学位論文要旨



No 217172
著者(漢字) 二藤,隆春
著者(英字)
著者(カナ) ニトウ,タカハル
標題(和) 球脊髄性筋萎縮症における嚥下機能障害の解析
標題(洋)
報告番号 217172
報告番号 乙17172
学位授与日 2009.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17172号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 飯野,光喜
 東京大学 准教授 朝蔭,孝宏
 東京大学 講師 清水,潤
内容要旨 要旨を表示する

【1】はじめに

高齢化社会を迎えた今日、脳血管障害や神経筋疾患による嚥下障害患者が増加しつつある。「口から食べること」は、単に生物として栄養を補給するだけのものではなく、「人が人らしく」生きるための基本的な生理的行為であるという観点から、経口摂取があらためて注目されている。神経筋疾患の摂食・嚥下障害は進行性であり、介入しても改善しないと敬遠されがちであり、重症化した症例に対する胃瘻や経鼻胃管による栄養管理、気管切開などによる気道管理、肺炎治療などが中心であった。嚥下障害を伴う神経筋疾患における栄養摂取法の対応と治療方針を決定するにあたり重要なことは、その病的嚥下機構を明らかとし、個々の患者にとって最適な方法を選択、生理的な経口摂取が可能となるよう最大限の努力をはらうことにある。そのためにも、疾患群ごとに嚥下機構や進行パターンの解析を行うことが必要である。球脊髄性筋萎縮症 (Spinal and Bulbar Muscular Atrophy; 以下SBMA) は、成人男性に発症する遺伝性の下位運動ニューロン疾患であり、緩徐進行性の四肢近位筋の筋力低下および萎縮と球麻痺を主症状とする。アンドロゲン受容体遺伝子のCAGリピートの異常延長が原因であるとされる。ARのリピート数は、健常者では12~34であるのに対して、SBMAにおいては、40~62に延長しており、CAGリピート数が多くなるほど発症が早くなり、症状の重症度が増すことが知られている。本疾患において球麻痺が主症状のひとつであり、かつ誤嚥性肺炎が予後を決定する因子であるとされているにもかかわらず、嚥下障害の病態については、ほとんど報告がみられない。本研究では、SBMAの嚥下動態を明らかにするとともに、臨床所見・データとの関連性について検討した。

【2】問診と検査所見からみたSBMAの嚥下障害像について

研究1では、球脊髄性筋萎縮症の臨床像と嚥下障害出現時期について検討した。対象症例は、神経内科でSBMAと診断され、嚥下機能評価のため耳鼻咽喉科を受診した38名。全例男性。初診時平均年齢は52.4歳。平均CAGリピート数は47.3。筋力低下出現平均年齢は42.0歳。嚥下困難感を有する患者は27名おり、出現年齢は51.6歳。CAGリピート数と四肢筋力低下および嚥下困難感の出現年齢の関係を検定したところ、CAGリピート数の増加に従って、四肢筋力低下および嚥下困難感の出現年齢が若年化していた(図1)。

研究2ではSBMAにおける耳鼻咽喉科的所見を解析した。

舌の萎縮と線維束攣縮は全例にみられたが、軽度から中等度の障害であった。重度の軟口蓋麻痺症例は5例にみられたが、舌の障害と一致しておらず、両者は並行して進行しない可能性がある。咽頭の唾液貯留は嚥下困難感の有無で有意差がみられた。声帯麻痺を呈した症例は認められなかった。

【3】SBMAの嚥下障害の定性・定量的解析

研究3では、嚥下造影検査による嚥下機能の定性的評価および嚥下圧検査による中咽頭最高圧、下咽頭最高圧の定量的評価を行った。造影剤としてイオヘキソール300(オムニパーク(R))5mlを用いて評価した。口腔期・咽頭期の各種項目ごとに、正常、軽度障害、障害の3段階で判定した。嚥下困難感のないSBMA症例群の54.5%に咽頭期の障害がみられたのに対して、口腔期には異常がみられなかった。一方、嚥下困難感のあるSBMA患者群では、口腔期で48.1%に障害がみられたのに対して、咽頭期では92.6%に障害がみられ、かつ重度障害の割合が多かった(図2,3)。

嚥下困難感のあるSBMA患者群の中咽頭最高圧は、嚥下困難感のないSBMA患者群および正常コントロール群より有意に低下していた(p<0.001およびp=0.010)。また嚥下困難感のあるSBMA患者群の下咽頭最高圧は、正常コントロールと比較し、有意に低下していた(p=0.007)(図4,5)。

