学位論文要旨



No 217177
著者(漢字) 平井,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,タロウ
標題(和) 近代日本における資本主義と習俗の交錯 : 東京・日比谷から見通された土地と社会
標題(洋)
報告番号 217177
報告番号 乙17177
学位授与日 2009.04.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17177号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内田,隆三
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 准教授 佐藤,俊樹
 工学院大学 教授 初田,亨
内容要旨 要旨を表示する

この論文は、近代日本を対象として、資本主義とともにある生のかたちをめぐる問題の構成と、現在まで射程に収める、その歴史的な展開の論理を探究したものである。

「資本主義とともにある生のかたち」とは、かつて、M・ウェーバーによって、人間の必要に裏づけられない、利潤を日的とした生と、定式化されていた。ここでは、まず、この問題設定について、これまで関係づけられることの少なかった二つの理論から、再考を試みた。

一つは、M・フーコーの主体化をめぐる議論である。この議論を、ここでは、資本主義のエー・トスを「主体化の論理」として、より一般的に位置づけなおすとともに、宗教といった社会制度を前提としない、現実構成にかかわる「技術」、主体化をめぐっては「規律化」という技術の効果に注目する視座として捉え返した。さらに、この技術という視点を踏まえ、主体化の論理では、資本主義とともにある生が、二重の自己という基準の重層性にしたがって、たえず反省と再構成を重ねる「問題構成=問題化」の過程にあると位置づけた。

次に、第二の理論として、J・ボードリヤールを軸とする消費社会論との接合を図った。この議論では、機械から労務管理、また、広告までをふくむ、広い意味での「複製技術」の働ぎを重視することで、主体化の論理が擬装され、相対化されてゆく、歴史的な過程が視野に収められていた。このように、西欧近代をモデルとしたとき、資本主義とともにある生のかたちをめぐっては、問題構成の軸には主体化の論理があり、その展開は、規律化の技術と複製技術という、二つの技術の効果によって促されていると結論づけた。

そのうえで、こうした西欧近代のモデルの、根本的な隘路を指摘した。すなわち、主体化の論理では、はじめにあった「人間の必要の相対化」という問題設定が、この論理が「人間」の再構成を図るものである以上、十分に掘り下げられない、という隘路である。ここでは、このような険路が生じる背景に、主体化の論理をめぐる、その生成を促す規律化の技術から、その相対化をもたらす複製技術へとむかう、歴史的な過程が介在していると考え、これら二つの技術が、ほぼ並行して展開した近代日本に注目して、西欧近代では顕在化しえなかった、資本主義とともにある生のかたちに接近することとした

そこで、まず、西欧近代をめぐる議論の、いずれにおいても注意されながら、二次的なものとして棄却されていた、「習俗の論理」に焦点を絞りこんだ。ここでは、資本主義とともにある生をかたどる論理という問題設定にしたがい、習俗を、「過去との照らし合わせをとおして現在が同定される論理」と定義し、主体化の論理と同様、習俗の論理にも、二つの時点というかたちで、生をかたどる基準が重層化していると捉え返した。

次に、近代日本で生のかたちが規定される際の「家」の重要性と、そこで、習俗と呼ぶべき論理が働いていた事実を再確認したうえで、柳田國男の所論によりながら、家の習俗における照合の根拠が、家と結びつく「富」と「土地」にあることを明らかにした。さらに、この知見を踏まえ、資本主義がたえざる富の異動をともなう以上、本質的な根拠は土地にあったと仮説立てた。この仮説は、土地と人間の生を関係づける発想が広がったとき、資本主義とともにある生のかたちとして、近代日本における習俗の論理が現実味を帯びてきた、と言い換えることができる。

柳田の議論では、こうした習俗の諭理について、「人間の忘れやすさ」を先験的なモメントとして、過去と現在とがたえず照合され、再構成される、超歴史的な問題化の過程が想定されていた。これに対して、ここでは、「人間の忘れやすさ」もまた、規律化の技術や複製技術との相関において捉えられるべきとすると同時に、同じように、富や土地についても、そのイメージが、これらの技術の働きによって構成されてきたのではないかとして、こうした一連の歴史的な過程の解明を、この論文の問題の所在として位置づけた。

