学位論文要旨



No 217131
著者(漢字) 山口,いつ子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,イツコ
標題(和) 情報法の価値と理論
標題(洋)
報告番号 217131
報告番号 乙17131
学位授与日 2009.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 第17131号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱田,純一
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 橋元,良明
 東京大学 教授 長谷部,恭男
 獨協大学 教授 右崎,正博
内容要旨 要旨を表示する

本論文全体を貫くテーマは、「情報法」という観念ないし構想をその基底において支える価値と理論とは何か、ということである。情報に関する包括的な法カテゴリーとして、日本では1960年代以降に進展した社会の情報化に伴って生じる先端的な法的課題に対し、従来の法領域を横断する形で、より総合的・体系的に課題を捉えようとする、「情報法」という新たな法分野が発展してきている。ここでは、今日、日本を含む多くの国々において、インターネットやユビキタス・ネットワークに象徴される情報通信技術の急激な発達によって次々と課題が提起され、その対応としての法制度整備が進められてきた一方で、情報をめぐる様々な法制度を互いに結び付け関連付ける、この法分野の「共通の要素」とは何かが見え難くなっている状況にある。こうした中で、従来の法分野の枠のみならず国境をも本来的に越える「情報」が現代社会において有する重要性や広がりを考えれば、情報をめぐる諸課題に対して、その都度のさしあたりの制度的な対応措置を重ねていくだけでは決して十分ではなく、情報に関連する諸制度のあり方を中長期的に方向付けていくような基本原理を明確にしておくことが求められるはずである。

このような問題意識に基づき、本論文は、情報に関する様々な課題の中でも、情報の「自由」、「規制」及び「保護」のあり方が問われる幾つかの具体的場面に着目し、アメリカとイギリスの議論を主な素材として検討を加えることを通じて、そこでの課題解決において考慮されるべき基本的な価値原理や、拮抗する諸価値の微妙な調整を図るための概念と論理技術を探求することを目的としている。

本論文は、問題意識と考察の目的・範囲・手続等を示した序章、考察の本体となる第1章から第4章、及びこれらの考察からの示唆をまとめた結語から構成される。

第1章と第2章は、情報の「自由」を支える理論的基礎を探求する手掛かりとして、情報の自由に含意される価値の中でも、「表現の自由」に焦点を当てて、主に憲法学の視点から考察を進める。けだし、表現の自由は、多くの民主主義諸国において最も重要な憲法上の権利の一つとして意義付けられるとともに、そこでいう「表現」は「情報」としばしば同義に広範な射程を有するものとして解釈されてきており、表現の自由の意義と限界をめぐる議論の豊かな蓄積の中に、情報の自由を支える価値と理論の原型を見出すことができるからである。第1章では、折にふれ戦後日本の表現の自由論の準拠枠とされてきたアメリカ合衆国憲法第1修正上の表現の自由をめぐる議論を主な素材として、表現の自由を憲法で保障することのそもそもの意義・根拠を問いかける「原理論」の展開の歴史を紐解いていく。そこで浮かび上がるのは、アメリカにおいて、J.ミルトンやJ.ミルといったイギリスの古典的議論を源とし、O.ホームズとL.ブランダイスの名の下で「伝統」として概括されて受け継がれてきた、ある一つの思考枠組みである。それは、ホームズとブランダイスの言葉を用いれば、「私達が忌み嫌い、致命的なものを孕むと信じる意見」であっても、「思想の自由な交換」や「市場での競争」に委ねられるべきであって、政府による「抑制」は例外的な場合に限られる、という原理であり、また、悪しき言論に対しても、政府による「抑圧」ではなく、「より多くの言論」を以て対抗すべきであるとする「モア・スピーチ」の考え方である。そして、こうした「自由」の基本枠組みは、その基底において、真理への到達、民主主義的な自己統治、個人の自己の能力の発達、個人の尊厳と選択、といった複数の価値原理の組み合わせによって支えられていることを論証していく。

第2章では、伝統的な「自由」の基本枠組みの限界を厳しく問い直すものとして、とりわけ1980年代以降に論じられた、(1)性的表現や差別的言論、商業的言論、選挙運動資金支出等のいわば「周縁的」言論、及び(2)表現活動や情報流通のための「メディア」の自由と規制をめぐる幾つかの現代的な問題状況について検討する。ここで注目されるのは、これらの限界領域において、自由が目指すべき価値の実現に向けて実験的ともいうべき新たな視点や思考のアプローチが果敢に試みられてきたことであり、それらの分析は、「自由」の本質を逆照射する作業という性格を持っている。

