学位論文要旨



No 217176
著者(漢字) 石井,洋二郎
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ヨウジロウ
標題(和) ロートレアモン : 越境と創造
標題(洋)
報告番号 217176
報告番号 乙17176
学位授与日 2009.04.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17176号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 教授 松浦,寿輝
 東京大学 准教授 斎藤,文子
 東京大学 教授 中地,義和
 早稲田大学 教授 立花,英裕
内容要旨 要旨を表示する

19世紀フランスの重要な詩人としてしばしばランボーと並び称されるロートレアモン(本名イジドール・デュカス、1846-70)は、移民の子として南米ウルグアイの首都モンテビデオに生まれ、13歳のときに大西洋を渡って南仏ピレネー地方のタルブとポーの高等中学校に寄宿生として学び、21歳でパリに上京し、ロートレアモン伯爵という筆名で『マルドロールの歌』という特異な散文詩を、本名で2冊の『ポエジー』という断章集を出版した後、わずか24歳で原因不明の死を遂げた。その生涯は度重なる「越境」の連続であったが、それは単なる地理的移動にとどまらず、南米から西欧へ、地方都市から首都への文化的越境でもあり、さらには詩人の内面において生起するさまざまな象徴的越境の軌跡でもあった。本論文は、彼の作品をその生涯とからめながら、「越境と創造」という地域文化研究的観点から総合的に読み直すことを目的としたものである。

序章「ロートレアモンはどう読まれてきたか」では、これまでのロートレアモン研究の歴史を四段階に分けて整理した上で、本論文をその後に来るべき第五段階の作業として位置づけた。具体的には、実証研究とテクスト分析を融合させた「批評的評伝」という形で、従来の研究に新たな地平を拓くことが本論文の狙いである。

第I部 モンテビデオ

第1章「「母」の喪失」では、「生まれながらの越境者」としてモンテビデオに生を享けたイジドール・デュカスの母親喪失経験について論じた。不在の母親は、近親相姦のタブ2ーを示唆する「顔」として、あるいは犬たちの「無限への癒しがたい渇き」を語る「声」として、越境を禁止しつつ誘惑する両義的な役割を果たし、『マルドロールの歌』に深い痕跡を残している。

第2章「言語という「外部」」では、二言語併用者としてのデュカスに焦点を当てた。西欧移民を中心に構成されたモザイク都市モンテビデオで、フランス語とスペイン語の二言語併用者として育ったデュカスの文章には、しばしば規範文法を逸脱したフランス語表現が見られるが、その多くはスペイン語の言い回しの無意識的な模倣である。しかしこうした文化的二重国籍者としての混血性は、逆にのちの文学創造の原動力ともなった。

第3章「災厄の記憶」では、モンテビデオにおける疫病の流行が作品にどのような影を落としているかを検証した。19世紀半ばのモンテビデオは「大戦争ゲーラ・グランデ」のさなかにあり、戦乱と流血の風景が半ば日常的化していたが、「黒い嘔吐」と呼ばれる黄熱病の流行は特に少年デュカスの記憶に強烈な印象を焼き付け、『マルドロールの歌』において「毒の浸透」という形で主題化されている。

第II部 タルブとポー

第4章「天使との遭遇」では、13歳ではじめて大西洋を渡ってタルブの帝立高等中学校に入学したデュカスの生活と心理状況を素描した。寄宿舎の閉塞的環境や南米との文化的落差は、彼の切実な脱出願望を増幅したと思われるが、そんな中で彼の慰めになったのが、後見人の息子であった六歳年下の美少年、ジョルジュ・ダゼットとの出会いであった。その存在はデュカスの男色的愛憎と歪んだ攻撃性を触発する契機となっている。

第5章「吸血鬼の形象」では、そのダゼットの名前が第一歌第一稿からを経て最終稿へと書き換えられていくプロセスを、特に「吸血」のテーマに沿って追跡した。書き換えの対象は蛸や虱など、なんらかの形で吸血行為に関係する動物たちであるが、これらは皮膚という境界を突き破って相手と同一化する行為を表象している点で、第3章で見た「毒の浸透」とは逆方向に作用する越境行為の一形態を表している。

