学位論文要旨



No 217160
著者(漢字) 井島,正博
著者(英字)
著者(カナ) イジマ,マサヒロ
標題(和) 中古語過去・完了表現の研究
標題(洋)
報告番号 217160
報告番号 乙17160
学位授与日 2009.04.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17160号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,泰
 東京大学 教授 尾上,圭介
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 准教授 西村,義樹
 東京大学 教授 野村,剛史
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、中古語の過去・完了表現について、従来のように直接意味を与えるのではなく、その背後に伏在する、日本語の時間表現を生み出すシステムをモデルとして提示し、そこからさまざまな意味が派生するさまを描写しようと試みた。というのも、直接意味を与えるのでは、一つの意味ですべてを覆うことは非常に困難であり、複数の意味用法を列記してもそれらの関係が必ずしも明らかにならないからである。それよりも、時間表現のシステムの中で当該形式が占める位置を示し、そこから読み取れる意味広がりの中で、ある部分が個々の用例の置かれた文脈によって際立つと考える方が妥当であると考える。

さて、中古語の、過去・完了助動詞を中心とした、過去・完了表現については、近代国語学の成立以降だけでも、それぞれ300点近い研究文献を擁する、日本語文法学の中でも議論の中心の一つである。それだけに、重要な問題はすでに論じ尽くされてしまったようにも思われるが、逆に、それらの先行研究を網羅的に読み解き、分類整理することによって、過去・完了表現にはそれぞれどのような側面があり、それらを満足させるためには過去・完了表現は、どのような本質のものと考えればよいかを考える足がかりともなるのではないだろうか。そのような問題意識のもと、本論文の配列とは逆になるが、実際には、第四部、第十四、十五章に示したような、過去・完了助動詞の研究史の分類整理をまず行った。過去助動詞に関しては、近代以降、完了助動詞に関しては、議論の連続性に鑑みて、18世紀の本居宣長の研究以降、現代に至までの研究文献を、グループ分けして、これまでどのようなことが問題にされてきたのかを明らかにしようと試みた。

第一部では、過去表現の研究史を振り返ってみると、第一に、現在通説であるキは「目睹回想」、ケリは「伝承回想」であるという細江逸記説を含む「文内テンス説」、第二に、特にケリに関して気づき・発見、判断・説明、詠嘆・感嘆など話者の心的活動を表わすと考える「文内ムード説」、第三に、文という枠を越えて、テクストの中で機能すると考える「テクスト機能説」とに分けられるが、文内テンス説と文内ムード説とには、それぞれ問題があり、本論ではテクスト機能説の立場が過去助動詞の本質であると考える。

ただし、テクスト機能説はこれまでさまざまな形で論じられては来ているが、必ずしも理論的に整備されたものではない。ここではかつて文学理論の中で展開されたテクスト分析の理論を参考にして、視点という観点を理論の中心に据える。すなわち、物語の中に描かれている「物語世界」と、語り手が物語を描く「表現世界」という二つの世界を設定して、語り手が物語世界の中に視点を移行させて「ウチの視点」で過去助動詞なし(φ)で描く「物語時現在」の描き方と、語り手があくまでも表現世界に視点を置き、表現時の現在を物語世界のずっと未来に位置付けてそこから振り返って「ソトの視点」でケリを用いて描く「相対時過去」とがあり、さらに、物語の中の現在からさらに過去を振り返る場合には、「物語時過去」のキが用いられると考える。このように、従来は、テンス理論の中心には、現実の一次元的な時間の流れが無批判に前提されていたが、ここでは、物語世界を流れる「物語時」と、表現世界を流れる「表現時」という、話者の心内にある二つの時間の関わりとしてテンス表現を考えるべきであることを主張する(第一章)。

そのような理論の上に立って、以下、さまざまな文法的な問題について議論していく。まず、中古の文学作品は、視点という観点に立てば、主としてソトの視点から描かれる『伊勢物語』や『今昔物語集』本朝編など、主としてウチの視点から描かれる『栄花物語』など、そしてその中間に、ソトの視点とウチの視点を織り交ぜて描かれる『竹取物語』や『源氏物語』などに分けられる。そしてそのような表現を採る背後には、それぞれ物語のリアリティを高めようとする作者の意図を読み取ることができる(第二章)。

