学位論文要旨



No 217183
著者(漢字) 沖野,友哉
著者(英字)
著者(カナ) オキノ,トモヤ
標題(和) 強光子場における炭化水素分子の超高速水素ダイナミクスとアト秒パルス分子分光に関する研究
標題(洋) Ultrafast hydrogen dynamics of hydrocarbon molecules and attosecond molecular spectroscopy in intense laser fields
報告番号 217183
報告番号 乙17183
学位授与日 2009.05.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17183号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 准教授 畑中,耕治
 高エネルギー加速器研究機構 教授 柳下,明
 理化学研究所 主任研究員 緑川,克美
内容要旨 要旨を表示する

【序】

強レーザーを集光することによって生成することが可能である強光子場中においては、分子の電子状態が混ざり合うことによって分子の構造が大きく変化することから新奇の反応が誘起されることが知られている。また強光子場を、レーザーパルス波形をデザインすることによって、化学結合の選択的切断が可能になりつつあり、強光子場は化学反応制御を可能にしつつある。しかし、一般には、どのようなパルス波形が新奇の反応誘起および化学結合の選択的切断に適しているのかに関して理解することは難しい。特に、水素原子を含む炭化水素分子においては、核と電子の運動が完全には分離できないために、そのダイナミクスを調べることはことさら困難である。このような、強光子場中での分子内の水素ダイナミクスを調べるためには、解離フラグメントイオンの運動量相関を測定することが適している。そこで、本研究では、コインシデンス運動量画像法を用いて強光子場中における炭化水素分子の解離ダイナミクスを調べた。また、非常に高速に動く水素原子の運動を追跡するためには、フェムト秒の時間分解能では不十分であることから、並行して高強度のアト秒パルスを発生させ、分子との相互作用を調べた。実際に、アト秒パルスの分子相互作用領域におけるパルス幅を分子のクーロン爆発を用いた自己相関計測を行うことによって決定した。

【実験手法:コインシデンス運動量画像法】

メタノール分子を超高真空下で分子線として導入し、フェムト秒レーザー光を分子線に集光した (800 nm, 60 fs, 0.2 PW/cm2)。生成した解離フラグメントイオンを、位置敏感型検出器で検出し、検出器上の到達場所と到達時間から解離チャンネルごとのフラグメントイオンの運動量ベクトルを求めた。

【新奇反応の誘起:水素分子イオン(H2+, H3+)の発生】

メタノール二価イオンCH3OH2+ からの二体解離経路より、水素原子イオンH+ 及び水素分子イオンH2+、H3+の生成、CH3OH2+ → Hn+ + CH(3-n)OH+ (n = 1, 2, 3) (図1)が確認された。解離フラグメントイオンの角度分布の異方性< cos2〓> = 0.54 (H+)、0.50 (H2+)、0.40 (H3+) より、水素原子イオンの生成が70〓 290 fs、水素分子イオンの生成がそれぞれ、110〓 550 fs (H2+)、1.4 ps 以上(H3+) でおこることが明らかとなった。このことから、強光子場中におけるメタノール分子からの水素分子イオン生成は、光子場中で前駆体イオンが準安定な状態に生成することによっておこるものと考えられる。

【分子内超高速水素マイグレーション】

本実験条件下では、メタノール二価イオンCH3OH2+からの二体解離経路と、三価イオンCH3OH3+からの三体解離経路から、水素原子が炭素原子側から酸素原子側に移動する「水素マイグレーション」過程が確認された。二体解離経路からは、C〓O結合の解離を伴う解離経路、CH3OH2+ → CH(3〓m)OH(1+m)2+ → CH(3〓m)+ + OH(1+m)+ (m = 0, 1, 2) において水素マイグレーションが確認された(図2)。具体的には、水素原子が炭素原子側から酸素原子側に1個もしくは2個移動する過程(m =1, 2)がコインシデンス運動量画像として確認された。解離フラグメントイオンの角度分布の異方性 < cos2〓> は、0.72 (m = 0)、0.72 (m = 1)、0.74 (m = 2) であり、水素原子移動の有無によらずほぼ一定の値をとることがわかった。このことは、強光子場中においてメタノール分子の水素原子移動が非常に高速に進行し、前駆体イオンCH(3〓m)OH(1+m)2+ (m = 0, 1, 2) の生成がレーザーのパルス幅の中で起こることが明らかとなった。また、フラグメントの生成比より解離過程の割合は1 : 0.5 : 0.04 であり、水素原子移動が段階的に進行するのではなく協同的に進行することがわかった。さらに、同位体メタノール (CD3OH, CH3OD) 分子を用いた測定結果からも同様に水素移動を伴う二体解離過程が確認され、CH3OHの場合と同様に、解離フラグメントの角度分布の異方性は水素移動の有無によらずほぼ一定の値をとることがわかった。しかし、解離フラグメントの生成比に関しては1 : 0.2 : 0.002 (CD3OH)、1 : 0.4: 0.08 (CH3OD) であり水素移動過程に関して同位体効果が表れることがわかった。

