学位論文要旨



No 217109
著者(漢字) 秋元,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) アキモト,ケンタロウ
標題(和) ニュータウンの夢 : アクチュアルな生の様式の社会学的分析
標題(洋)
報告番号 217109
報告番号 乙17109
学位授与日 2009.02.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17109号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内田,隆三
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 准教授 佐藤,俊樹
 東京大学 准教授 市野川,容孝
 東京大学 准教授 清水,剛
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、わたしたちが十分に意識することのできない現在を、過去のこれまで意識されなかった側面の認識をとおしてとらえる試みである。具体的にはヴァルター・ベンヤミンが『パサージュ論』で素描した歴史認識論を方法論上の手がかりに、高度経済成長期にあらわれた多摩ニュータウンを分析上の起点にしながら、日清戦争から満州事変を経て今日のグローバル企業に至るまで日本にあらわれた極端ないくつかの夢の現在化 (Aktualisierung)を試みたものである。

多摩ニュータウンは、当初、都市に集中した人口の吸収を第一の目的に東京郊外に計画された国家主導の都市開発プロジェクトであった。しかし、70年代からはじまった経済領域からの国家の後退とともに、多摩ニュータウンはあらたな生の様式を都市的なスケールをもった新奇な住空間のかたちで売る経営プランとなった。80年代、首都改造があたらしい夢のイメージに定まると、多摩ニュータウンは改造後の首都の視覚的イメージとして行政やマス・メディアの関心を集めた。80年代後半、多摩ニュータウンは、都心から波及した土地バブルのなか、既存の国家像、宗教像、都市像をつぎつぎに解体しながらその新奇さの程度を高め、昭和の終わった89年に飽和した。多摩ニュータウンは、経済大国を夢見る国民にとって、未来の生活の最新の視覚的イメージを提示する都市であった。

このように多摩ニュータウンは、経済大国化という夢のなかで計画され、70年代の世界的経済変動によって計画の変容を余儀なくされ、80年代の首都改造の夢の膨張とともにそのイメージを膨らませていった。いいかえれば多摩ニュータウンは、同時代の経済のうごきと軌を一にしながら、同時代の願望を最新のかたちで視覚化する都市であった。こうした経済大国の歩みの同時代的表現という役割を担った多摩ニュータウンは、経済大国の夢の挫折とともに急速に色褪せていった。

しかし多摩ニュータウンは、こうした同時代性の表現とは異なる意味、つまり、わたしたちがまだあまり意識したことのない歴史的意味も同時に持っていた。それは多摩ニュータウンの前後に位置するふたつの集団の夢の橋渡しとしての意味、その媒介としての意味である。このふたつの集団の夢は、資本のイメージを媒介に見出された夢であった。

多摩ニュータウンが媒介する一つめの集団の夢は「東洋の盟主」という夢である。それは国家を同一化の対象とする集団の夢であり、天皇が率いる国家が軍事力によって膨張し世界制覇をするという夢であった。ここで資本のイメージは国家に重ねられていた。「東洋の盟主」という夢は日清・日露戦争後から形成されるふたつの夢を源泉としていた。

第一の源泉となる夢は植民地支配のなかで生まれた。日清戦争の勝利は日本に初の近代植民地台湾をもたらした。台湾民政長官となった内務省衛生官僚出身の後藤新平は、社会ダーウィニズムを思想的根拠にした独自の衛生政策によって、台湾の政治支配と産業化に成功する。それは、衛生を近代性の尺度にした神話をつくることで彼我の地位を転倒し、政治テクノロジーを駆使することでかつての中華帝国の文化を日本の従属下に組み入れる試みであった。日露戦争の勝利で中国東北部の鉄道の租借権を手に入れると、後藤は南満州鉄道株式会社の初代総裁として、台湾でおこなった統治政策を都市改造中心に編成し定式化したもの(「文装的武備」)を実施する。新しい神話を媒介にかつての帝国を自国の植民地にした経験は、近代的なテクノロジーの駆使によって、歴史のなかで培われてきた心性も風景も一新しうるという夢を形成した。

