学位論文要旨



No 217174
著者(漢字) 関根,理恵子
著者(英字)
著者(カナ) セキネ,リエコ
標題(和) ストローマ細胞上におけるヒト顆粒球/B細胞造血の動態と構成的 Pax5 発現によるその抑制
標題(洋)
報告番号 217174
報告番号 乙17174
学位授与日 2009.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17174号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森本,幾夫
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 講師 滝田,順子
 東京大学 講師 今井,陽一
内容要旨 要旨を表示する

【研究目的】

ヒトPax5遺伝子は染色体9p13領域に位置し、Bリンパ細胞の分化に重要な転写因子である。マウスではBリンパ細胞の正常分化への関与が詳細に解析されているのに対し、ヒトではPax5変異とB細胞性造血器腫瘍との関連を中心に研究がなされてきた。ヒト造血幹細胞の骨髄再構築に関する研究ではNOD/SCIDマウスを用いた系が確立されているが、この系ではB前駆細胞の分化初期の詳細な検討は困難であり、ヒト正常造血過程でのPax5の経時的動向を検討した報告はない。またヒト造血前駆細胞中でのPax5の構成的発現が骨髄前駆細胞分化に与える影響に関して統一した結論は未だ得られていない。さらにPax5遺伝子はオルタナティブスプライシングにより種々のアイソフォームを生じるが、これらの正常造血への関与は不明であり、近年ではPax5変異とB細胞腫瘍化の機序との関係が注目されている。本研究はヒトプレB細胞より分離したPax5アイソフォーム遺伝子を造血前駆細胞に導入し、骨髄系細胞及びB前駆細胞分化への関与をin vitroで解析することを目的とした。

【研究方法】

1 in vitroでのヒトB前駆細胞の分化の検討

マウス骨髄ストローマ細胞 (HESS-5) はヒト造血細胞の支持能力を持つことが知られている。CD34陽性細胞をサイトカイン存在下 (SCF 20ng/ml、G-CSF 10ng/ml)でHESS-5と共培養を行うと、骨髄系細胞とB前駆細胞の2系統への分化が誘導される。この過程で細胞表現型と定量的PCR法によるB前駆細胞分化に関与する遺伝子 (RAG1、E2A、EBF、Pax5) の発現量の推移を経時的に解析した。細胞表面マーカーとしてCD34、CD19、CD20、免疫グロブリン軽鎖 (κ、λ) を使用し、CD34+/CD19-細胞を早期B細胞、CD34+/CD19+/CD20-細胞をプロB細胞、CD34-/CD19+/CD20+細胞をプレB細胞とした。

2 レトロウイルスベクターを用いた造血前駆細胞への遺伝子導入法の検討

レトロウイルスベクターによる導入遺伝子の発現はLTR配列に依存する。LTRの異なる3種類のベクター、pMXs (moloney murine leukemia virus: MoMLV)、pMYs (myeloproliferative sarcoma virus: MPSV)、pMCs (murine stem cell virus: MSCV)を用いてヒト臍帯血CD34陽性細胞にEGFP遺伝子を導入し、(1) 導入効率と発現強度、(2) in vitroで顆粒球及びプレB細胞へ分化した後の発現持続率と発現強度、を検討した。

3 Pax5が骨髄系細胞及びB前駆細胞の分化に及ぼす影響の検討

この系で得たプレB細胞から、C末端 (転写調節領域) が異なる3種のアイソフォーム (完全長型: Pax5、エクソン9欠失型: del9、エクソン8'挿入型: ins8')を検出した。このアイソフォームのB前駆細胞分化過程での発現量を定量的PCR法で解析し、次いでPax5標的塩基配列を用いたレポーターアッセイ法と、前述の共培養法とレトロウイルスベクターによる遺伝子導入法を用いて、Pax5アイソフォームの転写活性能の差異と、Pax5アイソフォームの構成的発現がヒト骨髄系細胞及びB前駆細胞の分化に及ぼす影響を検討した。

