学位論文要旨



No 217089
著者(漢字) 河合,清
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,キヨシ
標題(和) 自然変異ALS遺伝子を利用した植物形質転換技術の確立およびその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 217089
報告番号 乙17089
学位授与日 2009.02.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17089号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 宇垣,正治
 東京大学 准教授 吉田,薫
 東京大学 准教授 経塚,淳子
内容要旨 要旨を表示する

アセト乳酸合成酵素(以下、ALS)は、ロイシン、バリン及びイソロイシン等の分岐鎖アミノ酸生合成経路における律速酵素であり、植物の成長にとって必須な酵素である。また、ALSは哺乳類には存在しないため、この酵素を標的とする除草剤は安全性にも優れている。本研究では、きわめて高い安全性を有するALS阻害剤であるPC系除草剤に対して、抵抗性を獲得した植物由来の自然変異ALS遺伝子を利用して、社会的に受け入れられやすい実用的な遺伝子組換え作物を作出するための技術の確立およびその応用を試みた。

本研究を始める段階で単子葉植物において完全にALS遺伝子の塩基配列が決定されていたのは、トウモロコシのみであり、わが国の主食であるイネのALS遺伝子配列は明らかにされていなかった。そこで、第1章ではイネALS遺伝子の単離を試みると同時に、イネ培養細胞の自然変異によってPC系除草剤に抵抗性を示す新規ALSの単離を試みた。その結果、PC系除草剤の一つであるビスピリバックナトリウム塩(BS)抵抗性となったイネ培養細胞から548番目のトリプトファンがロイシン(W548L)へ、627番目のセリンがイソロイシン(S627I)へ変化する2つの塩基が変異したW548L/S627I OsALS遺伝子を単離した。本変異ALSは野生型ALSを50%阻害するBS濃度の1000倍濃度でも阻害されなかったことからPC系除草剤との組み合わせでイネ遺伝子組換えの選抜マーカーとして利用できると考えられた。

第2章では、W548L/S627IOsALS遺伝子を導入したイネ培養細胞を実際にBSを含む選抜培地で選抜できるかどうかを調べた。その結果、本システムはイネ形質転換で汎用されているハイグロマイシン選抜システムと同等の形質転換効率を示した。従って、 2点変異イネALS遺伝子がPC系除草剤との組み合わせによって選抜マーカーとして機能することが明らかとなった。この選抜マーカーシステムが実用的な組換え体を作出するために使用できるかどうかを確認するため、さらに形質転換体の機能解析を行った。その結果、導入されたBS抵抗性の形質は安定的にT2世代まで遺伝することが確認された。また野生型と比較して、変異ALS遺伝子の導入による生育や稔性への悪影響は認められなかった。以上のことから自然変異によって単離されたイネ変異ALS遺伝子は実用的な形質転換体を作出すための選抜マーカー遺伝子として有用であることが示された。

第3章では、W548L/S627I OsALSの選抜マーカーとしての汎用性を確認するため、シロイヌナズナの形質転換を試みた。加えて、S627I 1点変異および、これらに対応するシロイヌナズナ由来変異ALS(W574L/S653I AtALSおよびS653I AtALS)を人工的に作成し、選抜マーカーとしての可能性について検討を行った。その結果、4つの変異ALS遺伝子がPC系除草剤との組み合わせでいずれもシロイヌナズナ形質転換体の選抜マーカーとして使用できることが明らかとなった。イネ由来のALS遺伝子がシロイヌナズナでも機能したことからALS遺伝子の配列情報が未知の植物にも幅広く本遺伝子が選抜マーカーとして利用できる可能性が示された。一方、選抜された形質転換植物はいずれもイネ由来のALSよりもシロイヌナズナ由来のALSが導入された個体がPC系除草剤に対して強い抵抗性を示した。ALSは、葉緑体に移行するためのシグナルペプチド領域のみを比較した場合は相同性が低く、このことがPC系除草剤に対する抵抗性の強さの違いに反映されている要因の一つと考えられた。植物ALSアミノ酸配列の系統樹解析の結果と合わせて判断すると、ALS遺伝子の配列情報が未知の植物においては、単子葉植物ではイネ由来の変異ALS遺伝子を使用し、双子葉植物ではシロイヌナズナ由来の変異ALS遺伝子を使用することによって、効果的に選抜ができると考えられた。 また、イネ2点変異部位(W548とS627)に対応する変異を導入したシロイヌナズナ由来ALS遺伝子が選抜マーカーとして機能することが明らかとなったことから、ALS配列情報が既知の作物の場合は、植物自身の変異ALS遺伝子を選抜マーカーとできると考えられた。

第4章ではイネ変異ALS遺伝子をイネ由来の塩基配列のみで制御した選抜マーカーカセットを用いて形質転換体を作出するPalSelect技術を確立した。PalSelectでの形質転換効率はこれまで報告されているいくつかの選抜マーカーカセットでの形質転換効率と同等以上でありPalSelect技術によって実用的な組換え作物を効率的に作出できる可能性が示された。

