学位論文要旨



No 217173
著者(漢字) 間山,千尋
著者(英字)
著者(カナ) マヤマ,チヒロ
標題(和) 直線回帰モデルを用いた緑内障性視野障害の経時的解析と進行の判定基準に対する統計学的評価と最適な判定基準の検討
標題(洋)
報告番号 217173
報告番号 乙17173
学位授与日 2009.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17173号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 准教授 松山,裕
 東京大学 講師 清水,潤
 東京大学 講師 富所,敦男
 東京大学 講師 岩崎,真一
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

緑内障は近年先進国の主要失明原因の一つに数えられる慢性疾患であり、我が国でも高い有病率が明らかにされ大きな注目を集めている。「視神経と視野に特徴的変化を有し、通常眼圧を十分に下降させることにより視神経障害を改善若しくは抑制しうる眼の機能的構造的異常を特徴とする疾患」と定義され、患者が自覚しうる緑内障の主症状は、特徴的な視野の障害である。視野障害は不可逆的で、疾患の進行とともに感度低下の程度が悪化しその範囲が徐々に拡大する。現在、有効性の認められた唯一の治療方法は薬物、手術による眼圧下降であり、一定の眼圧下降が得られれば多くの症例で視野障害の進行が停止、もしくは進行速度が抑制される。

視野障害の程度を定量的に測定できる自動静的視野計による視野検査は、緑内障診療において必須の検査となっている。視野障害の性状から緑内障の確定診断を行うのに加え、その経時的な変化から、疾患の進行の有無と速度を評価することが可能である。進行の有無により症例に応じて手術等の積極的な眼圧下降治療の適応が判断される一方、これまで実施された代表的な大規模臨床試験においては、視野障害の進行の有無をエンドポイントとして眼圧下降治療の有効性が示された。

しかし、緑内障性視野障害の進行の有無を判定する方法と判定基準には種々のものがあり、進行の定義についても広く受け入れられている一般的な基準はない。判定方法と基準によって判定結果が変われば、緑内障症例の治療方針、あるいは臨床研究の結論が大きく左右される可能性がある。判定方法の客観的な評価には感度と特異度の検討が必要だが、検査結果には生理的な変動が含まれ、判定方法の評価に必要な、視野障害の進行群と非進行群の視野データを多数集積することは臨床的に困難であり、そのような検討をおこなった報告は国内外でこれまでほとんど見られない。

本研究は、臨床研究で用いられてきた緑内障性視野障害の進行を評価する複数の方法について、実際の進行例の視野データと、別の緑内障の視野データをもとに行ったシミュレーションによる非進行例視野データを用い、感度と特異度とによる判定能力の統計学的な評価を行った。更に、本研究で独自に提唱した、視野を複数のセクターに分割して障害の進行をセクターごとに評価する方法について、その能力を評価し視野障害の進行を判定するための最適な基準設定について検討した。

本研究の概略

緑内障の視野検査機械として国際標準となっているハンフリー視野計の30-2プログラムの結果のうち、中心から30度以内の視野に格子状に配置された76個の検査点それぞれにおいて測定された光感度閾値の、健常人の視野正常値データベースの中央値との偏差であるtotal deviation (TD)、視野全体での視野障害の程度を示すmean deviation (MD)、及び視野を分割したセクターごとのTDの平均値(sector value;SV)を解析対象とした。

統計解析の手法は、「trend analysis」と「event analysis」と呼ばれる2つの方法に大別される。前者は視野障害の程度を従属変数、時間を独立変数とした一次回帰分析を行い、その回帰直線の傾きと統計学的有意性から進行の判定基準が定義されるもので、視野障害の連続的な進行に対して特に鋭敏であり、判定基準の柔軟な設定が可能で最近の臨床研究では頻用されている。後者は経過観察中の毎回の検査結果について、視野障害の程度を最初のベースラインとなる視野と比較し、事前に設定した一定の基準以上の悪化があった時点で「進行あり」と定義するもので、判定結果がベースラインの設定に大きく依存するものの、比較的簡易な判定操作によって進行の判定ができ、近年欧米を中心に行われてきた大規模臨床試験の多くは、event analysisを採用している。