【結果及び考察】

1. 実験に使用した臍帯血CD34陽性細胞の95%はCD33陽性で、CD19陽性率は極めて低く、B前駆細胞は少数のCD34+/CD33-/CD19-分画中に含まれる。共培養開始後にHESS-5細胞と強く接着しているB前駆細胞を解析した結果、培養1日目の細胞では、E2A、RAG1に比べEBF、Pax5の発現量が極めて低く、この時期のB前駆細胞の大半は早期B細胞か前期プロ細胞であると推測された。EBF、Pax5の発現が増加するのは14日以降で、これは細胞表面型の解析でCD34+/19+/20-細胞が出現する時期とほぼ一致しており、CD34陽性細胞から後期プロB細胞に分化が進むのは14日目頃であると推測された。28日以降は過半数がCD34-/CD19+/CD20+細胞(プレB細胞)に分化し、42日頃には一部の細胞は未熟B細胞へと分化することを確認した。本研究は臍帯血から分離したCD34陽性細胞からB前駆細胞への分化の過程で、経時的に遺伝子発現を解析した初めての報告である。

2. pMXs、pMYs、pMCsのいずれのベクターを用いた場合もMOI=10での単回感染で80%以上のEGFP導入率が確認できた。骨髄系細胞、B前駆細胞に分化した後もEGFP発現率は80%以上を維持していたが、pMXsはB前駆細胞、骨髄系細胞ともEGFPの発現強度がpMYs, pMCsより低かった。pMYsは骨髄系細胞で特異的に高い発現を示し、pMCsはCD34陽性細胞から骨髄系細胞、プレB細胞への分化過程を通じて最も安定したEGFPの発現を示した。pMCsのCD34陽性細胞への遺伝子導入効率を更に改善するために、感染時間を48時間に延長し4回の反復感染を行った結果、感染終了時の全細胞のEGFP陽性率は80.4±6% に上昇したが、CD34陽性率は75.8±2.7% に低下した。但し、感染終了後もCD34陽性の細胞ではEGFP陽性率は86.3±4.6% と高い傾向が見られた。感染細胞は、非感染細胞とほぼ同レベルのコロニー形成能と分化能を保持し、9週間の共培養期間を通してEGFP陽性率は常に98%以上の高い水準を維持しており、長期培養による発現低下は見られなかった。

3. del9は転写調節部位の一部を欠失している。ins8'は転写調節部位が新規アミノ酸配列に置換された未知のアイソフォームでありその転写活性能や意義は知られていない。定量的PCR法の結果、del9は2週目以降、ins8'は3週目以降に検出可能となり、主にプレB細胞分化以降に発現していることが明らかになった。Hela細胞に上記のPax5アイソフォームとPax5標的塩基配列を用いたレポータープラスミドを一過性発現させた場合の転写活性能はPax5 > del9 > ins8'という結果を得たが、ヒト骨髄前駆細胞に構成的に発現させた場合の内在性CD19の誘導率はPax5 > ins8' > del9 、と前者と異なった。1990年代に行われたPax5の転写調節機能に関する報告は今回使用した標的塩基配列を用いたレポータープラスミドを用いている。細胞内環境の異なる培養細胞に一過性に発現させた場合と、造血細胞で恒常的発現させた場合では結果が異なる場合があり、今後、Pax5転写調節部位を介して結合する共役蛋白との関連を検討している。

コロニー形成試験の結果、顆粒球マクロファージコロニーは、コントロール細胞に対してPax5細胞で有意に抑制された (p<0.05)。del9細胞とins8'細胞は、コントロール細胞との比較でコロニー数では有意差はないが、形態的には明らかに小さかった。共培養でも骨髄系細胞の産生はPax5で強く、del9とins8'で中等度に抑制された。一方、赤芽球・混合コロニーはいずれのPax5アイソフォームでもコントロール細胞と比較して有意に抑制された (p<0.05)。顆粒球マクロファージコロニー形成はPax5の転写活性能に応じて抑制されるのに対し、赤芽球・混合コロニー形成は転写調節部位の違いに依存せず高度に抑制されることが明らかになった。この結果より、Pax5による多能性前駆細胞から赤芽球系細胞への分化の抑制は、転写調節以外の機序によると推測された。

