学位論文要旨



No 217179
著者(漢字) 駒井,強
著者(英字)
著者(カナ) コマイ,ツヨシ
標題(和) 酵素を用いた呈味成分の改質と微生物を用いた香気物質の生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 217179
報告番号 乙17179
学位授与日 2009.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17179号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

本論文は微生物・酵素を用いた食品素材の呈味成分の改質と香気物質の生産に関する研究であり、第1章「酵素を用いた呈味成分の改質」として第1節「スルメイカ肝膵臓由来カテプシンDの精製とその遺伝子的解析」、第2節「スルメイカ肝膵臓由来カルボキシペプチダーゼの精製とその利用」、第2章「微生物を用いた香気物質の生産」として第1節「微生物を用いたメチルケトン類の生産」、第2節「微生物によるキラルビルディングブロックの生産と応用」からなっている。

食品には栄養、嗜好、機能が保持されねばならない。加工食品の開発時に、最も重要視されるのは「おいしさ」であり、主要素である呈味と香気をコントロールすることが、開発食品をヒットに導く。一方、20世紀の科学技術の発展によって、人類は豊かな生活を手に入れた。しかし、その代償として地球環境は、破綻の危機を迎えている。地球環境に優しい化学として、グリーンケミストリーが推進されている。環境に負担となる廃棄物を出さず、エネルギー節約、リサイクルを考慮し、化学物質を生産する試みである。

著者は、このような背景から廃棄物から得られる酵素を用いた食品に不可欠な呈味成分の改質とグリーンケミストリー触媒である微生物を用いた香気物質の生産を研究した。

第1章「酵素を用いた呈味成分の改質」の第1節「スルメイカ肝膵臓由来カテプシンDの精製とその遺伝子的解析」では、イカ肝膵臓由来カテプシンDの精製とその遺伝子的解析について述べた。スルメイカは日本でもっとも多い漁獲高を誇る水産物であるが、肝膵臓を含む臓器はほとんど廃棄される。この廃棄物である肝膵臓の有効利用を目指し、酵素の検索を行った。結果、アスパラギン酸プロテアー一・ゼであるカテプシンDの存在を明らかにし、単離精製を経て、諸性質を解析するとともに、スルメイカ肝膵臓よりカテプシンDのcDNAを得た。Pre-Pro域を含む全アミノ酸配列は392アミノ酸残基からなり成熟酵素は334アミノ酸残基からなることを解明した。さらに、他種生物のカテプシンDとの相同性を対比し、無根系統樹を作成して本カテプシンDは節足動物のそれに近いことを示した。スルメイカ肝膵臓のカテプシンDをTodarepsinと命名し、塩基配列をDDBJにACCESSIONNo.AB106552で登録した。

第2節では、「スルメイカ肝膵臓由来カルボキシペプチダーゼの精製とその利用」について述べた。第1節同様に、食品工業に利用できる酵素を目指し、スルメイカ肝膵臓中を探索し、カルボキシペプチダーゼを発見するとともに、分離精製した。本酵素はセリンカルボキシペプチダーゼでありCPaseTpaと命名した。食品工業では、機能性食品の取り扱いが活発であるが、おいしく、栄養機能に優れた食品を作ることは使命である。生物にとってタンパク質は重要な栄養源であるが、消化酵素による分解が必要であり、その吸収は容易ではない。一方、このタンパク質を酵素であらかじめ加水分解することによって、その利用を容易にする方法が行われている。しかし、この手法によって生成するペプチドは栄養価こそ高いが、時として、苦味を伴う場合があり、食用に適さない。CPaseTpaはこの易吸収性ペプチドの苦味を除去する可能性があると、その基質特異性から考え、利用を検討した。大豆タンパク質、カゼイン、コーングルテンをエンド型プロテアーゼで加水分解して苦味ペプチドを得た。これに、CPaseTpaを作用させて、その苦味を除去または低減することができた。このように動物の臓器からセリンカルボキシペプチダーゼを得て食品工業に応用した例は他にはないと考えている。

第2章ではグリーンケミストリーである「微生物を用いた香気物質の生産」について述べた。食品の香気は食品そのものを認識させ、特徴づけるもので、必要不可欠である。この香気を付与するものが香料である。香料は天然物から抽出して得られる天然香料と有機合成によって得られる合成香料とがある。これらを調合して、香気を調整したものが調合香料である。天然香料の範囲には、有機合成を用いず自然界で起こる生化学的あるいは物理的プロセスに基づく、すなわち、酵素・微生物反応や加熱調理などによって天然原料から化学物質を生成させる「ナチュラル」と呼称される製法による香料がある。このような「ナチュラル」製法によって生産された香料は欧米ではナチュラルモレキュールズと呼ばれ、"Natural"香料として表示できる。

