学位論文要旨



No 217095
著者(漢字) 田中,大祐
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ダイスケ
標題(和) 線虫におけるメラトニンの作用機構とメラトニンシグナル関連分子についての分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 217095
報告番号 乙17095
学位授与日 2009.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17095号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 准教授 楠原,洋之
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

序論

メラトニンは、哺乳類において松果体から周期的に分泌され、生体リズム調節作用を示すことが知られているアミンである。これまでにその合成経路から受容体、周期的な遺伝子発現制御に至るまでその生理機構について多くの研究がなされている。しかし、メラトニンは明確な概日リズムが存在しない様々な無脊椎動物から植物や菌類に至るまで生物界全般に広く分布しており、ただ単にリズム調節を司るのみとは考えにくい。また近年、ラット海馬におけるLTPの抑制といったリズム調節以外の機能の例も報告されている。これらの報告から、メラトニンは神経活動の直接的制御等、様々な生体機能に根源的かつ重要な役割を果たしている可能性が高いと考えた。海外ではメラトニンは睡眠障害時に使用され、その副作用についても疑問視されているが、リズム調節以外の機能に関する研究はこれまでに殆ど行われていない。

私は、メラトニンの持つ新たな生理的・薬理学的な作用基序の解明と、その生物学的・進化的な役割の解明を通して、生体内におけるメラトニンシグナル伝達の詳細な理解を目的として本研究を行つた。そのために、セロトニンやドパミンといったアミン類の作用機構の解析例も豊富で、また遺伝因子の同定が容易なモデル生物線虫(C.θZθ9卿5)を使用した。線虫を使用したメラトニン研究は殆ど例がなかつたため、本研究ではまず線虫を使用したメラトニンシグナルのアッセイ系を構築し、そのアッセイ系を使用してメラトニンの作用機構の解析、メラトニンシグナル経路で機能する因子の探索等を試みた。以下その内容について記載する。

1.線虫におけるメラトニンの同定とその生理的機能の解析

(1)線虫におけるメラトニンシグナルアッセイ系の構築と作用機構

最初にメラトニンが線虫にどのような作用を示すのかを明らかにするため、外来的なメラトニン処理が線虫の発生・行動等にどの様な変化を引き起こすのかを詳細に観察した。その結果、アッセイ系として利用可能な2つの表現型を同定した。

第一の表現型として、メラトニン処理により線虫体壁筋の収縮頻度(bodybend回数)が一過的に減少することを明らかにし、この作用に基づいたアッセイ系を確立した。作用発現時間の経過から、メラトニンは遺伝子発現を介さずに直接神経の活動を抑制すると推測された。また、体壁筋の収縮頻度以外の様々な筋収縮や行動には影響が見られなかったことから、メラトニンは全ての神経の活動に非特異的に関与するのではなく、一部の神経群に存在する特異的なシグナル経路を介して作用することが強く示唆された。

既知のメラトニン受容体にはMT1、MT2、MT3の3種類のサブタイプが存在する。それぞれの受容体のアンタゴニストを用い、どの受容体経路を介して線虫の体壁筋収縮が制御されているのかを解析した。その結果、MT2、MT3特異的アンタゴニストはメラトニンの作用を抑制せず、MT1/2受容体アンタゴニストのみがメラトニンの作用を抑制した。従つて、線虫にはMT1様受容体が存在し、メラトニンはこの受容体を介して体壁筋の収縮頻度を調節することが示唆された。

第二の表現型として、MT3受容体アンタゴニストに線虫を長期間暴露することで、体長の増加抑制、腸内穎粒の減少等の影響が顕れることを見出した。他のアンタゴニストの作用ではこの現象は観察されない。従って、線虫にはMT3様受容体も存在し、内在性のメラトニンがMB様受容体を介して様々な生命現象に恒常的に関わっていることが示唆された。

(2)メラトニンの同定と合成酵素の発現

メラトニン処理等により様々な表現型異常が観察されたことから、線虫体内のメラトニンの有無について検討を行つた。HPLC及びLC/MS/MSを用いて線虫抽出物を分析したところ、両者においてメラトニンに対応するピークが得られたことから、線虫体内にはメラトニンが存在することが分かった。メラトニンが合成される細胞群を明らかにするため、その合成酵素の発現パターンの解析を試みた。ゲノム情報からY74CgA.3遺伝子が線虫におけるメラトニン合成酵素HIOMTに相当すると考えられ迄ため、この遺伝子の発現解析を行った。その結果、この遺伝子はPVT神経と子宮に発現していた。従って、少なくともこれらの細胞においてはメラトニンが生合成され、観察された行動や恒常性に関与する細胞群に作用すると推測された。

