学位論文要旨



No 217150
著者(漢字) 河原,昌一郎
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,ショウイチロウ
標題(和) 中国農村合作社制度の分析
標題(洋)
報告番号 217150
報告番号 乙17150
学位授与日 2009.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17150号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 東京農業大学 教授 菅沼,圭輔
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、すでに80年を超える歴史を有する中国農村合作社制度について、主としてその農業共同化機能および組織・企業形態の分析・解明という観点からの通史的研究に取り組み、中国農村合作社制度の独自性または特色を明らかにしたものである。

中国の農村合作社の形態の変化は、基本的に、民国期(日中戦争・国共内戦期を含む。)、土地改革・農業合作化期、人民公社期、改革開放期という政治的時期区分に対応しているので、本論文ではこの時期区分を農村合作社制度の時期区分として用いる。

1920年代の民国期中国に初めて導入された農村合作社制度は、ライファイゼン型の合作社制度であった。中国への合作社制度の導入は、中国華洋義賑救災総会(華洋義賑会)を中心として、国民党政府との協力の下に進められた。

民国期の農村合作社制度は、合作社社員の責任制を中心として大きく変化する。すなわち、当初は、無限連帯責任制を基礎として社員に信用貸付を行うというライファイゼン原則に基づいて農村合作社の設立が進められていたが、1930年代になって商業銀行が農村貸付を急速に拡大させるようになるに伴って制度が変質し、実質的に個々の社員の物的担保による有限責任制へと移行した。

ただし、こうした制度的変化にかかわらず、農民にとって合作社は基本的に借金の機会を得るために必要な組織にすぎないという農民と合作社との本質的関係に変化はなかった。合作社設立は政府や華洋義賑会等の支援機関の主導によって進められており、合作社制度の趣旨が農民には十分に理解されず、農民が自主的に農業経営の共同化を進めるようなものとはなり得なかったのである。民国期を通じて、結局、合作社制度が中国農村に定着することはなかった。

なお、日中戦争・国共内戦期においては、国民党政府管轄区、日本軍占領地区および中国共産党解放区でそれぞれ異なる合作社制度が推進される。国民党政府管轄区では無限責任制の農村信用社を中心として、また日本軍占領地区では購買・販売事業を重点的に実施する県合作社連合会を中心として合作社の設立・整備が進められるが、いずれも農民と合作社との関係は希薄なままであり、農村に根付くものとはならなかった。中共解放区では土地改革を基礎として労働互助社の設立等による合作社政策が進められる。中共解放区以外の合作社における農業共同化は農業経営における信用、販売、購買、加工の流通過程の共同化を対象としていたが、中共解放区では労働、機械(資本)、土地の生産過程の共同化が主たる対象とされる。ただし、当時の解放区は分散して政権的にも不安定であったことから確たる合作社制度が打ち立てられるまでには至らなかった。

新中国成立後には、民国期の合作社制度は基本的に継承されることなく、中共政府による新たな農村合作社政策が進められる。

土地改革・農業合作化期の当初の合作社制度の基本的枠組は、1949年9月の「中国政治協商会議共同綱領」で与えられるが、そこでは農民の私有制に基づく個体経済を前提にして供銷合作社または農村信用社の設立が考えられていた。供銷合作社または農村信用社は、金融または流通を通じて、農家経済を指導すべきものとされていたのである。

ところが、初級合作社が設立され、農業経営主体が農家から農民集団となることによって、農民の個別経済を基礎とする制度的枠組が消失し、合作社制度は農業生産の集団化を基礎とする新たな枠組へと移行する。ここでは、供銷合作社または農村信用社には農民の個体経済を前提とする農業共同化機能は必要とされず、これに代わって、国家の経済計画に即して農業の統一経営を実施する初級合作社を指導・支援することが供銷合作社または農村信用社の重要な役割とされる。

さらに、初級合作社が高級合作社となり、郷を区域とする高級合作社が設立されるようになると、高級合作社、基層供銷社、農村信用社の区域が概ね一致することととなり、郷共産党委員会によるこれら3社への統一的指導の強化が進んだ。そして、このことは政社合一の人民公社制度を準備することとなった。