なお、このような意図にもとついて、東京・日比谷で生じた出来事を分析の起点とする、「定点観測」を方法論として取り入れた。そこには、まず、定点を置くことによって、習俗の論理の焦点となっている土地について、イメージの水準で問題にしやすくなるという、一般的な配慮がある。さらに、東京。日比谷には、この研究に固有の戦略的な価値がある。すなわち、埋立地や「首都」の中心としての来歴から、規律化の技術や複製技術の働きが相対的に強く、したがって、ここで問おうとしている、資本主義とともにある生としての、習俗の論理を「兆候的に」探り出すうえで相応しいと考えたのである。

以上の問題設定にもとづき、次のように具体的な分析を行なった。まず、二〇世紀への転換期を対象として、習俗と二つの技術とが交錯する基本的な構図を探った。次に、その後の三つの画期において、この基本的な構図の転換とその可能性を明るみに出した。

はじめに、習俗と二つの技術が交錯する基本的な構図については、東京・日比谷における、神宮の東京遷宮と伊勢信仰の変質、練兵場における訓練と祭礼、そして、日比谷焼打ち事件をとりまくメディア・社会環境を手がかりとして分析を行なった。

その結果、第一に、習俗そのものに歴史的な厚みが感覚され、過去と現在との照合に、現実味を与えていたと結論づけた。同時に、習俗には、そのかけがえのなさの感覚が、現在と過去との乖離に対する敏感さと、それゆえの、過去をめぐる真偽の定めがたさの感覚を生じさせることによって、いっそう亢進してゆく機制があることを指摘した。ここでは習俗を、そのように、土地に触発される過去を基準とした、反復的な反省をとおして、生のあり方に「動態的な同一性」が与えられてゆく、資本主義とともにある生であると捉え返した。

第二に、こうした、反復的な反省という側面において、習俗は、規律化の技術と共通点をもち、この移入された技術が喚起する未知なる現象が、習俗をとおして了解できなくなかったと結論した。その現象とは、フーコーが注意を促していた、規律化の技術における規格にしたがった「雑多な群集」の発見である。同時に、この技術で志向される斉一化の局面もまた、習俗と関係づけられる脈絡を見出した。なぜなら、規律化の技術がもたらす、内面をもった主体という生のかたちも、習俗における反省の反復過程に組み込まれうるからである。そこで、ここでは、近代日本において、習俗は、主体化の代替とも代償ともなるものでもなく、主体化の先に見通されていた、人間の同一性の問題が二次的であるかのような感覚をともなった生が、すでに兆しはじめていたと展望した。

第三に、W・ベンヤミンの所論にしたがって、複製技術の効果が、習俗を喚起するうえで、両義的に働く点に注目した。それは、「慣れ」というかたちで、まさに現在に立脚した習俗への転換を促すからである。だが、同時に、複製技術は、過去と現在との照合に、際限なく拍車をかける。それによるイメージの飽和は、過去や土地を動かざるべき実体として感じさせ、その喪失こそが問題であるかのような視野の狭さを生む一方で、過去や土地が、生のあり方を見定めるうえで、選択肢の一つにすぎないという感覚がもたらされもする。したがって、ここでは、見出されたばかりの習俗の動態性が、こうした過程をとおして「平板化」される危険にも、つねにさらされていると結論づけた。

次に、こうした基本的な構図が、いかなる転換の可能性に開かれ、またそれが閉ざされていったかを分析した。そこでは、家と家庭、また、それらの残余としての個という、三つの生のかたちに焦点を定める意図から、東京・日比谷における、次の三つの出来事を注目した。すなわち、二〇世紀初頭における神前結婚と財閥家族の出現と浸透、昭和モダニズム期における建築・都市環境の変貌、そして、高度経済成長期における消費社会変容の兆候である。

