学位論文要旨



No 217103
著者(漢字) 平野,太一
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,タイチ
標題(和) 複雑流体における並進・回転自由度間結合に関する研究
標題(洋)
報告番号 217103
報告番号 乙17103
学位授与日 2009.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17103号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 酒井,啓司
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 特任講師 奥薗,透
内容要旨 要旨を表示する

液晶,高分子,ミセルなどのソフトマテリアルと呼ばれる物質群は,電場や磁場などの外場に対して大きな感受率を有するため,ディスプレイ,スイッチング素子,光メモリなどのデバイスに利用されることが多い.また,その自己組織化的な特異構造が環境に応じて相変化を示すことから,新規の機能性材料としても注目を集めている.このような観点から,分子あるいは分子集合体の形状異方性に起因する異方特性を定量的に評価するための理論的記述及び測定技術が求められている.近年の研究により,異方性が生む分子回転の自由度と分子の並進運動とが,比較的強い相互作用により影響を及ぼしあっていることが明らかになってきた.本論文では,この並進運動と回転運動の自由度間結合を研究対象とし,四種類の実験装置を駆使して結合現象に関する多方面からの観察・測定を行った.

液晶等方相における三種粘性係数の決定

両自由度間の結合過程を支配する物理量は,ずり粘性η,回転粘性ν,結合粘性μと呼ばれる三つの粘性係数である.ずり粘性だけが測定可能で理論的な解釈も進んでいる一方,回転,結合の粘性値に関しては定量的な議論すら進められないという背景があった.そのため実験的に測ることのできる二種類の結合パラメータの値とずり粘性値とを組み合わせて,回転粘性と結合粘性の絶対値を決定可能とする測定システムの確立を目指し,成功した.

結合パラメータの一つは,熱揺らぎ下で繰り返されるずり流れと配向変化の生成・消滅を捉えることで求まり,C1=2μ2/ηνと表される.光ビート分光法を用いた動的光散乱測定装置を使用し,C1を求めた.本装置は1kHzという非常に高い周波数分解能を達成しており,散乱スペクトルのゼロ周波数付近を詳細に調べる必要のあるC1の測定に適している.この利点を生かし,シアノビフェニル系液晶3CB~8CBの等方相において,C1絶対値の決定に加えて温度依存性や分子形状依存性についての測定も行った.温度依存性には液晶Isotopic-to-Nematic相転移にともなう臨界挙動が表れること,分子形状依存性には末端アルキル鎖の方向に対応した偶奇効果が表れることが明らかになった.

もう一つの結合パラメータC2=μ/νは,流れから配向へと一方的に伝わる運動量輸送過程の伝達効率から求まる.表面張力波の伝搬に伴って起こるずり流れから結合を介して誘起される分子配向を測定するという新手法を用いて,C2を求めた.本手法では,一般的な流動複屈折装置では測定困難な値である歪み速度の絶対値を容易に決定できるため,C2の正確な値が得られる.また,表面波の伝搬方向に対して配向のプロファイル測定を行うことで,減衰率からずり粘性の値も求められる.以上の測定結果により6CBの全ての粘性係数η,ν,μの挙動を明らかにした.本研究により,全ての粘性係数値が(Pa s)という通常の粘性の単位で定量的に評価・比較可能となったことの意義は極めて高い.各粘性値の温度依存性に関しても考察を行い,それぞれについて活性化エネルギーの値を求めることに成功した.また,C2の臨界指数値がC1の臨界指数値のちょうど半分になったことから,臨界挙動を示すのは結合粘性だけであるという結論に達した.

高速ずり流れ下での結合挙動

結合や回転の輸送係数がずり粘性と同じ次元を持つ物理量として定義されるのであれば,その周波数応答とずり速度依存性との対応は興味深い研究テーマである.周波数応答に関してはMHzを超える領域においても定性的な結果がいくつか報告されていた.一方,ずり速度依存性については乱流の影響を取り除くことが困難であり,低ずり速度下での実験しか行われていなかった.そこで,微小液滴マニピュレーション法により実現可能となった高速ずり場下での液体挙動観察を利用した.直径10 μm程度の微小液滴同士を正面衝突させた場合に引き起こされる105~106 s-1オーダーの歪み速度によって,等方相状態の6CB液滴内にマクロな配向秩序が誘起される様子を観察することに成功した.この実験結果は,自らが上述の手順で求めたν,μの値を用いた理論的予測とほぼ一致しているため,回転粘性も結合粘性も106 s-1程度の流動場まではずり速度依存性を持たず一定値を保っている可能性が高い.

ひもミセル溶液の結合挙動

四重極ピエゾ駆動による流動複屈折測定装置は,表面波励起による測定と同様の結合パラメータC2を求められるだけでなく,侵入長を考慮する必要のない純ずり歪みを印加できるため,結合現象のスペクトロスコピーが可能となる.本装置による液晶等方相の測定は既に行われており,装置限界の数100 kHzまで複屈折の値がずり流れの周波数に比例して大きくなることが確認されている.液晶とは異なる性質の異方性を示す試料として,分子集合体の典型例であるひもミセル溶液を使用し,ピエゾ駆動法による測定を行った.得られたスペクトルには,通常の流れ誘起複屈折緩和曲線の他に,共振的な振る舞いを表す曲線も見られた.想定していた複屈折信号は流れ(歪み速度)に追随するのに対し,観察された共振ピークはピエゾ変位量そのものに追随するため,両曲線の実部と虚部が入れ替わった状態で重ね合わさった特異なスペクトルとなる.共振器長に相当するピエゾ素子のギャップ間距離を変えながら測定,解析を行い,この現象がひもミセルの絡み合いによる擬似的な弾性率に起因した光弾性効果によるものであることを明らかにした.

