学位論文要旨



No 217126
著者(漢字) 堀内,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) ホリウチ,ヒデキ
標題(和) 近世陶磁器の消費に関する考古学的研究
標題(洋)
報告番号 217126
報告番号 乙17126
学位授与日 2009.03.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17126号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今村,啓爾
 東京大学 教授 大貫,静夫
 東京大学 教授 吉田,伸之
 早稲田大学 教授 谷川,章雄
 学習院大学 教授 荒川,正明
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、近世消費遺跡出土陶磁器の考古学的分析を通して、陶磁器消費の動態とその社会・経済・文化史的背景を解明することにある。

本論では、近世都市江戸を中心に論じた。江戸が近世都市として本格的に開発されるようになった契機は、天正18(1590)年に徳川氏が豊臣政権下の大名として、江戸に本拠を置いたことにある。その後、幕府が開かれて以降、江戸は地域政権の都市から徳川幕府の中央都市へと性格を変え、整備されていく。筆者は近代につながる市場経済の発展過程を近世後期の経済動態とみなし、経済システムの成熟度について地域ごとに細かくみていく必要があると考えている。江戸は、18世紀後葉以降こうした流れの中での先駆的な位置づけがされる都市である。

陶磁器は、特に都市遺跡で多量に出土するが、このことは、流通、消費やその変化などに関する情報量を多く持っていると換言できる。本論を通して分析の手法は、数量的方法を主とした。それ以前の時代に比べて膨大な量の規格品が遺物として出土する江戸遺跡のような資料分析では、内容の理解にあたり客観的であり、かつ相違点を明瞭に呈示する手段として有効であると考えている。

第1章では、消費遺跡における陶磁器の分析方法として数量的分析法を呈示し、その目的、分類に続き自律的な段階設定を行った。これは、地域独自の文化的、経済的背景を復元する際に必要かつ有効な作業である。

第2章では、こうした手続きによって得られたデータから大名屋敷における階層性とその生活様式について論じた。江戸藩邸の御殿空間から出土した上質な染付磁器皿、坏、鉢を中心とする揃いの遺物群は、御殿における「消費相」と指摘できる。その背景として大名と都市江戸の性格が指摘される。近世大名は、寛永年間に定められた「江戸置邸妻子収容の法」と参勤交代制度によって、活動の拠点を江戸に置かざるを得ない状況が現出された。「江戸置邸妻子収容の法」では大名の正妻は江戸屋敷で居住することが義務づけられ、次期大名は江戸で誕生し育つことになる。大名となった後、参勤交代制度によって国元と江戸を隔年で往復することになり、大名の活動の中心が将軍への奉公であることを考慮するなら、その拠点は、国元というより江戸にあるといえる。出土遺物様相には、大名の活動拠点(江戸藩邸)と武士の生活様式が反映されている。そして御殿で出土している特徴的な陶磁器出土様相は、多頻度の人生儀礼、年中行事、大名の交際などが要因であることが確認できた。

江戸が都市として成立する過程は、既に文献史から議論されている。しかし、都市の中の活動は、考古学的資料が実態を反映している可能性がある。第3章では、第2章で確認した大名の儀礼様式の展開から、武士の活動を視座に初期の江戸について論じた。加賀藩、尾張藩邸から寛永期(1624~43)に武家儀礼に使った什器が確認できた。この内容は中国天啓~崇禎期(1621~44)の景徳鎮窯磁器のセットであり、寛永期に、それ以降続く江戸武家儀礼様式が成立したと考えられた。その成立と関係する重要な制度として、「江戸置邸妻子収容の法」と参勤交代制度がある。第1章で行った段階設定では、各段階の推定実年代幅には長短が看取されたが、器種の消長で設定した様相の差異や変化は、社会・文化の変化と連動していることが想定できる。すなわち、各段階の時間幅の長短は、産地における陶磁器のニューモデルの投入やモデルチェンジを行った頻度の結果であり、これは消費地における需要の強弱によると理解される。各段階の時間幅の短い17世紀後半と18世紀後葉~19世紀前葉は経済的な活況状態にあり、それが長い18世紀前~中葉は停滞状態にあると判断される。また、段階の時間幅の短い時代の特徴が、17世紀後半では武家地から出土する武家儀礼を行う道具として古九谷、柿右衛門様式をはじめとする上質な磁器に現れるのに対して、18世紀後葉~19世紀前葉では、都市住民の喫茶、飲酒、植木や動物の賞玩など新しい文化的行為の道具として現れた。こうした文化的行為の普及が、経済規模を拡大し、活況状態を醸成したと考えられる。江戸では18世紀中葉~後葉を画期として武家という特定の階層から、広範な都市民へと消費の主体的な需要層が変化したことが、陶磁器消費様態から看取された。