次に、階層的モダリティ論の立場に立った議論では、しばしば命題とモダリティの境界にあると論じられるのが、現代語のノダ、中古語の連体ナリであるが、その連体ナリと過去助動詞の相互承接をめぐる問題について論じる。すなわち、連体ナリに上接するキ・ケリはその出来事が物語世界の中で事実であることを表わし、連体ナリに下接するケリ(キは下接しない)は説明、しばしば因果関係に関する説明が事実であることを表わすことを論じる(第三章)。

その次に、物語時と表現時という二つの時間を立てれば、「今」で表わされるものには、物語時現在と表現時現在との二つのものがあることになるが、実際に中古の物語の中に両者を認めることができる。物語冒頭に見られる「今は昔」の解釈にも二つの立場があるが、それは「今」を物語時現在とするか表現時現在とするかに対応する。冒頭の「今は昔」は、まだ物語の始まっていない枠の部分に相当することなどから、この「今」は表現時現在と考えるのが妥当で、「今となっては昔のこととなりましたが」のように解釈する通説が正しいことを論じる(第四章)。

さらに、この物語世界と表現世界という二世界を設ける枠組は、過去表現ではないが、会話文的特徴を持つと言われる丁寧語のハベリ(および下二段タマフ)や係助詞ナム(ナモ)の共通点と相違点を考えるのにも有効であることを論じる(第五章)。

第二部では、完了表現に関して論じる。かつては、完了助動詞に関して、ヌ・ツはそれぞれ自動詞・他動詞に承接する、あるいは非意志動詞・意志動詞に承接するなどと考える説が有力であったが、その後、アスペクト説が主流となる。本論でも、アスペクト説の立場に立つ。ただし、アスペクト説の中にもいろいろな考え方があるが、ここでは、アスペクトとは、当該の事態の外部から与えられた基準時において、当該事態が時間的展開のどの段階にあるかを表わす表現の仕組みであるという考えを採ることを論じる(第六章)。

続いて、現代語と中古語とは、同じアスペクト・システムであるかというと、現代語は"動作"に対してアスペクト・システムが適用される「動作アスペクト」というシステムであるのに対して、中古語では"動作。.ばかりでなく"状態"なども含む"事態"に対してアスペクト・システムが適用される「事態アスペクト」というシステムであることを明らかにしようと試みる(第七章)。

さらに、中古語が「事態アスペクト」というシステムであるとしても、それだけでは、実際に中古語では、ヌは自動詞や非意志動詞に下接することが多く、ツは他動詞や意志動詞に下接することが多いという傾向性を説明することはできない。そこで、他動詞は、主に対象の変化を表わす基幹動作に、主体の働きかけを表わす使役動作がいわば上乗せされたものである、という考え方を事態にも適用して、変化事態と行為事態という二つの事態を設け、それぞれ個別に用いられることもあるが、場合によっては変化事態に行為事態が上乗せされることもあると考える。およそ自動詞に対応する変化事態は、その変化の〈始発〉が注目されるためにヌが用いられることが多く、およそ他動詞に対応する複合事態は、原則として行為事態の〈完了〉が変化事態の〈始発〉と一致すると考えれば、行為事態の〈完了〉としてツが用いられることが説明できる(第八章)。

また、学校文法では、テム、ナム、テバ、ナバなどは、「完了」を表わすとは考えにくいことから、「確述」を表わすというように区別される。その背後には、「完了」とは、現実の時間に対してしか適用できない概念であるという先入観がある。現実世界に流れる時間の他に、仮想世界を流れる時間というものを考えれば、「完了」と「確述」とを区別する必要はなくなる(第九章)。

さらに、完了助動詞に関しても、テクストの中で働く場合があることを論じる。すなわち、ツはしばしば会話文の中で時間の流れに沿って出来事を生き生きと描く場合に用いられ、ヌは場面の冒頭や結末部分に現われて場面を区切る働きをしており、タリ・リはその場の状況を肉付けするために用いられることがある。これらも、これまで示してきたようなアスペクト・システムによって説明できる(第十章)。

