学位論文要旨



No 217133
著者(漢字) 楠原,生雄
著者(英字)
著者(カナ) クスハラ,イクオ
標題(和) メキシコのアシエンダ建築に関する研究
標題(洋)
報告番号 217133
報告番号 乙17133
学位授与日 2009.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17133号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 准教授 藤井,恵介
 東京大学 准教授 大月,敏雄
内容要旨 要旨を表示する

序章 研究の枠組

本論文は、メキシコの植民地時代から独立期にかけて、同国の主だった産業経済活動を担ったアシエンダの物理的核であった建築複合体、すなわちアシエンダ建築について研究するものである。アシエンダは、大私有地を基盤とする農牧業とその農作物の加工業という生産活動を行う生産単位であり、同時に、アシエンダ主や数百という労働者が居住し生活する社会単位でもあった。よってその建築の最大の特徴は、家畜舎・穀物倉庫・加工施設といった一連の生産施設と、アシエンダ主と労働者の住居施設、さらには礼拝堂・商店・学校・診療所などのサービス施設が一体となった、一つの集落に匹敵する建築群あるいは複合建築だったことである。

本論の目的を一言で言えば、「建築と気候の関係という環境学的視点を導入しながら、アシエンダ建築の特徴を総合的に明らかにする」事である。

アシエンダは通常「産業」の種類によって分類されることが多いが、それぞれの加工工程の違いは「建築プログラム」の違いであり、産業施設の違いとなってアシエンダ建築に表れる。また一方で、広大なメキシコには典型的な熱帯・乾燥帯・温帯という三つの「気候」が存在し、その違いは主に環境学的な住居施設の違いとなってアシエンダ建築に反映される。よって本論では、アシエンダ建築を「産業」「気候」の二つの指標によって類型化して体系的にとらえ、またその分布を把握する。

上記のアシエンダ建築を広くパノラミックに理解する研究方法に対して、その相補的役割を果たすのが、ある特定のアシエンダ建築を詳細に分析する事例研究である。事例では、トラスカラ州のアシエンダ・テネシャックについて、「建築計画」という視点から、特に建築複合体の平面計画が、どのような建築的思考によって計画されていたのかを読み取り、そこに気候をはじめ地形・水利といった環境条件がどのように考慮されていたのかを分析した。

アシエンダ建築に関する既往研究の多くは、特定の地域・産業におけるアシエンダの典型的な「建築プログラム」の抽出に関わるものであった。本論はこれらを地域を越えて横断的に集大成し、さらに気候との関係による類型化、および「建築計画」という視点からの事例研究という、新しい研究方法を導入し、現在可能な限り総合的にアシエンダ建築を分析したものである。

第1章 アシエンダの歴史

アシエンダとは何かという問いに対して先行する他分野の研究者が一致するのは、「土地・水・労働力」の支配である。アシエンダが大私有地の合法的な所有権を獲得し、また労働者に食住などの雇用条件を提供することで安定した労働力を手にするようになったのは、17世紀のことであり、植民地時代後半が最初の繁栄期となった。独立政府による教会所有地および先住民集落共同所有地の解体は新たな大私有地を誕生させ、近代化政策、鉄道網の発達による経済発展は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アシエンダにとって最大・最後の繁栄期を築いた。そして、1910年に始まるメキシコ革命に基づく1930年代の農地改革によって解体され、歴史の表舞台から姿を消した。

第2章 メキシコの気候

メキシコの国土は北緯約15~32.5°にまたがり、大雑把に言って、南部の低地は熱帯、北部の内陸は中緯度高圧帯の影響で乾燥帯に入る。大陸両岸に沿った二つの大山脈に挟まれた内陸は1000~2500m級の高原であり、熱帯と乾燥帯の境界線上に温帯が分布する。

第3章 アシエンダ・データベースとアシエンダ分布

本論の分析を支える基礎情報として1,550件のアシエンダ・データベースを作成した。その全国分布は、基本的に「平地・水・人口」の三つの条件を兼ね備えた地域に分布していたことが観察できた。平地は生産基盤となる耕作地として、水は人・家畜・作物の生存に不可欠なものとして、そして人口は労働力の供給および生産物の消費という両面において必要な存在である。これは、前述の「土地・水・労働力」の支配というアシエンダの基本的特徴にも対応している。

第4章 気候とアシエンダの産業

建築の分析に先立って、アシエンダの産業と気候データについてもデータベースを作成し、その分布および相関関連を分析した。植民地時代には、熱帯ではカカオなど欧州への輸出用熱帯作物、亜熱帯ではサトウキビ、温帯・準乾燥帯では穀物、残る乾燥帯では家畜、という優先順位があり、それによって多様な国土が有効利用されていたと同時に、気候と産業の基本的な対応関係が決定されていた。経済発展した19世紀後半には、メスカル、プルケ、エネケン、コーヒー、綿花などの新しい産業が生まれた。

第5章 アシエンダの生産施設と建築プログラム

「産業」を建築類型化の基準として捉え、産業別に生産施設の「建築プログラム」を明らかにした。各産業の「加工プロセス-空間」という因果関係を示すことで、アシエンダ建築の産業による違いの必然性を明らかにし、各産業が固有の施設を有していることを示した。穀物アシエンダの穀物倉庫、砂糖アシエンダの圧搾室・濃縮室・精製室、プルケアシエンダの醸造所(ティナカル)、メスカルアシエンダのオーブン・圧搾所・発酵槽・蒸留器・樽倉庫、エネケンアシエンダの機械棟、銀アシエンダの鉱石粉砕場・水銀反応パティオ・アマルガム分離水槽・水銀蒸留分離炉、などである。

このうち全てのアシエンダに共通するのは、農耕作業および労働者・労働家畜の食糧自給に関連する施設であり、穀物倉庫・まぐさ倉庫、労働家畜舎、食用家畜舎、大工・鍛冶工房などがある。穀物・家畜生産に関わるこれらを「基本産業施設」として分類した。一方、原料(農作物)から製品への加工産業に関わる施設は各産業に特有であり「特殊産業施設」とした。これらに関わるいわゆる特殊産業は、自給生活には必要ない完全に商業目的の産業である。

第6章 アシエンダの住居施設と建築プログラム

住居施設の「建築プログラム」はアシエンダ主の住居施設(主館)、定住労働者の住居群に対するものである。後者は最小限住宅にも見えるが、一方で屋外空間を生活の場とする先住民の生活様式を反映したものでもあった。礼拝堂・食糧雑貨店・学校・医療診療所などのサービス施設も生活に関わるものとして、第三の種類の住居施設としてくくった。労働者住居群や礼拝堂は、アシエンダへの帰属意識や共同体意識を生むものであった。食糧雑貨店は、労働者が生活必需品の全てをアシエンダ内で手に入れられる商店であった。産業施設のプログラムが産業ごとに異なるのに対し、住居施設の場合は共通であり、両者を合わせると一つのアシエンダ建築の総合的な「建築プログラム」となる。

第7章 気候とアシエンダ建築

アシエンダ建築の中で最も気候に敏感である主館に着目し、その平面形式と屋根形式という二つの建築変数について、30州に散在する753件のサンプルを用いて気候データとの相関関係を分析した。建築環境学の理論からして、平面形式では、開放型(O型)が通風の必要な高温多湿の気候に対応し、閉鎖型(パティオ型、C型)が上下のピーク気温が厳しい乾燥気候に対応したものである。また屋根形式は、平屋根(F型)が少雨・乾燥気候に対応し、傾斜屋根(I型)が多雨気候に対応する。分析結果は、少数の例外を除いていずれの変数も理論通りの結果を示し、建築の全般的な形態が地域間の距離に関係なく気候によって決定されていることが証明された。またいずれの変数も、両極となる熱帯・乾燥帯の間には二つのオプションが共存する中間的範囲が存在した。

次に、平面形式と屋根形式を掛け合わせてCF型・OI型・OF型・CI型の4つの類型をつくり(図1)、気候との対応関係を分析した。両変数がもつ特性の帰結として、CF型は典型的な乾燥気候、OI型は典型的な熱帯気候に対応する。よって、CF型はメキシコ中央部から北部にかけての内陸部に広く分布し、対照的にOI型はメキシコ南半分の低地に広く分布する(図2)。OF型、CI型はいずれも平面と屋根の組み合わせに矛盾を内在する形式であり、典型的な熱帯気候や乾燥気候には適さず、基本的に中間的な気候の地域にのみ発生する形式であり、その数も前の二形式より少ない。

第8章 建築計画と周辺環境:トラスカラ州のアシエンダ・テネシャックの事例

トラスカラ州のアシエンダは、気候が温暖・湿潤な南部では主に穀物生産に従事し、より冷涼・乾燥な北部では家畜やプルケの生産が特色である。テネシャックは北部に位置し、やや不安定であるが主力の穀物と、低利益であるが安定したプルケ・家畜を産業とする複合型である。

建築群の立地は10466haの領地の中で、「平地」へのアクセスと「水」を確保するピンポイントの場所にある。主館・穀物倉庫・家畜舎・ティナカルというアシエンダの富を内包する諸施設から成る主建築複合体は、L字型の平面計画をもち、全ての出入口を二辺に挟まれたファサードに集中させることで、監視・防御性を高めている。基本的なゾーニングとして、主館に対し倉庫群は日照条件が悪く風上の北東側、家畜舎は風下の南西側に配置されている。主館はパティオをもつCF型であるが、例外的に回廊を持たないのは、寒い気候下において諸室への日照を遮らないためである。主な諸室はパティオの北側に位置しているが、増改築歴の分析から、全盛期に南西側の家畜舎を増築する以前は、諸室が南側にあり外に対して開けていたことも分かった。