(3)メラトニンシグナルで機能する因子の探索

哺乳類のMT1受容体は、G蛋白質共役受容体に属している。そのため、線虫の筋収縮を制御するメラトニンシグナルもG蛋白質と共役した受容体を介していると推測した。そこで様々なG蛋白質突然変異体を用いてMT1経路を介したメラトニンの感受性を検討した。その結果、Gqα をコ一ドする8gZ -30の機能元進及びgアα-7の機能欠損変異体がメラトニンに対する感受性異常を示したため、線虫のMT1様受容体はEGL-30及びGPA-7を介したシグナル伝達により制御されていると推測された。

さらに、受容体の実体やメラトニンシグナルで機能する他の因子を同定するために、確立した体壁筋の収縮頻度のアッセイ系を用いてメラトニン感受性異常を示す突然変異体の単離を試みた。およそ100,000ゲノムのスクリーニングを行った結果、5系統の新規突然変異体の単離に成功した。原因遺伝子解析の結果、そのうち2系統の原因遺伝子をrep-1(Rabエスコート蛋白をコード)とeat-2(ニコチン性アセチルコリン受容体をコード)と同定した。このことは、メラトニンがシナプス伝達に関与することを示すとともに、本研究により確立したアッセイ系が効果的に機能し、メラトニンシグナルに関わる新規分子の解明に有効であることの傍証でもある。

2.線虫REP-1の分子遺伝学的解析による生体内新規メカニズムの解明

(1)線虫rep-1変異体の単離と遺伝子クローニング

低分子量G蛋白質の1つであるRab蛋白質群は、細胞内でのシナプス小胞を含む様々な小胞輸送において重要な役割を果たしている。細胞内の個々のRab蛋白質が特異的な膜画分へ局在し、特異的な小胞輸送に関わるためには、そのC末端にゲラニルゲラニル基を付加する翻訳後修飾が必須である。その修飾にはRab蛋白質と脂質転移酵素であるRabGGTase及び補助因子としてREPの3つの蛋白質が三量体を形成する必要があると考えられてきた。しかしながら、そのメカニズムや遺伝的階層性、生体内における各分子の役割については不明な点が多い。本研究では、上記スクリーニングにより単離された線虫γθρ一1変異体の解析を通して、REP-1を介したRab蛋白質の機能制御メカニズムについて新たな知見を得ることに成功した。

単離された突然変異体の1つ、加208変異体の原因遺伝子の探索を行い、Y67D2。1遺伝子と同定した。Y67D2.1遺伝子はREP及びGDI(RabGTP/GDP dissociation inhibitor)の両者に類似性の高い蛋白質をコードしていたが、GDIに特異的なアミノ酸は保存されておらず、逆にREPに特異的なアミノ酸は保存されていた。またRNAiによりこの遺伝子機能を低下させたところ、非修飾型のRab蛋白質の量が増加した。これらの結果から、この遺伝子はGDIではなくREPをコードしていることが明らかとなった。

(2)線虫REP-1の機能解析

遺伝子クローニングとREP-1の機能解析の過程において、アεp一ヱ変異体の表現型がRabGGTaseの機能阻害による表現型異常より明確に弱いことに気が付いた。そこで線虫REP蛋白質の生体内機能をより詳細に理解するために、γερ-ヱ変異体におけるRab経路に関与する表現型異常の観察や、様々なRab蛋白質の局在異常の解析を行った。その結果、シナプス小胞の放出に関与する2つのRabのうち、RAB-27の機能とシナプスへの局在にはREP-1が必要であるが、RAB-3の機能と局在にはREIMは必須ではないことが分かった。

さらに、エンドサイトシスに関与する他のRabの局在に対するREP-1の影響を調べたところ、その局在がREP-1の機能に強く依存するRabと殆ど依存しないRabが存在することが明らかになった。また、Yeasttwo-hybrid法を使用した蛋白質問の相互作用解析においても、REP-1と結合するRabとしないRabが存在することが分かつた。

これらの結果から、線虫生体内においてREP-1は特異的なRabに対して、またそのRabが発現している細胞や組織に依存してその局在と機能制御に関与することが示唆された。すなわち、生体内のRabにはその修飾にREPを必ずしも必要としないものも存在し、三量体の形成は必須ではないと推測された。