第三部では、複文の中での時間関係に関する問題を論じる。まず、現代語では、マデとマデニには、〈期間〉と〈期限〉という違いがあると指摘されることがあるが、上代・中古語にも存在するマデ・マデニはいずれも〈期間〉を表わしており、〈期間〉と〈期限〉という違いには対応しない。そこで、格助詞ばかりでなく、相対名詞も視野に入れれば、中古では、時間の起点に関しては、ヨリが〈期間〉を、ノチが〈期限〉を表わしていることを論証する(第十一章)。

さらに、現代語のタには、主節と従属節との時間的前後関係を表わす相対テンスの用法が存在するが、中古語の過去・完了助動詞には相対テンスの用法があるかどうかを検証する。現代語において相対テンスが最も現われやすいのは、「後」「先」「間」などの相対名詞、あるいは「時」を用いた時間副詞節の中であるが、中古語の過去・完了助動詞には、その環境で相対テンスを表わす用法はなかったことを明らかにする(第十二、十三章)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は中古語のテンス・アスペクトについて、先行研究を着実にふまえ、その問題点を指摘しつつ新たな観点から総合的にあつかったものである。

本論文は四つの部分からなり、第一部で過去表現、第二部で完了表現、第三部では従属節の時制、第四部では過去・完了の助動詞の研究史に関して論じている。

第一部では、物語世界をそのソトにある表現者の視点から捉える「表現時」と、物語世界の出来事をそれに密着してウチの視点から捉える「物語時」という、二つの時間の関係づけとして時制理論は組み立てなければならないと主張する。そして中古語の過去表現においては、表現時はケリによって、物語時はキによって表わされると結論づける。その立場から中古仮名文学作品の類型化に及ぶとともに、断定の助動詞ナリとの承接順序から助動詞の意味的相違を問題にし、更には物語冒頭句「今は昔」と表現時・物語時との相関の問題や、丁寧語ハベリと係助詞ナムの使用と会話性との関係の問題を論じている。

第二部では、アスペクトとは、当該事態の外部から与えられた基準時において、当該事態が時間的展開のどの段階にあるかを表わす表現の仕組みであるという考え方をとる。そして、現代語のアスペクト・システムが「動作」にだけ適用されるものであるのに対して、中古語のシステムは、動作だけでなく、状態をも含んだ「事態」に対して適用されるものであるとする。それによるなら中古語のアスペクトは、完了のヌが事態の始発を表わし、その後の経過の段階をタリ・リが表わし、完了のツが事態の終結を表わすというシステムであり、現代語のシテイルのように動作の継続とともに、動作の外部に動作の終結後の持続というアスペクトを認める必要はないとする。同時に、完了の助動詞の確述とよばれる用法を基準時点を仮想的地点においた完了であるとするとともに、完了表現には段落構成的なテクスト的機能が存在することを論じる。

第三部では、中古語の複文での相対的テンスのありかたを、格助詞、および相対名詞の場合について論じ、ヨリとノチ、サキとマデのちがい、およびトキ節の従属度について実証的に研究している。

第四部は研究史資料集成という観もあるが、その整理の仕方によって、本論文の研究史に対する評価がおのずと知られる構成になっている。

本論文は、第一部のテンス論において、表現時と物語時に対する機能的側面から時制表現を組織化することに成功しており、今後の中古作品の時制研究のスタンダードとなるものと思われる。第二部は、説明が不十分なところもあるが、現代語と古代語のアスペクトシステムがおおきくことなる可能性を示した点で意味がある。第三部は、一部、二部と術語の面でのすりあわせが十分でないところも感じられるが、中古語の従属節が独立性が強いことを十分に示しえている。第四部の完了の助動詞の研究史は、なかにこれまでの研究で等閑に付されてきた諸説についても詳細な紹介があり、今後のこの方面の議論の基盤となるものであるといえる。以上より、本審査委員会は、全員一致で本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するとの結論に達した。

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