「東洋の盟主」という夢の第二の源泉は、革命計画のなかで形成された。日清・日露戦争の勝利と帝国主義国への参入は、国内に急激な産業化をもたらし、さまざまな社会問題を引き起こした。そうしたなか、社会主義思想に感化された北一輝は『国体論及び純正社会主義』で天皇ではなく国民を中心とした新国家像を描きはじめる。北は明治政府の弾圧を受けると中国の辛亥革命に加わり、第一次大戦後、『国家改造案原理大綱』を提示する。それは天皇大権を至上の暴力としてとらえ、その駆動によって大資本を形成し、日本を新国家にするという革命計画であった。この革命計画は、北に感化された青年のテロ行為の結果、天皇中心の国家改造運動として青年将校にひろまり、最終的には陸軍将校石原莞爾の手で世界制覇のための戦争計画となった。北が、社会主義思想と革命の経験をもとに神話的な言説に鍛えあげていった革命計画は、天皇に率いられた国民が暴力と資本の力によって既存の世界秩序を軍事力で一新するという夢を形成したのである。

こうした二つの源泉は、石原の戦争計画を実行した満州事変が結果的に生みだした満州国のなかで浸透し合い、「東洋の盟主」という夢のキャラクターを生んだ。ここに含まれる問題解決のためには暴力の行使をためらわないという態度は、1920年代のデモクラシーの破綻と慢性的な経済不況、国際的孤立のなかにあった国民にとって、あたらしいものに映った。またそこから連想される大アジア主義は、欧米に愛憎半ばする思いを持ち、国内に希望を見いだせなかったエリートにとっては、従来の経済・政治・文化を一新するという意味であらたな希望として映った。新国家建国に帰着した満州事変は国民をあたらしさの仮象につつまれた「東洋の盟主」になるという集団の夢、具体的には戦線をつぎつぎに拡大する全面戦争に引き込むことになった。満州国、殊にその国都新京は、この集団の夢を、日本国内に先立って都市として可視化する場、改造後の国民の新生活を提示する夢のイメージとなった。

「東洋の盟主」という集団の夢は敗戦とアメリカ軍による占領政策によって挫折する。しかし、天皇の国家を同一化の対象とする願望は消えず、軍事力から経済力への力点の移動を経て、60年代に「経済大国」というあらたな集団の夢となる。多摩ニュータウンは、「東洋の盟主」という集団の夢を都市のかたちで視覚化した新京の役割を、視覚化の対象を「経済大国」に替えて継続する歴史的意味を持っていた。

多摩ニュータウンが媒介するもう一つの夢、「経済大国」の夢に続く集団の夢は、90年代後半にうまれた、まだ名づけようのない夢である。それは国家という共通のものではなく、多様なキャラクターを同一化の対象としており、個人の「価値の高まり」だけを共通のものとする集団の夢である。

このような「価値増殖」を夢みさせるキャラクターは、多摩ニュータウンにビジネス・チャンスをみて進出した企業と、土地バブルの崩壊で国家という同一化の対象を失った顧客のあいだで、情報技術の急速な拡がりのなかでつくられていった。その集団化は、子供向けのキャラクターを大人向けに転倒した「キティ」のブームというかたちではじめて顕在化した。それは、あたらしい成熟のイメージの見いだせない若い女性やNIES諸国の若者を、無垢のイメージをつけた商品の際限のない蒐集へと誘うことで、企業が膨張するというかたちをとった。

現在、価値増殖するキャラクターは、それを媒介にしたひとつのビジネス・モデルを構築しつつある。それは顧客がより価値の高いキャラクター商品を、社員がより有能な社員のキャラクターを、そして企業経営者がより優れた経営者というキャラクターを追い求めることで、企業の利益率がおのずと上がり、企業資産が加速度的に膨らんでいくというありかたである。このビジネスのありかたは、顧客、社員、経営者がそれぞれ更新されたキャラクターに同一化するたびにその生が価値増殖の運動に類似し、企業というかたちをとった資本も膨らんでいくというあたらしい集団の夢のかたちである。多摩ニュータウンは、それぞれが別の夢を見ながら、総体として価値増殖を唯一の目的とするあらたな夢の宿り木としての役割を他方で持っていた。

こうした多摩ニュータウンがもつふたつの集団の夢の過渡的形態には、わたしたちが国家を同一化の対象とする夢からようやく覚めると同時に、価値増殖の夢により深くとらわれつつある現在の危機が示されている。しかし現在がこのような危機の瞬間として認識されるとき、多摩ニュータウンに浸透しているいくつかの夢は別の側面を示す。それは挫折した根源的な願望の夢の形成というかたちをとったやり直しの側面である。それは眠りのなかで行われる「夢の作業」と同様、わたしたちの意図に従わず、わたしたちに刻まれた経験の衝撃、すなわち歴史が強いるものである。

こうした側面から多摩ニュータウンに浸透した夢を見るとき、たとえば「東洋の盟主」というキャラクターには西洋諸国の主導で行われてきたグローバリズムを平等にやり直すという願望が、他方の「資本」に類似するキャラクターには個人が国家と同一化することなく生の様式化をやり直すという願望がおぼろげに見出される。もちろん、こうした根源的願望は、これまで「資本」に媒介されて見出された神話と浸透しあったかたちでのみあらわれてきたし、今後も純粋なかたちであらわれることはない。しかし、こうした夢はわたしたちがそれぞれ生の様式として選ぶ「資本」との距離に応じて、古びた神話としても、アクチュアルな課題としても現れるものである。

多摩ニュータウンを媒介に見出される夢は、現在の危機の認識とのかかわりにおいてとらえるとき、わたしたちを終わりのない神話のなかに拘束する運命の徴ではなく、わたしたちのまなざしを過去へひらき、わたしたちの現在の位置や課題を浮かび上がらせるメディアとなりうる。この意味でニュータウンは、圧縮された過去の夢を解読すべき都市だといえよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』等で示された歴史認識論に準拠し、高度成長期にその計画がはじまった東京郊外の多摩ニュータウンについて、そこで営まれる人々の「生の様式」(life style)という視点から解読を試みたものである。それは多摩ニュータウンという場所に込められた集団の夢を、その歴史的な系譜において、また現在そこで展開されている可能性と限界を視野に入れながら、解読する試みとなっている。

本論文によれば、多摩ニュータウンという大規模な都市開発は、計画の当初、増大する人口の吸収を目的としたが、1970年代以降はたんに生活の必要だけでなく、むしろ人々が自分自身の生の様式をもちうる場を提供するというかたちで展開していった。この生の様式には、日本が経済大国になり、人々がその恩恵に浴すという、当時の集団の夢が込められていた。だが、こうした夢はその時代だけの現象ではなかった。たとえば旧満州帝国の国都、新京の建設に託された「新都市」の夢があり、またその背景には第一次大戦後の「国家改造」の夢があった。本論文は、このような新都市や改造の夢を下敷きとして、多摩ニュータウンの開発に託された夢のかたちを分析する。また加えて、多摩ニュータウンにある代表的な企業の経営戦略を通じて浮上した、豊かさや、無垢や、新生のファンタスマゴリーを、ニュータウンの夢の更新されたかたちとして解読しようとする。

本論文はこのように現代社会論の試みであるが、同時に、社会学において独自の方法的なスタンスを確保しようとする側面をもっている。本論文はその方法的な立場が、(1)現在の対象を特定の〈過去〉の因果的な結果とする歴史主義の類でもなければ、(2)現在の対象をその基盤にある〈構造〉の現れと捉えるマルクス主義的分析でもないことを強調する。また、(3)消費社会、管理社会、情報化社会といった一定のまとまった社会イメージを前提とし、それに準拠して〈現在〉のありようを解読するものでもないことを強調する。

すなわち、第一に、本論文は、現在と関連のある特定の〈過去〉を解読することを通して、現在を認識するという姿勢を貫く。それは現在のアクチュアルな出来事を、歴史のなかでかたちを変えてくり返し現れる集団の夢の一つと捉え、それに連関するいくつかの夢の歴史的な配置(Konstellation)のなかに置きなおして、その意味を認識しようとするものである。第二に、本論文は、現在における生の変容について、物象化論に見られるような存立構造を通してその意味を解読する視点はとらず、むしろ歴史の具体的な配置のなかにその理解可能性の場を求めようとする。第三に、本論文は、一つの生の様式を捉えるに際して、既成の社会イメージやそれと結びつくシステム論的な条件を外挿的に適用することを避ける。むしろ、その過去や未来に現れる生の様式や夢のかたちとの類似と差異において、その意味や限界を見定めようとするのである。

本論文は、はじめに、その課題や、方法的な視点、分析対象を提示している。まず、〈資本〉を「集団の夢」の実現を規則とするゲームと捉え、このゲームとの関係で人々の生がどのような様式をもつのかという問いが掲げられる。次に、この問いに応えるためにベンヤミンの歴史認識論に準拠し、またその分析対象として多摩ニュータウンが選ばれる。そして多摩ニュータウンを起点とするとき、五つの主題が歴史的な連関のもとに浮かび上がるという。すなわち、(1)19世紀末から20世紀初頭にかけての台湾や満州の植民地計画、(2)第一次大戦後の国家改造計画、(3)満州事変から高度成長期にかけての国家による新都市建設、(4)1970年代以降の多摩ニュータウンの改造、(5)1990年代以降の多摩ニュータウンに拠点をもつ企業によるキャラクター・ビジネスである。これらの主題の連関を念頭にして、本論文では、第1章で「改造の夢」を、第2章で「国家の新都市」を、第3章で「ニュータウンの改造」を、第4章で「企業のニュータウン」を分析することになる。

第1章では、「新都市」の前史をなす、(1)日清戦争後の国民=国家主義の形成、(2)第一次大戦後における国民=国家主義の変容が捉えられる。第一の局面では、後藤新平を通して「新都市の建設」に帰着する国民=国家主義のありようが論じられる。後藤は植民地台湾の統治に際し、衛生政策をベースとした新都市建設を指導し、同時代の集団の夢の源泉となった人物である。第二の局面では、北一輝の試みを通して「暴力による秩序の改造」へと帰着する国民=国家主義の変容の経過が論じられる。北の思想は、天皇大権に媒介された資本主義の統御にもとづく国家改造計画を構想し、同時代の集団の夢の重要な源泉となった。

第2章では、(1)満州における新京の建設にはじまり、(2)大東亜共栄圏における丹下健三の「大東亜建設忠霊神域」計画案を経て、(3)戦後の多摩ニュータウン(南多摩新都市)の建設計画にいたるプロセスが分析される。ここでは国都新京と多摩ニュータウンの連続性と差異が、(a)政治的な思想、(b)建築学的な構成(空間の分節)という二つの側面において検証される。新京は、北一輝の国家改造計画に共感する関東軍の主導のもとに、後藤新平の都市改造の夢を共有する工学者や技師によって建設され、またその影響を受けて大東亜建設忠霊神域計画が提示されたが、そこには日本が「東洋の盟主」になるという国民=国家主義的な集団の夢が込められていた。戦後も、国家的なプロジェクトの一環として新都市建設の計画が登場するが、そこには敗戦による〈転轍〉があり、「所得倍増」や「経済大国」という新たな夢のかたちが育まれていた。多摩ニュータウンでは所得倍増の夢に呼応する消費中心の都市が構想され、大高正人らのメタボリズムによる都市基盤の構築が提案された。そこで多摩ニュータウンは「経済に場を移した国家改造と、工学的な技術に姿を変えた神話を支えに、戦争と敗戦という忘れたい過去からも、不安な将来の変動からも遊離して成長し続ける夢の都市」という課題を託されたという。

第3章では、1970年代以降、多摩ニュータウンが国家の威信をかけた計画から独立採算を原理とする公的事業の一つとなることで、託される夢のかたちが変化していくプロセスが分析される。このプロセスには二つの時期がある。第一期は経済成長の翳りの影響を受け、77年にはじまった開発方針の見直しの時期である。そこではかつてのような国家を主体とした長期計画による集団の夢の〈統制〉の断念が見られる。一方で、財政上の制約と都市計画上の願望の妥協が求められ、他方で、ニュータウンのイメージとして、過去の「新都市」のアイディアを断片化して組み替えた計画が提示される。第二期は85年以降、バブル経済の頃に重なる時期である。この時期の多摩ニュータウンは、首都改造計画とリンクされ、行政やマスメディアが自らの願望を映す鏡のようになり、未来の生活様式を体現するようなイメージが提供されていった。それらは住民の不満を代償する環境整備(まちづくり)の一環でもあったが、そこで形成された空間イメージは、かつての新京や大東亜建設忠霊神域に見られる過去のイメージとそのさまざまな断片において類似していた。

第4章では、多摩ニュータウンに進出したそごう、サンリオ、ベネッセの経営戦略を取り上げ、バブルの崩壊を契機として、国家と国民という関係ではなく、企業と顧客という関係を通じて集団的な夢の形象が生み出されていくプロセスが分析される。第一に、そごうが提供した「豊かさ」のファンタスマゴリーの膨張と挫折の経過が跡づけられ、第二に、サンリオがキャラクター商品を通じて生み出した「無垢」のファンタスマゴリーや、ベネッセの教育・能力開発のビジネスに見られる「新生」のファンタスマゴリーが分析される。それによれば、サンリオが個人の「生のゲーム」を夢とする方向へ踏み出し、ベネッセがこの夢を純化することで、キャラクター・ビジネスが加速し、キャラクターにかんするファンタスマゴリーが浸透していく。とくに「新生」のファンタスマゴリーでは、顧客はあるべきキャラクターへの同一化を更新することを通じて自分の個人史をたえずやり直すような「生のゲーム」に入っていく。経済大国や豊かさの夢が色褪せたあと、キャラクター・ビジネスは、商品を通じて自分というキャラクターを価値づける生の様式を操作媒体にして発展していくが、本論文はこの転回に新都市の夢の更新のかたちを読み取ろうとするのである。

以上が本論文の結構であるが、その独自の学術的な価値として次の諸点をあげることができよう。第一に、本論文は、多摩ニュータウンという現代の都市開発について、これまでにない方法的な視点から、広範な文献資料を掘り起こし、独自の歴史的な系譜のうちに捉えなおした点で高く評価できよう。それは戦後の高度成長期から満州事変、第一次大戦、日清・日露の戦争といった過去にまで遡り、これまでの都市論や現代社会論が十分に捉えなかった、系譜学的な深さにおいてニュータウンの夢を解読した点で重要な貢献となっている。第二に、本論文は、ベンヤミンの歴史認識論を吸収することにより独自の方法的な視点をつくりあげようとした点でも評価されるべきである。それはまず歴史主義やマルクス主義の分析を相対化し、またシステム論的な条件や特定の社会イメージの外挿的な適用に対して距離を取るといった制約条件を設け、そのうえで現在の対象について、過去の対象との歴史的な連関における類似と差異のうちに位置づけることにより、その意義や限界を浮かび上がらせるという独自な手法を開発している。この点でも、本論文は社会学の歴史認識における貴重な問題提起となっている。第三に、本論文で上記のような歴史的連関が追究されるのは、ベンヤミンが照準したような集団の夢、ないし神話的なイメージの水準においてである。それは特定の社会とその構造に制約されるとしても、むしろ歴史の長い流れに源泉をもつような事実である。本論文はこの神話的なイメージの水準にある事実を、モンタージュ的な視点で分解し、それらの断片の類似と差異を分析することにより、全体的・構造論的な視点では捉えがたい新たな連関を見いだしており、この点でも貴重な貢献となっている。

他方、本論文には次のような問題点もある。第一に、叙述の構造にかかわることだが、分析対象を五つの主題に分節し、それらが星座(Konstellation)をなすというが、その配置を全体として一つの秩序に捉え返す作業が必ずしも十分ではなく、そのために依然として通史的な書き方となっている。神話的なイメージの水準にある歴史記述であれば、年譜的な通史とは異なるより効果的な配列の仕方があり、またそれが叙述をより簡潔でわかりやすくしたのではないかといえよう。第二に、分析の有効性や限界にかかわることだが、満州の国都である新京、東京郊外の多摩ニュータウン、多摩ニュータウンに拠点を置くキャラクター・ビジネスという三つの対象は果たして同列に扱えるのかという疑問が残る。そこにはらまれた生の様式や集団の夢という水準で見れば同列に並ぶともいえるが、だとすれば、それら以外にも連関づけるべき対象がほかにもある可能性があり、それらを除くことの正当性と有効性の吟味がなお必要になるといえよう。第三に、概念の様態にかかわることだが、資本、集団の夢、生の様式といった概念にやや曖昧さが残っており、これらについてより一層の調整が行われれば、さらに簡潔でわかりやすい叙述になったといえよう。

しかしながら、これらの問題点は本論文の結構やその全体的な業績からみれば小さなものにとどまっており、本論文の叙述の一貫性や学術的な価値の高さを損なうものではない。したがって、本審査委員会は、本論文を、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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