第5章では変異ALS遺伝子およびPalSelect技術の応用利用について検討した。 第1節ではALS阻害型除草剤抵抗性雑草から見出された変異ALS遺伝子を基に、イネおよびシロイヌナズナのさまざまな変異ALS遺伝子を人工的に合成し、新規選抜マーカー遺伝子と使用できる可能性を検討した。その結果、これまでに報告されていない新規な2点変異ALS(P171H/R172S OsALS、P171H/548LおよびP171H/627I)がALS阻害型除草剤に高い抵抗性を示し、選抜マーカー遺伝子として使用できると考えられた。特にP171H/R172S OsALSはSU系除草剤には抵抗性を示すがPC系除草剤に抵抗性を示さないため、PC系除草剤に抵抗性を示すがSU系除草剤には抵抗性を示さないS627I OsALSと組み合わせることによって多重遺伝子導入が可能となると考えられた。また、作出した変異ALS遺伝子から発現した酵素の各種ALS阻害型除草剤に対する感受性を系統的に調べることによって抵抗性雑草の管理にも応用できると考えられた。そこで、さまざまな雑草でいくつかの変異が確認されており、それぞれの変異で除草剤に対する感受性が異なっていることが知られているP171の位置が変異したALS酵素を中心に異なるタイプのALS除草剤に対する感受性を検定した結果、各ALS除草剤に対するそれぞれのP171変異ALSの抵抗性の強さを関連付けることができた。本節で得られた結果をモデル系として今後開発されるALS阻害型除草剤に対する雑草の変異ALSの感受性を予測するための解析のひとつとして使用できると考えられた。

第2節では変異ALSのタンパク質レベルでの発現を簡便に検定できるin vivo ALS検定を発展させ、イネカルス内におけるALS酵素の活性を定量的に測定できる系を構築した。その結果、少なくともスクロースを含み、カルスの生育を促進する栄養素が添加された固体培地を用いて反応を行うことによりアセト乳酸をALS活性に依存してカルス組織内に蓄積できることが明らかとなった。 カルスでの検定系を利用して、次に目的の遺伝子としてGFPを使用して、変異ALSの発現を定量化し、GFPの発光強度との相関を調べた。その結果、変異ALS遺伝子の発現が高い系統はGFPの発光強度も高い傾向が示された。すなわち、カルスの段階で目的のタンパク質の生産効率が良好な系統を絞り込める可能性が示された。

以上のように選抜マーカーとして導入した変異ALSの発現を定量できることが示されたことから、本遺伝子を選抜マーカーと同時にレポーター遺伝子として応用できる可能性が考えられた。そこで、本遺伝子をレポーター遺伝子としてplant activatorの検定系の構築を試みた。その結果、サリチル酸経路に関与する薬剤が散布された場合のみ、PR-1プロモーターに融合した変異ALSの発現が認められ、その発現量は薬剤散布によるPR-1遺伝子のmRNAの発現と相関が認められた。このことによりALS活性が薬剤によるPR-1の誘導活性を反映していることが示され、ALS遺伝子がレポーター遺伝子としての応用利用も可能であることが示された。

第3節ではPalSelect技術を使用して、実際に実用的な形質転換体の作出を試みた。具体的にはカルス特異的プロモーターで変異ALS遺伝子をドライブした選抜マーカーカセットを持つバイナリーベクターにコエンザイムQ10を米に蓄積させるため、目的遺伝子であるddsA遺伝子をすべてイネ由来の塩基配列で制御した発現カセットを導入したコンストラクトを作成してイネ形質転換を行った。その結果、選抜マーカーとしてハイグロマイシン耐性遺伝子を使用して、ddsA遺伝子を35Sプロモーターでドライブしたカセットが導入された形質転換イネと同等のコエンザイムQ10を種子に蓄積することに成功した。また、第2節で確立したカルスでのin vivo ALS検定法を応用することで、1コピーの遺伝子導入でコエンザイムQ10を高生産している系統のホモ接合体を効率的に選抜できることが示された。

以上、本研究によってPC系除草剤に対して抵抗性を示す新規変異ALS遺伝子が選抜マーカーとして利用できることが明らかとなった。また、選抜マーカーとしてのALS遺伝子および目的遺伝子を植物由来の塩基配列のみで制御したカセットを使用して効率的に社会的に受け入れられやすい形質転換体を作出できることが示された。加えて変異ALS遺伝子がレポーター遺伝子やALS阻害型除草剤に対する抵抗性雑草の感受性を予測するために応用できる可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、高い安全性を有するALS阻害剤であるPC系除草剤に対して、抵抗性を獲得した植物由来の自然変異ALS遺伝子を利用して、社会的に受け入れられやすい実用的な遺伝子組換え作物を作出するための技術の確立およびその応用を試みた。