3.まとめ

本研究は、モデル生物線虫におけるメラトニンの存在とその生理的役割について、世界で始めて明ちかにした。本研究により構築された新規アッセイ系を分子遺伝学的解析の容易な線虫に用いることで、メラトニンの新規作用メカニズムの理解に大きく寄与し、哺乳類を含めたメラトニンの根源的な生体機能を明らかにするための強力なツールとなりうると考えている。さらに、本研究では線虫のγθρ一1遺伝子を同定し、生体内におけるREP4の意義について新たな知見をもたらした。このことはREPの機能のみならず、Rabの局在化機構や機能制御の解明にも新たな一面を与えると考えている。また、脈絡膜欠落症のようなREPの機能異常疾患の原因とその治療法、特に新規医薬品の開発に向けた重要な知見となりうると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

メラトニンは哺乳類において松果体から周期的に分泌され、生体リズム調節作用を示すことが知られており、合成経路から受容体、周期的な遺伝子発現制御に至るまでその生理機構について多くの研究がなされている。しかし、メラトニンは明確な概日リズムが存在しない様々な無脊椎動物から植物や菌類に至るまで生物界全般に広く分布しており、ただ単にリズム調節を司るのみとは考えにくい。また近年、ラット海馬におけるシナプス可塑性の抑制といつたリズム調節以外の機能の例も報告されている。これらの報告から、メラトニンは神経活動の直接的制御等、様々な生体機能に根源的かつ重要な役割を果たしている可能性が高い。海外ではメラトニンは睡眠障害時に使用されているが、リズム調節以外の機能に関する研究はこれまでに殆ど行われていない。本研究は、メラトニンの持つ新たな生理的・薬理学的な作用基序の解明と、その生物学的・進化的な役割の解明を通して、生体内におけるメラトニンシグナル伝達の解明を目的とした。そのために、セロトニンやドパミンといったアミン類の作用機構の解析例も豊富で、また遺伝因子の同定が容易なモデル生物線虫(C.elegans)を使用した。

まず、メラトニンが線虫に及ぼす作用を明らかにするため、外来的なメラトニン処理が線虫の発生・行動等に及ぼす変化を詳細に観察した。その結果、アッセイ系として利用可能な2つのパラメーターを明らかにした。第一に、メラトニン処理により線虫体壁筋の収縮頻度(body bend回数)が一過的に減少することを明らかにした。作用発現時間の経過から、メラトニンは遺伝子発現を介さずに直接神経の活動を抑制すると推測された。また、体壁筋の収縮頻度以外の様々な筋収縮や行動には影響が見られなかつたことから、メラトニンの非特異的な作用ではないことを確認した。次に、線虫の体壁筋収縮の制御に関与するメラトニン受容体を解析した。MT2、MT3特異的アンタゴニストはメラトニンの作用を抑制せず、MT1/2受容体アンタゴニストのみがメラトニンの作用を抑制した。従つて、線虫にはMT1様受容体が存在し、メラトニンはこの受容体を介して体壁筋の収縮頻度を調節することが示唆された。

第二のパラメーターとして、MT3受容体アンタゴニストに線虫を長期間暴露することで、体長の増加抑制、腸内顆粒の減少等の影響が顕れることを見出した。他のアンタゴニストの作用ではこの現象は観察されない。従って、線虫にはMT3様受容体も存在し、内在性のメラトニンがMT3様受容体を介して様々な生命現象に恒常的に関わっていることが示唆された。

メラトニン処理等により様々な表現型異常が観察されたことから、線虫体内のメラトニンの有無について検討を行つた。HPLC及びLC/MS/MSを用いて線虫抽出物を分析したところ、両者においてメラトニンに対応するピークが得られたことから、線虫体内にはメラトニンが存在することが分かつた。メラトニンが合成される細胞群を明らかにするため、その合成酵素の発現パターンの解析を試みた。ゲノム情報からY74CgA,3遺伝子が線虫におけるメラトニン合成酵素HIOMTに相当すると考えられたため、この遺伝子の発現解析を行つた。その結果、この遺伝子はPVT神経と子宮に発現していた。従って、少なくともこれらの細胞においてはメラトニンが生合成され、観察された行動や恒常性に関与する細胞群に作用すると推測された。

哺乳類のMT1受容体は、Gタンパク質共役受容体に属している。そのため、線虫の筋収縮を制御するメラトニンシグナルもGタンパク質と共役した受容体を介していると推測した。そこで様々なGタンパク質突然変異体を用いてMT1経路を介したメラトニンの感受性を検討した。その結果、Gqaをコードするegl-30の機能亢進及びgpa-7の機能欠損変異体がメラトニンに対する感受性異常を示したため、線虫のMT1様受容体はEGL-30及びGPA-7を介したシグナル伝達により制御されていると推測された。