このような背景から、第1節では、グリーンケミストリー且っナチュラル製法である「微生物を用いたメチルケトン類の生産」について述べた。メチルケトン類は、ブルーチーズや乳製品に欠くことのできない香気物質である。ブルーチーズではPenieilliumroquefortiが乳成分である乳脂肪の脂肪酸を酸化代謝して、炭素数の一つ少ないメチルケトンに変換する。このような微生物の発酵能を利用してメチルケトン類を製造を研究した。基質となる脂肪酸の供給源としてヤシ油を選択し、これをリパーゼで加水分解して脂肪酸を生成させ、さらに酸化によってメチルケトン類を生産する微生物をスクリーニングした。その結果、Asρθrgillussp.KM・1株をC7メチルケトン(2・heptanone)生産優良株として選択した。

この株を用い、ヤシ油の含有量、培養基、培養方法の検討・設定を行い、ヤシ油を基礎培地に対し30%含有する培地で、C7メチルケトンをヤシ油中のカプリル酸から86%の変換率で生産することができた。これを踏まえ、実製造が可能となり、分離精製してC7、C9、Cllメチルケトンをそれぞれ香料として上市することができた。さらに、1バッチでの収量向上を目指し、ヤシ油含有量を上げ、基礎培地に対し、ヤシ油200%まで増量し、生産性を向上させることが可能となった。

第2節では、グリーンケミストリーである「微生物によるキラルビルディングブロックの生産と応用」について述べた。光学活性物質は自然界に存在し、生命体の構成成分であるとともに種々な機能を持つ。光学活性な医薬品、フェロモン、そして光学活性香料などを目的とした有機合成においては、一つの方法として、純粋な光学活性出発物質としてキラルビルディングブロックが必要である。ここでは、2・メチル酪酸1をキラルビルディングブロックとして取り上げ、微生物不斉資化法による生産を検討するとともに、調製した(、砂1を応用した種々の光学活性香料物質の合成とその香気評価について述べた。微生物は種々の化学物質を資化代謝できる性質を持っているとともに、光学活性認識能もある。この性質を利用してラセミ体1を原料にキラルビルディングブロックとなり得る光学活性な1の生産を検討した。(±)・2・メチル酪酸を資化する微生物を土壌から113株分離した。さらに(±)・2・メチル酪酸資化培養後の残存2・メチル酪酸の鏡像体純度を測定したところ、(R)-体を100%e.e.で残存させている菌株2株を得た。収率が良好である菌株を同定し、、Pseudomonassp.TH・252・1株とした。この菌株を(±)・2・メチル酪酸を基質に培養し、5.891Lの収量で、鏡像体純度100%e.e.、収率29%(基質がラセミ体であることを考慮すると58%)で(R)-1が得られた。すでに、種々の果実類の香気成分として見出されている(S)-1は市販されていて、重要な香料素材でもある。(五)-1が得られたことによりその両鏡像体の香気の差異が明らかとなった。次に、(R)-1と市販(S)-1をキラルビルディングブロックとして香気物質の両鏡像体を合成し、香気について研究した。ホウノ木の花の香気成分である2・メチルブタノール2と2一メチルブチルベンゾエート3立体配置を決定する目的で、2および3のそれぞれの(R)体、(S)-体を合成した。天然物と合成品のキラルガスクロマトグラフィー比較から、ホオノ木の花の2および3はともに(6)・体過剰であることが判明した。また、両鏡像体の香気を比較し、差異があることを確認した。果実に存在するエチル2・メチルブチレート4の(R)-体を合成し、市販(S)-4と香気を比較し、差異を明らかにした。Filbertone((2E)-5・methyl-2-hepten-4-one)5は、ヘーゼルナッツの主要香気成分であり、へ一ゼルナッツの産地やロースト法によって5の鏡像体の存在割合は異なる。これの(R)(S)両鏡像体を合成し、香気を比較し香気と検知閾値に差異がることを明らかにした。このように(R)-1を生産することによって種々な光学活性香料物質の合成ができ、鏡像体間の香気の差異について比較研究することが可能となった。

以上のように食品に関与する呈味と香気の研究を生化学的な手法を取り入れて遂行してきた。一つには、環境問題を意識して、新しい酵素の供給源として、廃棄物から酵素を分離精製し、呈味改善に利用することができた。一方、グリーンケミストリーとして、新しい微生物反応を開発した。微生物の発酵生産能を用いて、香料を実製造するプロセスを開発できた。さらに、微生物の光学活性認識能を利用した不斉資化法による光学活性物質の合成に重要なキラルビルディングブロックの生産を可能にし、有機合成に用いることによって、光学活性な香気物質の香気特性を明らかにした。今後も微生物・酵素と化学の関わりを深め、新たな開発と応用を推進したい。