第3章は、こうした従来の法における表現活動ないし情報流通の「自由」と「規制」のバランスが、近年、インターネット等の情報通信技術の発展に伴い、改めて問い直されてきている状況を、引き続きアメリカにおける表現の自由をめぐる議論をベースとしながら描き出していく。そこでは、まず、日本の「情報法」の観念と一部オーバーラップする、アメリカにおける「サイバー法(cyberlaw)」という概念の展開過程を分析する。それを通じて、ネットをめぐる先端的課題に領域横断的に取り組もうとするサイバー法概念には、(1)関連する法の全体を照らし出す基本的な価値規範は何か、といった基本原理についての考察を活性化させるとともに、(2)既存の法が抱えていた問題点を明確にし、これまでの法枠組みを今日的な視点から問い直すという、二つの意義ないし機能があることを明らかにする。その上で、より具体的に、(1)「ブロゴスフィア」の台頭の下で、記者の証言拒絶等の「特権」が争われる事例における公正な裁判の実現と報道・取材の自由との調整、(2)個人情報ないしプライバシーの保護とメディアの自由との調整、(3)著作権の保護と表現の自由との調整、という三つの調整場面について考察する。そこで明らかになるのは、インターネット等の情報通信技術の発達が、従来の法が抱えていたジレンマや対抗利益間の緊張をさらに深刻化させている状況であり、法が実際に執行され運用されるエンフォースメントの場面において諸利益間のバランスを図るためには、法のそもそもの基底にあるはずの価値原理ないし国家や市場の役割に関する統治哲学に立ち返った検討が求められるということである。そして、こうした調整課題の中でも、その取組みにおいて、単に法解釈論的な作業のみならず、社会や政治経済、文化など多方面にわたる知的営為の総合が求められている喫緊の課題の一つとして、知的財産権の保護のあり方を第4章で改めて論じていく。

第4章は、情報を「財産」として保護することの意義、根拠、及びそのための理論体系とはいかなるものか、を問いかける。ここでは、知的財産権の中でも産業財産権の核ともいえる特許に焦点を当てて、イギリスにおける議論を主な素材としつつ、適宜、アメリカでの議論も取り上げながら、知的財産ないし知的財産権に関する基本的な概念の意味、淵源、本質論と理論体系、正当化事由について考察するとともに、「特許能力のある発明」の範囲をめぐる具体的な争点について検討を加えている。これらの考察は、知的財産権と自由な情報流通との調整における均衡を図るに際しては、知的財産という概念に内包されている私的権利と公共の利益との間の緊張関係、そして、知的財産の保護の理由付けにおいて陥りがちな循環論法に、留意しておく必要があることを示唆する。また、情報の本来的な「自由」に対して過度の負担を課すことなく、財産としての情報を「保護」する法の理論体系をいかにして構築していくかということには、複雑に絡み合う諸利益に広く目配りした難しい価値判断が求められ、それは、知的財産法のみならず情報法の領域一般においても共有される課題であることが示される。

結語においては、情報法のさらなる成熟に向けて、これまでの考察から引き出される示唆を、次の三つにまとめている。すなわち、(1)社会において情報が自由に流れることの原理的な価値や意義を確認しておくことが、情報に関する諸課題に取り組む上での共通の出発点となること、(2)サイバー法概念に見出しうる前述の二つの意義ないし機能は、「情報法」の観念を論じる上でも基本的に共有されていると考えられること、(3)従来の法領域を横断する形で生じてくる情報や情報通信技術に関する様々な個別具体的な課題を解決するための一般原則を示すことは困難であるものの、そこで対立する利益間の調整と均衡を図るにあたり共通して留意されるべき点は、個別の法分野で受け継がれてきた思考枠組みや論法を援用する際に、かりにそれが価値中立的な外貌を有するものであっても、そこに一定の立場に有利に作用する価値判断が含まれている可能性を看過してはならないこと、である。そもそも情報は、個別の法分野のみならず国境をも本来的に越える性質を有することから、例えば、個人情報の保護がメディアの自由に、著作権の保護が表現の自由に、あるいは知的財産権の保護が情報の自由に与える影響といったように、情報に関する課題に対するある一つの法領域での対応が他の法領域における自由や権利等に予測できない影響を及ぼしうる場面もあり、しかもその影響は他の国の制度に及ぶ可能性も存在する。それゆえに、現代社会において情報が自由に流れることの原理的な意義についての確認を基盤として、情報法の観念を支える「共通の要素」となるべき価値と理論についての認識を深めておくことは、日本とはまた異なる社会背景や価値前提の下で組み立てられている法体系を持つ国や地域と協調しながら、対立する価値や利益間の調整と均衡を図ろうとするときにも、共通の議論の土俵を提供してくれるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「情報法」の構想を支える基本的な価値と、そこで拮抗する諸価値の調整を図るための概念や論理技術を、情報の「自由」、「規制」及び「保護」が課題となってくるいくつかの場面に着目しながら、明らかにしようとしたものである。

