学位論文要旨



No 217092
著者(漢字) 村上,祐介
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ユウスケ
標題(和) 教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 217092
報告番号 乙17092
学位授与日 2009.02.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17092号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 勝野,正章
 東京大学 教授 根本,彰
 東京大学 准教授 橋本,鉱市
 東京大学 客員教授 小川,正人
 東京大学 教授 金井,利之
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は,教育委員会制度の形骸化・機能不全や教育行政の強い縦割り性を強調する「縦割り型教育行政モデル」ともいうべき通説的認識を再検討し,従来までとは異なる「総合調整型教育行政モデル」ともいうべき新たな理解を提示することにある。

これまで教育行政は,集権性と縦割り性の強い行政領域であると言われてきた。教育行政学や行政学においては,文部科学省―都道府県教育委員会―市町村教育委員会―学校という上意下達の縦割り的な教育行政システムが確立し,他の行政領域に比べて縦割り的かつ集権的であるとの理解が通説的であった。また,地方教育行政の要である教育委員会制度に関しては,民衆統制と専門的指導性の抑制と均衡という理念が既に形骸化しており,その存在はかえって文部省を頂点とする上意下達的な縦割り集権構造を支えてきたとの見方も多い。さらにこうした実態は文部省が自らの影響力を強化するために意図的に制度を改変した結果であるとの認識も広く共有されている。近年主張される教育委員会の(必置)廃止論などでも,教育委員会制度の形骸化や弊害が批判されると同時に,現在の教育行政システムが縦割り的で上意下達的であると指摘される。

しかし,こうした認識は戦後日本の教育行政の実態を適切に理解していると言えるのであろうか。本論文では実証的な検討を通じて,以下の3点に関して従来までの通説的見解とは異なる知見を提示する。

第1に,これまで教育行政は,教育委員会制度が存在することで他の行政領域に比べて縦割り性が強く,また著しく集権的であるとの認識が強かった。しかし,それは一面的な理解ではないか。潜在的な場合もあったにせよ,首長や議会の影響力は小さくない。首長から独立した教育委員会制度が存在していることで,教育行政の縦割り性が他の行政領域に比べて強くなっているとは必ずしもいえない。また教育委員会の存在があっても地方政府(特に首長)による政治的自治は可能であったと思われる。

第2に,教育委員会制度はその形骸化や機能不全が批判されてきた。しかし別の解釈もありうるのではないだろうか。教育委員会制度は元来,民衆統制を具現化した教育委員と専門性を担保された教育長との間での抑制と均衡による運営が期待された制度である。しかし現実には,教育長と教育委員会事務局が情報・資源の面で優位に立って教育委員会を主導する要素が強く,教育委員が本来担うべき民衆統制は形骸化しているといわれる。

そうした見解は確かに妥当ではあるが,任命制教育委員会の制度からみると,公選された首長が民衆統制の役割を担っているともいえる。教育委員会の内部で機能することが期待された抑制と均衡の原理は,現行制度の下では,教育委員と教育長との間ではなく,首長をはじめとする総合行政(一般行政)と教育行政の間の調和と緊張の中でむしろ機能してきたとみることが可能ではないか。広く地方政府内部の関係に着目すれば,実質的には首長と(教育委員会事務局を含む広義の)教育委員会との間で,民衆統制と専門的指導性の抑制と均衡が機能していたとも考えられる。

第3に,これまで教育委員会制度が安定して存続してきた理由として,文部科学省や自民党文教族など教育業界(「教育下位政府」)の影響力と同じかそれ以上に,自治省や地方六団体など自治業界(「地方自治下位政府」)に属するアクターの利益が非常に重要である。従来までは,文部省や自民党文教族の意図や影響力が過度に強調されてきた。しかし,自治省や地方六団体にとっても教育委員会制度の存在は政治的な利益が大きく,それゆえに教育委員会制度がこれまで存続してきたように思う。筆者は,教育委員会制度廃止・見直し論が台頭した背景には,教育委員会制度の形骸化や機能不全などの要因だけではなく,自治省や地方六団体などのアクターにとって,教育委員会制度が存在することの政治的利益が近年変化したことが大きいと考える。教育下位政府内部の問題というよりも,地方政治を取り巻く環境の変化によってこれらのアクターにとって教育委員会制度を維持することの利益が小さくなり,制度が政治的に無用化しつつある。筆者は,教育下位政府外部のこうした変化が近年の教育委員会制度改革論の本質であると考える。