中咽頭最高圧と下咽頭最高圧は、相関係数r =0.440(p<0.01)であり、中等度の相関関係を示した(図6)。

研究4では、嚥下圧と各種項目の相関関係を解析した。筋力低下出現後期間と中咽頭最高圧の間には有意な相関がみられた。p=0.012の有意性で筋力低下出現後期間(年)は中咽頭最高圧にy=80.76-11.70×logexの式で回帰し、決定係数0.16であった(図7)。嚥下困難感出現後期間と中咽頭最高圧に相関関係は認められなかった。

【4】まとめ

球脊髄性筋萎縮症においては、咽頭期の障害から出現し、やがて口腔期の障害も出現し、両者が徐々に増悪していくことが示された。中咽頭圧は筋力低下出現後期間と有意な相関関係を認められた。中咽頭圧と下咽頭圧は相関関係にあり、中咽頭圧の低下に従い、徐々に下咽頭圧の低下も進行すると考えられ、咽頭収縮筋を支配している疑核に早期から障害が存在する可能性が示唆された。筋力低下出現時にはすでに嚥下圧の低下が始まっており、指数曲線的に低下していくことが示されたことから、嚥下困難感出現時には著明に嚥下圧が低下している可能性がある。嚥下困難感が出現した場合、原則的に詳細な嚥下機能評価を行ってみる必要性があると考えられた。

(図1,2)CAGリピート数と筋力低下出現年齢および嚥下困難感出現の関係

(図3,4)嚥下造影検査の結果 左;嚥下困難感なし 右;嚥下困難感あり

(図5,6)中咽頭最高圧、下咽頭最高圧の比較 (図7)中咽頭圧と下咽頭圧の相関関係

(図8)筋力低下出現後期間と中咽頭最高圧の関係

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、成人男性に発症する遺伝性の下位運動ニューロン疾患であり、球麻痺を主症状のひとつとする球脊髄性筋萎縮症 (Spinal and Bulbar Muscular Atrophy) の嚥下機能障害像を明らかとするため、嚥下造影検査、嚥下圧検査による解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.CAGリピート数と四肢筋力低下および嚥下困難感の出現年齢は有意な負の相関関係を示し、CAGリピート数が大きいほど四肢筋力低下および嚥下困難感の出現年齢が若年化することが示された。また、筋力低下が出現してから嚥下困難感が出現するまでの期間は、筋力低下出現が高齢であるほど短縮することが示された。

2.全例で軽度から中等度の舌萎縮・繊維束攣縮がみられたが、軟口蓋麻痺は一部の症例でのみ認められた。嚥下困難感のある症例において咽頭の唾液貯留が認められたことより、咽頭クリアランス低下による咽頭残留が嚥下困難感の原因のひとつになっていることが示唆された。

3.嚥下造影検査を行ったところ、食塊移送などの口腔期の障害に比して、舌根後方運動や咽頭収縮、咽頭残留などの咽頭期の障害が存在する症例の割合が多く、かつ障害もより重度であった。嚥下困難感のない症例でも咽頭期の障害が存在する症例が存在しており、球脊髄性筋萎縮症においては、咽頭期の障害から出現し、やがて口腔期の障害も出現し、両者が徐々に増悪していくことが明らかとなった。

4.嚥下圧検査を行ったところ、嚥下困難感のない症例群において中・下咽頭圧の低下傾向が、嚥下困難感のある症例において中・下咽頭圧が有意に低下していた。中咽頭圧と下咽頭圧は有意な正の相関関係にあり、咽頭収縮筋を支配している迷走神経の運動核である疑核に障害が早期から存在する可能性が示唆された。

5.中咽頭圧と筋力低下出現後の期間には有意な相関関係にあり、筋力低下出現時から指数曲線的に中咽頭圧が低下しはじめていることが示された。すなわち嚥下困難感出現時には中咽頭圧が著明に低下している可能性があり、嚥下困難感が出現した場合、嚥下造影検査や嚥下圧などによる詳細な嚥下機能評価を行うべきであると考えられた。

以上、本論文は球脊髄性筋萎縮症の嚥下機能障害像とその進行パターンを明らかにし、対応法について考察した。球脊髄性筋萎縮症は未だ治療法の確立していない疾患であり、肺炎が患者の予後を左右するとされていることからも、嚥下機能障害像の解明は患者のQOLと生命予後の改善に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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