本研究では、trend analysisとして1)各検査点のTDを目的変数とした回帰分析、2)MDを目的変数とした回帰分析、3)セクターごとのSVを目的変数とした回帰分析 の3つの方法について種々の判定基準の設定値を、またevent analysisとして米国で行われた臨床試験AGIS(Advanced Glaucoma Intervention Study)で用いられた判定方法を、それぞれ検討対象として感度と特異度を算出した。更に本研究で提唱した独自のセクターを用いた方法についても、trend analysisの手法でその能力を評価し、最適な判定基準の設定値を検討した。

方法

本研究の共同研究施設である岐阜大学医学部付属病院、新潟大学医歯学総合病院、広島大学病院、及び東京大学医学部付属病院、それぞれの眼科の緑内障専門外来から、条件を満たし緑内障専門医により障害の進行のあることが確認された、105例105眼(平均経過観察期間約7.5年間)の緑内障症例の視野データを、インフォームドコンセントを得たうえで進行例視野データとして集積した。

視野障害に進行が無い別の緑内障症例355例355眼に対して、視野検査を短期間に2度行った結果から視野の生理的変動のデータを得てその分散共分散の相関構造を推定し、生理的変動を有しながら進行のない非進行視野データをコンピュータシミュレーションにより10000眼分作成した。

上述の各解析方法と判定基準について、進行例視野データから感度を、非進行視野データから特異度を算出し、さらに判定基準を変化させたときの感度・特異度からROCカーブをプロットすることで、各解析方法の判定能力・特性の比較と、最適な判定基準の設定値について検討した。

結果

trend analysisのうち、1つの検査点のみのTDの回帰直線で進行を判定するNoureddin et al.とFitzke et al.の方法は、感度0.914-1.000、特異度0.105-0.264とほぼ同様の傾向を示し、感度は非常に高いものの特異度は低かった。1点のTDの回帰直線についてより厳格な有意水準で進行と判定するBhandari et al.の方法と、隣接する2つ以上の検査点のTDの回帰直線で判定するNouri-Mahdavi et al.の方法は、感度0.848、特異度0.721-0.722で同等の判定結果を示し、高い感度と比較的高い特異度を同時に有していた。MDの回帰直線による判定方法は、P<0.05, P<0.1の有意水準を判定基準としたときにそれぞれ感度0.524, 0.743、特異度 0.945, 0.892と、比較的高い感度と高い特異度を有していた。Wernerの報告したセクターを用いた方法は、感度0.695、特異度0.946と、高い感度と特異度を示した。event analysisであるAGIS法は、2種類の判定基準により感度0.305-0.467、特異度0.999-1.000を示し、感度は高くないものの非常に高い特異度を有していた。

1点のみのTDの回帰直線の傾きが負 かつ統計学的に有意な場合に進行と判定する方法(TDslope法)、MDの回帰直線の傾きが負 かつ統計学的に有意な場合に進行と判定する方法(MDslope法)、および鈴木らの報告したセクターを用いSV値の回帰直線の傾きが負 かつ統計学的に有意な場合に進行と判定する方法については、特異度が0.90、および0.95になるように統計学的有意水準(P値)を設定したときの感度を算出した。そのなかで、鈴木らの報告したセクターを用い「SVの回帰直線の傾きが負 かつ統計学的に有意なセクターが4個以上」ある場合に進行と定義した方法(4セクター法)が、特異度0.90の時に感度0.790、特異度0.95の時に感度0.714と、最も高い感度を有していた。

ROC曲線による解析では、TDslope法よりMDslope法、更に4セクター法のROC曲線が上に位置していた。既報で用いられた判定方法・基準はそのほとんどがMDslope法のROC曲線より下に位置していたが、AGIS法は特異度が非常に高く、既報の方法の中で唯一4セクター法のROC曲線より上に位置していた。

まとめ

本研究の結果から、1-2箇所の検査点のTDの回帰直線から進行を判定する方法は、臨床的に用いるには特異度が不十分であると考えられた。MDslope法は、TDを解析対象とする方法に比して比較的高い感度と特異度を併せ持ち、視野障害の程度を定量化した数値として臨床上頻用されているMDは、視野の進行を評価するうえでも有用なパラメータであることが示され、進行の判定基準としては統計学的有意水準P<0.1前後が適切であると考えられた。AGISスコアを用いたevent analysisの方法は、感度は低いながら特異度は非常に高く、臨床試験で用いるには適切なものであると考えられた。

セクターを利用した判定方法では、網膜神経走行に沿って特徴的な形状に広がる緑内障性視野障害の特徴を反映した評価が可能になり、MDを対象とした方法に比べ局所的な進行に対する検出力が改善され、さらに個々の検査点でのTDの変動が平均化されることで、生理的変動による特異度の低下を抑制できると考えられる。今回検討した判定方法のなかでは、「15のセクターのうち4つ以上でSVの回帰直線の傾きが負 かつ 統計学的に有意」を進行と定義した時に、最も高い感度と特異度が得られた。このセクターを利用した判定方法は、今後臨床、研究面で広く応用できると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、緑内障の視野障害の進行を評価する既存の種々の方法と、独自に提唱した進行評価方法について客観的な感度・特異度の算出を行った上でその能力を検証し、独自の方法の優位性を明らかにしている。本研究の結果は以下に要約される。

1.緑内障性視野障害の進行評価方法の感度・特異度を算出する方法論を確立

本研究では、多施設の患者データから、所定の条件を満たしかつ専門医3名による臨床的診断が一致するという共通の選択基準によって、視野に進行のある症例を105例105眼選択し、このデータを対象として感度を算出した。さらに、同様に多施設から選択された、臨床的に進行のない355例355眼のデータを基にコンピュータシミュレーションを行うことで10000眼という多数の進行のない視野データを作成し、特異度を算出した。

疾患の特質上、進行のない視野データを臨床的に多数集めることの難しさがこの分野における研究の障害になっており、これまで視野進行評価方法の一般的な特異度を算出している報告は国内外にも見られない。本研究では精密なコンピュータシミュレーションを用い、緑内障患者に特有の視野の生理的変動を再現しながら進行のない視野を作成するという初めての試みによって、多数の視野データを得て特異度の算出を可能とした。

2.既存の進行評価方法の感度・特異度を算出し客観的能力を評価

上述の方法により、本研究では複数の進行評価方法の能力を、感度と特異度から客観的に検討することが可能となった。本研究では、既存の方法のうち直線回帰モデルを用いたtrend analysisと呼ばれるによる視野障害の進行評価法について、複数の方法の能力と臨床的な妥当性が検討された。具体的には、1-2箇所の検査点のTotal deviation(TD)の回帰直線から進行を判定する方法は特異度が不十分であり、視野全体の定量的指数であるMean deviation(MD)の回帰直線を用いた方法は、比較的高い感度と特異度を併せ持っていることなどが明らかとなった。判定の基準については、MDの回帰直線の統計学的有意性を基準とした場合、一般に用いられているP<0.05では感度が低く、P<0.1程度が臨床的に妥当な基準であると考えられた。

回帰直線を用いる以外の方法として、event analysisと呼ばれる、Advanced Glaucoma Intervention Studyスコアを用いた方法についても能力を検討した結果、感度は低いものの特異度が非常に高く、臨床試験で用いるには適切なものと考えられた。

3.独自の進行評価方法の提唱とその能力の評価

緑内障性視野障害の特徴的な形態を利用して、視野を複数のセクターに分割して解析する進行評価方法がより高い判定能力をもつと考えられているが、その実際の感度や特異度はこれまで検討されていなかった。本論文では、数学的に決定されたセクターを利用した進行判定方法を独自に提唱し、既存の方法と同じ条件下でその能力を比較検討した。その結果、4個以上のセクターで回帰直線の傾きが負かつ統計学的に有意な場合に進行と定義した方法(4セクター法)が、既存の方法と比較して最も高い感度と特異度を有しており、ROC曲線を用いた解析でも、4セクター法の判定能力が最も優れていることを明らかにした。

以上、本論文は緑内障の視野障害の進行評価方法について、これまでにない新しい方法によって初めてその臨床的な感度と特異度を算出し客観的な能力と特性を明らかにしたものである。本論文により得られた知見と新たに提唱された進行判定方法の応用は、緑内障領域の臨床研究において、また一般的な眼科診療においても大きな臨床的意義を有し、学位の授与に値するものと考えられる。

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