結果として、第一に、G・ジンメルの貨幣論を踏まえ、富と土地とによって規定される家という習俗には、この時期に形成された都市家族や財閥家族ばかりでなく、資本市場に直接に位置つく「金融家」や、所有する土地に「責任」の観念をもつ「土地貴族」へと転回する可能性が開かれていたと結論づけた。同時に、ここでは、このような可能性が、日本社会においては、土地をめぐって、国土という観念が前提とされつづける一方で、責任の観念が稀薄化しているため、現代もなお、十分に展開しえていないと展望した。

第二に、習俗の論理の平板化にとともに現われた家庭では、家に見出せた可能性が、あらかじめ摘み取られている点に注意を促した。そして、その兆候を、家の根柢にあった「死」や、家庭という営みの核心にある「性」をめぐる、ある種の禁忌や平板化に見てとった。言わば、習俗がもたらしうる安逸と閉塞を、消費社会におけるコンフォルミスム(自己肯定)の論理に引き付け、今日的な問題として位置づけなおしたのである。

第三に、家や家庭が閉塞にむかうのに対し、既成の人間や世界の捉え方を根柢的に乗り越える生のかたちとして、個を見出した。ここでは、個を、高度経済成長期の現実性を手がかりとして、「保証のない信愚を生きること」と捉え直した。それは、自らの同一性が問題でないかのように振る舞う、言わば、同一性をめぐる問題化の構図の「外」に出る、生のかたちである。こうした生のかたちは、習俗においても、土地や過去による根拠づけを、切り上げることなく遡及させ、ニヒリズムとは異なる「意味のゼロ点」の発見に副るかたちで、可能性としては開かれている。本論文は、このように、資本主義とともにある生を貫く、同一性をめぐる問題化の「外」を展望することで、結ばれている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、明治の開国期から昭和の高度成長の時期にいたる近代日本において、「資本主義とともにある生のかたち」がどのような論理のもとに展開していったのかを、歴史的な事象を通じて探求するものである。かつてマックス・ウェーバーは西欧においてこの種の問題系を考察していたが、本論文は、近代日本という歴史的なマテリアルにおいて、また資本主義の基本条件を次に掲げる二つの技術と捉え、それらの技術とのかかわりにおいて「資本主義とともにある生のかたち」がどのような過程を辿ったのかを考察している。

本論文はまず、(1)資本主義的なエートスを支える生のありようを、ミシェル・フーコーの「主体化」の論理に依拠し、反省と再構成を重ねながら自己の同一性をたえず問題化していく動態的な過程として捉える。次に、(2)ジャン・ボードリヤールを軸とする消費社会論に準拠して、人間=主体という現実性の審級に視点が拘束されている主体化の論理を相対化する「複製技術」の作用とそれがもたらす現実性の変容の過程に注目する。そして近代日本の場合、産業資本主義の導入とともに、一方で主体的な自己の問題化を要求する「規律化の技術」と、他方でその主体化の現実性を相対化していく「複製技術」という、二つのベクトルが同時にほぼ並行して展開していった点に特徴があったと考えられる。

資本主義を支えるこの二つの技術が、土地と貨幣的な富を根拠として持続する「家」を根幹とした習俗の世界と交錯していく過程が本論文の基本的な分析対象となる。本論文によれば、柳田國男は習俗の同一性について、「人間の忘れやすさ」を先験的なモメントとし、現在と過去の照合によって一定の幅のもとにたえず再構成されるものと考えていた。しかしこの照合と再構成の仕方は、資本主義が貨幣的な富の流動性を高め、また規律化の技術や複製技術が入り込むことによって変容していく。この変容の具体的なプロセスのうちに「資本主義とともにある生のかたち」が分節されていったと捉えるのである。

このような分析を遂行するうえで、本論文では、具体的な観察対象を東京・日比谷という場所で生じた出来事から見ていく「定点観測」の手法が用いられる。定点をとることは事象の歴史的な推移を捉えやすくする利点がある。また定点を土地にとるのは、習俗の基盤にある「家」の同一性が土地を介して思考されてきた経緯があるからである。そして東京・日比谷の地を選ぶのは、この研究が問題にしている規律化の技術や複製技術の働きを展望するうえで、日比谷という土地の来歴が戦略的に有効だと考えられるからである。

