学位論文要旨



No 217151
著者(漢字) 秋山,正行
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,マサユキ
標題(和) コーヒーの香り特性計測に基づく品質設計に関する研究
標題(洋)
報告番号 217151
報告番号 乙17151
学位授与日 2009.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17151号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相良,泰行
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 連携教授 鍋谷,浩忠
 東京大学 准教授 三坂,巧
 東京大学 准教授 斉藤,幸恵
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、消費者を起点としたチルドカップコーヒー飲料の開発に向けた、香りの特性計測、および合理的かつ効率的な品質設計手法を開発することである。具体的には、1)消費者の嗜好する「おいしさ」に寄与する新鮮で好ましい香りを捕集・分析し、その香りの特性を評価することである。また、消費者の嗜好に合致した香りの品質設計手法を確立する上で、香気成分の情報のみならず、消費者の知覚特性と、香気成分や製造条件との定量的な関係性を明らかにする必要がある。そこで、2)ストローで飲用する際に重要なレトロネイザルアロマ(retronasal aroma)の機器計測による物理化学的属性の定量化、および香りの専門家を用いた分析型官能評価により知覚の定量化を行い、両者間の相関関係を解析し、香りの品質設計手法を構築することである。

先ず、焙煎豆の粉砕時に揮散する香りを、実際にヒトが感じる状態に近い動的な条件下で、簡便かつリアルタイムに、再現性良く捕集することが可能な、固相マイクロ抽出(solid phase micro extraction, SPME)によるサンプリング法を開発した。そのサンプリング条件として、閉鎖系の香気捕集装置において最適なSPMEファイバー種(PDMS/DVB)、窒素ガス流量(600 mL/min)、およびサンプリング時間(8分間)を設定した。このサンプリング法により捕集した3産地(エチオピア、タンザニア、インドネシア)・3焙煎度(L値:26、23、18、以下同条件)のアラビカ種と、2産地(ベトナムとインドネシア)・3焙煎度のロブスタ種の香気成分を、gas chromatography/mass spectrometry (GC/MS)、およびSPMEファイバー長を変える順次希釈法を用いたGC/olfactometry (GC/O, CharmAnalysisTM) により分析し、それらの香気成分組成、匂い成分・強度(charm value)、および匂い特性を明らかにした。また、粉砕時香気と既往の粉砕後香気の分析比較評価より、粉砕時香気は、粉砕後香気に比べて香気成分量が多く、匂い強度も強いこと、特に、nutty-roast香とsmoke-roast香が粉砕時の香りの主要な匂い特性であることを示した。さらに、GC/O分析データを用いた主成分分析(GC/O-PCA)の結果から、アラビカ種では、産地よりも焙煎度に依存した匂い特性を持ち、他方、ロブスタ種では、焙煎度よりも産地に依存した匂い特性を持つこと、すなわち、匂い特性に及ぼす産地や焙煎度の影響が、品種により異なることが明らかとなった。

次に、ドリップ抽出直後の抽出液の香気成分を、短時間で再現性良く捕集できるSPMEサンプリング法を開発した。このサンプリング法の開発において、6種類のSPMEファイバー種の中から、この捕集系に最適なDVB/carboxen/PDMSファイバーを選定した。また、SPMEファイバーの露出時間と捕集香気成分量との線形性から、捕集対象とする新鮮な香気の成分組成をありのままに捕集できるサンプリング時間として2分間を設定した。この方法により捕集した、3産地(エチオピア、タンザニア、グァテマラ)・3焙煎度からなるアラビカ種の香気成分を、GC/MSとGC/Oにより分析した結果、4-(4'-hydroxyphenyl)-2-butanone(raspberry ketone, sweet-fruity 香)および1-(3,4-dihydro-2H-pyrrol-5-yl)-ethanone(nutty-roast 香)の2成分を、コーヒーの香気成分として初めて見出した。GC/O-PCAによる主成分プロファイルより、エチオピア産の匂い特性は、焙煎度に関らず、タンザニア産とグァテマラ産から有意に識別された。また、香りの専門家パネル(フレーバーリスト)を用いた官能評価試験により、raspberry ketoneが、主にsweet香とsoy sauce香からなるエチオピア産抽出液の特徴的な香りの形成に寄与していることが示された。

さらに、エスプレッソとカフェラテ(エスプレッソとミルク)の、オルソネイザルアロマ(orthonasal aroma)に相当するヘッドスペース(HS)香気と、レトロネイザルアロマに相当する retronasal aroma simulator (RAS, Roberts and Acree, 1995) による捕集香気(RAS香気)を調べるために、ドリップ抽出液の場合と同様に、短時間(HS香気:1分間、RAS香気:2分間)SPME(ファイバー種:DVB/carboxen/PDMS)サンプリング法を開発した。この方法により捕集したHS香気とRAS香気のGC/MS・GC/O分析結果の比較より、RAS香気は、ミルクの添加に関らず、HS香気よりも、高揮発性成分において、高い成分組成比と強い匂い強度比を持つことが明らかとなった。また、ミルクを添加することにより、HS香気とRAS香気ともに、それらの香気成分量と匂い強度が減少し、アロマリリースが全般的に抑えられた。一方、全匂い強度に対する各匂い特性の相対強度において、エスプレッソでは、HS香気のbuttery-oily香とsweet-fruity香の割合はRAS香気よりも小さく、他方、HS香気のsweet-caramel香の割合はRAS香気よりも大きく、両香気は異なる匂い特性プロファイルを有していた。また、ミルクを添加すると、HS香気の場合には、buttery-oily香とsweet-caramel香の割合は増加したが、他方、RAS香気の場合には、特にphenolic香の割合が大きく増加し、smoke-roast香の割合は減少した。すなわち、ミルクの添加は、両香気の匂い特性プロファイルに異なる影響を及ぼすことが明らかとなった。

本研究では、さらに、開発対象商品のブレンド要因となるアラビカ種6産地(ブラジル、エチオピア、タンザニア、グァテマラ、コロンビア、インドネシア)・3焙煎度からなる各種エスプレッソのレトロネイザルアロマの品質設計手法を構築するために、GC/Oおよび電子嗅覚システムαFOX4000による機器計測により各種RAS香気の物理化学的属性を定量化し、各々の機器計測データから各種RAS香気の特性を評価した。GC/O分析から得られた匂い特性強度を用いた主成分分析および主成分得点を用いた分散分析の結果、第1主成分と第2主成分の各々において、ほとんどのサンプル間で産地と焙煎度による有意差が認められた (p < 0.0001)。各種RAS香気の主成分プロファイルは、焙煎に伴い大きく変化する傾向が観られたが、産地と焙煎度の違いに因っても、有意に異なる匂いのプロファイルを示した。また、αFOX4000による各種RAS香気の計測結果を、主成分分析および分散分析により解析したところ、計測に用いた金属酸化物半導体(MOS)の18センサのうち3センサ(LY2/Gh; P30/1; T40/1)にて計測結果を統合し、各種RAS香気のサンプルを評価・識別できることが明らかとなった。そこで、以後の官能評価結果との相関性解析には、これらの3つのセンサデータを用いることとした。さらに、香りの専門家による、RAS香気の分析型官能評価の実施に向けて、香りの評価用語および評価手法を設定した。先ず、収集した香りの評価用語265語から、類似度、認知度・使用度、および予備評価の解析結果に基づく客観的な手法により、香りの官能評価用語11語を選定した。また、評価データの再現性を高めるために、評価用語に対応する典型的な香気成分を設定し、基準サンプルとの比較評価による7点尺度の評価手法を確立した。その評価結果より、11個の評価項目の中から、サンプル間を識別する4つの評価用語、すなわち、「ロースト・焦げ臭・焼け焦げた」、「甘さ」、「醤油」、および「土」を抽出した。また、4語に対する官能評価得点に因子分析を適用して、香気の特徴を評価する独立な1つの知覚因子(固有値1以上)を抽出した。サンプル香気の特徴を示す知覚マップおよび評価データの分散分析結果より、香りの知覚特性に影響する製造条件は主に焙煎度であり、特にL18(深煎り)と、L23(中煎り)・L26(浅煎り)間の香り特性の違いを明らかにした。また、所望する香り特性を実現する産地や焙煎度との関係を示した。さらに、香りの官能評価データと、機器計測データ(GC/O分析による匂い特性強度あるいはαFOX4000のセンサ出力値)との非線形な関係性を、ニューラルネットワーク(ANN)によりモデル化した。すなわち、所望する香り特性を匂いの特性強度を用いて設計する手法、また、センサの計測データから知覚因子得点あるいは官能評価得点を評価できるレトロネイザルアロマの品質評価設計に有用な手法を提唱した。

以上の研究より、消費者の嗜好する新鮮で好ましい「焙煎豆の粉砕時香気(挽き立ての香り)」と「抽出直後の抽出液香気(淹れ立ての香り)」を計測し、それらの匂い特性を明らかにした。この研究成果は、新規なコーヒー香料の創作にとって有用な情報となり、「おいしさ」において差別化されたチルドカップコーヒー飲料の香味開発に繋がることが期待される。また、消費者を起点とした新商品の合理的かつ効率的な香味の開発に向けて、レトロネイザルアロマの機器計測と官能評価間の相関関係を非線形ANNモデルにより構築したことにより、チルドカップコーヒー飲料の香りの品質設計手法が得られた。

以上

審査要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、消費者が嗜好する「おいしさ」に寄与する香りの特徴を起点としたチルドカップコーヒー飲料の合理的かつ効率的な品質設計手法を開発することにある。具体的には、先ず、コーヒーの加工プロセスで発生する香りを捕集・分析する手法を開発して、その香り特性を明らかにした。次に、消費者の嗜好に合致した香りの品質を設計するために、ストローで飲用する際に重要なレトロネイザルアロマ(retronasal aroma)の機器計測による物理化学的属性の定量化と、香りの専門家を用いた分析型官能評価による知覚特性を分析し、さらに両者のデータセット間の相関関係を解析することにより、香りの品質設計に有用な手法を開発した。以下に本論文の具体的手法と成果について概説する。

先ず、焙煎豆の粉砕時に揮散する挽き立て香気を、簡便かつリアルタイムに再現性良く捕集できる、固相マイクロ抽出 (solid phase micro extraction: SPME、ファイバー種: polydimethylsiloxane (PDMS)/divinylbenzene (DVB)) によるサンプリング法を開発した。この方法により捕集した4産地・3焙煎度・2品種(アラビカ種とロブスタ種)の異なる香気成分を、gas chromatography/olfactometry (GC/O) により分析し、それらの匂い成分組成、強度および特性を明らかにした。また、主成分分析により、匂い特性に及ぼす産地や焙煎度の影響が、品種により異なることを明らかにした。

次に、ドリップ抽出直後の淹れ立て香気を、短時間(2分間)に捕集できるSPME(ファイバー種:DVB/carboxen/PDMS)サンプリング法を開発した。この手法により捕集した3産地・3焙煎度のアラビカ種香気のGC/O分析の結果、4-(4'-hydroxyphenyl)-2-butanone(raspberry ketone, sweet-fruity 香)および1-(3,4-dihydro-2H-pyrrol-5-yl)-ethanone(nutty-roast 香)の2成分を、コーヒーの香気成分として初めて見出した。また、その主成分プロファイルより、エチオピア産の匂いは、焙煎度に関らず、タンザニア産とグァテマラ産の匂いから有意に識別された。さらに、香りの専門家パネル、すなわち、フレーバーリストを用いた官能評価試験により、raspberry ketoneが、主にsweet香とsoy sauce香からなるエチオピア産抽出液の特徴的な香りの形成に寄与していることを明らかにした。

他方、エスプレッソおよびとエスプレッソとミルクの混合液、すなわち、通称「カフェラテ」のオルソネイザルアロマ(orthonasal aroma)とレトロネイザルアロマの特性を比較評価するために、各々に相当するヘッドスペース(HS)香気とretronasal aroma simulator、すなわち、RAS による捕集香気の短時間(1~2min.)SPMEサンプリング法を開発した。この手法により捕集した両香気のGC/O分析結果の比較より、RAS香気は、ミルクの添加に関らず、HS香気よりも、高揮発性成分において匂いの相対強度(odor spectrum value)が強いことを示した。また、エスプレッソにミルクを添加することにより、両香気ともに、匂い強度が減少し、アロマリリースが全般的に抑えられた。一方、全匂い強度に対する各匂い特性の相対強度において、HS香気とRAS香気は異なる匂い特性組成を有すること、また、ミルクの添加が、両香気の匂い特性プロファイルに異なる影響を及ぼすことを明らかにした。

これらの香り特性計測結果に基づき、開発対象商品の製造要因となる6産地・3焙煎度の各種エスプレッソのRAS香気について、GC/Oおよび電子嗅覚システムαFOX4000による機器計測から物理化学的属性を定量化し、各種RAS香気の特性を評価した。また、RAS香気の官能評価を実施するために、香りの官能評価用語および評価手法を設定し、専門家による分析型官能評価を実施した。得られた香りの官能評価データと機器計測データとの定量的な相関関係を分析する、ニューラルネットワーク(ANN)モデルを構築した。

以上のように、「おいしさ」に寄与する香りの計測とその特性評価、およびレトロネイザルアロマの機器計測と官能評価間の非線形ANNモデルの構築により、消費者を起点としたチルドカップコーヒー飲料の開発に有用な香りの品質設計手法を開発した。

以上の審査結果から、審査委員一同は本論分の学術的な独創性と実用性を高く評価し、博士学位論文として価値あるものと認めた。

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