第6章「寄宿舎の悪夢」では、デュカスのポー時代と切り離すことのできない「寄宿舎」という閉鎖空間について検討した。その鬱屈した生活の痕跡は、「不眠」のテーマに集約されている。眠らずに直立姿勢を保つことで創造主による自我への侵入を忌避する話者の「私が存在しているからには、私は他者ではない」という有名な言葉は、自己充足的な近代自我の同一性を脅かす「他者」の訪れを告知するものである。

第7章「甦る肖像」では、ポーの高等中学校で同級生であったポール・レスペスの書簡を手掛かりにして、デュカスの創造行為にさまざまな角度から照明を当てることを試みた。残された九通のうち、第一書簡からは詩人の創造の源泉となったさまざまな読書傾向や文学的嗜好を知ることができるが、特に越境の主題との関係で重要なのは、詩人の文学的想像力を引力の呪縛から解き放つ「泳ぎ」のテーマである。

第8章「文学と数学」では、教養のレベルにおけるデュカスの越境に注目した。レスペスの第二書簡を読むと、デュカスが博物学にたいして並々ならぬ関心を抱いていたことがうかがえるが、『マルドロールの歌』に現れる鶴や椋鳥の飛行の描写から見て取れるのは、むしろ幾何学的図形にたいする明確な嗜好である。特にV字形や円環のイメージは、この作品の展開と密接に結びついて主要な主題論的機能を果たしている。

第9章「孤独な「不可解主義者」」では、レスペス書簡の未発表部分を概観した後、高等中学校の最終学年である哲学学級の教科書に見出された「不可解主義哲学者デュカス」という書き込みについて考察した。少年読者との切実な合体願望とその挫折というテーマとの関連から見れば、この言葉はページという境界を越えて合一することができない孤独な状況を反映したものと解釈することができる。

間奏曲

第10章「モンテビデオふたたび」では、ポーの高等中学校を修了し、文系・理系のバカロレアを相次いで受験した後、ふたたび大西洋を渡ってモンテビデオに一時帰郷したデュカスの短い南米滞在について記述した。彼は現地でエジプト学者のガストン・マスペロ、庇護者的立場にあったペドロ・スマランなど、何人かの人物と接触をもった可能性があり、その記憶は『マルドロールの歌』や『ポエジー』に見え隠れしている。

第III部 パリ

第11章「首都の魅惑」では、いよいよパリに舞台を移し、オスマン知事の改造事業によって面目を一新した都市空間におけるデュカスの軌跡をたどった。モンテビデオとフランスの地方都市しか知らなかった青年デュカスは、はじめて目にする首都の熱気と活気に圧倒されながら、新しい環境の中でイスパニック系中南米人のコミュニティーと接触し、やがて第一歌の出版に漕ぎつけた。

第12章「「ロートレアモン伯爵」の誕生」では、第六歌までを含む完全版の『マルドロールの歌』が製作されるに至る経緯を述べ、その表紙にはじめて記された「ロートレアモン伯爵」という筆名の意味と機能を解明した。ウジェーヌ・スューの小説『ラトレオモン』と詩人のルコント・ド・リールの名前から想を得たと思われるこの固有名詞は、綴りの中にl'autre(他者)という単語を含んでおり、さまざまな解釈可能性を示唆している。

第13章「パリの表象」では、デュカスの目に映ったパリが『マルドロールの歌』にどのように表象されているかを概観した。パリは第二歌にはじめて姿を現すが、その光景は想像力によって多かれ少なかれ虚構化の操作を施されている。一方全体が小説仕立てになっている第六歌では、実在の街路や建造物がリアルな形で登場し、その記述はより具体性を帯びている。

第14章「垂直性の詩学」では、「垂直性」という観点から『マルドロールの歌』のいくつかの章節を具体的に分析した。このモチーフは仰臥と直立、懲罰としての雷雨など、主題レベルで変奏されているだけでなく、言説のレベルでも主要な生成原理になっている。たとえば第四歌の書き出しでは語り手が「人間、あるいは石、あるいは木」であるとされているが、これは文章そのものがもはや単一の主語に担われた求心的な散文ではなく、垂直に切り裂かれた断片の集合にすぎないことを示している。

第15章「マルドロールの身体」では、マルドロールの身体に注目してこの作品の特質を探求した。通常の意味での「身体」をもたないこの登場人物の描写において、特に目立つのは唇や額といった個別的な身体部位への頻繁な言及であり、それらはけっして全体としての完全性を獲得することのない一種の「身体なき器官」を構成している。これは基本的に一貫した物語をもたない『マルドロールの歌』というテクストそれ自体の比喩にほかならない。

第16章「『ポエジー』の方へ」では、もうひとつの作品である『ポエジー』について、まずその成立過程を略述した。完全版の『マルドロールの歌』が発売中止となった後、イジドール・デュカスはこれら2冊の小冊子を本名で刊行し、匿名から筆名へ、そして本名へと、いわば「名前の越境」を実践した。「私」の自己同一性を自ら攪乱することでしか「私」を定立することができない越境者特有の内的葛藤が、そこにはうかがえる。

第17章「真理から遠く離れて」では、『ポエジー』というテクストの特異な性格に論及した。この作品はそのタイトルに反して、いわゆる詩集ではなく、散文で書かれた断章集である。そこでは「私」がもはや何らかの意味の担い手としてではなく、他者の言説を借用し修正する引用装置として現れる。「列挙」「書き換え」「断章化」等の操作によって、デュカスはロマン主義からポストモダンの地平へと一気に「越境」し、いかなる真理にも依拠しない新たな言説空間を切り拓いたのである。

終章「越境と創造」では、デュカスの死にまつわる状況を述べた後、以上の議論を振り返りながら全体を総括した。彼は越境経験を侵犯の快楽や切断の苦痛も含めた普遍的な主題として深く内面化し、突出した過激さとアイロニーをもって言語化したことにおいて際立っている。「ロートレアモン」とは、越境することと創造することを同時に実践したイジドール・デュカスの「別名ロートル・ノン」にほかならない。

審査要旨 要旨を表示する

『ロートレアモン 越境と創造』と題する本論文は、1846年、ウルグアイのモンテビデオで生まれ、『マルドロールの歌』、『ポエジーI』、『ポエジーII』の三作だけを残して24歳で世を去ったフランスの詩人、イジドール・デュカス(『マルドロールの歌』は、筆名「ロートレアモン伯爵」で発表)をめぐる本格的論考である。石井氏は、シュールレアリストたちにはじまり現在に至るデュカス=ロートレアモン研究を四段階に分け、自らの研究を、テクスト分析と実証的研究を融合させたロートレアモン研究史第五段階の作業として位置づけている。石井氏はデュカス=ロートレアモンの、テクストと実人生の双方に、「越境」という共通のテーマを見出し、種々の越境が、詩人ロートレアモンの豊かな創造へと結びつく過程を詳述している。以下にまず本論文の構成を述べる。

第I部 モンテビデオ(第1章~第3章)

モンテビデオ時代のイジドール・デュカスについて述べられる。はじめに大航海時代から19世紀中庸までのウルグアイの歴史が概観されたあと、イジドールの両親のこと,とりわけイジドールが一歳の時に死亡した母親のことが述べられる。またこの母親の面影が『マルドロールの歌』でどのように表象されているかについても語られる。次いで、フランス語とスペイン語の「二言語併用者」であったデュカスの、言語間の「越境」について触れられたあと、モンテビデオの疫病や戦争の記憶がデュカスのテクストの中に、どのような形であらわれているかの分析がなされる。

第II部タルブとポー(第4章~第9章)

13歳ではじめて祖国フランスの地を踏んだデュカスの、タルブ、及びポーにおける高等中学時代について述べられる。まずタルブでの寄宿生活と、タルブで知り合った年下の少年ジョルジュ・ダゼットについて語られたあと、ダゼットがテクスト中で、いかなる形象のもとに描き出されているかが考察される。ついでポー時代のデュカスの様子が、友人であったポール・レスペスの証言に基づいて再現される。

間奏曲 第10章 モンテビデオふたたび

モンテビデオに一旦帰国したデュカスが、どのような人物と交流したかについて語られる。

第III部 パリ(第11章~第17章)

モンテビデオでの滞在を終えてフランスに戻ってから、1870年の死までの期間が取り上げられる。この期間に、いよいよ、『マルドロールの歌』、『ポエジーI』、『ポエジーII』の三つの作品が発表される。はじめに『マルドロールの歌』に関して、その出版の経緯に関する説明や、この作品の作者名である「ロートレアモン伯爵」という名をめぐる考察、「パリ」、「垂直性」、「マルドロールの身体」という三つのテーマに即した詳細なテクスト分析が試みられる。次いで、『ポエジーI』、『ポエジーII』の二作が提起した、真理の不在という現代的問題の射程が検討される。

結論

以上17の章が、「越境と創造」という観点から改めて振り返られる。

以上のように石井氏の論文は、詩人の生の軌跡の綿密な描出と、書かれたテクストの精緻な読解とからなる、きわめて野心的な労作である。石井氏自らが書いているように、これまでデュカスに関する、日本語による本格的なモノグラフィーは存在していなかったが、今後、この論文が、日本におけるデュカス研究にとって、必ずや参照されるべき、第一級の基本的論文となることは間違いない。

この論文の特筆すべき長所は、以下の三点である。

第一は、渉猟された資料の量的充実である。渉猟の対象は、デュカス研究の前史をなす、詩人の死後数十年間に書かれた資料にはじまり、石井氏自身が四期に分ける、1920年代から現在に至る研究史全般に及び、とりわけ、1980年代にはじまる、研究史第四期(「実証的資料発掘」の時代)に関しては、きわめて細かい資料にまであたった上で、その収穫を、論文の記述の隅々に反映させている。

第二は、それら膨大な資料の、読解の質の高さである。原文のフランス語の一字一句の微妙なニュアンスをないがしろにせず、それらと等価の、達意の日本語に置き換える、氏のフランス語読解力、日本語表現力の高さは、既に2001年に刊行された個人訳『ロートレアモン全集』において証明されているが、今回は、それらの能力が、資料の彼方にある、デュカスの生の軌跡の、可能な限り正確な把握とその再構成という作業のなかで、如何なく発揮されている。

第三は、この研究が、他の研究者や読者に開かれたものであるという点である。本論文の論述は、ほぼ常に、単なる事実の提示に終わらず、個々の事象についての、石井氏の見解、解釈、仮説等を明快な論理に従って示したものとなっている。各々の読者はそれら論述の内容を正確に把握した上で、自らの見解を自由に展開することができる。また、引用・言及した資料の出典も、正確かつ詳細に示されており、読者が原文にあたることはきわめて容易である。

無論、審査員からの批判や指摘も皆無ではなかった。例えば、デュカスの二言語併用の事実をあらわすものとして挙げられている例が必ずしも適当でないという指摘や、そもそも、デュカスのスペイン語能力が過大視されているのではないかという指摘があった。また、いくつかのテクスト読解については、過度に断定的であり、読解の前提に関する、より慎重な吟味が必要だったのではないかという指摘がなされた。さらに、最終的にはテクスト読解を重視する石井氏の立場と、本論文におけるテクスト外的要素の占める比重の大きさとの齟齬が指摘された。

しかし、これらはいずれも、この論文の全体としての質の高さを、本質において損なうものではない。またそれらの指摘の多くは、上述の、この論文の開かれた性格に起因する、自由な議論の一部であると言うこともできる。

この論文が、当該領域の研究において大いなる寄与を果たしたことは間違いないと判断される。

以上から、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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