学位論文要旨



No 217163
著者(漢字) 橘,徹
著者(英字)
著者(カナ) タチバナ,トオル
標題(和) 愛知県知多半島南部に分布する,漸深海環境下で形成された新第三紀中新世の津波起源の礫岩層
標題(洋)
報告番号 217163
報告番号 乙17163
学位授与日 2009.04.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17163号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 都司,嘉宣
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 准教授 田島,芳満
 東京大学 教授 佐竹,健治
内容要旨 要旨を表示する

2004年12月に発生したスマトラ沖地震はマグニチュードが9.0に達する連動型超巨大地震であった.この地震によって引き起こされたインド洋津波も規模の大きいものであり,インドネシアやタイなど周辺諸国に甚大な被害をもたらしたことは記憶に新しい.

インド洋津波の襲来を受けた各地域では津波による堆積物が形成されたことが報告されているが,この津波によるものに限らず,津波によって形成された堆積物は世界の各地に分布することが知られている.これまで報告された津波堆積物の多くは海底地震起源のものであり,第四紀に海岸付近で形成されたものが多いが,海底地震以外の原因で形成されたものや,非常に古い地質時代に形成されたもの,深海域で形成されたものも報告されている.

本論の研究対象である,上部漸深海域で形成された前期中新世の礫岩層(以下,礫ヶ浦礫岩層と表記する)も地質学的な観察より海底地震による津波堆積物であると解釈されてきた.しかしながら海底地震による津波では,上部漸深海域のような水深の深い海底に礫が含まれるような粗粒な津波堆積物は形成されえないという水理学的観点からの見解もあった.礫ヶ浦礫岩層の形成については,このように地質学的見解と水理学的見解とは相反するものであった.

それゆえ本研究では,i)礫ヶ浦礫岩層ならびに周辺に分布する堆積岩の詳細な記載を行い,地質学的観察から礫ヶ浦礫岩層の形成プロセスについての情報を得る,ii)津波を数値的に復元(津波シミュレーション)し,津波による流れによって礫岩層が上部漸深海域において形成され得るのか否かを水理学的に検討する,iii)これらの結果を併せて礫ヶ浦礫岩層の形成プロセスを検討する,ことを行った.

(i)礫ヶ浦礫岩層の地質学的観察結果

礫ヶ浦礫岩層は愛知県の知多半島南部に分布する師崎層群に含まれるが,師崎層群分布域の限られた地域(礫ヶ浦海岸)にのみ出現する.師崎層群は前期~中期中新世に形成された泥岩層を主体とする堆積岩であり,礫ヶ浦礫岩層の出現層準から,この礫岩層の形成年代はおよそ1700万年程度と推定される.礫ヶ浦海岸および周辺地域より産出する化石から,礫ヶ浦礫岩層は水深300m程度の上部漸深海域に堆積したことが判明している.

礫ヶ浦海岸には泥岩層に挟まれて,メートルオーダーの礫を含む礫岩層,すなわち礫ヶ浦礫岩層が8層準分布することが確認されている.上部漸深海域という堆積環境を考慮すれば,このような巨大な礫を含む礫岩層の出現は特異である.地質学的観察によればこれらの礫岩層は上部に正級化する砂岩層を伴い,一連の上方細粒化するユニットを形成している.ひとつのユニットは1回のイベントによって形成されたと解釈される.また礫ヶ浦海岸には多数のサイスマイト(地震による振動によって形成された堆積構造を示す堆積岩)が認められる.

礫ヶ浦礫岩層には含まれる礫はほとんどが片麻岩の礫であり,円礫と角礫とが混在している.礫岩層に含まれる礫の詳細な観察によれば,礫は大きさ,形状,出現状況に基づいて6種に区分することができ,本研究ではこれらを「礫分類A」~「礫分類F」と呼んだ.礫分類Aの礫は巨大な円礫であり,最大で径が3mに達する.礫分類Aの礫には付随する礫が少なく,細粒な堆積物中に孤立した状態で出現している.礫分類Bの礫は大きな角礫状の礫であり,最大で径が2m程度である.礫分類Bの礫はトラフ状の形状をなす礫岩層を構成する礫の一部となっている.礫分類Cの礫は大きな角礫状の礫であり,細粒な堆積物中に孤立した状態で出現しているものである.礫分類D~Fの礫は径の小さい角礫ないし亜円礫であり,礫岩層を形成している.

