学位論文要旨



No 217175
著者(漢字) 大関,信子
著者(英字)
著者(カナ) オオゼキ,ノブコ
標題(和) 乳幼児を持つニューヨーク・北京在住日本人母親の異文化と子育てストレス要因、ストレスコーピングとメンタルヘルス状態の分析
標題(洋) Japanese Mothers Living in New York and Beijing with Young Children : Analyses of Transcultural and Child Rearing Stress Factors, Stress Coping and Mental Well-Being
報告番号 217175
報告番号 乙17175
学位授与日 2009.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第17175号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神馬,征峰
 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 教授 渡邉,知保
 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 特任准教授 金生,由紀子
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】 本研究は、乳幼児を持つ海外在住日本人母親の異文化での生活適応状態、ストレス要因やストレスコーピング、メンタルヘルス状態やその影響要因を明らかにすることを目的とした。海外在住日本人母親は、国内の母親よりストレスが高いと推察される。家族や友人から切り離され異文化の中で子育てをし、かつ必ずしも日本語を使えない医療機関で健診や予防接種等の現地医療サービスを受けることもあるからである。先行研究では、海外で出産・子育てをする母親はメンタルヘルスの問題を抱えており、特にストレスに対し根本的問題解決には至らない情動中心型コーピングをとる母親、夫からのサポートが不足していると感じている母親はメンタルヘルスの状態が悪いと報告されている。しかし、海外在住で、特にメンタルヘルス状態改善のため受診を要するハイリスク群の数やメンタルヘルスに関連している母親の異文化適応状態、異文化ストレスと子育てストレスの関連要因、ストレスコーピングなどは明らかにされていない。本研究では、これらのことを明らかにするため6歳未満の乳幼児を持つ海外在住日本人母親を対象に、国内外の先行文献と英国での予備調査を基に以下の仮説を設定し検討を試みた。

1.海外在住日本人母親のメンタルヘルス状態は、国内の同じ条件の母親より悪い。

2.海外在住日本人母親のうちメンタルヘルスのハイリスク群は、異文化ストレス、海外での子育てや夫からの支援に関連するストレス要因がある。

3.海外在住日本人母親のうちメンタルヘルスのハイリスク群は、問題解決型ストレスコーピングよりも情動中心型ストレスコーピングをとっている。

4.異文化ストレスと海外での子育てストレスは、海外在住日本人母親のメンタルヘルスに影響を及ぼしている。

本研究で「ハイリスク群」とは、「精神健康調査票(以下GHQ30)の得点が10点以上で専門家の受診を要する母親」と定義する。本研究の意義は、海外在住日本人母親のメンタルヘルス状態や関連要因に関する新しい知見を提示することにより、その知見を国内外の医療従事者がメンタルヘルスにおいてハイリスクを抱える母親を早期に発見し介入していく基礎資料とすることである。

【研究方法】

1.研究デザイン

無記名自己記入式質問紙を用いた横断的因子探索型・因子関連型調査研究

2.調査内容と方法

概念枠組みはラザラスらの認知的ストレス理論を用い、ストレス要因を測定する異文化ストレス27項目(α=0.82)、ストレスコーピングを測定するラザラスらの日本語版ストレスコーピング尺度67項目(α= 0.91)及び精神的健康を測定するGHQ30(α=0.90)を用いた。対象者の条件は、日本で生まれ日本の義務教育を受け、6歳未満の子どもを持ち、今回の調査時点で調査地に3ヶ月以上在住している日本人母親である。ニューヨーク市(以下 NY群)、北京市(以下 北京群)、比較対照群として上記と同じ条件で日本国内A市に在住する母親(以下 A市群)各200名、3市合計600名を調査対象とした。機縁法によるサンプリング手法を用い、質問紙を調査協力が得られた3市の幼稚園等で母親に直接手渡しにて配布し郵送にて回収した。調査期間は、2005年4月より2006年12月である。

3.分析

SPSS 13.0、及びAmos4ソフトを用い質問項目によりカイ2乗検定、t検定、Mann-Whitney検定、Kruskal-Wallis検定、因子分析、共分散構造分析(以下、SEM)を用いた。有意水準は5%と定めた。

