学位論文要旨



No 217169
著者(漢字) 栗本,育三郎
著者(英字)
著者(カナ) クリモト,イクサブロウ
標題(和) 近赤外分光法を用いた脳機能信号解析の研究
標題(洋)
報告番号 217169
報告番号 乙17169
学位授与日 2009.04.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第17169号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘,
 東京大学 教授 嵯峨山,茂樹
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 石川,正俊
 東京大学 講師 川上,直樹
内容要旨 要旨を表示する

脳機能計測装置としてのPET・fMRI・MEG・EEGは,その装置の形状,測定形態により,日常の環境下・体動のある脳活動を計測するのが困難であった.それらの問題を解決する手段として,近年,近赤外分光法(Near InfraRed Spectoroscopy以下NIRSと略す.)を用いた脳機能解析装置が研究開発されてきた.この装置の計測原理は,近赤外光を頭部表面から照射し,頭蓋骨を経て大脳皮質を透過減衰した信号強度から,酸素化ヘモグロビン・脱酸素化ヘモグロビン,両者の和のトータルヘモグロビンの濃度変化を導出するものである.近赤外光を用いることで電磁ノイズの混入が無く,日常の環境下での計測に適し,体動のある脳活動の計測に可能性を拓きつつある.

しかしながら,この装置は,頭部表面から,脳溝,脳回等,様々な大脳皮質の部位を推定し,近赤外照射・検出を行わなければならない.その脳部位推定には,解剖学的所見等に基づいた,何らかの位置決め手法が必要となる.また,大脳皮質は均質ではなく,光の通過する光路長 (Optical Pathlength)が部位により異なり,これらは計測が困難である.そのため商用のNIRS装置では,ヘモグロビンの濃度変化データに光路長データを積として記録し,これを移動平均とタスク加算平均等を用いトポグラフィ画像を生成している.光路長の影響を含んだままのトポグラフィ画像は,部位間・被験者間の相互比較が不可能である.また,光情報との相互作用によって生じた信号成分が消去され,微小な変化であれば打ち消すか加工してしまう可能性もある.

すなわち脳部位推定の問題,光路長由来の部位間・被験者間比較問題を解決すれば,脳波と違い,日常のさまざまなノイズや筋電の影響を受けず,また,fMRI,PETと比べて装置が装着可能な程度まで小型化が可能で,かつ酸素化ヘモグロビン,脱酸素化ヘモグロビン,トータルヘモグロビンの挙動を時系列に観察できるため,これまで計測できなかった運動を含むタスクと脳の関係解明,ウェアラブルなタスクや感覚提示系の評価等への応用に活用できる.

そのため本研究の目的は,まず,脳部位推定の高度化を目指し,シースルー型脳立体観察ディスプレイを構成し,大脳皮質の脳溝,脳回等が立体で頭部表面情報と融合させ観察出来る様にした.次に,データの部位間・被験者間相互比較を目指し,光路長の影響を消去するNIRS時系列信号の自己相関による解析法を提案し,聴覚の選択的注意におけるタスクとの関連性を観察した. NIRS時系列信号とタスクとの関連性を,10例の被験者に対して,自己相似性の特徴を表す「べき則」(遅れ時間τの絶対値-α乗)になるかを確認した.「べき則」が観察され,脳賦活によってα値に変化が現れれば,脳賦活の指標とすることが可能となる.さらに自己相似性の特徴を表すα値を安定して抽出するため,標本平均の分散を求める分散プロット法をNIRS時系列信号解析に適用することを提案し,聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中時の脳賦活との関連性を解析した.最後に10例の被験者によるタスク期間の平均値によるカラーマップによって,従来法と提案手法を比較して,提案手法が部位間・被験者間の相互比較に有効であることを検証した.