礫岩層にはインブリケーションやクラスターなど掃流によって形成されやすい堆積構造が多数見られるほか,漸深海底では津波以外では考えがたい,流れの反転を示す構造が見られた.また礫層の上位にある砂岩層でも流れの向きが反転する部分が成層していることが確認された.このように地質学的観察からは礫ヶ浦礫岩層は津波堆積物であると結論される.

(ii)津波の数値的復元による水理学的検討結果

礫岩層が津波によって形成されえたのかを水理学的に検討するためには,津波によって海底に生じる流れがどの程度の流速であるのかを明らかにする必要がある.同時に礫岩層に含まれている礫,なかでも最も動きにくい,すなわち径の大きい礫がどの程度の流速ならば動きうるのかを明らかにする必要がある.

それゆえ本研究の第3章では,径の大きな礫を対象とした限界流速値の推定を行った.礫の形状によって限界流速値が大きく異なることから,限界流速値の推定は礫が球状に近似される場合と立方体状に近似される場合とに分けた.なお,球状の礫は地質学的観察による「礫分類A」に相当し,立方体状の礫は「礫分類B,C」に相当する.

球状の礫の場合,径dの礫の限界流速は以下の式のようになる.(〓)ただしucは限界流速値,ρは礫の密度,ρwは海水の密度,gは重力加速度,CDは抗力係数,εは遮蔽係数,θは礫の動き始めの回転中心と重心とがなす線分が鉛直方向となす角,ξは礫が置かれている斜面の傾斜角,kLは揚力/抗力比を表す.

礫ヶ浦礫岩層に含まれる最も大きい球状の礫(径d=3m)に対して,この式より限界流速値は約3m/sとなる.

立方体状の礫についても球状の礫の場合と同様の考察から,礫径dの礫に対する限界流速の式を求めた.その式によれば礫ヶ浦礫岩層に含まれる最も大きい角礫状の礫に対する限界流速値は,球状の礫の場合とほぼ等しく,およそ3m/sとなる.

本研究の第4章では礫ヶ浦礫岩層形成時の地形を推定し,その地形に基づいて津波の復元を行った.津波を発生させた地震として,スマトラ島沖地震(2004)や歴史地震としては仁和地震(887)に相当するM9クラスの連動型超巨大地震を想定した.また比較のためにより規模の小さい,宝永地震(1707)に相当するM8.5クラス,安政東海地震(1854)あるいは東南海地震(1944)に相当するM8クラスの地震によって引き起こされる津波の復元も行った.

津波の復元の結果によれば,礫ヶ浦礫岩層が堆積したと考えられる水深300m程度の漸深海底では,M9クラスの連動型巨大地震による大規模な津波の場合,最大で3m/s程度の引き流れが生じることが判明した.この流速値は礫ヶ浦礫岩層に含まれる最大の円礫ならびに最大の角礫の限界流速値とほぼ一致する.すなわち連動型超巨大地震による津波であれば,水深300m程度であっても巨大な礫を動かしうる,つまり礫ヶ浦礫岩層のような礫岩層を形成しうることが示された.なお,最大流速の出現時には津波は進行波ではなく,定在波(Standing Wave)となっていたことが,復元された海面変動量と流速との関係から判明した.

M8.5クラスの地震ならびにM8クラスの地震によって発生する津波では礫ヶ浦礫岩層に相当するような礫岩層を形成しうるだけの流れは生じ得ないことが津波の復元から判明した.

(iii)地質学的観察結果と水理学的検討に基づく礫ヶ浦礫岩層の堆積プロセス

水理学的検討結果によればスマトラ沖地震(2004)や仁和地震(887)のような連動型超巨大地震によって引き起こされた津波ならば漸深海域に巨大な礫を運搬することは可能であり,礫ヶ浦礫岩層は津波によって形成されたものであると解釈される.

地質学的観察結果と併せると,海岸域ないし浅海域に存在した礫が津波による引き流れによって,チャネル状の経路に沿って運搬され,水深300m程度の漸深海域に礫岩層として堆積したと考えられる.礫種が片麻岩にほぼ限定されかつ多数の角礫を含むことから,運搬経路に沿うような崖があり,その崖の崩壊によって生成された礫が礫岩層形成の主体となったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

この論文の筆者は、愛知県知多半島先端部の礫ケ浦(つぶてがうら)の磯海岸に露出した砂岩・礫岩地層の中に、前期中新世(約1700万年前)に津波によって形成されたと見られる堆積層があることに注目し、その成立過程を考察した。この津波堆積層は、砂層、および礫層からなるが、礫(れき)の中には直径が最大3mにも達するような大きな岩塊も含まれていた。筆者はまず、これらの砂層、礫層の礫の配列が上流方向に傾斜して配列したインブリケーションを成していることから、この地層が、流水によって運ばれて来て形成されたものであることを論じた。2004年インドネシア・スマトラ島沖地震津波による海岸に堆積した砂層の構造や、1771年八重山津波によって沿岸に多数打ち上げられた津波石の配列などと比較し、また往流復流による堆積層が交互に重なっているところが見られる点も考慮して、この構造が津波による堆積構造であると推定した。さらに筆者は、この地層の中にクモヒトデなど水深約300m附近の深さに棲息する生物の化石が含まれているため、この堆積層は、水深300mの海底で起きた急速な水流によって形成されたものと推定した。

従来、地震津波による堆積層の形成は、沿岸の陸上か、海岸線に近いごく浅い海域でのみなされるものと考えられてきた。水深数百メートルの深海では、津波といえども礫を動かすほどの流速とはならないと考えられてきたのである。そこで、この論文の筆者は、直径3mにも達するような大きな礫が、水深300mという地点の海底で流水によって動き出すための力学的条件を考察した。その結果、礫が球状の場合も、角礫状の場合も、どちらの場合にもおよそ毎秒3.0m以上の流速がある場合に、転動、あるいは滑動して移動しうることを示した。

この地層が発見された知多半島は、現在は伊勢湾の内部にある。この場所は、南海トラフの海溝が東西に走る海域に面しており、プレート境界型の東海・南海巨大地震による津波をおよそ100年に1度の頻度で受ける海岸となっている。この論文の筆者は、東海・南海沖の巨大地震による津波によって水深300mの海底に毎秒3.0mかそれ以上の流水が発生しうるかどうかを津波の数値計算を行うことによって検討した。筆者は東海地震としてマグニチュードM8.0程度の標準クラス(昭和19年東南海地震や安政東海地震<1854>に相当する)、東海・南海地震が同時に起きたとされる宝永地震(1707)のような連動型巨大地震クラス(M8.5程度)、および仁和地震(887)や2004年インドネシア・スマトラ島地震に比すべきマグニチュードM9.0程度の連動型超巨大地震を想定して、この3ケースについて津波の発生伝播計算を行った。その結果、マグニチュード9.0クラスの地震による津波が起きた場合、水深300mの地点で、海水流速が毎秒3.0mに達することが証明された。すなわち、津波第1波が海岸線に向かって進行してくる時点では毎秒3.0mの流速には達せず、その第1波前半部分が海岸線で反射して、後から進行してくる第1波の後半部分とあわさって部分的な定常波を形成する瞬間、その節点(node)に相当する位置に毎秒3.0mの流速が現れることが示されたのである。当時の海底地形では、この節点の位置がちょうど水深300m地点付近に一致していた。地震の規模がこれより小さなM8.0程度の場合、あるいはM8.5程度の場合には、水深300mの地点での流速は毎秒3.0mには達しないことが分かった。流速の絶対値が小さいうえに、節点が水深300m地点よりもっと浅い場所にずれて、「定常波形成による流速倍増効果」が水深300m地点では起きないからである。

以上のような津波の数値計算の結果を得て、筆者は次のように指摘する。すなわち「これまでの研究で、津波によっては水深数百メートルの海底の砂礫は移動し得ない、と考えられていたのは、津波を進行波として流速を見積もっていたからである。M9.0クラスの連動型超巨大地震の津波が、海岸線で反射して定常波を形成するときには、その節点では、進行波の流速の2倍の流速が出現する。このため、海底の砂礫が津波によって移動する、ということが起きるのである」というわけである。なお、水深300mの地点にあった礫は、元は陸上、あるいは海岸線近くにあって、表面が摩耗された物であったが、それが水深300mの地点にまで運ばれたのは、ただ一度の津波によるのではなく、幾度かの津波の作用を受けて徐々に深い海域に移動していったものであると推定している。

本研究の筆者は水深数百メートルの海底での礫の輸送という、これまで理学的にもほとんど解明されることがなかった問題を扱い、その輸送の主役が津波であるという点を明らかにした。このことから本研究は世界の津波堆積物研究に新しい展開をなした独創的なものである、ということができる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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