学位論文要旨



No 217189
著者(漢字) 矢野,聖明
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,マサアキ
標題(和) ビールの香味安定性に及ぼす要因およびその制御
標題(洋)
報告番号 217189
報告番号 乙17189
学位授与日 2009.07.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17189号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 特任准教授 朝倉,富子
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

ビールや発泡酒、等の麦芽発酵飲料(以下、ビールとする)は時間の経過とともに香味の劣化が進行し、新鮮なビールの本来の香味が損なわれる。ビールの香味劣化については、原料由来、工程由来、保存由来の各種要因が関与しており、これまで一部の例外を除き、試飲による官能評価、および物質レベルでの評価を中心に数多くの研究がなされてきた。物質レベルとして主なものは、アミノ酸および糖のメイラード反応およびストレッカー分解、脂肪酸の酸化、高級アルコールの酸化、等の反応が要因として提唱されている。

一方、日本においては近年、消費者の嗜好の多様化、税制等の影響で、ビールには液糖、大麦等、多種な原料が用いられるようなっている。しかしながら、それらの原料がビールの鮮度の維持、即ち、香味安定性に及ぼす影響については試飲による官能評価が主体であり、物質レベルの調査についての知見は少なかった。そこで、60Lのパイロットプラントを用いて、麦芽100%のビール、麦芽の25%および40%を液糖もしくは大麦で置き換えたビールを試作し、試飲および化学分析で比較することで、液糖、大麦が香味安定性に及ぼす影響を調べた。その結果、液糖を用いたビールに関しては麦芽100%のビールと比較して、試飲評価で酸化臭味が低減する傾向が認められ、香味安定性に影響することが知られているビール中の脂肪酸酸化物(γ-ノナラクトン)やストレッカーアルデヒド(2-メチルブタナール、3-メチルブタナール、2-フルフラール、2-フルフラール、ベンズアルデヒド)の物質が減少する傾向が認められた。液糖は精製され、糖分以外の夾雑物は極微量しか含まれておらず、グルコース、マルトース等の糖組成に就いても、麦芽100%でビールを製造した場合と同等のものを使用した。従って、試飲評価で確認された香味安定性の改善については、液糖による劣化物質の希釈効果が寄与したものと考えられた。一方、大麦を用いたサンプルについては、麦芽100%のビールと比較して試飲評価で酸化臭味が増加する傾向が認められたが、ビール中の脂肪酸酸化物やストレッカーアルデヒドについては減少する傾向があり、酸化臭味の増加については、その他の要因が考えられた。当該の大麦を用いたビールは麦芽100%のビールと比較して、エチルアセテートの含有率が低下した。本現象は、大麦の使用による麦汁中の不飽和脂肪酸含量の増加が、酵母の細胞膜に局在するエステル生成酵素の作用を抑制したものと考えられるが、大麦を用いたビールにおいては、エチルアセテートの香気のマスキング効果が弱まり、麦芽10096ビールよりも酸化臭の強度が強く感じられ、結果として、香味安定性の評価が低下した可能性が考えられた。

上記した、原料評価に呼応して、工程内で香味安定性を改善する方法についても探索を行った。ピールの製造の中で、麦汁濾過工程、即ち、麦芽を湯と混合して糖化を行い、得られた粥(醪)をスリットの入った底を持つ槽(ロイター)に入れ、エキス成分(一番搾り麦汁、もしくは一番搾り)をスリットから濾過、抽出し、その後に、残った麦芽の固形成分(麦層)に湯を撒く工程がある。本工程により、麦層中のエキス分(二番搾り麦汁、もしくは二番搾り)が回収でき、コスト上は有利であるものの、脂肪酸酸化物質を同時に溶出、回収してしまうため、香味安定性が低下することが知られていた。しかしながら、二番搾りを廃棄することは製造コスト上、困難が伴い、二番搾りの脂肪酸酸化物を除去する方法が必要とされていた。その中、活性炭を用い、実験室規模で麦汁の脂肪酸酸化物を吸着、減少させる方法が提唱されていたが、筆者らは、飲料業界で用いられているその他の吸着剤も含め、その効果を実験室規模の麦汁の段階ではなく、より大きなスケールである60Lパイロットプラントで、かつ、最終的なビール製造においていずれの吸着剤が最も香味安定性を改善するかを明らかにするとともに、本方法を事業化すべく、その他の品質への影響に関しても、調査を行った。その結果、調査した吸着剤(ベントナイト、シリカゲル、活性炭、ポリビニルポリピロリドン(PVPP))の中で、活性炭のみが、それを二番搾り(一番搾りと二番搾りの合計の最後の10%を使用)に作用させた試醸で得られたビールの酸化臭味が、本処理を行わなかったビールと比較して、有意に低減することを試飲評価により初めて明らかにした(p〈0.01)の異なる3つの試醸で同等の結果を得た。パネルは訓練を受けたパネル。パネルは平均でn=8)。化学分析を行った結果、麦汁中の脂肪酸酸化物(ヘキサナール、ペンタナール、ヘプタナール、γ-ノナラクトンの合計)の含量が有意(ρ〈0.05)に低下しており、香味安定性に関与することが知られているこれらの物質が活性炭に吸着、除去されたことが、香味安定性の向上に寄与したものと考えられた。

その他の品質への影響としては、麦汁、およびビールの外観エキス、色度、全窒素、総ポリフェノールの分析値に有意な差は無かった。外観エキスについては、製造コストへの影響が大きいため、分析値に大きな差がないことは、本方法の実施にプラスに働くとを考えられた。全窒素、総ポリフェノールはビールを長期保存した際に、複合体を形成し、ビールを混濁させるとなると考えられており、色度も含め、これらの分析値に大きな差がないことは、ビールの重要な品質である外観品質に顕著な影響を与えないことを意味しており、重要な結果と言えた。また、一般消費者パネルを用いて、活性炭処理を行ったビールと通常のビールの新鮮時のトライアングルテストを行った結果、有意な差は無く(ρ<O.05。パネルはn=24)、もう一つのビールの重要な品質である香味品質に対しても顕著な影響は無く、本方法を既存の商品群に速やかに適用することができることを確認した。一方で、酵母の糖消費が若干緩慢になる傾向が認められた。本現象は、脂質成分の一部が活性炭に吸着されたことにより、酵母の増殖が抑制され、細胞数が通常よりも少なくなったために糖消費が抑制されたものと考えられた。二番搾りへの活性炭の使用が、麦汁、および製品品質に及ぼす影響が少ない要因としては、下記の理由が考えられた。単純に活性炭処理前後で比較すると、二番搾りの色度、全窒素、総ポリフェノール、脂肪酸酸化物、ビールの異臭に影響するジメチルサルファイドが有意(ρ<0.05)に低下した。色度、全窒素、総ポリフェノールはその多くが一番搾りに含まれている。一方で脂肪酸酸化物質やジメチルサルファイドは撒いた湯による麦層からの洗い出し効果を受けて、二番搾りでも一番搾りと同等の含量がある。即ち、本方法で二番搾りの終流10%のみに対して活性炭を作用させているため、全麦汁中の色度、全窒素、総ポリフェノールにおいては影響が少ないが、脂肪酸酸化物質や、ジメチルサルファイドは本活性炭処理により麦汁中の当該物質の比較的大きな割合が吸着し、最終的に製品の香味安定性や異臭の改善効果が認められたと考えられた。

次に、活性炭の使用量のコストを低減すること、また酵母の糖消費を改善することを目的に、香味安定性を最も高める活性炭のスペックおよび反応条件を調査した。指標としては、脂肪酸酸化物の一種であり、ビール保存中に増加し、ビール中の含量が閾値を越えるため、香味安定性の指標と考えられているトランスー2-ノネナール(T2N)、およびその生成能の指標であるノネナールポテンシャル(NP)を用いた。その結果、平均細孔直径1.5-2.Onmの活性炭を二番搾り麦汁1L当たり1.5-3g加え、70-90°C条件下で1分以上反応させることにより、二番搾り中のエキスの減少を最小限としながらも、NP成分を高い効率で吸着、除去することができることが明らかになった。考えられる要因としては、酸化臭味に関連があるとされるγ-ノナラクトンなどの脂質酸化物が疎水性の比較的長い炭素鎖を持つことが関与していると考えられる。即ち、当該脂肪酸酸化物質が、活性炭内のマクロボアを経由して、内部に到達し、炭素鎖がその分子サイズに合った細孔径のマイクロボアに入り、疎水性のマイクロボア内壁と炭素分子の間でVanderWaals力等の分子間力が作用して吸着し、当該物質が捕捉されるものと考えられた。