そこで,本論文では,2章にて,従来の脳部位推定法(シルビウス定規や3次元位置情報測定システム)を試行し問題点を探り,脳部位推定の高度化を目指し,シースルー型脳立体観察ディスプレイを開発し評価した.まず,従来の脳部位推定法の問題点は,脳を標準化しなければならず,被験者により,位置決めには個人差が出ることであった.そこで, MRIのT1(T1強調画像:縦緩和によってコントラストのついた核磁化分布を画像化,組織が灰色,水,血液が黒く映る.)法とT2(T2強調画像:横緩和によってコントラストのついた核磁化分布を画像化,水,血液が白く映り,石灰化等が黒く映る.)法で撮影し,T1法で頭部画像,T2法で脳立体透明視画像を再構成した.このT2法のデータから脳溝・脳回等を観察できる脳立体透明視画像を再構成した.次に,被験者の頭部表面との融合を実現するシースルー型脳立体観察ディスプレイを設計・試作した.

この評価として,被験者50人に対して,立体に見えるかどうかを検証したところ,全ての被験者から立体に見えるという結果が得られた.また,頭部にMRI撮影時13点と実際の頭部5点の位置にアダラートカプセルマーカを貼り付け(シルビウス溝を想定した場所の左右に2点ずつと目尻のラインから後頭部に1点の合計5点),脳立体画像と被験者の頭部とをシースルーで観察し融合させた。被験者10人に対して,これらのマーカの位置が10人中10人一致したと回答した(13点中特定5点の一致を口頭にて回答).実際の頭部と脳立体視画像の一致が実現したことにより,NIRS計測の再現性,位置決め等に精度の向上が実現できた.位置決めに用いた帽子をプローブホルダとして活用することで,従来のバンド型による装着が1時間程度かかったのに対して,10分程度で装着できることから,装着性向上につながった.

3章では,データの部位間・被験者間比較を目指し,光路長の影響を消去できるNIRS時系列信号の自己相関による解析法を提案した.聴覚の選択的注意におけるタスクとの関連性を観察し,NIRS時系列信号がタスクとの関連において,自己相似性の特徴である「べき則」となることを確認した.その時系列特性を抽出するために標本平均の分散を求める分散プロット法をNIRS信号解析に適用することを提案し,聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中時の脳賦活との関連性を解析した.

その結果,選択的注意タスクの音楽集中,講演集中時の聴覚野でのNIRS時系列信号の「べき則」における自己相似性を表すパラメータαを安定して求めることが可能となった.10人の被験者の酸素化へグロビンのNIRS時系列信号の音楽集中時における最小平均値αを抽出し,音楽集中時の最小平均値αが左聴覚前側野前側CH8で被験者10例中8例,右聴覚野の前側CH22で10例中7例が同一CHとして検出された.講演集中時では左側CH11になった例が10例中5例,右側で10例中4例が変化した.音楽集中時の左聴覚野でのα値が講演集中時のそれより0.6以下であったものが10例中7例であった.この結果より,聴覚注意タスクなどの微少な脳賦活に対して,部位間・被験者間比較の可能性が確認できた.

4章では,光路長の影響を受ける従来の解析方法(移動平均・タスク加算平均)と光路長の影響を除いた提案手法との部位間・被験者間比較検証を行った.脳賦活例として,聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中に対する被験者10例での検証を実施した.

従来法(移動平均・タスク加算平均)と本提案手法(標本平均の分散を求める分散プロット法)との比較のためにタスク期間のNIRS時系列信号の平均値を用い,そのCH毎の値をスプライン補間して,カラーマップを作成した.その結果,従来法では,被験者間での値の差が大きく,部位間においても画像の下側の聴覚野近傍での賦活の観察が不可能である.聴覚野(画像下側)の賦活が観察できるものは被験者10例中1例のみで,その他は識別できない.また,3例の被験者は0.4 [mmol × mm]以上が多く逆に他の3例の被験者は0.1 [mmol × mm]以下で低い値となり,被験者間比較ができない.マップ画像そのものの情報に意味が無い結果となった.従って,従来法では,部位間・被験者間での比較は不可能である.選択的注意のような微小な脳賦活の検出は不可能である.

次に,光路長の影響を除いた本提案手法(標本平均の分散を求める分散プロット法)のCH毎の平均α値をスプライン補間してカラーマップを作成した,その結果,部位間・被験者間でのα値の変化が安定しており,部位間においても画像の下側の聴覚野近傍での賦活の観察が可能となった.被験者10例に対して,聴覚野の反応が識別できるのは10例中10例となった.音楽集中時10例中8例において,講演集中との差を観察することができた.音楽集中時においては,先行研究の音楽に関わる聴覚経路上の部位における賦活が観察できた.このように光路長の影響を除いた本提案手法によって,聴覚野におけるタスクにおいて聴覚野の賦活を観察することが可能となった.

本論文の成果をまとめると,脳部位推定の高度化に対して,シースルー型脳立体観察ディスプレイを提案し試作し,頭部と脳立体透明視画像の融合が実現した.次いで,光路長由来の部位間・被験者間相互比較問題の改善策として,光路長の影響を消去できる自己相関解析法により,NIRS時系列信号とタスクとの関連性が自己相似性のある「べき則」となることを確認した.その時系列特性を抽出するために標本平均の分散を求める分散プロット法をNIRS時系列信号解析に適用し,聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中時の脳賦活との関連性を解析した.さらに10例の被験者による従来法と提案手法を比較して,提案手法の有効性を述べた.

今後の展望としては、体動のある日常化での計測,脳機能評価,VR空間での感覚提示系のタスクと脳機能評価,リハビリの評価,BCI(Brain Computer Interface)への展開,脳機能診断等,様々な脳部位・タスクでの検証を行い,データベース化することが挙げられる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「近赤外分光法を用いた脳機能信号解析の研究」と題し、5章からなる。近年、近赤外分光法 (Near Infrared Spectroscopy:NIRS) を用いた脳機能解析装置が研究開発され利用されているが、この装置では、頭部表面から、脳溝・脳回等の大脳皮質の部位を推定し、近赤外照射・検出を行わなければならないことから、正確な脳部位推定のための位置決め手法が必要とされている。また、大脳皮質では、部位により光路長が異なるが、光路長の計測が困難であるため、部位間・被験者間の相互比較が極めて難しかった。本論文は、シースルー型脳立体観察ディスプレイを構成し、大脳皮質の脳溝・脳回等を立体的に頭部表面情報と融合させ観察出来るようにすることと、光路長の影響を消去する分散プロット法によるNIRS時系列信号解析法を提案し上記の問題を解決し、その妥当性を、聴覚の選択的注意におけるタスクの解析に適用して検証して、今後のNIRSを用いた多チャンネル同時脳機能解析への新たな道を拓いている。

第1章「緒論」は序論で、まず,脳機能解析装置としてのNIRSは、運動も含めたさまざまな日常のタスクと脳機能の信号解析の可能性を開いたが、頭部表面からの脳部位推定問題と、光路長由来による部位間・被験者間の相互比較不可能問題がありこれらを解決する必要があることを述べ、そのため本論文では、シースルー型脳立体観察ディスプレイを開発し前者の問題を解決し、光路長の影響を消去できる標本平均の分散を求める分散プロット法をNIRS信号解析に適用することを提案し、その有効性を、聴覚の選択的注意におけるタスクの解析に適用し実証してゆくという、本研究の目的と立場と意義とを明らかにしている。

第2章は、「シースルー型脳立体観察ディスプレイ」と題し、従来のシルビウス定規や3次元位置情報測定システムといった脳部位推定法を試行し、従来の脳部位推定法の問題点は、脳を標準化するため位置決めに個人差が出ることであることから、その問題を解決し脳部位推定精度を高めるため、シースルー型脳立体観察ディスプレイを開発し評価している。すなわち、MRIの縦緩和によってコントラストのついた核磁化分布を画像化し組織が灰色、水・血液が黒く映るT1法 と、横緩和によってコントラストのついた核磁化分布を画像化し水・血液が白く映り、石灰化等が黒く映るT2法 で撮影し、T1法で頭部画像、T2法で脳立体透明視画像を再構成し、T2法のデータから脳溝・脳回等を観察できる脳立体透明視画像を再構成し、設計・試作したシースルー型脳立体観察ディスプレイを用い被験者の頭部表面との融合を実現している。この装置を利用し、被験者50人に対して、立体に見えるかどうかを検証したところ、全ての被験者から立体に見えるという結果が得られ、また、頭部にMRI撮影時13点と実際のシルビウス溝を想定した場所の左右に2点ずつと目尻のラインから後頭部に1点の合計5点頭にアダラートカプセルマーカを貼り付け、脳立体画像と被験者の頭部とをシースルーで観察し融合させている。被験者10人に対して、これらのマーカの位置が10人中10人一致したと回答し、実際の頭部と脳立体視画像の一致が実現したことにより,NIRS計測の再現性、位置決め等に精度の向上が実現できたとしている。なお、位置決めに用いた帽子をプローブホルダとして活用することで、従来のバンド型による装着が1時間程度かかったのに対して、10分程度で装着できることから、装着性向上にもつながったという。

第3章は「光路長影響を除く解析手法の提案」と題し、データの部位間・被験者間比較を目指し、光路長の影響を消去できるNIRS時系列信号の自己相関による解析法および標本平均の分散を求める分散プロット法による解析法を提案している。また、NIRS時系列信号の自己相関関数が、自己相似性の特徴である「べき則」で表せる、すなわち で近似できることを確認し、このαを安定して推定でき、これがタスクにより有為に変化すれば、これをタスクによる脳賦活の差異の指標とすることが可能であるとしている。実際、聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中時のNIRS信号を、分散プロット法を用いて解析しαを推定したところ、聴覚野でαを安定して求めることが可能であった。大脳皮質の血流が増大すれば、α値が減少し、脳賦活が顕著でないところでは、α値が1の近傍の値を示すことから、10名の被験者に対して10回の試行のαの平均値を求め、その最小となるチャンネルを調べている。その結果、被験者10例中8例が左聴覚前側野前側CH8 で、同一被験者10例中7例が、右聴覚野の前側CH22 で、それぞれ音楽集中時の最小α値が検出された。一方、講演集中時では最小値αが検出された部位が、左側でCH11になった例が10例中5例、右側で10例中4例であった。この結果より,聴覚注意タスクなどの微少な脳賦活に対しても、部位間・被験者間で差異が生じ、タスクの差に対する脳賦活の差異を比較することの可能性が確認できたとしている。

第4章は「聴覚の選択的注意における従来手法と提案手法の比較」と題し、光路長の影響を受ける従来の解析方法(移動平均・タスク加算平均)と光路長の影響を除いた提案手法(標本平均の分散を求める分散プロット法)との比較検証を行っている。脳賦活例として、第3章と同じく、聴覚の選択的注意における音楽集中・講演集中に対する被験者10例でのデータを用いている。従来法と本提案手法との比較のためにタスク期間のNIRS時系列信号の平均値を用い、そのCH毎の値をスプライン補間して、カラーマップを作成している。その結果、従来法では、被験者間での値の差が大きく、聴覚野の賦活が観察できるものは被験者10例中1例のみで、部位間においても画像の下側の聴覚野近傍での賦活の観察が不可能であった。マップ画像そのものの情報に意味が無い結果となり、従来法では、選択的注意のような微小な脳賦活の部位間・被験者間での比較は不可能であると結論している。一方、光路長の影響を除いた本提案手法のCH毎の平均α値をスプライン補間してカラーマップを作成したところ、その結果、部位間・被験者間でのα値の変化が安定しており、部位間においても画像の下側の聴覚野近傍での賦活の観察が可能であった。すなわち、被験者10例に対して,聴覚野の反応が識別できるのは10例中10例で、音楽集中時10例中8例において、講演集中時との差を観察することが可能である。なお、音楽集中時においては、リズムや音程で賦活するとされている部位における賦活が観察できたとしている。これらの結果から、光路長の影響を除いた本提案手法によって、聴覚野におけるタスクにおいて聴覚野の賦活を観察することが可能となったと結論している。

第5章「結論」は結語で、本論文の結論をまとめ、今後を展望している。

以上これを要するに、本論文では、近赤外分光法(NIRS)で課題となっていたプローブのポジショニング問題と光路長問題を解決して部位間・被験者間比較を可能とする方式を提案し、その有効性を選択的聴覚注意タスクへの適用などを通して示して、多チャンネル同時脳機能解析への道を拓いたものであって、システム情報学、特に計測工学に貢献するところが大である。

よって、本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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