人民公社期における政社合一の人民公社は、農業の統一経営主体としての性格のほか、国家行政機構としての性格を併せ有していたため、土地改革・農業合作化期に見られた供銷合作社または農村信用社の初級・高級合作社に対する指導的地位は、人民公社に対しては必然的に消失することとなった。ソ連のコルホーズでは、国家経済(国家銀行等)が金融面等における経済的接点を通じて農民集団経済(コルホーズ)を指導するという体制が一貫してとられていたが、人民公社ではこうした考え方はなくなり、公社共産党委員会の人民公社に対する統一的指導を基礎にして、共産党における中央・地方の指導関係が重視される中国独自の体制が形成された。人民公社が地域自給経済組織として運用されたこともあって、国家経済と人民公社との関係は希薄であった。

人民公社は、公社全体を基本採算単位とした初期公社の経済的非効率性等が明らかとなったため、一連の改革によって基本採算単位を生産隊とする安定期公社に移行するが、安定期公社においても公社共産党委員会が供銷合作社および農村信用社を含めて指導を行うという人民公社制度の基本的枠組は維持されていた。

改革開放期においては、開放政策の開始とともに、中国農村で農業生産請負制が急速に進展し、それと同時に農村合作社制度改革のあり方が検討される。

人民公社の解体という新たな情勢の中で、社区経済組織、供銷合作社、農村信用社および専業合作組織の制度的あり方の基本的考え方を示したものが1984年1号文件である。同文件では、社区経済組織は農家の農業生産活動の条件等を整備する公的組織として位置付けられ、供銷合作社および農村信用社は組織改革を行うことによって農家の協同組合として農村での商品流通および金融を担っていくことが期待され、専業合作組織は非地区制の柔軟な組織として考えられていた。同文件は、また、特定の合作組織に従前のような国家権力を背景とした優越的・指導的地位を与えておらず、市場における経済主体としては合作組織も農家や他の経済主体と対等の扱いとし、市場経済を主体とする制度的枠組へと合作社制度が移行したことを確認したものとなっている。

しかしながら、現実には農民の供銷合作社離れ等が進行し、供銷合作社および農村信用社は依然として公的商業・金融機関としての性格を有しているなど、合作社制度の改革は思うように進まなかった。

このため、合作社制度のあり方を含めて、どのような組織が農業社会化服務を担うのが適当かという議論がなされるようになっていたが、近年、市場化に対応した今後の中国農村における新たな合作社組織として注目され、期待されるようになったのが専業合作組織である。専業合作組織は、農家請負制度に基づく農家経営を基礎に、新技術、新規作物の導入や販売先確保等を目的に、もともと農民によって自主的に設立されるようになったものであり、協同組合としての性格を有する専門分野の合作組織である。専業合作組織の制度的整備を図るため、2006年10月に農民専業合作社法が制定された。

現在の中国農村合作社制度では、農村の市場経済化への対応を積極的に進めるため、この専業合作組織が、必要に応じて社区経済組織、供銷合作社および農村信用社の支援・協力を得て、新規作物、農産物加工事業等の導入を行い、組織的に発展していくことが主たる方向とされている。

中国農村合作社制度を通史的に見たとき、その顕著な特色は、民国期において進められていた信用、販売等の流通過程の共同化が、土地改革・農業合作化期および人民公社期には姿を消し、改革開放期になって再び新たな形で取り組まれるようになったことである。

土地改革・農業合作化期および人民公社期においては、初級・高級合作社および人民公社の設立を通じた農業集団化、土地公有化によって生産過程の共同化が実施されていた。

ところで、民国期の流通過程の共同化と改革開放期のそれとでは、合作社と農民との関係に本質的な相違がある。民国期の合作社は国民政府、華洋義賑会等によって設立が主導され、農民に自主性はなく、農民にとって合作社は借金をするためだけの外部的な存在であった。これに対して、改革開放期の専業合作社は、農民が自らの農業経営上の必要性等から自主的に設立するようになったという経緯があり、農民による自主的な発展が現実に期待されるものとなっている。現在取り組まれている流通過程の共同化は、多くの課題はあるが、農民の主導による自主的な組織形成が行われている点で、これまでの中国農村合作社制度にはなかった画期的なものとなっているのである。

審査要旨 要旨を表示する

2006年10月30日、中国において「農民専業合作社法」が制定された。同法は1949年に中国が成立してから初めての「協同組合」に関する法律であり、民国期の1934年に制定された「中華民国合作社法」から数えて70年余のことである。

農村における合作社とはいわゆる「農業協同組合」に相当する中国での呼称に他ならない。とはいえ、社会主義を経験した中国においては農業協同組合に相当するものは供銷合作社(販購買協同組合)や農村信用社(信用協同組合)など、農産物の流通や信用といった農業生産の外部に関連するものよりは、いわゆる農業生産協同組合の系列に属する互助組、初級(高級)合作社、人民公社、社区経済組織といった経営類型の方が重視され、前者は後景に退いていたといってよい。しかし、1978年からの改革開放期においては農民による自発的・自生的な組織としての「農民専業合作社」が各地に生まれ、これを今後の主要な協同組合組織として法認すべく「農民専業合作社法」が制定されたわけである。

これまで中国の農村合作社については、日本はもとより中国においても、特定の時期の、特定の合作社類型に関する研究は豊富に存在しているものの、戦前の民国期から今日までの通史的研究であるとともに、全ての経営類型を対象とした総合的な研究は存在していない。本研究は、農村合作社の農業共同化機能および組織・企業形態の解明を基本的視点としつつ、通史的で総合的な分析を行うことによって、中国農村合作社制度の独自性と特色を初めて包括的に明らかにした労作であるといってよいであろう。

本論文はこうした問題意識に基づいて、民国期(~1936年)、日中戦争・国共内戦期(1937~1948年)、土地改革・農業合作化期(1949~1957年)、人民公社期(1958~1977年)、改革開放期(1978年~)の時期区分に対応させて、全ての合作社類型について、農民の地位、権利・義務関係を明確にするために、合作社の組織・企業形態(成員・規模・機関・所有・支配・経営・危険負担など)の分析を行っている。

論文は11章、396ページからなる大作であり、その一部始終を要約することは困難である。そこで、個々の時期の包括的な研究によって把握された知見を通史的に整理して得られた合作社制度の変化に関するポイントをまとめれば次の通りとなるだろう。

民国期の農村合作社制度は無限責任制から有限責任制へと変化するが、こうした変化は内的発展要因によるものではなく外的要因によるもので、農民にとって合作社は借金をするための組織であるという本質的関係は変わらなかった。

土地改革・農業合作化期においては、農民の個別経済が集団経済へと移行したことによって農村合作社制度の制度的枠組みが変化し、個別経済を前提にして設立された供銷合作社および農村信用社が初級・高級合作社の指導・支援を主たる役割とするようになった(指導・支援)。

人民公社期には党委員会による人民公社の統一的指導という中国独自の制度が成立するが、生産隊、供銷合作社、農村信用社の相互に優越的関係がなく、また、相互の関係の希薄化が進んだ(相互関係の希薄化)。

改革開放期では農家請負経営を基礎に市場経済に対応した合作社制度の確立が求められる。当初期待された供銷合作社および農村信用社の体制改革が十分な効果をあげない中で、市場に柔軟に対応できる新たな組織としての専業合作組織に期待が集まり、社区経済組織、供銷合作社、農村信用社との連携・支援の下での発展が期待されているが、今後の組織的発展には課題も少なくない。とはいえ、改革開放期は中国農村合作制度史、専業合作組織の設立を通して、農民が初めて合作社の設立を主導する役割を果たすようになったという意味で画期的な意義を有する時期となっている。

本論文に対しては、個々の時期を貫通するような諸合作社の発展・展開論理を明示して欲しかったとか、こうした展開過程を経た中国の合作経済組織の今後の発展方向に関する大胆な問題提起が欲しいといった意見がないわけではない。しかし、それらの意見は本研究が切り開いた学問的な地平の高さ故に、次の研究課題への期待が表明されたものとみるべきであろう。この意味で本研究は中国農業の発展を理解する上での鍵となる農村合作社制度についての初めての本格的な包括的研究であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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