審査要旨 要旨を表示する

食品には栄養、嗜好、機能が要素として保持されなければならない。この中で、嗜好すなわち「おいしさ」は食品の商品としての価値・寿命を決定付けるものであり、「おいしさ」を作る主な要素である呈味と香気は食品開発において極めて重要である。また近年、リサイクル・省エネルギーや地球環境に優しい化学であるグリーンケミストリーが推進されている。本論文は、廃棄物から得られる酵素を用いた食品の呈味成分の改質とグリーンケミストリーである微生物を用いた香気物質の生産に関する研究について論じたものであり2章からなる。

第1章では、酵素を用いた呈味成分の改質について論じている。第1節では廃棄物であるスルメイカ肝膵臓から酵素を分離精製することにより、アスパラギン酸プロテアーゼであるカテプシンDを見出し、Tbdarepsinと命名した。本酵素の諸性質を解析するとともに、cDNAを得、全アミノ酸配列は392アミノ酸残基であり成熟酵素は334アミノ酸残基からなることを解明した。また他種生物のカテプシンDとの相同性を対比し、無根系統樹を作成してTodarepsinは節足動物のそれに近いことを確認した。第2節ではスルメイカ肝膵臓由来の酵素の探索によりセリンカルボキシペプチダーゼを見出し、CPaseTpaと命名した。その基質特異性から苦味ペプチドの苦味除去べの応用研究を行った。大豆タンパク、カゼイン、コーングルテンをプロテアーゼで加水分解して得られる苦味ペプチドの苦味をCPaseTpaで除去検討し、苦味除去または低減効果を確認した。

第2章では「微生物を用いた香気物質の生産」について論じている。香料は天然香料と合成香料があり、前者には、酵素・微生物反応などによって天然物から香気物質を生成させるナチュラル製法が含まれる。第1節では、グリーンケミストリー且つナチュラル製法である、微生物を用いたメチルケトン類の生産について研究した。メチルケトン類は、乳製品の重要香気物質である。ヤシ油をリパーゼで加水分解し脂肪酸類を生成させ、さらに酸化によってメチルケトン類を生産する微生物を検索した。その結果、Asρergillussp.KM・1株をメチルケトン生産株として選定した。本株を用いヤシ油含有量、培養基、培養方法を検討し、ヤシ油を基礎培地に対し30%含有する培地で、主としてC7メチルケトンをヤシ油中のカプリル酸から86%の変換率で生産した。他のメチルケトンにも適用し、C7、C9、C11メチルケトンをそれぞれ上市した。さらに、ヤシ油量を基礎培地に対し、200%まで増量、収量向上が可能となった。第2節では、微生物によるキラルビルディングブロックの生産と応用について研究した。光学活性物質の合成には、純粋なキラルビルディングブロックを用いる方法が有効である。微生物の多様な物質の資化能と分子不斉認識能を用い、不斉資化法による2一メチル酪酸(1)の生産を検討した。土壌から(±)・1の資化微生物を113株分離、さらに(±)・1資化培養後に残存する1の鏡像体純度を測定し、(」の・体を100%e.e.で残存させるPseudomonassp.TH-252・1株を得た。本菌株により、(±)・1から5.891Lの収量で、鏡像体純度100%ee、収率29%(基質がラセミ体であることを考慮すると58%)で(R)-1を得た。この(R)-1と市販の(S)-1とを比較し、両鏡像体の香気の差異を明らかにした。さらに(R)-1から、種々の光学活性香料物質を合成した。ホウノ木の花の香気成分である2・メチルブタノール(2)と2一メチルブチルベンゾエート(3)の立体配置を決定する目的で、(R)-1と市販の(S)一1をキラルビルディングブロックとして2および3の両鏡像体を合成した。天然物と合成品のキラルガスクロマトグラフィーの比較から、ホオノ木の花の2および3はともに(6)一体過剰であることと香気の差異を確認した。また、果実に存在するエチル2一メチルブチレート(4)の(R)-体も合成し、市販(S)-4との香気の差異を明らかにした。FilbertOne((2E)-5-methyl-2-hepten-4・one)はヘーゼルナッツの主要香気成分で、産地やロースト法により鏡像体の存在割合が異なるが、本化合物も両鏡像体を合成し、香気と検知閾値の差異を明らかにした。

以上本論文は、酵素を用いた呈味成分の改質、微生物を用いた香気成分の合成を通じて、食品の重要要素である呈味と香気に関する研究成果をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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