以上の研究から、原料が香味安定性に大きな影響を持っていることが明らかとなり、それらの原料をビールの基本的な香味設計のみならず、香味安定性の観点からも選択していく重要性が明らかとなった。また、香味安定性を悪化させる要因の一つであった麦汁濾過工程について、ビールの外観品質、香味品質への影響を最小限としながらも、二番搾りに活性炭を作用させることにより香味安定性が改善すること、更には、その効率を最大化する活性炭のスペック及び使用条件が明らかとなり、より少ない投資で本技術を活用することが可能となった。本技術が応用され、香味安定性がより一段と向上し、新鮮な香味を通して、ピールに対する消費者の支持が一段と高まることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

ビールや発泡酒の麦芽発酵飲料は時間の経過とともに香味の劣化が進行する。香味劣化については、原料由来、工程・保存起因の各種要因が関与しており、主に試飲による官能評価および分析化学的評価を中心に数多くの研究がなされてきた。物質レベルの要因として主なものは、アミノ酸および糖のメイラード反応およびストレッカー分解、脂肪酸や高級アルコールの酸化が提唱されている。

一方で近年、日本においては、消費者の嗜好の多様化、税制施行の影響等で、麦芽発酵飲料には液糖、大麦等、多種な原料が用いられるようになっている。しかしながら、それらの原料がビールの鮮度の維持、すなわち香味安定性に及ぼす影響については試飲による官能評価が主体であり、物質レベルの解析については知見が少なかった。

本研究では、6肌のパイロットプラントを用いて、液糖、大麦が香味安定性に及ぼす影響をビールの試飲および化学分析により解析し、その要因を調べた。その結果、液糖に関しては麦芽と比較して、試飲評価で酸化臭の低減効果が認められ、脂肪酸酸化物やストレッカーアルデヒドの香味安定性に影響する物質およびその前駆体が減少していることが明らかになった。液糖は糖分以外の來雑物は極微量しか含まれておらず、グルコース、マルトース等の糖組成についても、麦芽100%と同等であることから、試飲評価による香味安定性の改善は、液糖による劣化物質の希釈効果が寄与したものと考えられた。一方、大麦については、麦芽と比較して試飲評価で酸化臭が増加したが、脂肪酸酸化物やストレッカーアルデヒドについては減少しており、大麦ビールの基本香味や、その他の要因が香味安定性に影響を及ぼしたことが考えられた。

次に、原料の評価と合わせ、工程内で香味安定性を改善する方法についても検討を行った。ビール製造の中で、麦汁濾過工程では麦芽を糖化させ、得られた粥(もろみ)からエキス成分(一番搾り麦汁)を抽出し、残渣中に麦芽の固形成分(麦屑)のエキス分(二番搾り麦汁)を回収できる。二番搾り麦汁の使用はコスト上は有利であるものの、脂肪酸酸化物鷺も同時に溶出するため、香味安定性が低下する。しかしながら、二番搾りを廃棄することはコスト上、不利であり、二番搾りの脂肪酸酸化物を除去する方法が必要とされていた。本研究では、活性炭を用いることで、脂肪酸酸化物を吸着、減少させる方法を試みた。脂肪酸酸化物の一種であるトランスー2一ノネナールおよびノネナールポテンシャルを香味安定性の指標とし、最も吸着率がよい活性炭のスペックおよび処理条件を解析した。二番搾り麦汁1L当たり平均細孔径1.5-2.Onmのものを1.5-3g加え、70-90℃下で1分以上反応させることにより、二番搾り中のエキスの減少を最小限としながらも、これらの物質を高い効率で吸着、除去した。

60Lパイロットプラントを用いた試醸レベルで試飲評価を行った結果、得られたビールの酸化臭味が本処理を行わなかったビールと比較して、有意(p〈O.Ol)に低減した。麦汁、およびビール中のγ-ノナラクトン等の脂肪酸酸化物の含量が有意(p〈O.Ol)に低下しており、これらの物質が活性炭に吸着、除去されたことが、香味安定性の向上に寄与したものと考えられた。一方、エキス分の活性炭吸着は極めて少なかった。また、ビールの基本香味などの品質に関わる色度、全窒素、総ポリフェノール等にも影響はなかった。

以上、本研究は、ビール原料を基本的な香味設計のみならず、香味安定性の観点からも選択していく重要性を示した。さらに、活性炭を用いた麦汁濾過工程の改善により香味安定性が向上することを見い出した。本技術はビールの品質改良の新視点を拓くもので学術的・応用的意義は少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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