4.倫理的配慮

本研究は、青森県立保健大学倫理委員会の審査を受け承認された。調査協力は自由意志であることやプライバシーの保護等を文章と口頭で説明し、郵送法による返送をもって同意とみなした。

【結果及び考察】

341部(回収率56.8%)が回収され、340部を分析対象とした。各市の回収部数はNY群117部(回収率58.5%)、北京群149部(回収率74.5%)、A市群75部(回収率37.5%)であった。

1.対象者の属性と異文化適応状況

3群に属する338名のうち、年齢では31歳から35歳(40.0%)が最も多かった。また、結婚平均年数は8.2(SD 3.6)年、子どもの数は平均1.7(SD 0.6)人、最年少の子どもの平均年齢は3.5(SD 1.9)歳であった。ただし3群間に統計学的有意差はみられなかった。異文化適応状態では、現地語の「聞き取り」や現地語を「話す」ことができると答えた者は、北京群(N=149)のうち48.3%、NY群(N=116)のうち59.5%で有意差はみられなかった。しかし、「読み書き」(p=0.001)と現地の人との「コミュニケーション」(p=0.011)、「一人で外出」(p<0.001)ができないと答えた者はNY群に比べて北京群に多かった。また、「子どもが海外生活でストレスを感じている」(p=0.017)、「次回妊娠したら現地で出産したくない」(p<0.001)と答えた者も北京群が多かった。NY群と北京群に統計学的有意差はみられなかったが、海外2群(N=263)のうち34.2%が「孤立している」、56.1%が「海外での子育てはストレス」と答えた。また、海外2群(N=259)のうち39.4%が「日本からの支援に不満足」と答えた。生活満足度では、3群間に統計学的有意差はみられなかったが、3群(N=332)のうち11.8%が「今の生活に不満」と答えた。夫に関しても3群間に統計学的有意差は見られなかったが、3群(N=335)のうち89.9%は「夫が仕事でストレス下にある」、21.9% は「夫の子育て参加に不満足」と答えていた。

2. メンタルヘルス状態

GHQ30の平均値は、NY群(N=113)が7.8(SD 5.9)、北京群(N=136)が7.8(SD 5.8)、A市群(N=69)が9.3(SD 6.9)であったが3群間に有意差はみられなかった。7点以上の異常群は全体の51.9%(n=153)、専門家の受診を要する10点以上のハイリスク群は全体の33.6%(n=107)で3群間に有意差は見られなかった。

3.仮説に対する主な結果を以下に述べる。

1)メンタルヘルスには異文化ストレスと子育てストレスが関連する(仮説4)

SEMの結果、4つの潜在変数のうち「メンタルヘルス」は「子育て」に直接関連し、「現地生活への適応」と「日本の家族と離れている」ことは間接的に「メンタルヘルス」に関連していることが明らかになった。SEMにより、母親のメンタルヘルスには異文化ストレスや子育てが関連していることが明らかになった。

2)海外群のメンタルヘルスは国内の母親のメンタルヘルスより悪い(仮説1)

NY群(N=113)と北京群(N=136)のGHQ平均値は、A市群(N=69)の平均値と比較し有意差は見られなかった。しかし、海外2群のGHQ平均値は、先行研究で得られた国内の結果と比較して悪い傾向がみられた。また、海外2群のうち異常群(6/7区分点)に含まれた者は51.0%、専門医の受診を要するハイリスク群(9/10区分点)は32.5%であり、母子保健上注意を要するものと示唆された。A市群のGHQの平均値は国内の先行研究より悪いが、A市特有の背景があったものと推測される。

3)ハイリスク群と情動中心型ストレスコーピング(仮説3)

ストレスコーピングを問題解決型と情動中心型に分けて分析した結果、海外のハイリスク群81名のうち情動中心型を取る者(59.6%)が問題解決型を取る者(41.4%)より多かったが統計学的有意差は見られなかった。

しかし、NY群のハイリスク群(N=37)のうち専業主婦(p=0.01)で現地語での聞き取りや話す能力が低く(p=0.018)、現地人とのコミュニケーション能力が低い(p=0.017)と答えた群では問題解決型より情動中心型を有意にとっていた。また北京群のハイリスク群(N=44)のうち、専業主婦(p=0.015)で現地語の聞き取りや話す能力が低い(p=0.001)と答えた群では問題解決型より情動中心型を有意にとっていた。

