学位論文要旨



No 217107
著者(漢字) 小川,隆
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,タカシ
標題(和) 語録の思想史 : 中國禪宗文献の研究
標題(洋)
報告番号 217107
報告番号 乙17107
学位授与日 2009.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17107号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 准教授 横手,裕
 東京大学 准教授 大西,克也
 東洋文化研究所 教授 丘山,新
内容要旨 要旨を表示する

禪は一般に、坐禪によって悟りをめざす宗教だとされている。しかし、坐禪・禪定という行の實踐は、特に禪宗に限られたものではなく、さらには佛教に獨自のものでさえない。文獻としてのこされているものを看るかぎり、禪宗のきわだった特徴は、坐禪よりも、むしろ禪僧どうしの問答にこそあったと思われる。

むろん、問答の前提に、坐禪と作務(さむ)からなる修行生活があったであろうことを否定する必要はない。現時點で自らの開悟を目指すのなら、今日でもやはり、自らその道を行くべきであろう。だが、かつて歴史上に存在した禪宗思想について考えようとするならば、我々に與えられた道は、書物としてのこされたものを虚心に讀み解くことの外にはない。そして、書物のなかで看るかぎり、禪僧の修行はそれのみでは完結せず、多くは問答を契機として道を得ることで、はじめてその最終的な達成を見るのである。したがって、歴史上の禪を學問的に研究しようとするならば、禪の語録のうちに集積された問答群の解讀によって、禪というものがそれぞれの時代に、如何に捉えられ表現されてきたかを考えるという作業を、必ず基礎とせねばならぬのである。

本研究は、まさにそうした基礎的作業を試みたものに外ならない。禪は論理と時空を超越したものだと、しばしば説かれる。だが、少なくとも語録に記された問答には、言葉としての意味と脈絡があり、時代ごとの思惟と表現の差異がみとめられる。本研究は禪宗の最盛期である中國の唐・宋代の代表的文獻から、それぞれの時代の禪宗の思惟と表現を讀み取り、それが二〇世紀にどのような形で理解・再編されて今日の禪言説に連なっているかを考えようとするものである。それは嚴密に言えば、禪そのものの歴史というよりも、禪者の「言葉」を傳承し編集し解釋した人々の集團的思惟の歴史というべきものであり、本研究を「禪の思想史」でなく、敢えて「語録の思想史」と題した理由がここにある。論文は次の四つの章から構成されるが、いずれの場合も、各文獻の語句と文脈に密着してその思惟と情緒を追跡することを趣旨とし、形而上學的思辨による抽象的論述とは一線を畫することを身上とする。

(1) 序論 庭前の栢樹子(はくじゅし) ――いま、禪の語録をどう讀むか――

「庭前の栢樹子」と稱される有名な禪問答を題材として、禪語録の解讀の方法について論ずる。同じ禪問答でも、唐代と宋代では思惟と表現が大きく異なる。唐代の禪問答は、禪宗内で共有されていた問題意識のもとで問答どうしが關連しあっており、その脈絡を復原しながら讀み解くことで、一見意味不明な禪問答も、實は有意味なものとして理解されうる。しかし、宋代にいたると、同じ問答が個別の斷片として扱われ、不可解ゆえに意味や論理を超越しうるものとされるようになる。この種の考えは、二〇世紀における禪言説の原型ともなっている。

(2) 第一章 『祖(そ)堂(どう)集(しゅう)』と唐代の禪

中國禪宗の原初の息吹きを最もよく傳えると評される五代の禪宗史書『祖堂集』を主な材料として、唐代禪宗の思想について考察する。

第一節「馬(ば)祖(そ)系の禪」は、唐代禪宗の主流となった馬(ば)祖(そ)道(どう)一(いつ)とその門流の禪について論ずる。馬祖の禪は一言でいえば「即(そく)心(しん)是(ぜ)佛(ぶつ)」、すなわちありのままの自己の心こそが佛だとするものである。その考えは、身心の平常の營みをそのまま佛(ぶつ)作(さ)佛(ぶつ)行(ぎょう)とみなす「作(さ)用(ゆう)即(そく)性(しょう)」説や、外なる聖性への追求を一切やめ、ありのままの状態に自足することを理想とする「平(びょう)常(じょう)無(ぶ)事(じ)」の説などとして表現される。ただし、こうしたありかたには、馬祖の弟子たちの間から懷疑や批判も提出されるようになり、自己の現實態に對する即自的是認と超越的克服という、その後の禪宗思想史を構成する二本の對立軸が示される。