Pax5の構成的発現により骨髄前駆細胞で一過性にCD19の発現が誘導されることが分かった。CD19/CD33陽性細胞の比率は、コントロール細胞では5%未満であるのに対しPax5細胞では15%以上と有意に高値であり、del9細胞、ins8'細胞でも少数の2重陽性細胞が出現した。Pax5細胞は形態的には顆粒の目立つ骨髄芽球様細胞で一部に異型性の強い好中球様細胞と小型のリンパ球様細胞を認めた。しかしこのCD33/CD19細胞は2週間以上培養することは不可能であった。Pax5を骨髄系前駆細胞に強制発現させると、顆粒球分化の早期段階 (形態的特徴からは骨髄芽球から前骨髄球段階) で分化が停止すると考えられる。さらに細胞周期アッセイ及びアポトーシスアッセイの結果から、この芽球様Pax5細胞はコントロール細胞と同程度の分裂能を有するが2週間以内に死滅すると推測された。転写活性能が高いほど骨髄系細胞の産生数やコロニー形成の抑制が高度であること、CD33/CD19細胞の比率が高いことから、Pax5による正常顆粒球分化の阻害には転写調節部位が関与することが推測できるが、その機序の解明は今後の課題である。

B前駆細胞分化についても、共培養1週の時点でPax5細胞はコントロール細胞に比較して細胞数が少なかった。但し4週目以降に生存しているPax5細胞 (プレB細胞) はコントロール細胞に比べCD20と細胞表面免疫グロブリン鎖を表出している割合が高く、プレB細胞の分化は抑制されていなかった。さらにPax5細胞内では発現強度が低い分画の方がCD19+/CD20+細胞の比率が高い傾向が見られ、del9細胞とins8'細胞でも同様の傾向が見られた。以上より多能性造血前駆細胞にPax5を構成的に発現させると早期B前駆細胞への分化が阻害され、その結果として下流のB前駆細胞の産生数が減少するが、内因性Pax5を発現する後期プロBリンパ細胞以降の分化はPax5の過剰発現による干渉は少ないと推測される。

【結論】

Pax5の構成的発現により、骨髄系細胞と早期B前駆細胞への分化は転写活性能に応じて、赤芽球系細胞への分化は転写活性能に依存せずに抑制されること確認した。この系を用いてヒトB前駆細胞の初期分化における外来遺伝子の影響を評価し得る可能性が期待された。近年、Bリンパ性腫瘍で様々な変異型Pax5 (欠失型、置換型、転座型) が相次いで報告され、その機序の解析が待たれている。この系を用いてPax5アイソフォームのB細胞腫瘍化への関与の解析を検討している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は正常ヒト造血におけるPax5遺伝子の経時的動向と、骨髄系細胞及びB前駆細胞分化への関与を臍帯血CD34陽性細胞とHESS-5細胞の共培養法を用いてin vitroで解析することを試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 細胞表現型とRAG1、E2A、EBF、Pax5遺伝子の発現量を定量的PCR法で解析した結果、臍帯血CD34陽性細胞に含まれるB前駆細胞の大半は早期B細胞から前期プロ細胞であり、後期プロB細胞に分化が進むのは培養開始後14日目頃であることが示された。さらに28日以降は過半数がプレB細胞に分化し、42日頃には一部の細胞は未熟B細胞へと分化することを確認した。本研究は臍帯血から分離したCD34陽性細胞からB前駆細胞への分化の過程で、経時的に遺伝子発現を解析した初めての報告である。

2. LTRの異なる3種類のレトロウイルスベクター、pMXs (MoMLV)、pMYs (myeloproliferative sarcoma virus: MPSV)、pMCs (murine stem cell virus: MSCV)を用いてヒト臍帯血CD34陽性細胞にEGFP遺伝子を導入し、いずれを用いた場合もMOI=10での単回感染で80%以上のEGFP導入率が得られ、骨髄系細胞、B前駆細胞に分化した後も同等の発現率を維持することを示した。さらにpMCsを用いた遺伝子導入では、感染細胞は非感染細胞とほぼ同レベルのコロニー形成能と分化能を保持し、EGFP遺伝子発現はCD34陽性細胞から骨髄系細胞、プレB細胞への分化過程を通じて常に98%以上と極めて安定しており9週間の長期培養による発現低下は見られず、この実験系に適した遺伝子導入法であることを示した。

3. この培養系で得たヒトプレB細胞から、C末端 (転写調節領域) が異なる3種のアイソフォーム (完全長型: Pax5、エクソン9欠失型: del9、エクソン8'挿入型: ins8')を検出した。定量的PCR法の結果、Pax5はプロB細胞から発現しているのに対し、del9は培養2週目以降、ins8'は3週目以降の主にプレB細胞以降に発現していることを明らかにした。

4. Hela細胞に上記のPax5アイソフォームとPax5標的塩基配列を用いたレポータープラスミドを一過性発現させた場合の転写活性能は、Pax5 > del9 > ins8'という結果だが、ヒト骨髄前駆細胞にPax5アイソフォームを構成的発現させた場合の内在性CD19の誘導率はPax5 > ins8' > del9 と前者と異なることを示し、細胞内環境と転写活性の違いより、Pax5転写調節部位を介して結合する共役蛋白との関連等を示唆し、考察した。

5. コロニー形成試験の結果、顆粒球マクロファージコロニー形成はPax5の転写活性能に応じて抑制されるのに対し、赤芽球・混合コロニー形成は転写調節部位の違いに依存せず高度に抑制されることを示した。この結果より、Pax5による多能性前駆細胞から赤芽球系細胞への分化の抑制は、転写調節以外の機序によることが示唆された。

6. ヒト骨髄前駆細胞にPax5を強制発現させるとCD19の発現が誘導され、細胞周期アッセイ及びアポトーシスアッセイにより、CD19/CD33陽性骨髄系前駆細胞は早期段階で分化が停止すること、コントロール細胞と同程度の分裂能を有するが2週間以内に死滅することが示された。さらに転写活性能が高いPax5アイソフォームほど骨髄系細胞の産生及び顆粒球コロニー形成の抑制が高度であることから、Pax5による正常顆粒球分化の阻害には転写調節部位が関与することが示された。

7. Pax5の構成的発現により早期のB細胞分化が抑制されること、またプレB細胞分化後は構成的Pax5発現細胞の方がCD19+/CD20+細胞の比率が高い傾向が見られることを示し、多能性造血前駆細胞にPax5を構成的に発現させた場合、早期B前駆細胞への分化が阻害され、結果として下流のB前駆細胞の総産生数は減少するが、内因性Pax5を発現する後期プロBリンパ細胞以降の分化はPax5の過剰発現による干渉は少ないものと推測された。

以上、本論文はヒト臍帯血CD34陽性細胞からB前駆細胞への分化の過程で、経時的に遺伝子発現を解析した初めての報告である。さらに未知のPax5アイソフォームであるins8'を検出し、これがプレB細胞分化以降に発現していることを明らかにした。 転写調節部位の異なるPax5アイソフォームをCD34陽性細胞に構成的に発現させることで、骨髄系細胞と早期B前駆細胞への分化はPax5の転写活性能に応じて、赤芽球系細胞への分化は転写活性能に依存せず抑制されること明らかにした。ヒト造血前駆細胞、特に骨髄前駆細胞の初期分化におけるPax5遺伝子の関与は統一した見解が得られておらず、未知に等しかったヒト顆粒球造血とPax5の関与の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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