一方、図3に示すように三体解離経路からは、C〓H結合とC〓O結合の解離を伴う解離過程(a) (CH3OH3+ → H+ + CH2+ + OH+)に加えて、水素マイグレーションを伴う解離過程(b)(CH3OH3+ → CH2OH23+ → H+ + CH+ + OH2+)が確認された。二体解離経路同様に、フラグメントイオンの異方性に変化が無いことから、強光子場中で非常に高速に水素マイグレーションが誘起されていることが明らかとなった。また、解離過程(a)について、コインシデンス運動量画像から得られる運動量相関図の解析結果から、強光子場中で水素原子は非常に広く分布し、擬段階的な解離過程が誘起されることが明らかとなった。

【アト秒パルス発生とパルス幅計測】

分子内での核および電子の超高速過程を追跡するためには、アト秒の時間分解能が必要である。近年の高次高調波の発生技術の進歩によって、真空紫外領域(VUV)~極端紫外領域(XUV)における複数本の高次高調波をコヒーレントに重ねあわせることによって、アト秒パルスは発生可能となっている。しかし、アト秒パルスを分子科学に応用するためには、分子との相互作用領域におけるパルス幅計測を行う必要があるが、自己相関計測のための非線形過程の観測が困難であったため、これまでは実現がなされていなかった。本研究では、高強度のアト秒パルスを発生させるとともに、原子と比べて非線形過程が一般的に高効率な分子を用いて、その2光子クーロン爆発過程を観測することによってアト秒パルスの自己相関測定を行い、相互作用領域でのパルス幅計測を行った。

【アト秒クーロン爆発】

フェムト秒レーザー(10 mJ, 40 fs, 10 Hz)をガスセル中のXe ターゲットに集光することによって高次高調波を発生させ、2 枚のSi 平行平板基板で構成されるビームスプリッターでビームを2 本に分割した後、パルスバルブより分子線として導入した窒素分子試料に集光照射し(集光強度:1014 W/cm2)、生成した窒素原子フラグメントイオンを飛行時間型質量分析器で検出した。一方のSi 基板を微動させ、2 本のビームに170アト秒ごとの遅延時間を設けることで自己相関を測定した。図4にアト秒パルストレインの自己相関測定の結果を示す。窒素分子からのフラグメントパターンを、遅延時間を変えて測定した結果が図4(a)である。その結果、基本波の光学サイクル(2.7 fs)おきに表れるフリンジ(d)と異なり、クーロン爆発(N22+ → N+ + N+)で生成したサイドピーク(b)および解離性イオン化(N2+ → N+ + N)で生成したセンターピーク(c)からは、光学サイクルの半周期(1.33 fs)でのシグナルの変調が観測された。半周期ごとのシグナルの変調は、アト秒パルスが発生していることの直接的な証拠となっている。また、極端紫外領域における2光子クーロン爆発の観測は世界初である。この自己相関の測定結果より、アト秒パルストレインのパルス幅が300アト秒以下であることが明らかとなった。

【まとめ】

コインシデンス運動量画像法を用いることによって、強光子場中における炭化水素分子の水素原子の特徴的な振る舞いを調べることに成功した。その結果として、水素分子イオンが生成する新奇な反応が誘起されること、および非常に高速に分子内で水素原子が移動することが明らかとなった。特に、分子内での水素原子移動過程に関しては、本研究から少なくとも60fsよりも短い時間に誘起されることが明らかとなり、より短いパルス幅を持つレーザーを用いた追跡が必要となった。そこで、高次高調波を用いたアト秒パルスを発生させ、その時間幅が300アト秒よりも短いことを分子の2光子クーロン爆発過程を観測することによって明らかとした。今後は、レーザー波形整形によりデザインされた強光子場において誘起される炭化水素分子の分子内水素移動過程を、アト秒パルスを用いて追跡することが可能になると期待される。

図1: 強光子場中(0.2 PW/cm2)メタノール分子のC〓H結合解離過程のコインシデンス運動量画像(py方向がレーザー偏光方向)

(a)H3+ (n = 3) (b) H2+ (n = 2) (c) H+ (n = 1)

図2: 強光子場中(0.2 PW/cm2)メタノール分子のC〓O結合解離過程のコインシデンス運動量画像(py方向がレーザー偏光方向)

(a)CH3+ (m = 0) (b) CH2+ (m = 1) (c) CH+ (m = 2)

図3: 強光子場中メタノール分子の三体解離過程で生じるフラグメントイオンのコインシデンス運動量画像

(a)CH3OH3+ → H+ + CH2+ + OH+

(b)CH3OH3+ → H+ + CH+ + OH2+

図4: アト秒パルストレインの自己相関測定結果

(a) 3次元自己相関画像, (b)サイドピークの自己相関,

(c) センターピークの自己相関, (d) 基本波の自己相関, 青線が実測, 赤線がフィッティング結果

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなり、強光子場における炭化水素分子の超高速水素ダイナミクスとアト秒パルス分子分光に関する研究を目的として行なった主として実験研究の成果をまとめたものである。

第 1 章は序文であり、強光子場中における分子ダイナミクス一般から超高速水素マイグレーションの発見に至るまでの実験報告例についておよび、アト秒パルスの発生および計測手法一般について述べられている。第2章から第5章は、コインシデンス運動量画像法を用いた、強光子場中におけるメタノール分子の超高速水素ダイナミクスに関する実験報告例について述べられている。一方、第6章、7章は、分子を用いたアト秒パルス列のパルス幅の自己相関計測および、アト秒パルス列を用いたフーリエ分子分光に関する実験報告例について述べられている。第8章は、第2章から7章までの内容のまとめが述べられている。

第2章は、水素分子イオン生成の観測に関する実験成果について述べられている。水素原子の三量体イオンが主に、2価イオンから生成することと、運動量画像の異方性から、2価の前駆体イオンが回転寿命と比べて、長寿命であることが明らかにしたはじめての実験結果である。第3章は、2体クーロン爆発過程から、分子内における超高速水素マイグレーションの観測に関する実験結果について述べられている。メチル基側から水酸基側に水素原子(プロトン)が1個および2個移動したのちにC-O 結合が解離する過程が存在することが明らかとされた。さらに、重水素置換を行った同位体メタノールを用いた実験結果との比較から、強光子場中においてメタノール分子のすべての水素原子が協同的に動くことをはじめて示した。第4章は、第2章と同様に、水素分子イオンの生成過程に関する実験結果について述べたられている。重水素置換メタノールを用いた計測結果から、水素分子イオン生成過程においても、水素・重水素の交換反応が起きていることおよび同位体効果が存在することが明らかとされた。第5章は、3体クーロン爆発過程を観測し、コインシデンス運動量画像から、運動量相関図を構築することにより、強光子場中において水素原子(プロトン)の分布が極めて広がっていることをはじめて明らかとした実験結果が報告されている。第6章は、高強度アト秒パルス列のパルス幅を、窒素分子を非線形媒質として自己相関計測を行った結果が報告されており、アト秒パルス列のパルス幅が300 アト秒であることを決定するとともに、分子を自己相関計測の際の非線形媒質として用いることの有効性が示している。また、アト秒パルス列を用いて分子のクーロン爆発過程を観測したはじめての実験結果でもある。第7章は、第6章で報告したアト秒パルス列の自己相関計測の遅延時間の精度を向上させることによって、自己相関計測をフーリエ分子分光に拡張した実験成果について述べられている。二酸化炭素分子について、自己相関関数が解離フラグメントイオンごとに異なることが確認され、フーリエ変換を行うことによって、解離過程によって生成に関与する高次高調波の分布が異なることが報告されている。この結果、アト秒パルス列を用いて真空紫外から極端紫外領域において2光子吸収スペクトルを計測したことに相当し、これまでに無いアト秒パルス列と分子の非線形相互作用についての実験成果であるといえる。

なお、本論文第2章から5章は、古川裕介、Peng Liu、市川太佳之、板倉隆二、星名賢之助、山内薫、中野秀俊との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計測および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、本論文6章は、山内薫、清水 俊彦、古澤 健太郎、長谷川 宗良、鍋川 康夫、緑川克美との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計測および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。さらに、本論文7章は、山内薫、清水 俊彦、Ri Ma、鍋川康夫、緑川 克美との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計測および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、本論文が博士(理学)を授与するにふさわしい研究であることを審査員は全員一致で認めた。

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