まとめ

以上、本論文全体を通じて、アシエンダ建築の何たるかを、総合的に示した。産業・気候の種類を超えてほぼ全てのアシエンダを体系付け、アシエンダ建築の全体像を提示したことの意義は大きい。また事例研究では、建築計画の分析によって設計者の意図と、それが読み取れるという事を明らかにし、建築に特有の研究手法としてアシエンダ建築の研究を発展させた。また、建築と気候との関係という一貫した視点を通じて、アシエンダという歴史的建築がどのように環境に適応していたのかを、様々なレベルにおいて示すことができた。以上。

〈主要参考文献〉ANCONA (Coord.) (1996), Arquitectura de las haciendas henequeneras, UAY, Bogota.COLEGIO DE MICHOACAN, EL (2008), Congreso: Haciendas en la Nueva Espana y en el Mexico Republicano, 1521-1940,viejos y nuevos paradigmas (CDROM memoria electronica), Mexico.LORENZO (2005), La arquitectura de las haciendas pulqueras del altiplano central mexicano, Tesis doc., UNAM, Mexico.MENTZ (1997), Haciendas de Morelos, ICM, Mexico.OLGYAY (1998, 初版1963), Arquitectura y clima, G.Gili, Barcelona.RENDON GARCINI, Ricardo (1994), Haciendas de Mexico, Banamex, Mexico.

図1:主館の類型

図2:主館の各類型の分布

図3:テネシャックの主建築複合体の平面図

審査要旨 要旨を表示する

本論文で扱うアシエンダとは、メキシコの植民地時代から独立期にかけて、同国の主だった産業経済活動を担った生産・生活組織である。アシエンダ建築とは、その物理的核であった建築複合体である。

アシエンダは通常「産業」の種類によって分類されることが多いが、本論ではアシエンダ建築を「産業」「気候」の二つの指標によって類型化して体系的にとらえる。

第1章の「アシエンダの歴史」では、先行研究者が一致する、「土地・水・労働力」の支配という概念を検討する。アシエンダが大私有地の合法的な所有権を獲得し、また労働者に食住などの雇用条件を提供するようになったのは、17世紀のことであり、植民地時代後半が最初の繁栄期となった。独立政府による教会所有地および先住民集落共同所有地の解体は新たな大私有地を誕生させ、近代化政策、鉄道網の発達による経済発展は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アシエンダにとって最大・最後の繁栄期を築いた。そして、1910年に始まるメキシコ革命に基づく1930年代の農地改革によって解体され、歴史の表舞台から姿を消した。

第2章では「メキシコの気候」を扱った。

第3章の「アシエンダ・データベースとアシエンダ分布」では、基礎情報として1,550件のアシエンダ・データベースを作成した。その全国分布は、基本的に「平地・水・人口」の三つの条件を兼ね備えた地域に分布していたことが観察できた。データベース構築作業は極めて高く評価できる。

第4章である「気候とアシエンダの産業」では、建築の分析に先立って、アシエンダの産業と気候データについてのデータベースを作成した。熱帯ではカカオなど、亜熱帯ではサトウキビ、温帯・準乾燥帯では穀物、残る乾燥帯では家畜という優先順位があり、気候と産業の基本的な対応関係が決定されていた。19世紀後半には、メスカル、プルケ、エネケン、コーヒー、綿花などの新しい産業が生まれたことが示される。

第5章の「アシエンダの生産施設と建築プログラム」では、「産業」を建築類型化の基準として捉え、産業別に生産施設の「建築プログラム」を明らかにした。各産業の「加工プロセス-空間」という因果関係を示すことで、各産業が固有の施設を有していることを示した。

第6章の「アシエンダの住居施設と建築プログラム」では産業施設のプログラムが産業ごとに異なるのに対し、住居施設の場合は共通であり、両者を合わせると一つのアシエンダ建築の総合的な「建築プログラム」となることを示した。

第7章の「気候とアシエンダ建築」ではアシエンダ建築の中で最も気候に敏感である主館に着目し、その平面形式と屋根形式という二つの建築変数について、30州に散在する753件のサンプルを用いて気候データとの相関関係を分析した。

第8章である「建築計画と周辺環境:トラスカラ州のアシエンダ・テネシャックの事例」では、北部に位置し、やや不安定であるが主力の穀物と、低利益であるが安定したプルケ・家畜を産業とする複合型アシエンダを扱う。この建築群の立地は10466haの領地の中で、「平地」へのアクセスと「水」を確保するピンポイントの場所にある。主館・穀物倉庫・家畜舎・ティナカルというアシエンダの富を内包する諸施設から成る主建築複合体は、L字型の平面計画をもち、全ての出入口を二辺に挟まれたファサードに集中させることで、監視・防御性を高めている。主な諸室はパティオの北側に位置しているが、増改築歴の分析から、全盛期に南西側の家畜舎を増築する以前は、諸室が南側にあり外に対して開けていたことも分かった。

まとめでは、本論文全体を通じて明らかにされたアシエンダ建築の何たるかを、総合的に示した。建築と気候との関係という一貫した視点を通じて、アシエンダという歴史的建築がどのように環境に適応していたのかを示し、建築に特有の研究手法としてアシエンダ建築という、我が国では未踏の分野における研究を発展させたことの意義は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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