学位論文要旨



No 217146
著者(漢字) 志岐,成友
著者(英字)
著者(カナ) シキ,シゲトモ
標題(和) 超伝導トンネル接合検出器を用いて価数(z)と質量電荷比(m/z)を同時に計測する新しい質量分析技術の研究
標題(洋)
報告番号 217146
報告番号 乙17146
学位授与日 2009.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17146号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 准教授 松崎,浩之
 東京大学 准教授 長谷川,秀一
 東京大学 准教授 門,信一郎
内容要旨 要旨を表示する

分子構造の研究や微量物質の定量において、質量分析は欠かせない分析手法である。質量分析装置では、被測定物をイオン化して静電場で加速し、飛行時間や電磁場中でのイオンの経路が質量電荷比に依存することを利用しで、被測定物の質量電荷比を計測する。しかし、複数のイオンが同一の質量電荷比と異なる価数を持つ場合、両者を見分けることは原理的に不可能である。本研究はこの問題を解決する新しい質量分析法の確立を目指し、超伝導トンネル接合検出器を用いた新たな質量分析装置の開発を行った。本質量分析装置は、超伝導トンネル接合を検出器とすることで、従来法のように対象物質の検出器への入射を計測するのみならず、被測定物が検出器へ入射した際に持つ運動工ネルギーを精度よく検出し、従来法では分離の難しかった同じ質量電荷比を持つ異なる物質を明瞭に分離することを可能とするものである。すなわち、質量電荷比と価数を超伝導トンネル接合を用いたエネルギー分散型の検出器を用いて分離する新しい技術を拓くものである。

本論文では、以下三つの研究を行い、超高感度かつ高精度なエネルギー分散型の検出器を組み込んだ質量分析装置を実現した。

1.超伝導検出器の動作環境を安定させる粒子透過・赤外線反射フィルターの開発

2.優れたSN比を有する超伝導トンネル接合粒子検出器の開発

3.超伝導検出器を組み込んだ新しい質量分析装置の構築と有効性の実証

以下で三つの主題について述べる。

超伝導検出器の動作環の動作環境を安定させる粒子透過・赤外線反射フィルターの開発

超伝導検出器は温度1K以下のクライオスタット内に設置され、クライオスタットと検出器の温度を維持するには黒体幅射による熱流入を防ぐ幅射シールドが必要である。一方、イオンを超伝導検出器で検出する際には、幅射シールドに検出器まで粒子を導くための貫通穴が必要である。幅射シールドに貫通穴を設けると、貫通穴を通して常温の黒体幅射が低温領域に入射し、検出器温度が上昇し電流電圧特性が悪化し、性能が劣化する。この性能劣化を避けるため、従来は冷却ピンホールによるコリメーターが用いられてきたが、予備実験を行ったところ冷却ピンホールを用いても電流電圧特性の悪化を避けることは困難であることが明らかになった。

本研究では、常温黒体幅射を阻止し、かつイオンを透過させるデバイスとして微細な金属メッシュに着目した。金属メッシュはメッシュ間隔より十分長い波長の電磁波を効率よく反射することが知られているが、超伝導検出器と常温の分析装置をつなぐイオン光学素子としての研究はこれまで行われていなかった。そこで質量分析装置に超伝導検出器を組み込む際に金属メッシュに必要とされる諸条件を考察し、その条件がピッチ4μm以下、厚さ0.5μm以下、貫通穴を有し、サイズ3mm以上であることを明らかにした。考案した条件を満たす金属メッシュの製作技術を確立し、ピッチ3.5mm,厚さ0.5um,サイズ12mmX5mniの銅メッシュの製作に成功した。製作した銅メッシュの分光透過率とイオン透過率を評価し、低い赤外線透過率と高い粒子透過率が同時に実現できることを実証した。

優れたSN比を有する超伝導トンネル接合粒子検出器の開発

本研究の目標は、質量分析装置にエネルギー分散型検出器を組み込み、質量電荷比と価数の同時分析を実現することである。一般の質量分析装置におけるイオン一個の運動エネルギーはわずか100ev~30keVで、半導体検出器など既存のエネルギー分散型検出器はこのような低エネルギーイオンの運動エネルギーを検出することはできず、より高感度かつ高精度のセンサーが必要である。本研究では、低い運動エネルギーの領域においても高い検出感度を有し、なおかつ運動エネルギーを精度よく計測できると期待される、超伝導トンネル接合検出器を用いる。超伝導トンネル接合検出器を用いると、粒子が入射した際に解離するクーパー対の数を測定することにより、運動エネルギーを推定することができる。超伝導電極表面の自然酸化膜中でエネルギーが吸収されたとしても、その際に発生するフォノンがクーパー対を解離する十分なエネルギーを有するため、半導体粒子検出器に見られる不感層の問題がなく低エネルギー粒子の運動エネルギー検出に適している。

過去の超伝導トンネル接合検出器を用いた研究ではlOkeV以下の低エネルギー粒子のエネルギー計測は困難であった。質量分析装置の検出器に必要とされる低エネルギーの粒子の計測を可能にするため、トンネルバリアの製作条件を最適化し、高いSN比を実現する製作条件を明らかにした。製作した検出器の適用可能なエネルギー範囲を光子を用いて評価したところ、2.6eV (可視光)から5.9keV (X線)にわたる広いエネルギー範囲でエネルギーを計測できることがわかった。

製作した検出器の粒子検出器としての性能を評価するため、これらを二重収束型質量分析装置に組み込み性能評価を行った。赤外線反射フィルターを用いたことにより、検出器の電流電圧特性の劣化を避けることができた。エネルギー分解能は3 keV のArイオンに対して全半値幅で215 eV に達し、従来の粒子検出器を凌駕する性能を実現した。また、製作した検出器は一価イオンと二価イオンを分離する十分なエネルギー分解能を有し、価数分解能は4に達することが明らかになった。

超伝導検出器を組み込んだ新しい質量分析装置の構築と有効性の実証

本研究で目標とする新しい質量分析法を確立するため、本研究で開発した超伝導トンネル接合検出器と赤外線反射フィルターを組み込んだ質量分析装置を構築した。構築した質量分析装置が質量電荷比と価数を分析する能力を有し、現実の問題の解決に有効であることを示すための実験を行った。

構築した質量分析装置を用いて大気をサンプルとした質量分析実験を行った。実験の結果を図に示す。本装置では質量電荷比と価数を同時に計測しており、通常の質量スペクトルの軸に運動エネルギー(パルスバイト)の軸を加えることで、一価イオンと二価イオンを明瞭に区別できることがわかる。図のデータを評価し、価数分解能が性能指数にして2.6あり価数を分離する十分な能力を有すること、質量分解能が 45で質量電荷比が1異なる質量ピークを明瞭に分離できることを確認した。

本研究で構築した新しい質量分析装置の有効性を示すため、電子衝撃イオン化による窒素分子および酸素分子からの分子二価イオン生成断面積の測定を試みた。窒素分子や酸素分子など等核二原子分子と電子が衝突した際の分子二価イオンの生成断面積は、地球大気と磁気圏の相互作用を理解する上で必要不可欠の定数である。しかしながら、これら分子二価イオンが生成する際には、分子が解離した原子イオンも同時に生成し、質量スペクトル上で同一の質量電荷比に妨害イオンとして現れる。このため、二価分子イオンだけを分離して計測するととは従来の質量分析法では不可能であった。ここで検出器として超伝導検出器を用いると、=価イオンと二価イオンが同一の加速電圧で加速された際に運動エネルギーが2倍異なることを利用して、この妨害を除去することができる。

図上の検出されたイベント数を分析したところ、本装置を用いて電子脱離反応により一生成したイオンのイオン化断面積を測定できることが明らかになった。窒素分子・酸素分子の電子衝撃イオン化による分子二価イオンの生成断面積を、同一の質量電荷比に存在する原子一価イオンの影響を除去して求めることに初めて成功した。

本研究は、価数と質量電荷比を同時に分析する新しい質量分析法を実現するためにはエネルギー分散型検出器である超伝導トンネル接合検出器を用いることが重要であることを指摘し、その現実の要となる超伝導トンネル接合検出器製作技術と赤外線反射フィルターの製作技術を確立し、さらに新しい質量分析技術の有効性を世界に先駆けて実証したものである。

図。質量電荷比・迎動エネルギーの分敞図。横軸は質量電荷比、縦軸は検出器応答のパルスバイトで、イオンの運動エネルギーに相当する。超伝導検出器を用い質量スペクトルに運動エネルギーの軸を加えることで、従来の質量分析装置では不可能であった、価数が異なるイオンを明瞭に分離することができた。

審査要旨 要旨を表示する

質量分析技術は、理工学において基礎的な分析技術であるが、近年、生体分子構造研究や微量物質定量などにおいて特に需要の高まっている重要な技術である。通常、質量分析装置では、測定対象をイオン化した後、静電場で加速し、飛行時間の差や電磁場中での経路差を用いて測定対象の分離・同定を行っている。しかし、質量電荷比が同一となる測定対象においては、その分離は容易ではなかった。本論文は新たな質量分析技術の確立をめざし、測定対象の運動エネルギーを精度よく検出できる超伝導トンネル接合検出器を用いて、質量電荷比が同一となるような複数のイオンを分離計測できる新しい計測技術を確立したものである。

第一章は序論であり、質量分析装置の現状を概観した後、エネルギー分散型検出器を質量分析装置に導入することでイオンの価数の分離が可能となることを示し、そのような新しい質量分析技術を確立することを本研究の目標に定めている。また、この目標を達成するためには、高計数率と高エネルギー分解能を同時に実現できる超伝導トンネル接合検出器が最適な検出器であることを示している。

第二章は、質量分析の原理と超伝導トンネル接合検出器の研究の現状をまとめた後、本研究で構築すべき質量分析装置の概念設計を行っている。

第三章は、超伝導トンネル接合検出器を質量分析器に適用するための予備実験について記述しており、赤外線の混入によるエネルギー分解能の劣化を抑えるために、金属メッシュを用いた赤外線反射フィルターが必要となることを示している。

第四章は、第三章で示した赤外線反射フィルターを微細加工技術により製作し、その性能評価を行っている。具体的には、赤外線反射フィルターに対する赤外線・イオンの各透過率の評価を行い、製作した赤外線反射フィルターが十分な性能を有することを示している。

第五章は、超伝導トンネル接合検出器においてきわめて重要である超伝導薄膜製作に必要な条件を求め、製作した検出器の性能をX線および可視光の照射により評価した結果を示している。その後、製作した超伝導トンネル接合検出器と赤外線反射フィルターを二重収束型質量分析装置に組み込み、粒子検出実験を行った結果について示している。この結果、赤外線反射フィルターを用いることで超伝導トンネル接合検出器が優れた時間分解能と価数分解能を有することが実証された。

第六章は、超伝導トンネル接合検出器を組み込んだ二重収束型質量分析装置を実際に構成し、等核二原子分子二価イオンの生成断面積の測定に応用することで従来型の質量分析装置では測定不可能であった生成断面積を、原子一価イオンからの妨害を取り除いて測定することに成功した。

第七章は本研究の総括であり、超伝導トンネル接合検出器や赤外線フィルタなどの要素技術を開発し、価数分解能を有する新しい質量分析装置の構築に成功し、その有用性を示したと結論している。

以上のように、本研究は、価数と質量電荷比を同時に分析することの可能な新しい質量分析法を世界に先駆けて確立したものであり、工学の進展に寄与するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の請求論文として合格であると認められる。

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