似していたことから、これら2種の多糖は構造が類似しているが、早凝活性の有無が異なる多糖であることが明らかとなった。これらの多糖はキシラン骨格、ラムノガラクチュロナンI骨格、及び、アラビノガラクタン(タイプI/II)骨格を有することが推定された。5mM m-Glc溶出画分には素通り画分よりも多くの(1→3, 1→6)結合のガラクトースが認められたことから、タイプIIアラビノガラクタンが早凝活性に重要な構造体である可能性が示唆された。早凝活性に重要な構造体を絞り込むために、早凝因子を糖分解酵素で分断した後、生成物を精製した結果、わずか30ppbで早凝活性を示す多糖成分が回収できた。この結果から、早凝因子は酵母に極めて特異的に認識される構造を持つ、特殊な多糖成分であることが示唆された。

以上、本研究により、ビール麦の早凝活性を糖化工程、発酵工程を経ることなく迅速かつ高感度に判定できる手法が開発された。一方、早凝や早凝因子の生成メカニズムの詳細を完全に解明するためには、免疫染色等の極めて特異性が高く、かつ、高感度な早凝因子の検出系が必須であることが明らかとなった。本研究によって、早凝活性を持つ多糖成分のみに結合する特異的な抗体を作成することで、ビール業界にとって長年の課題である早凝問題を完全に解明し得るとの重要な示唆を与えることができた。

審査要旨 要旨を表示する

ビール麦を原料とするビールや発泡酒のような酒類を製造する際、発酵工程中に早期凝集現象(早凝)が観察されることがある。これは、発酵後期に酵母による資化可能な糖分が麦汁中に残っているにもかかわらず、酵母が凝集して沈降してしまう現象で、長年に亘りビール醸造にとって大きな問題となってきた。早凝は、麦芽中の早凝因子と呼ばれる巨大な酸性多糖成分によって引き起こされるとされていたが、因子の詳細については不詳であった。

本論文は、早凝因子の詳細な構造を解明することを目的として、早凝活性を高感度かつ簡便に短時間で判定できる測定法を確立し、次いで、早凝因子を高度に精製して、その構造的特徴を解析した結果をまとめたものである。

第1章では、早凝時の酵母凝集塊を再現する手法を構築することで、発酵工程を省略した新規な早凝活性判定法を開発した結果について述べている。本法の開発により、最短でも3日間の発酵期間が必要であった早凝判定がわずか1時間で可能となり、また、判定に使用する容器を小型化することで、判定に必要なサンプル量も低減された。

第2章では、大量の麦芽から早凝因子を濃縮して回収し、それを精製した結果について述べている。すなわち、早凝活性を持つ麦芽から作成した麦汁中で発酵試験を行うことによって、酵母表層に早凝因子を吸着させた後、NaCl溶液で早凝因子を含む画分を回収し、それを陰イオン交換カラムで分画して早凝因子を高度に精製した。得られた多糖成分の糖組成から、早凝因子はラムノガラクツロナン1骨格を有するペクチン様の構造を有する多糖であった。また、酵素で低分子化した早凝因子も早凝活性を保持することを明らかにし、低分子化した早凝因子が早凝現象を引き起こす際には、ペクチン様物質で認められるようなCaイオンによる架橋の関与があることが判明した。

第3章では、早凝因子の構造解析を試みた結果について述べている。第2章で分画できた早凝活性画分中には、早凝活性を持つ多糖と持たない多糖が混在し、それらはConAカラムで分画された。また、これら2種類の多糖の糖組成比較によって、早凝活性は多糖の微細な構造によって特徴づけられた。メチル化分析から、早凝因子はキシラン、ラムノガラクツロナンI、アラビノガラクタン(タイプI、及び、タイプII骨格を有する非常に複雑な多糖であり、タイプIIアラビノガラクタンが早凝活性に重要な構造体であった。さらに、酵素で低分子化した早凝因子を精製することで、早凝現象はわずか30ppbの多糖で誘発可能な現象であり、早凝因子は酵母に極めて特異的に認識される構造を持つ特殊な多糖成分であることが判明した。

本研究は、発酵工程を省略し迅速かつ高感度に早凝活性を判定できる測定法を開発し、また早凝因子の微細構造に迫る試みによって、早凝現象を完全に解明するための重要な示唆を与えた。さらに、極微量め植物細胞壁由来の多糖が、構造特異的に他の生物に認識される現象が自然界に存在することを示したものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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