上記の枠組を踏まえ、本論文の第二章~第四章では、習俗、規律化、複製技術の歴史的な連関が分析され、本論文の基本的な構図が与えられる。まず第二章では、一九世紀後半の、日比谷大神宮の創設とその変容に注目し、伊勢信仰のうちに国家神道的な側面とは別に「現世利益」というモメントがあったこと、そしてこの伊勢信仰とのかかわりで村落共同体の習俗が貨幣・商品経済とそれに伴う投機的側面や流動的な過程と結びついていたことが明らかにされる。また、柳田國男の分析に拠りつつ、東北の木地屋が「複製技術」を入手したり、見物したり、また定住に到ったりと、その生活のかたちや現実性を変えていく経験に触れ、いわば滅びながらその同一性を獲得していく動態的な過程に、習俗の論理の基本形を見いだすことになる。

第三章では、日比谷練兵場を起点として、軍事祭礼における天皇の振る舞いや位置に注目しつつ、「規律化」の技術が習俗にどう作用したのかが分析される。本論文は「規律化」の技術を、その規格化の働きを通じて雑多な群集を生み出し、かつその雑然さを問題化する装置と捉える。他方、習俗の動態的な同一性はこうした問題化を自明としない。その意味で「規律化」の技術は習俗とは異なる。だが軍隊に見られるように、この時期の「規律化」は斉一性のイメージよりも、制御しがたい雑然とした現実を浮かび上がらせ、かえって習俗の想像力を活性化させる。その結果、現在と照合されるべき過去の問いなおしが促され、家郷のイメージや土地の同一性が新たに再合成されていったと考えられる。

第四章では、世紀転換期の都市における人々の生のありようが「複製技術」とのかかわりで捉えなおされる。日比谷焼打ち事件の群集が広義の「複製技術」の作用に媒介されて立ち現れたこと、また「複製技術」が広告技法において徐々に組織化されつつあったことが指摘される。こうした「複製技術」の浸透とそれに対する人々の慣れが、この時期の都市における生のありようを規定しており、焼打ち事件の群集もこの浸透と慣れを兆候的に示すと考えられる。この時期の広告技法では、過去との照合が過去を「伝統」のように固定的なイメージで合成するが、柳田によれば、都市祭礼の習俗では過去との照合は最終的にはその意味を確定しがたいものだった。「複製技術」の浸透はこうした意味の不確定性を見えにくくしていったとされるのである。

第五章以下では、以上の考察を踏まえ、「家」、「都市」(家庭)、「欲望」(個)という三つの問題系の交錯が分析の主題となる。まず第五章では、一九〇〇年の日比谷を起点とした「神前結婚」と新たな「家憲」の制定という二つの流行現象に注目し、この時期にかたちづくられた「家」の同一性について、それが貨幣的な富の蒐集を重要な根拠としていたことが分析される。ジンメルの貨幣論に依拠すれば、貨幣的な富に結びつけられた生の様式として「守銭奴」「浪費家」「土地貴族」といった類型が考えられるが、近代日本では「富の蒐集家」(守銭奴)しか現実感が与えられなかったのは、一神教の神や土地貴族における土地といった、貨幣的な富以外の超越的な価値基準が成立しなかったことがその背景にあるのではないかという解釈が示される。

第六章では、一九二三年の関東大震災からその復興へのプロセスに注目し、日比谷における新たな建築環境の出現や都市の「家庭」の規範意識が分析され、そこに消費社会変容の兆候が読み取られる。このプロセスは複製技術の効果が強まり、習俗が再編されていった過程でもある。習俗では不可欠だった過去との照合という現実性が後景化するとともに、貨幣と強く結びついた「家庭」という現実性が前景化していくからである。ここでは家庭を根拠づける貨幣的な富はシステムやモードによって規定されるものとなる。また、システムとモードの論理の浸透により、土地もまたその根拠としての性格を相対化されていく。それは生の意味づけが実質的に消失していくプロセスのはじまりであり、このような生を生きながらえ自己肯定する媒介として種々の娯楽やキッチュな文化が合成されるという。