「情報法」は、新たに登場してきた法分野であり、そのさらなる理論的深化が現代の高度に情報化した社会において重要な意味をもつものであるところ、その取扱う対象範囲が伝統的な法カテゴリーの枠を越えてきわめて多岐にわたり、またさまざまな課題が新たに生起しているために、体系性という点では発展途上の段階にある。こうした中で、本論文は、情報をめぐる法の体系において基本的な要となる憲法と知的財産法の領域に焦点をあて、アメリカとイギリスの学説・判例を取り上げて緻密な分析をくわえることにより、法がグローバル化していく時代に、日本における情報にかかわる諸制度のあり方を考えていく上でも「共通の要素」となるべき基本的な原理についての示唆を得ようとする、意欲的な試みとして位置づけられる。

本論文は、以下の章から構成されている。

序章では、憲法や知的財産法といった法学のみならず、情報学やメディア論の知見にも触れつつ、「情報」のそもそもの意味を説き起こすことから始められ、本論文の問題意識、考察の目的、全体の構成、各章の考察の内容、考察から得られた結論が、示されている。

第1章から第4章における考察の流れは、情報の「自由」、「規制」、「保護」というキーワードでまとめられている。第1章と第2章は、情報の「自由」の理論的基礎となる、表現の自由について、その原理論の展開と、自由の限界が問われる現代的な課題を、主に憲法学の視点から考察している。ここでは、学説や判例の丹念な分析を通じて、真理の発見を根拠づける古典的なメタファーとして語られてきた「思想の自由市場」という思考が、アメリカにおいて、厳しい批判にさらされながらも、現在もなお、さまざまな複数の価値原理に支えられつつ、第一修正の法における「自由」の基本枠組みないしデフォルトとしての意義をもつということ、そして、表現の自由をめぐる正当化の論理について、それぞれの原理論にはコンテクストに応じた長短があるという認識に基づいて、これらの「組み合わせ」に求める視点が示されている。また、第3章は、インターネットやユビキタス・ネットワークといった近年の情報通信技術の発達に伴い、従来の法における表現活動や情報流通の「自由」と「規制」のバランスが問い直されてきている諸相を描いている。ここでは、アメリカの「サイバー法」概念が前提とする事実状況が、いわゆる「ユビキタス化」の進展とともに変貌を遂げつつあり、そこに、日本の情報法の観念とのオーバーラップの広がりを看て取るという視点が示されている。これらの検討の上で展開される第4章は、考察の視野を広げ、情報の精神的価値に加えて、経済的・財産的価値にも注目し、情報の「保護」と「自由」との調整、すなわち、知的財産権と自由な情報流通との調整のあり方を検討している。ここでは、知的財産の根拠づけをめぐる今日の問題状況を、この概念の淵源や本質論にまで踏み込みながら描き出しており、第2章で取り上げた自由の基本枠組みへの批判論に見出せるリーガル・リアリズム思想の影響が、第4章における近年の知的財産の保護のあり方を批判的に問い直す議論でも窺える点の指摘などは、興味深いものがある。

現代社会においては情報の価値や機能が強く意識されるようになり、情報をめぐる法制度も増加しあるいは変化しつつある。こうした状況の中で、「情報法」という新しい法分野の確立を目指して幅広く多角的に切り込んだ本論文は、知的財産権と情報の自由との調整原理などをはじめ、これまで十分に論じてこられなかったテーマにも随所で踏み込んでおり、新しい研究領域を切り開くものであると評価することができる。内容は、文献の緻密な読み込みを基礎とした概念と論理の的確な組み合わせであり、重厚な質の研究となっている。

本論文は、これまで筆者がすでに公表した論文を基礎に加筆修正した上で配列されており、第1~3章の筋の流れと比べて、本論文全体の構成上で第4章の論調がやや異なるところがある。この点は、憲法上の自由と知的財産法上の権利を取り扱う際の「作法」の相違によるものと考えられ、また、第4章の課題のもつ新鮮さや分析の細密さは、情報法の別の相を描き出すことに成功していると評価することができよう。また、結論の具体的な部分は、個々の章ないし節に委ねられている部分が多く、「結語」の部分がややシンプルで抽象的である印象を受ける。ただ、個々の章における分析や知見はそれぞれに新規かつ説得力があり、また、情報法という分野が広大で、かついまなお生成途上であることを考慮すれば、ここでさらに総論的な結論の列挙を求めることは望蜀の感とも言うべきであって、本論文の学問的価値を損なうものではないと考えられる。

以上のような検討により、本審査委員会は、本論文が博士(社会情報学)の学位に値するものと判断する。

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