1.イネからの変異型ALS遺伝子の単離および薬剤感受性の解明

イネALS遺伝子の単離を試みると同時に、イネ培養細胞の自然変異によってPC系除草剤に抵抗性を示す新規ALSの単離を試みた。その結果、PC系除草剤の一つであるビスピリバックナトリウム塩(BS)抵抗性となったイネ培養細胞から2点変異により2アミノ酸が置換した新たな変異であるW548L/S627I 0sALS遺伝子を単離した。本変異ALSは野生型ALSを50%阻害するBS濃度の1000倍濃度でも阻害されなかったことからPC系除草剤との組み合わせでイネ遺伝子組換えの選抜マーカーとして利用できると考えられた。

2.変異型ALS遺伝子を選抜マーカーとするイネ形質転換および形質転換イネの機能解析

W548L/S62710sALS遺伝子を導入したイネ培養細胞を実際にPC系除草剤の一つであるBSを含む選抜培地で選抜できるかどうかを調べた。その結果、本システムによって高い形質転換効率でイネ形質転換体が作出できることが示された。また、導入形質は安定的に次世代に遺伝子し、生育や稔性への悪影響は認められなかった。以上のことから官然変異によって単離されたイネ変異ALS遺伝子は実用的な形質転換体を作出すための選抜マーカー遺伝子として有用であることが示された。

3.シロイヌナズナにおける変異型ALS遺伝子の選抜マーカーとしての有用性の解析

W548L/S627IおよびS627I0sALSとこれらに対応する変異を持つシロイヌナズナ由来変異ALS(W574L/S653IおよびS653I AtALS)とPC系除草剤との組み合わせでいずれもシロイヌナズナ形質転換体の選抜マーカーとして使用できることが明らかとなった。植物の感受性差に応じてこれらを使い分けることによってさまざまな植物の選抜に利用できる可能性が示された。また、イネ2点変異部位に対応する変異を導入したシロイヌナズナ由来ALS遺伝子が選抜マーカーとして機能することが明らかとなったことから、ALS配列情報が既知の作物の場合は、植物自身の変異ALS遺伝子を選抜マーカーとできることが示された。

4.PC系除草剤抵抗性ALS遺伝子を選抜マーカーとして用いたイネ形質転換体の作出

イネ変異ALS遺伝子をイネ由来の塩基配列のみで制御した選抜マーカムカセットを用いて形質転換体を作出するPalSelect技術を確立した。PalSelectでの形質転換効率はこれまで報告されているいくつかの選抜マーカーカセットでの形質転換効率と同等以上でありPa1Select技術によって消費者に安心感を与える実用的な組換え作物を効率的に作出できる可能性が示された。

5.変異ALS遺伝子およびPalSe1ect技術の応用利用

この変異ALS遺伝子およびPalSelect技術の応用利用について検討した。

第1節では種々の変異ALSを作成し、薬剤に対する感受性が異なる2つの変異ALSをそれぞれ選抜マーカーとして多重形質転換に応用できる可能性が示された。また雑草で確認されている除草剤抵抗性を付与する変異に対応するイネ変異ALSを作成し、ALS除草剤に対する感受性を検定した結果、各ALS除草剤に対するそれぞれの変異ALSの抵抗性の強さを関連付けることができた。本節で得られた結果をモデル系として今後開発されるALS阻害型除草剤に対する変異ALSを持つ雑草の感受性を予測するための解析のひとつとして使用できると考えられた。

第2節では変異ALSのタンパク質レベルでの発現を簡便に検定できるin vivoALS検定を発展させ、イネカルス内におけるALS酵素の活性を定最的に測定できる系を構築した。カルスでの検定系を利用して、変異ALS遺伝子の発現を指標に選抜の段階で目的のタンパク質の生産効率が良好な系統を絞り込める可能性が示された。従って、本遺伝子をレポーター遺伝子として応用できる可能性が示された。

第3節ではPalSelect技術を使用してCqQ10強化米の作出を行った。その結果、選抜マーカーとしてハイグロマイシン耐性遺伝子を使用して作出されたイネと同等のコエンザイムQ10を種子に蓄積することに成功した。また、カルスでのin vivo ALS検定法を応用することで、1コピーの遺伝子導入でコエンザイムQ10を高生産している系統のホモ接合体を効率的に選抜できることが示され、本技術の有用性が検証された。

以上本論文は、自然変異によって新たに得られた変異ALS遺伝子がこれまでの変異ALSとはALS阻害剤に対して異なる感受性を示し、PC剤に対して高い抵抗性を示すことを明らかにするとともに、本遺伝子を制御する塩基配列も全て植物由来の選抜マーカーカセットを使用することで効率的に社会的に受け入れられやすい形質転換形質転換体を作出できることを示した。加えて変異ALSのレポーターとしての機能や抵抗性雑草の除草剤感受性予測への利用等の新たな可能性が示され、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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