第二節「石頭(せきとう)系の禪」では、馬祖禪から分立し、唐代禪宗の第二の主流を形成する石(せき)頭(とう)希(き)遷(せん)の系統について考える。馬祖禪が自己の本來性と現實態の無媒介の等置を趣旨とするものだとすれば、石頭系の禪は、その兩者を玄妙な不即不離、不一不二の關係ととらえようとするものである。「本來人(ほんらいにん)」「主人公(しゅじんこう)」――すなわち現實態の自己を離れず、しかし、それでいて、それとは次元を異にする本來性の自己――その探求がこの系統の顯著な特色となっている。

(3) 第二章 『碧(へき)巖(がん)録(ろく)』と宋代の禪

禪の思想と氣風は、北宋期において大きく變わる。それはひとことで言えば、ありのままの自己肯定を基調とする唐代の禪から、超越的な大悟の體驗を志向する宋代的な禪への轉換といってよい。むろん、それは一朝一夕の變化でなく、北宋期を通じての種々の演變の結果であり、ここではその過程を、宋代の最も代表的な禪籍のひとつ『碧巖録』のなかから讀み取ることを試みる。

まず、第一節「禪者の後悔――『碧巖録』第九十八則をめぐって――」で、唐代の問答が宋代禪籍において大きく趣旨を讀み變えられていった實例を紹介し、つづいて第二節「〈百丈(ひゃくじょう)野(や)鴨子(おうす)〉の話と作用即性説批判」では、『碧巖録』が馬祖禪ふうの「作用即性」説を批判していること、第三節「〈趙(じょう)州(しゅう)七(しち)斤(きん)布(ふ)衫(さん)〉の話と無事禪批判」および第四節「圜悟における無事禪批判と無事の理念」では、同書が「無事」への安住を激しく批判しつつ、劇的な大悟の體驗を要求していることを論證する。ただし、『碧巖録』も、究極的には「無事」への歸着を理想としており、そのために「無事」(0度)→「大悟」(一八〇度)→「無事」(三六〇度)という圓環の論理が提示されている。この論理は、北宋期の禪門の巨視的動向を総括する意味をもっており、二〇世紀の禪言説でもしばしば踏襲されるものである。

最後に第五節「『碧巖録』における活(かっ)句(く)の説」で、宋代禪の「活句」について考える。本來有意味であったはずの唐代の禪問答も、宋代の禪門ではひとしなみに、沒意味的・脱論理的な「活句」として扱われるようになり、『碧巖録』はそうした「活句」の參究を、「無事」を打破し「大悟」をもたらす重要な契機と位置づける。その説がやがて方法化されて大(だい)慧(え)宗(そう)杲(こう)の「看(かん)話(な)」禪となり、その後の禪のありかたを決定づけることになるのであった。

(4) 第三章 胡(こ)適(てき)と大(だい)拙(せつ) ――二〇世紀の禪――

禪が宗門の枠を超え、ひろく學術界・思想界一般の關心事に加わるのは二〇世紀になってのことであり、中國禪宗文獻に對する今日の理解は、二〇世紀に再構成された禪言説に大きく規定されている。それを對象化して再檢討することなしに、過去の禪籍に虚心に向き合うことは難しい。そこで、ここでは、そうした二〇世紀的禪言説の形成に最も大きな影響のあった、胡適と鈴木大拙の二人について考える。結論からいえば、二〇世紀的禪言説とは、上記のような宋代的禪を西洋近代的思考と組み合わせようとしたものであったと看ることができる。

今日、禪を學問的に扱おうとする場合、嚴密な文獻批判と史實の考證によって客觀的・實證的な論述を行うことが常識となっている。第一節「胡適の禪宗史研究」では、胡適が清朝考證學の手法とプラグマティズムの思考を武器としながらそうした研究方法を確立していった状況を檢證し、それと同時に、胡適の禪理解が、思想的内實を輕視し、禪を開悟の方法論としてのみ捉えるという偏向を含んでいたことを解明する。その原因は、内容の差異よりも方法の差異として思想を評價しようとする胡適流プラグマティズムの思考と、大慧流の「看話」禪を禪理解の無意識の前提としていた當時の通念に求められる。

一九五〇年代に胡適と大拙の間でかわされた論爭は、禪宗研究至上の有名な話題として語り繼がれている。その爭點は往々、胡適の合理主義・歴史主義と大拙の直觀主義・體驗主義という對立圖式で捉えられがちだが、實はその奧に、如何に西洋近代に對應するかという共通の課題があったことが見落とされてはならない。ここでは第一節後半でその問題にふれた後、さらに第二節「鈴木大拙の〈禪思想〉」で大拙の思想について考察する。大拙はしばしば西洋近代の限界を指摘し、それをのりこえるものとして「禪思想」を説いている。しかし、「般若(はんにゃ)即(そく)非(ひ)」「無(む)分(ふん)別(べつ)の分(ふん)別(べつ)」「眞(しん)空(くう)妙用(みょうゆう)」など、多彩な造語を驅使して書かれたその所説は、實は宋代禪ふうの圓環の論理を用いながら禪と近代文明の連動を企圖するものだったのであり、そこには、戰爭という名の歪曲された近代とも、そのまま連動してしまう危うさが潜んでいたのであった。

以上が本論文の梗概であるが、しばしば指摘されるように、敦煌出土の初期禪宗文獻と馬祖禪以後の傳世資料との間には、決定的な質的斷絶がある。本論文が論じたのは、もっぱら馬祖以後の、いわば禪宗が禪宗として確立された後の時代の文獻であり、異なった分析方法を必要とするそれ以前の禪宗については扱っていない。それについては、すでに『神(じん)會(ね)―敦煌文獻と初期の禪宗史』(臨川書店、唐代の禪僧二、二〇〇七年)で獨立に詳論してあるので、それを參考論文として本論文とともに提出する。そこでは最初期の禪宗の登場から馬祖禪の成立までの過程が述べてあり、時代的に本論文に直接連續する内容となっている。

審査要旨 要旨を表示する

小川隆氏の「語録の思想史 ――中國禪宗文獻の研究――」は、原典の精読によって、唐宋代の禅宗の思想史および20世紀におけるその再解釈の様相を考察した研究である。一般に難解なるもの、さらには不可解なるものの代名詞のごとくに言われる禅の語録だが、本論文は、時代ごとに文献を限定し、それを唐宋代の語義・語法をふまえて語学的に解読しつつ、関連の問答を相関的・連鎖的に解釈するという独自の手法によって、その学問的な解読に成功を収めている。

論文はまず「序論」で禅宗語録の解読方法について論ずる。唐代の禅においては禅宗内の共通の問題意識のもとで問答どうしが互いに関連しあっており、その脈絡を復原しながら複数の問答を相関的に読むことで、一見不可解な問答も、実は有意味なものとして解読可能であることが実証される。しかし、宋代になると同じ問答が非脈絡的・脱論理的なものとして扱われるようになり、そうした考えが現代における「禅」言説の暗黙の前提になってゆく、という本論文の見通しがあわせてここに提示される。

つづく本論は全三章より成る。第一章では十世紀半ばに編纂された『祖堂集』を主な材料としつつ唐代の禅宗について論ずる。唐代禅の第一の主流である馬祖系の禅とそれに対抗して後起した第二の主流である石頭系の禅、それぞれの特質が多くの問答の解読を通して分析される。従来は漠然と師承系譜上の分派と捉えられていた両系統だが、その分岐点が、実は、現実態の自己を即自的に肯定する馬祖系に対し、それとは別次元の「本来」の自己を探求しようとする石頭系、という思想上の対立にあったことがここで解明されている。この指摘は、本論文の優れた創見のひとつである。

第二章では十二世紀初頭に編纂された『碧巌録』を主な材料として宋代禅の思想が論ぜられる。『碧巌録』に「公案」として採られた問答について、唐代禅における原意とその『碧巌録』のなかでの解釈を対比的に検討するというのが、この章の基本的手法である。これによって、唐代禅の文脈のなかでは有意味であった問答が、宋代禅において、本来の文脈から切断された無機質な言葉の断片として扱われるようになり、それがやがて大慧宗杲の「看話禅」に結実するという転換の過程が明確にされる。本章は、その転換が、ありのままの自己をよしとする唐代禅(とくに馬祖系の禅)への反措定という意味をもっていたこと、その対立が止揚されて「肯定→否定→絶対肯定」という宋代禅に特徴的な円環の論理に集約されていったことなどを、多くの実例によって説得的に論じている。

第三章では、20世紀の「禅」言説に大きな影響力をもった胡適と鈴木大拙の禅研究の検証によって、今日における宋代的な禅理解の枠組みが再考される。

以上、本論文は、禅の語録に言葉で表現されたかぎりのものを、どこまでも学問的に厳密に読み解き、作品世界の内面に沈潜するという姿勢で貫かれている。本論文が禅の語録に対して達成した解読の精度とその思想的分析の深度は従来の水準をはるかに超えるものであり、禅宗史研究に対してその貢献はきわめて大きい。禅の語録の思想を中国の思想史・文化史のうえに位置づけるという考察は、今後の課題として残されているが、その成果の大きさにかんがみ、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するのに充分ふさわしいものと判断する。

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