第4章では、陶磁器消費の位相について論じた。特定の時間、空間、階層など同じグループに所属している人たちは、その固有の習慣や規制などから精神的共通性や共通の活動様式が存在すると考えられる。陶磁器を使用して行う諸行為に対しても、共通の特徴が特定の時間、空間、階層などに対応して認められる場合、時代や場や階層などの文化的、社会的、経済的な位相として考えることができる。遊興地の成立は大都市独特の現象であり、特に江戸での隆盛は、その都市としての性格を背景に象徴的に現れたと考えられる。これは、18世紀後葉~19世紀前葉に確認できた都市住民の喫茶、飲酒、植木や動物の賞玩など新しい文化的行為の隆盛と軌を一にした都市的様態であると判断できる。このような遺跡で出土した陶磁器が、遊興地として共通の特徴として抽出できることは、共通の行為を反映していると解釈できる。また、江戸後期に出土する中国清朝磁器は、器種構成、法量、装飾などに偏差があり、その偏在性には特定の用途が想定される。出土事例の増加は行為の頻度の増加と考えられるが、一方で、清朝磁器を模倣した瀬戸・美濃系磁器製品が多く出土する状態が、清朝磁器増加と平行して認められることも看過できない。飲む道具としてこれらは同一の用途が想定でき、量の急増は、急激な行為の普及と考えられるからである。こうした背景には中国文人趣味の文化的影響が想定され、考古資料では植木鉢、煎茶、喫煙に共通の特徴となって表出されると考えられる。

第5章では、「捨てる」行為に至る判断やそれが醸成される情報と意識について論じた。近世におけるモノの使用・消費は、中世以前に比べて多種、多様、多量であり、江戸遺跡など都市では顕著に確認できる。モノの廃棄行為では、行為そのものは遺構の形成過程以前の行動であり、廃棄の場、遺構の形成過程、行為の復元など従来的な研究では、これにアプローチできない。一定の判断によってなされる行為が特例的なものから普遍性を増していくにしたがって、発掘調査においても共通のパターンとして認識されるはずであり、何らかの方法で復元が可能であろう。ここで取り上げた名産品については、江戸後期に『江戸買物独案内』などのガイドブックや名産、名物などの見立て番付など、情報が多く出版されている。これらのメディアに掲載されている評価や情報に対して、見る側に需要があり、当時の人々の価値観が反映されていると考えられる。本論では人がモノを購入する背景になる情報の検討から、江戸の中で醸成された共通の価値観の存在と、それが消費に与えた影響を考察した。また、いわゆる貧乏徳利をケーススタディとして取り上げ、全く欠損していない製品が数多く廃棄されていた状況から、今日的な解釈である「リサイクル社会江戸」に対し、これに反するような意識が江戸の後期に醸成されていたことを指摘した。

江戸遺跡でみられる消費動態は、日本に限ったことではない。膨大な運搬コスト、海難や戦争による損失などの大きなリスクが存在する陶磁器貿易こそ、消費地における需要とそれに対応して大きな利益が見込める商品を選択的に対象としたと推定できる。第6章ではこの問題を取り上げた。ヨーロッパ陶磁器貿易の主体は中国磁器製品であり、中心となる中国景徳鎮窯の生産状況が見えにくい中で、消費地、中継地での状況を復元の手がかりとした。消費地として17世紀の貿易国であるオランダの状況について述べたが、出土する地域、年代、器種、推定生産地などの状況には大きな偏差が認められた。その様相は消費・需要を反映していると考えられるが、最も多く確認された器種はカップ&ソーサーであった。東洋陶磁器が西洋を市場化した要因のひとつは、新しい飲料であるお茶、コーヒー、チョコレートなどとの関係が指摘できる。これら飲料と東洋陶磁器はセットで「飲」様式として普及しており、年代、地域、階層などの分布は、喫茶文化を知る意味でも重要である。

審査要旨 要旨を表示する

堀内秀樹氏は過去25年にわたり東京大学埋蔵文化財調査室に助手・助教として勤務し、江戸時代加賀藩邸・大聖寺藩邸跡の発掘調査に従事してきた。そこで出土した数十万点に及ぶ陶磁器資料について、詳細かつ総合的な分析を進め、それを日本各地の遺跡、ヨーロッパに及ぶ海外での出土資料と比較検討し、近世陶磁器の流通と消費の実態について実証的に解明したのが本研究である。どの時代についても考古学が最初に着手する作業は、遺物を年代順に整理する編年の組み立てであるが、堀内氏は東大本郷キャンパス出土資料の検討から、江戸時代陶磁器を10~20年刻みの16期に配列し、江戸考古学の年代判定のスタンダードとされる、いわゆる「東大編年」構築において中心的役割を果たすとともに、本研究の確固たる土台を築いた。

さらに年代の違いによる陶磁器の様相の違い、大名屋敷の中の地点ごとの廃棄された陶磁器の様相の違い、都市としての機能の異なる地区ごとの様相の違いを縦横に比較検討し、そこに都市としての江戸の建設期、徳川家への臣従を中心とする武家儀礼様式の整備期、続く経済的停滞と倹約政策の時期、経済的活況と町人文化の発展を背景にする陶磁器生産の多様化の時期という年代的な変化を読み取り、同時に大名屋敷内における、儀礼用食器を主とする御殿空間と他の地区の機能の違い、都市空間内での宿場や遊興地などの特性を読み取るとともに、陶磁器に反映された盛り場の成立、商品に関する情報と流行、煎茶など新しい習慣とともに渡来した外国製品とそれを模倣した国産品、植木、動物の愛玩など、江戸の町人文化のさまざまな側面を解明した。

最終章では視野を大きく拡げ、オランダの遺跡で出土した日本・中国製の陶磁器を実地に検討し、沈没した貿易船の積荷の内容とも比較し、ヨーロッパでの嗜好の変化に合わせた陶磁器生産と輸出が行われ、復活する中国製品に対して日本は高級品で対抗し、最終的には現地製品の普及によって東洋陶磁器の輸出が衰退することを解明した。

本研究は、これまでの考古学的陶磁器研究の中心であった生産と流通という側面を超え、消費のありかたに特別な注目を払い、背景にある社会や生活文化、使用者の意識面まで照射した研究として高く評価される。

今後は文献史学による近世史研究の膨大な成果を参照し、物や現場を重ね合わせ、新しい歴史描写を進めるなど、近世考古学の課題には限りがない。そこまで展望すると、本研究は長い道のりの第1歩にすぎないのかもしれない。しかし近世の考古学と呼ばれるものが開始されてまだ35年、堀内氏はそのうちの25年間この新分野の開拓に従事し、陶磁器という物質資料を通して、近世の文化や経済のさまざまな側面が具体的に把握できることを示し、近世考古学をひとつの学問分野として確立させることに大きく貢献した。本審査委員会は、その成果である本論文が博士(文学)の学位を授与するのに十分なものであると認定する。

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