さらに、受容体の実体やメラトニンシグナルで機能する他の因子を同定するために、メラトニン感受性異常を示す突然変異体の単離を試みた。およそ100,000ゲノムのスクリーニングを行った結果、5系統の新規突然変異体の単離に成功した。原因遺伝子解析の結果、そのうち2系統の原因遺伝子をrep-1(Rabエスコート蛋白をコード)とeat-2(ニコチン性アセチルコリン受容体をコード)と同定した。このことは、メラトニンがシナプス伝達に関与することを示すとともに、本研究により確立したアッセイ系が効果的に機能し、メラトニンシグナルに関わる新規分子の解明に有効であることを示唆する。

低分子量Gタンパク質の1つであるRabタンパク質群は、細胞内でのシナプス小胞を含む様々な小胞輸送において重要な役割を果たしている。細胞内の個々のRabタンパク質が特異的な膜画分へ局在し、特異的な小胞輸送に関わるためには、そのC末端にゲラニルゲラニル基を付加する翻訳後修飾が必須である。その修飾にはRabタンパク質と脂質転移酵素であるRabGGTase及び補助因子としてREPの3つのタンパク質が三量体を形成する必要があると考えられてきた。しかしながら、そのメカニズムや遺伝的階層性、生体内における各分子の役割については不明な点が多い。本研究では、上記スクリーニングにより単離された線虫rep-1変異体の解析を通して、REP-1を介したRabタンパク質の機能制御メカニズムについて新たな知見を得ることに成功した。

単離された突然変異体の1つ、ta208変異体の原因遺伝子の探索を行い、Y67D2.1遺伝子と同定した。Y67D2.1遺伝子はREP及びGDI(RabGTP/GDP dissociation inhibitor)の両者に類似性の高いタンパク質をコードしていたが、GDIに特異的なアミノ酸は保存されておらず、逆にREPに特異的なアミノ酸は保存されていた。またRNAiによりこの遺伝子機能を低下させたところ、非修飾型のRabタンパク質の量が増加した。これらの結果から、この遺伝子はGDIではなくREPをコードしていることが明らかとなった。

遺伝子クローニングとREP-1の機能解析の過程において、rep-1変異体の表現型がRabGGTaseの機能阻害による表現型異常より明らかに弱かつた。そこで線虫REPタンパク質の生体内機能をより詳細に理解するために、rep-1変異体におけるRab経路に関与する表現型異常の観察や、様々なRabタンパク質の局在異常の解析を行つた。その結果、シナプス小胞の放出に関与する2つのRabのうち、RAB-27の機能とシナプスへの局在にはREP-1が必要であるが、RAB-3の機能と局在にはREP-1は必須ではないことを明らかにした。

さらに、エンドサイトシスに関与する他のRabの局在に対するREP-1の影響を調べたところ、その局在がREP-1の機能に強く依存するRabと殆ど依存しないRabが存在することが明らかになった。また、Yeast two-hybrid法を使用したタンパク質問の相互作用解析においても、REP-1と結合するRabとしないRabが存在することが分かつた。

これらの結果から、線虫生体内においてREP-1は特異的なRabに対して、またそのRabが発現している細胞や組織に依存してその局在と機能制御に関与することが示唆された。すなわち、生体内のRabにはその修飾にREPを必ずしも必要としないものも存在し、三量体の形成は必須ではないと推測された。

本研究は、モデル生物線虫におけるメラトニンの存在とその生理的役割について、初めて明らかにした。本研究により構築された新規アッセイ系を分子遺伝学的解析の容易な線虫に用いることで、メラトニンの新規作用メカニズムの理解に大きく寄与し、哺乳類を含めたメラトニンの根源的な生体機能を明らかにするための強力なツールとなりうる。さらに、本研究では線虫のrep-1遺伝子を同定し、生体内におけるREP-1の意義について新たな知見をもたらした。このことはREPの機能のみならず、Rabの局在化機構や機能制御の解明にも新たな一面を与えると考えている。また、脈絡膜欠落症のようなREPの機能異常疾患の原因とその治療法、特に新規医薬品の開発に向けた重要な知見となりうると期待される。以上のように、本研究はメラトニンの生理学的作用や生物学的意義について、またRabやREPの機能解明に重要な貢献をするものであり、博士(薬学)の授与に値すると判断した。

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