以上のように,本論文に記す研究により結合過程に関わる全ての粘性係数を決定する測定スキームの確立,液晶液滴内での流れ誘起配向秩序観察,ひもミセル溶液の緩和・共振複屈折スペクトルの解析を行った.本研究で実現可能となった多視点からの結合測定・観察の新技術は,複雑流体の自由度相関メカニズムを解明する有効な手段になる.

図1.結合パラメータの臨界挙動

図2.6CB等方相での粘性係数値

図3.等方相状態の液晶液滴と高速射出させた水滴の衝突の様子.上側が通常の顕微鏡像,下側がクロスニコル像.数μsの間だけ分子配向が検出された.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「複雑流体における並進・回転自由度間結合に関する研究」と題し、四種類の新しい実験手法を用いて、流体内の流動と分子配向の結合の大きさを支配する粘性係数を測定すること、およびその物理的起源を分子レベルで考察・検証することを目的として行われたものである。

液晶、高分子、ミセルなどの複雑流体と呼称される物質群では、分子が持つ形状異方性によって自己組織化的な秩序形成を行うことが知られている。この起源となる自由度間の結合は、相転移に関する理論モデルの典型例として学術的な関心を集めているだけでなく、新しい材料の機能・構造が発現するといった面から材料学的な応用への期待も高い。

近年の研究により、このような系では形状異方性によって顕著になった分子回転と流体の基本モードである並進運動とが、比較的強い相互作用により影響を及ぼしあっていることが明らかになってきた。その分子ダイナミクスをより正確に論じるためには、よく知られたずり粘性と同じ次元を持つ輸送係数である、回転粘性と結合粘性も考慮する必要がある。しかし、それらの値を直接測定する手法が存在しないため、定量的な評価や比較が行えないという問題点があった。このような背景から、本研究では回転や結合の粘性値をそれぞれ独立に求める実験的手法の確立を第一に目指した。また、種々の実験的アプローチを行い、並進・回転自由度間結合に関する多視点からの観察を試みた。

本論文は8章から構成されている。

第1章は「緒言」であり、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べられている。

第2章は「ずり流れと分子配向の結合」と題し,結合現象の理論的記述に成功したde Gennesの構成方程式と回転粘性・結合粘性の定義について取り上げ、ずり粘性も含めた三種類の粘性係数と実験によって測定可能な二種類の結合パラメータとの関連づけが行われている。

第3章は「各種実験装置による結合測定の原理と手法」と題し、本研究で使用した四種類の実験手法の測定原理および結合挙動を観察するための工夫や改良点が詳細に記述されている。すなわち、光ビート分光法を用いた動的光散乱測定システム、表面波励起法による流れ誘起配向測定装置、四重極ピエゾ駆動による流動複屈折スペクトロスコピー法、微小液滴マニピュレーション技術を用いた超高速ずり誘起配向観察装置のそれぞれについて、測定結果の解析に必要な理論式の導出が行われている。

第4章は「試料」と題し、実験に用いたシアノビフェニル系液晶群とCTABひもミセル溶液について、形状特性あるいは温度特性などが記述されている。

第5章では「液晶等方相における三種粘性係数値の決定」と題し、シアノビフェニル系液晶のうち6CBの等方相における全粘性係数を決定するために行った測定結果がまとめられている。結合パラメータの一つを動的光散乱法で測定し、もう一つの結合パラメータとずり粘性の測定を表面波励起法で行い、求めた実験値を組み合わせることで理論的な予測や相対的な補正の無い、粘性係数の絶対値が決定されている。また、測定結果の温度依存性についても記述されており、液晶相転移温度近傍で結合パラメータが臨界異常性を示すこと、その臨界挙動は結合粘性のみに起因することが明らかにされた。さらに本章では、光散乱法から求まる結合パラメータと分子形状異方性との関連についても系統的な測定が行われ、3CBから8CBまで分子末端のアルキル鎖の増加に伴い、結合の大きさが線形にでは無く階段状に増えていくという傾向(偶奇効果)を示すことが明らかにされている。

第6章では「高速ずり流れ下での結合挙動」と題し、直径10μm程度の微小液滴同士を正面衝突させた場合に引き起こされる106s-1オーダーの歪み速度によって、等方相状態の6CB液滴内部に、結合を介して誘起される配向秩序を観察した様子が記述されている。この結果が、前章で得られた回転粘性と結合粘性の値を用いた理論的な予測とほぼ一致するという事実により、両粘性係数は実験を行った歪み速度の値までは、流速の影響を受けず一定値を保つという結論が得られている。

第7章では「ひもミセル溶液の結合挙動」と題し、液晶とは異なる性質の異方特性を示す流体として、ひもミセル溶液における結合挙動のスペクトロスコピーが行われ、特異的な共振ピークに関する詳細な検証結果が記述されている。ずり場の駆動源であるピエゾ素子に挟まれた領域のサイズ、およびひもミセル溶液の濃度を変えながら測定、解析が行われ、共振ピーク出現の原因がミセルの絡み合いによる擬似的な弾性であるという結論が得られている。

第8章は「結言」であり、本論文の内容を簡潔にまとめている。

以上のように、本研究では複雑流体における自由度相関の典型例である、並進運動と回転運動の結合に着目して独自の測定法を開発し、結合過程を支配する全粘性係数の絶対値を決定可能にする実験的手法を確立している。また、同じ結合現象に対して視点の異なる観察を行い、物理学的に興味深い知見を得ると同時に、それぞれの実験・観察システムの測定精度の高さについても検証している。本研究の成果は、現象論的にしか定義されていなかった新しい粘性係数の定量的な評価を可能にした点で、複雑流体系の物理学のさらなる発展につながる可能性が高く、したがって、物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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