4)ハイリスク群と関連するストレス要因(仮説2)

NY群と北京群のハイリスク群に関連する要因として、異文化ストレス、子育てや夫に関連する要因が明らかになった。異文化ストレスでは、現地語やコミュニケーション能力の低さや孤立、海外で医療サービスを受けることに関するストレスが関連していた。また、海外での子育てや、子どもの教育、子どもが海外生活でストレスを感じていることによる母親のストレスとハイリスク群との間に統計学的に有意な関連が見られた。また、90%近くの母親が夫は仕事等でストレス下にあると答えており、夫からの子育てサポートに対する不満とハイリスク群との間に統計学的に有意な関連がみられた。

4.北京群とNY群の比較

ハイリスク群のうちNY群(N=37)と比較し北京群(N=44)は環境要因(例 大気汚染)(p=0.0012)や治安(p=0.015)に対し有意にストレスを感じていた。一方、NY群は北京群より自分の時間がないこと(p=0.012)や経済的要因(p=0.007)で北京群より有意にストレスを感じていた。以上のことから、共通した要因だけではなく、各都市特有のストレス要因を考慮することが必要である。両群ともGHQの結果に有意差はみられなかったが、ストレス要因が異なることが明らかになった。

【結語】

本研究では、NY群と北京群の半数近くにGHQの異常がみられたことから、海外在住の母子保健には十分な注意を要することが示唆された。また、NY群と北京群の約3分の1の母親は専門家の受診を要するハイリスク群であり、メンタルヘルスと異文化ストレスや海外での子育てによるストレス要因との間に有意な関連が見られた。特に、ハイリスク群のストレス要因としては、ことばやコミュニケーション能力の低さ、孤立、現地で医療を受けることの困難さ, 子どもの教育や夫からの子育てサポートに対する不満などが特定された。また, NY群と北京群のハイリスク群のメンタルヘルス関連のストレス要因には同じでないものもあることから, 在住先特有のストレス要因に対応するコーピングも必要となることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、乳幼児を持つ海外在住日本人母親の現地での生活適応状況や異文化ストレス要因、外国での子育てストレス要因、ストレスコーピング、メンタルヘルスとその影響要因を明らかにすることを目的として、6歳未満の乳幼児を持つニューヨーク・北京在住日本人母親を対象に行われたものである。その結果、以下の結論を得た。

1. SEMの分析結果、母親のメンタルヘルスは、潜在変数「子育て」に直接関連し、潜在変数「現地生活への適応」と「日本の家族と離れている」ことに間接的に関連していた。

2. 母親の精神健康度は、先行研究で報告された日本国内の健康な女性の結果よりも悪く注意を要する。

3. NY群と北京群のうち、メンタルヘルス・ハイリスク群(専門家の受診を要するGHQ30の10点以上の群)は、非ハイリスク群より情動中心型のコーピングをとる傾向が強いことが示された。

4. 「海外での子育てはストレス」と答えた群とメンタルヘルス・ハイリスク群との間には統計学的に有意な関連がみられた。「子どもの教育」や「子どもは海外生活でストレスを感じている」という要因もまたメンタルヘルス・ハイリスク群と有意な関連があることが確認された。

5. これらの他に、メンタルヘルス・ハイリスク群と関連する要因は以下の要因であった:「現地語」や「コミュニケーション」能力の低さ、「孤立」、「現地で医療サービスを受けることの困難さ」。

6. 約90%の母親は「夫が仕事などでストレス下にある」と感じており、夫の育児サポートに対する不満とメンタルヘルス・ハイリスク群との間には統計学的に有意な関連がみられた。

7. NY群と比較し、北京群は社会環境要因に起因するストレスを有意に感じていた。各都市に特有のストレス要因とそれに対応したコーピングを理解することが大切である。

以上、本研究は今まで十分に知られていなかった海外在住日本人母親の異文化での生活適応状態やメンタルヘルス上のリスクとその関連要因について新しい知見を示しており、国際母子保健学上重要な貢献をなしていることから、学位の授与に値するものと考える。

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