以上に述べた点を検討するために,本論文では具体的に次の2点の問いを設定し,実証分析を行った。

第1の問いは,教育行政は首長部局が所管する他の行政領域と比較して縦割り性が強い行政領域なのか,また仮にそうであるならば,教育委員会制度の存在が教育行政の集権性・縦割り性を強めてきたのか,という点である。この問いに対しては,通説的な理解とは異なり,行政委員会としての教育委員会制度が存在するからといって,他の行政領域に比べてその集権性・縦割り性は強いわけではない,との知見を提示する。

第2の問いは,なぜ教育委員会制度は安定して存続してきたのか,また教育委員会制度の存在は誰にとっての利益に適っていたのか,その理由を推論する。任命制教育委員会制度は地教行法制定から地方分権改革まで,その制度的しくみは極めて安定的であった。筆者は,文部科学省の影響力を強調する従来までの見解を否定しないが,他方で総務省(旧自治省)や首長にとっても教育委員会制度を存続させることがこれまで合理的な選択であったことをより重視する。

本論文の構成は以下の通りである。

第1章では理論的検討を行う。本論文の問題関心を述べるとともに先行研究の動向を概観し,そのうえで本論文の課題と仮説,および分析枠組を述べる。

本論文では,行政学での統合・分立の概念を用いて,教育行政の強い縦割り性(分立性)を強調する従来までの見解を「機能的集権モデル」,「政策共同体モデル」として整理し,それらを合わせて「縦割り型教育行政モデル」として整理する。それに対して本論文では,従来よりも縦割り性を強調しない新たな理解である「総合調整型教育行政モデル」を提示する。また政治学などで用いられる合理的選択制度論から,本論文での仮説を説明する。

第2章以下では,地方分権改革の前後で時期を区分し,それぞれの時期について制度改革と制度の運用実態に関する分析を行う。

地方分権改革以前の時期に関しては,2つの事例を素材として取り上げる。第2章では,教育委員会制度改革をめぐる政治過程の事例分析を行う。地教行法成立から現在までの間,幾度かにわたり教育委員会制度の改革が試みられてきた。いずれも,自治省や地方六団体が改革の帰結に大きな影響を及ぼしたことを述べる。先行研究では,文科省が自らの影響力確保を狙って意図的に教育委員会制度をデザインしたと考えられてきた。しかし,本章では3つの事例分析を通じて,従来までの見解とは異なり,教育委員会制度のデザインそれ自体がそもそも縦割り的な政策決定ではなかったことを明らかにする。

第3章では都道府県教育長の人事を取り上げる。特に,中央省庁から都道府県教育長への出向人事に着目して,他の行政領域での出向人事との比較を行う。教育長の人事は,地方分権改革まで任命承認制という特殊な制度が存在しており,法制度的には集権性・縦割り性の強いしくみであった。ここでは中央省庁から都道府県教育長への出向人事の実態を分析し,地教行法の「特例」的性質が必ずしも縦割り性の強さとは直結していないことを論証する。また,地方教育行政で最も影響力の大きいアクターである教育長の人事では文科省の影響力は大きくなく,むしろ首長の影響力が大きいことを主張する。

地方分権改革以後については,2004年に筆者が行った自治体首長への質問紙調査を中心に検討を加える。

第4章では,質問紙調査のデータをもとに,どのような首長が教育委員会制度の存続(あるいは廃止)を志向しているのかを分析する。その結果,教育委員会制度が機能しているか否か,あるいは首長の政策選好などの要因以上に,地方政府内部の政治的要因によって教育委員会制度に対する首長の態度が規定されていることがわかった。この結果からは,制度が果たしてきた機能よりも,むしろ地方政府内部の政治的要因が教育委員会制度存続の背景として重要であることが推論できる。また,1960年以降の全都道府県の知事―議会関係や1960~70年代の京都府の政治状況を観察し,本章での知見の妥当性を確認する。

第5章では,質問紙調査の結果から分権改革後の地方教育行政の影響力構造を分析する。ここでは,教育行政における首長の影響力は他の行政領域と比較して小さくないことをデータから明らかにする。また,地方教育行政において教育長は極めて重要な役割を果たしているが,一方で首長が教育長人事に関して最も大きな影響力を持っていた。首長と教育長の連携によって,多くの場合は縦割り的というよりも総合調整的な政策決定が行われていることを示す。

最後に終章では,結論として本論文での知見を確認し,それをふまえたうえで,本論文が主張する「総合調整型教育行政モデル」が,従来までの見解と比較して戦後日本の教育行政の特質をより適切に理解できることを示す。また,本論文の理論的・政策的含意と,今後の課題を述べる。

審査要旨 要旨を表示する

教育委員会制度は、戦後教育改革が目指した教育の民主化を象徴する制度として創設されたが、1956年地教行法成立による法制度改正を経て大きく変化し、文部省を頂点とする集権的縦割り性の強い教育行政を支える機関になったと見られてきた。1980年代以降、教育委員会制度に対するそうした批判から、その見直しの論議が続いており、近年では廃止や任意設置の論議も起こってきている。

本論文は、そうした教育委員会制度の通説的批判と近年の改廃論議に対し、次のような問いを対置し実証分析を試みている。第一は、教育行政は首長部局が所管する他行政領域と比べて縦割り性が強いのかどうか、仮にそうであるとした場合、教育委員会制度の存在が教育行政の集権・縦割り性を強めているのかどうか、第二は、批判がある中でもなぜ教育委員会制度は安定して存続してきたのか、また教育委員会制度の存続は誰にとっての利益に適っていたのか、という問いである。

第1章では、先行研究を概観したうえで本論文の課題と仮説、分析枠組みが設定されている。統合・分立の概念を用いて教育行政の捉え方を幾つかの類型モデルとして整理し、合理的選択制度論から本論文の仮説を説明している。第2章では、教育委員会制度改革をめぐる政治過程の事例分析を行っている。地教行法成立から現在に至る幾多の制度見直しの試みは文部省が自らの影響力の確保を図るために行ってきた意図的な制度改革であったとする先行研究に対して、そうした従来の見解とは異なり、自治省(現総務省)や地方六団体が改革の帰結に大きな影響を及ぼしてきたことを明らかにしている。第3章では、教育行政の集権的縦割り性を象徴する「特例」的しくみとして批判されてきた教育長任命承認制下における都道府県教育長の出向人事の実態を実証的に分析することを通してその制度の実際的機能を検証している。特に、中央省庁から都道府県教育長への出向人事について他行政領域での出向人事と比較考察することで、教育長人事では文部省の影響力は大きくなく、むしろ首長の影響力が大きいことを指摘している。第4章と第5章では、筆者が実施した自治体首長への質問紙調査のデータをもとに、教育委員会制度に対する首長のスタンスは首長の政策選好等の要因より地方政府内部の政治的要因により強く規定されていること、地方教育行政において教育長は重要な役割を果たしているが、その教育長人事に首長が最も大きな影響力を有し首長と教育長の連携により調整的政策決定が行われていることを指摘している。そして、終章において、本論文の知見を確認している。

以上の分析を通じて、本論文は教育委員会制度の存在は他行政領域に比べて教育行政の集権・縦割り性を強化する要素にはなっていないこと、教育委員会制度の存在は文部省の影響力保持を担保するように機能してきたという見解は否定しないが、より重視すべきは総務省(旧自治省)や首長の政治的利益に適った合理的選択であった等、教育委員会制度研究のうえで新しい知見を提示しており教育研究にとって重要な貢献をなすものと評価できる。このような観点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク