学位論文要旨



No 217187
著者(漢字) 上田,剛慈
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,タケジ
標題(和) 電荷敏感型赤外光検出器の開発
標題(洋)
報告番号 217187
報告番号 乙17187
学位授与日 2009.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17187号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 准教授 深津,晋
 東京大学 教授 平川,一彦
内容要旨 要旨を表示する

本研究では諸現象の豊かなスペクトル帯である波長5μmから50μm領域に対応する赤外単一光子検出器の開拓を行った。この波長領域には天文分野を主とした長い研究開発の歴史があり、現在既に高感度の検出器が多数存在する[1]。近年ではアレー化した撮像素子の開発が盛んである。しかし、単一光子検出が可能なほどの超高感度検出器は未だ存在しない。また、現状では撮像素子と読み出し回路との一体化はバンプ接合などの難度・コスト共に高い技術を要しており[1]、将来的な広範な普及と画素数の増大を考えると読み出し回路とモノリシリック化できる素子の出現が望まれる。これらの点に超高感度な、かつアレー化が容易な新しい素子の開拓意義がある。

一方、超高感度化に関しては、本研究の目的波長よりも長い200μm帯では量子ドット検出器によって単一光子検出が実現されている[2]。このブレークスルーは電荷敏感機構(ドットに光電荷を保持し、その静電場の影響下にある電導チャネルの電流変調を読み取ることで大きな信号増幅を可能にする)によってもたらされており、感度の点ではこれ以上望めないレベルに達している。ところが、量子ドット検出器はSET(Single electron transistor)を使用しているために希釈冷凍機等で1K以下に保つ点や、多数のゲートバイアスの微調整が必要という点において、残念ながら広汎な応用を考えるためには実用性に乏しい。また現状では80μm以上の波長にのみ対応しているが、それは励起機構(サイクロトロン共鳴、プラズマ振動)による制約であり、より広い波長範囲に拡張するのはたやすくない。従って、その連続的解良で超高感度かつアレー化容易な素子を開拓することはできない。

上述した背景の中で、最近、電荷敏感機構を利用しつつも構造を大きく変えることによって、超高感度性とともに、アレー化や使い勝手の利点をある程度ともに満たす素子が検討され、実現された[3-8]。本論文はこの一連の研究のまとめである。開拓した素子(CSIP: charge-sensitive infrared phototransistor)の概要を図1に示す。

図1(a)に示すように、CSIPはFET(Field effect transistor)であり、ゲートの電位が光子で変わるようにすることでコンダクタンスの変化を検出する。5-50μmに対応する遷移機構として量子井戸(QW)のサブバンド間遷移を用いる(図1(b))。GaAs/AlGaAsの組成を工夫することで同図(c)の非対称二重量子井戸になる伝導帯が実現されており、フローティングゲート(FG)である上の井戸の励起電子はトンネルバリアを抜けて下の井戸(チャネル)に至り電荷分離が達成される。素子は結晶のメサエッチングで形成され、図1(a)には示されていないがFGは表面メタルゲートの負バイアスによって電気的に切断して形成される(図2(a), (b))。FGにはフォトホールがライフタイムの間蓄積されてチャネルの電流を増大させる。ライフタイム τは一般に長い(4.2Kでτ >1s)ので図1 (d)に示すようにフォトンフラックスに比例した勾配でホールの蓄積による電流の経時変化がおこり、この傾きが信号となる。勾配後の平坦部はFG内に溜めうる電荷量に制限があるために起こる素子感度の飽和であるが、光量に応じた周期的なリセットを実行し常に線形部を取り出すことができる(図1 (d))。

CSIPは少なくとも4.2Kで動作し、その単純なFET構造からアレー化に適し、将来的な読み出し回路とのモノリシリック化も原理的に可能である。さらに微弱光の検出においては図1 (e)のように階段状の単一光子信号を得ることができた。

これらの特性はCSIPの有用性を大いに期待させるものであるが、総合的な感度(D*)はS/N比や量子効率を考慮して初めて決定し、他の素子と比較して優位性を論じることが可能となる。その意味で素子感度の決定は極めて重要であるが、グローバー光源、モノクロメーターおよびライトパイプを用いた通常の実験系では常温部の黒体輻射が強すぎて光強度は不明確であり正確な評価は不可能であった。正確な感度評価をするために(1)迷光の遮断、(2)定量的光源、(3)分光機能を併せ持つ実験系を新しく構築した。図3(a)に示すようにこの極低温分光系は常温部からの輻射を遮断し、その光源、回折格子、検出器の全てを液体ヘリウムに浸漬する。回折格子は外部から回転可能で、コリメートされた光源からの光を分光して素子に与えることができる。光源は図3(b)のように1kΩのチップ抵抗を用いた。チップ抵抗で主に電力が消費されるようにし、その温度を熱電対でモニターする。チップ抵抗はガラスコーティング(波長10-20μmにて放射率~1)が表面に施されているのでほぼ理想的な黒体複写光源として用いることができる。このチップ抵抗を図3 (a)のようにGaAs窓をもつ真空容器(~10-4 Pa)に入れて断熱環境で使用した。結果的にこの光源を用いて4.2-250K程度幅で抵抗温度を変えて光量を制御することができた。回折格子もサーマルサイクルに耐えられる材質(素子と同くGaAsにTi/Au蒸着)を用いてリソグラフィー技術で自作した。

図4(a)の分光結果から受光波長はλ=14.7μm、ピーク半値幅は回折格子自体のもつ分光精度を考慮して△λ=1μmと分かった。受光波長帯が分かったので今度は図4(b)の挿図のように光源の正面に素子を置き立体角を明確にして強度依存性を測定した。単位光子信号は微弱光の階段高さや計算から見積もることができ、これより各光源温度での単位時間あたりの光子計数速度を計算できる。単位時間の光子入射数は光源温度と立体角および有効波長帯から計算できる。この結果が図4(b)であり、極めて広いダイナミックレンジが確認された(上限は素子でなく光源強度による)。また計数と入射光子数の比として量子効率がη=2%と分かった。暗条件でのダークカウントレートと量子効率から、D*・1.2x1015cmHz1/2/Wと決定できた。これは既存の素子の感度(D*=1010~1013cmHz1/2/W)を数桁上回るものである。単一井戸での受光ゆえ量子効率が低く抑えられているが、表面プラズモンを利用した受光機構等で10%以上にすることは可能であろう。(ここでは割愛するがエバネッセント波を用いた受光機構の検討も論文第4章として行っている。 )

図5(a)は光照射下で表面メタルゲートバイアスを負に掃引したときの電流変化の温度依存性である。このとき図2(b)のようなエネルギーバリアが立ち上がりFGは隔離される図2(a)。信号の増大はFGの隔離によって光電荷が溜まることを意味するが、温度が高くになるにつれて再結合が増えるのでより負なバイアスが必要になる。信号の立ち上がり閾値は温度に線形依存する(図5 (b))。図5 (d)のタイムトレースの飽和高さも図5 (a)と同様に温度とともに減少する(図5 (c))。これらの傾向は、温度の上昇に伴い高いエネルギーを持つ電子が増えて再結合が促進されるため、それを抑制するにはより大きなバリアが必要とされることを意味している。図5(d)のタイムトレースから、30K近傍で信号は消失するが4.2Kから23K程度までD*・9.6x1014 cmHz1/2/Wという高感度を示すことが示された。

論文中では図2(a)の再結合経路を、(1)ゲートで調整できる横方向(図2(b))と(2)結晶構造で決まり調整不能な縦方向(図2(c))の経路に分け、WKB近似に基づいた電子移動解析で図5の閾ゲートバイアスや飽和高さの温度依存性を定量的に説明した。同じ解析から光照射量の影響を含め実験曲線を再現し、ライフタイムの温度依存性、結晶バリア設計の最適値を示した。様々な波長における理想的なD*の温度依存性の予測も行っている。

以上のように、本研究では

(1) 新しい実用的な赤外光子検出機構としてCSIPを作成し、

(2) 極低温分光系を構築してCSIPの量子効率やD*などの特性を決定・評価し、

(3) 量子効率向上のための受光機構を検討し、

(4) 温度依存性を評価するとともに定量的解析によって今後の開拓のガイドラインを与えた。

[1]A. Rogalski and K. Chazanowski, Opto-Electron. Rev, 10, 111 (2002)[2]S. Komiyama, O. Astavief, V. Antonov, T. Kutsuwa and H. Hirai, Nature (London) 403, 405 (2000)[3] Z. An, J-C. Chen, T. Ueda, S. Komiyama, Appl. Phys. Lett. 86, 172106 (2005)[4] Z. An, T. Ueda, J. C. Chen, and S. Komiyama, J. Appl. Phys. 100, 044509 (2006)[5] Z. An, T. Ueda, S. Komiyama and K. Hirakawa, Phys. Rev. B 75, 085417 (2007)[6] Z. An, T. Ueda, K. Hirakawa and S. Komiyama, IEEE Trans. Electron Devices 54, 1776 (2007)[7] T. Ueda, Z. An, K. Hirakawa and S. Komiyama, J. Appl. Phys. 103, 093109 (2008)[8] T. Ueda, S. Komiyama, Z. An, N. Nagai and K. Hirakawa, to be published in J. Appl. Phys. (2009)

図1 CSIPの概要 (a)素子の概念図[6] (b) 結晶構造[3] (c)伝導帯と電荷分離

(d)光信号(周期的リセット)[6] (e)単一光子信号 [5]

図2 (a)再結合経路

(b)横方向ポテンシャル (c)縦方向ポテンシャル [8]

図3 (a) 極低温分光系の構成 (b) 温度制御可能な黒体輻射光源

図4 (a) 受光スペクトル (b) 光量と検出レートの相関(回折格子を使わず直接照射)

図5 (a)一定光照射下でゲートバイアスを変えたときの信号電流の温度変化 (b)閾ゲートバイアス (c)信号飽和高さ (e)タイムトレースの温度依存性 [8]

審査要旨 要旨を表示する

可視・近赤外光領域の長波長側に広がるテラヘルツの電磁波領域(30THz~0.3THz程度、波長=10-1000μm)は、あらゆる分子の振動・回転、巨大分子の変形、固体の格子振動・不純物準位・超伝導体のエネルギーギャップ・半導体微細構造中の電子の量子化準位、等々、物質の多くの重要なエネルギースペクトルに対応する。そのため、分子分光学・赤外/電波天文学・物性物理学等の基礎的分野で大きな重要性を有するが、技術的には、光学とエレクトロニクスという現代の2大技術がそのままでは適用できず、比較的未開拓な分野にとどまってきた。最近は新たな計測手段が開発され、医療や安全を含めた広範な分野への計測手段としての応用の可能性が盛んに議論されるようになって来た。しかしそれでも、使い勝手の良い高感度検出器の不在や簡便で強力な光源の不在等により、真に幅広い応用展開を可能とするためには、さらなる技術的発展が強く望まれている。

本論文執筆者は、上記背景の中で、従来検出器にくらべて圧倒的に感度が優れ、かつアレー化に適する等使い勝手も格段に優れた新たな検出器を開発することに成功した。本論分はその研究のまとめである。従来、100μm以上の長波長領域では超高感度の半導体量子ドット検出器が実現されていたが、動作温度として0.4K以下の超低温を必要とし、かつ素子を稼動するために多数のゲートバイアスを微調整する必要がある等、使用上の簡便さに欠けていた。また構造上アレー化が極めて困難であり、かつ励起機構の制約から検出波長範囲が80μm以上の波長に限られる等、応用範囲には制限があった。本研究では、従来の超高感度半導体量子ドット検出器の検出機構の基本的枠組みを踏襲しつつ、現実の物理的構造を大きく変えることによって、超高感度性とともに、アレー化や使い勝手の利点を同時に満たす素子を開発することに成功した。

従来のテラヘルツ領域の光伝導検出器は、光子1個の吸収で1個の光電子を励起して光電流として検出するため、感度に限界があった。本研究では、半導体の微小領域をテラヘルツ光で励起して電子を1個追い出し、孤立領域が電子を失って正に帯電することを、近傍に電荷敏感素子を置くことによって検知する、電荷敏感型赤外トランジスター(ChargeSensitiveInfraredPhototransistor:CSIP)の機構を採用している。CSIPは光子1個の吸収で膨大な数の電子(光伝導利得>>1)による電流を信号として得ることができるため桁違いの感度を実現でき、本研究以前に、半導体量子ドットと単電子トランジスターを利用して半導体量子ドット検出器が実現していた。本研究はCSIPの基本的枠組みを踏襲しつつも、(i)半導体の孤立領域をGaAs/AIGaAs結晶の量子井戸(QW)から作り、(ii)電荷敏感素子として2次元電子系による電界効果トランジスター(FET)を採用し、(iii)励起機構として量子井戸中の2次元サブバンド間遷移を利用した。そのことによって、単一光子検出という圧倒的な高感度を持ちながら、4.2K以上の温度で動作する単純なFET構造によって、今までにないきわめて使い勝手の良い検出器を開発することに成功した。検出波長は現在、14ミクロン近傍だがそれは使用したGaAs/AIGaAs結晶の量子井戸の幅が10nmであることで決まっているためであり、井戸幅を8nmから20nmに変化させることにより、波長=7-50μmの領域をカバーすることが期待される。また、単純な素子構造と操作性の単純さからアレー化に適し、将来的には読み出し回路とのモノリシリック化も原理的に可能である。本研究はテラヘルツ領域の研究全般に対して、高感度検出技術の面から重要なブレークスルーを行い、大きな寄与を与えたと認められる。

論文は6章とまとめ、および付録(検出器感度に関する用語解説)からなっている。第1章は序論で、テラヘルツ領域における高感度検出器の必要性を述べ、検出素子の現状を紹介したのち、本研究で採用する電荷敏感型検出機構の解説を行っている。最後に、使い勝手が良くかつ圧倒的な感度を持つ、汎用の目的に適する検出器を開発する、という本研究の目的を記している。第2章から第5章が本研究の内容の記述に充てられている。第2章は検出器の原理と素子構造を説明したのち基本特性を記述している。素子はGaAs/AIGaAsの2重量子井戸構造結晶から作られ、負のバイアス電圧を金属クロスゲートに印加して表面側量子井戸を一部孤立させて受光領域とする。光が受光領域に入射すると、孤立した量子井戸中の電子が光を吸収し、励起電子が量子井戸からトンネル過程で脱出して深い方の2次元電子系チャンネルに移動する。そのことで2次元電子系チャンネルの伝導度が増大して光信号電流を生ずる。このように、孤立した量子井戸を光に敏感なフローティングゲートとする、電界効果トランジスタ(FET)とみなすことができることが解説される。つづいて4.2Kで行われた基本特性の実験結果として、信号電流のゲートバイアス依存性、検出波長のスペクトル計測、検出感度の飽和を防ぐためのリセット構造の導入とその成功の結果が記述される。第3章は、検出器の特性の定量的評価方法と結果が記述される。従来検出器に比して桁違いの感度を有するため、通常の測定系では常温からの輻射が混入して信頼できる結果が得られない。そこで、本研究では発光源や回折格子の部品を自作し、それらを組み込んだ分光系を液体ヘリウムに浸して計測する方法を開発して評価した。まず自作光学部品の評価結果と計測方法を解説したのち結果を記述している。測定結果から量子効率Vニ2%、検出能D*=1.2x1015cmHz1/2/Wと決定され、この値は既存素子の感度(PeeeloiD*=1010~1013cmHzi/2/W)を数桁上回るものだった。受光波長はλ=14.7μmをピークとして半値幅全幅△λ=1μmを持っており、用いた量子井戸に予想される波長値に一致した。さらに入射光の106以上にわたる極めて広い強度範囲にわたって信号が線形応答を示すというすぐれた特性も明らかにされた。第4章は量子効率の向上によってさらに検出器を改良する試みを記述している。本研究の検出器は量子井戸中の2次元サブバンド間遷移を励起機構とするため、量子井戸面に垂直な振動電場を必要とする。一方、入射光は量子井戸に平行な振動電場しか持たないので、入射光電場を変換する機構(量子井戸への結合器またはアンテナ)を量子井戸の孤立領域(光吸収の起こる領域)の直上にリソグラフィー加工により作成する必要があり、その変換効率が、量子効率ηと感度趣を決めることになる。従来はマイクロストリップアンテナと呼ばれる構造が採用されていたが、本研究ではエバネセントモ一ドの金属2次元アレーを試し、アレーの周期や間隔を変えて量子効率の向上を図った。数値的には従来通りη=2%程度の値が得られたにとどまったが、より以上の改善に向けた有益な知見をえている。第5章は検出器特性の温度依存性および光照射量依存性に関する測定結果と解析結果が示される。まず、30K近傍で信号は消失するが23K程度まではD*=9.6x1O14cmHzi/2/Wという4.2Kに比してそん色ない高感度を示すという応用上重要な結果が示される。次に、信号が生ずるゲートバイアス電圧のしきい値、信号の飽和強度、および信号電流が時間とともに増大する曲線の温度依存性が測定される。それらの温度依存性が、温度上昇に伴って高いエネルギーを持っ電子が増え、孤立した量子井戸を形成するポテンシャルバリアを乗り越えて熱電子が孤立領域に侵入するため、光信号の寿命時間が温度上昇によって短縮するためであることが定量的に示される。ポテンシャルバリアとして、バイアスされたゲート電極が作るポテンシャルバリアと、結晶構造のバンドの設計で決まるポテンシャルバリアの効果がそれぞれ考慮され、WKB近似に基づいた電子移動の解析が行われている。さらに光照射量の影響が同様に解析される。これらの解析がもたらす検出の物理的機構のより深い理解をもとに、異なる波長域に拡大する際の検出器のための結晶構造の提案を行っている。第6章は検出器に用いる2重量子井戸結晶の設計と成長の実際に関して、注意点を記している。最後に本論文をまとめ、付録で検出器感度に関する用語の解説を行っている。

結び

なお、本論文の第2章から5章は、平川氏・ZhenghaAn氏・J.C.Chen氏・長井氏・小宮山との共同研究だが、論文の提出者が主体となって測定法の開発に当たりかつ実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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