第七章では、一九六〇年代の高度成長における人々の生の同一性をめぐる問題状況が日比谷で企画・制作された映画作品を通して分析される。映画「無責任」シリーズのレトリックが示唆するように、高度経済成長は、成長に対する根拠なき信憑のもとに達成されたものであり、この成長に不可欠だったのは高い消費と貯蓄の源泉である「家庭」であったという。この「家庭」は貨幣的な富を根拠とする流動的な単位であり、経済成長とつながることで持続する。この時代の人々は「家庭」という不確かな同一性のうちに充足していく生を営んだが、この「家庭」への帰属は、「家」の世代的な連続性の感覚を失わせるものではなく、また自分が異常な「個」ではないという感覚を保証したともいえる。この意味で「家庭」という人間の同一性を測る基準は、その自明性に揺らぎを抱えた「家」や「個」という価値基準と奇妙なかたちで並存していたとされるのである。

以上が本論文の構図であるが、その独自の学術的な価値として次の諸点をあげることができよう。第一に、本論文は、近代日本における習俗の現実に焦点を当て、柳田國男に依拠しながら、その論理構造について独自の仮説モデルを提示し、習俗が再編され、相対化されていく歴史的なプロセスを展望しつつ、個々の事象に即してこのプロセスの屈曲を捉えている点で高く評価でき、歴史社会学的な文脈においても貴重な貢献になっているといえよう。第二に、資本主義の作用を「規律化」の技術と「複製技術」という二つの側面から捉えることにより、資本主義と習俗のかかわりを多様な社会的現実性の場で照準し、記述し、分析した点でも、本論文は高く評価できる。「規律化」と「複製技術」という分析視点を取ることによって、習俗の現実へより具体的に内在するかたちで、習俗と資本主義との作用連関が捉えられたといえよう。第三に、本論文は、資本主義の作用が習俗の現実を一方的に崩していくという近代化にかんする単線的な理解の図式に陥らず、近代的な「規律化」の技術の導入がかえって習俗の想像力を刺激し活性化する局面を指摘するなど、規律化と習俗が交錯しながら生の同一性のありようが再編されていく相互的な奥行きのある過程を取り出している点でも評価できる。第四に、本論文は、同じように資本主義を支える技術でも「複製技術」は「規律化」がはらむ人間的な現実の主体化の論理を相対化していくという消費社会論的な展望に留意することにより、同一性の再構成において「複製技術」が「規律化」の技術を強めたり、あるいは二次的なものにしたりする複雑な過程を視野に収めており、資本主義の作用を複眼的に捉えた点でも高く評価できるといえよう。これらの成果を通じて、本論文は、社会科学が従来、十分に扱えてこなかった都市の土地性を捉える新たな視点を提供しており、相関社会科学的にも意義深い。

他方、本論文には次のような問題点も残されている。第一に、「動態的な同一性」の概念や、「規律化」「複製技術」といった近代性を包括的に標示する概念を含む、理論枠組の抽象度が高く、そのため歴史事象の記述-分析の水準とのあいだにやや距離が感じられるので、両者の照合関係をより明瞭に媒介する中間的な理論水準の整備をはかる必要があるだろう。第二に、習俗を取り出す思考がはらんでいた天皇制国家という同一性や、また「規律化」や「複製技術」の作用を取り出す際の母体として資本主義という同一性が大枠に前提されており、こうした前提の相対化に達することが望まれる。第三に、日本に移入された初期の「規律化」がその外観のもとに隙間や骨抜きがあったのではないかという疑問やその歴史性を吟味する必要がある。「規律化」は権力の政治技術であり、その働き方については近世社会の言説や空間を配分する権力技術との関係もある程度見定めておく必要があるだろう。第四に、「複製技術」をはじめとして曖昧さの残る概念の調整を行い、またときにレトリカルな表現をより簡潔な記述に改めれば、さらにわかりやすい叙述になったといえよう。

しかしながら、これらの問題点は本論文の学術的な価値から見れば部分的なものか、もしくはその業績をさらなる発展の可能性に結びつける課題であって、本論文全体の独自な学術的価値の高さを損なうものではない。したがって、本審査委員会は、本論文を、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク