学位論文要旨



No 217192
著者(漢字) 宮内,泰介
著者(英字)
著者(カナ) ミヤウチ,タイスケ
標題(和) 自然・移住・紛争の開発社会学 : ソロモン諸島マライタ島民たちに見る生活の組み立て方
標題(洋)
報告番号 217192
報告番号 乙17192
学位授与日 2009.07.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第17192号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,健二
 東京大学 教授 松本,三和夫
 東京大学 教授 武川,正吾
 東京大学 准教授 本田,洋
 法政大学 教授 山本,真鳥
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ソロモン諸島マライタ島を事例に、発展途上国の村落部の住民たちが、どのような社会変動の中で、どのように生活を"組み立てて"いるのかを開発社会学的に論じたものである。

こうしたことを論じようとする背景には、発展途上国の住民をめぐるさまざまな「問題」の存在がある。そうした「問題」は通常、「貧困」「発展/開発」「環境」「自立」といった言葉で語られる。しかし、発展途上国の住民の暮らしに少し触れれば、「環境問題」「貧困問題」として語られることと、現実の暮らしとの間には、ずれがあることに気がつく。あたりまえのことだが、住民の暮らしは、「貧困」という言葉に一元的に収斂されるものではないし、住民は「環境保全」のために暮らしているわけではない。もちろん「貧困」も「環境」も住民の生活の一部として重要な位置を占めている。しかし、それに収斂されないさまざまな要素がそこにはある。

人びとの生活は、「狭義の経済」も「環境」もその一部として含んだ広義の経済という視点でとらえなければならない。ポール・イーキンスとマンフレッド・マックスニーフは、「実生活経済」(リアルライフ・エコノミー)という言葉で、また、ジョン・フリードマンは「包括経済モデル」(whole economy model)という言葉でそれを表そうとした。

こうした議論を、発展途上国の発展戦略の議論の中に組み込んだものとして、人間開発論や社会開発論がある。人間開発論は、人間一人ひとりのケイパビリティ、すなわち、「『様々なタイプの生活を送る』という個人の自由を反映した機能のベクトルの集合」(アマルティア・セン)に注目し、諸個人のそれを十全に発揮できるような状態を発展と考える考え方である。そして、この人間発展論を中心に据えた発展戦略が社会発展論である。

本論文では、このような開発論の視点にとりあえず立ちながら、しかし、従来の開発論が見落としがちだった、人びとの具体的なリアルライフ・エコノミーを、事例に則しながら分析・考察する。すなわち、本論文で目指す開発社会学(development sociology)は、発展途上国の人びとの生活の次元から、様々な"社会的なもの"を浮かび上がらせ、そこから人びとの開発/発展を論じる研究のあり方を指している。社会学がつちかってきた、様々なレベルの"社会"への複合的な視線を十二分に生かしながら、開発/発展の議論へ貢献することを、この開発社会学は目的としている。

本論文の事例は、ソロモン諸島マライタ島アノケロ村周辺地域であり、1992年から現在までにおける継続的なフィールドワークを中心に、資料収集などを組み合わせて行なった。

住民たちのリアルな生活から開発/発展を議論するために、また一方、むやみにリアルな生活の詳細に分け入って研究が拡散してしまうのを防ぐために、本論文では、住民たちの"生活の組み立て方"に焦点を当てる。すなわち、本論文では、ソロモン諸島マライタ島の住民たちを事例に、彼らの具体的な生活がどう成り立っているか、彼らの生活経済がどういうリソース(資源)を使ったり使わなかったりしながら成り立っているか、彼らがどういう生活戦略を立てているか、また、社会変動の中で立て直しているか、を見る。ここで言うリソース(資源)とは、住民(世帯)が生活を続けていくために利用しているさまざまなモノやコトを指す。

各章の主な内容は次の通りである。

第1章では、まず問題の背景と理論的な整理、さらには調査地の概要と方法論について論じる。

第2章では、地域の歴史をたどることで、この地域がどのように形成されてきたかを明らかにする。1930年代以降、住民たちは、キリスト教への改宗という形で現在の海岸地域に移住した。また、戦後、マアシナルールという大きな社会運動を経験したことが、今日のアノケロ村を直接形成する契機になった。マアシナルールは、自治の運動だったが、海岸部に大きな集落を形成するという生活様式への変化を加速・定着させ、さらに、新しいリーダー層を生んだ。また学校という新しい制度が登場し、そのこととが教師という新しいリーダー層をさらに生んだ。さらに、出稼ぎが多くなり、また、消費物資・道路・町といったものとの遭遇・体験が徐々に浸透していった。こうした歴史は、住民たちにとって、新しいリソース群の登場であったと理解することができる。

もちろんそうした新しいリソースが"伝統的"なリソースに完全にとって代わられたわけではない。そこで第3章では、"伝統的"なリソースの中で最も重要だと考えられる自然資源について記述・分析する。そこでは、住民たちが、栽培作物および野生植物・野生動物という2つの極ばかりでなく、その間に位置するさまざまな「半栽培」的な自然を利用していることが明らかになる。栽培-組織的に植栽される植物-植えたものから移植される植物-天然から移植される植物-人里近くに生える植物-手を加えられる野生-野生、というグラデーションがそこでは見られ、それは、別の言い方をすれば、人間と自然との問の多様な関係があることを示している。第3章では、中尾佐助の議論を援用してそれを「半栽培」と呼ぶ。しかし、中尾佐助の「半栽培」が、栽培に至る過程を示す歴史的概念であるのに対し、本論文では、それを共時的概念として捉え返す。そしてその共時的な「半栽培」、すなわち、人間と自然との間の多様な関係が、人びとの生活のリソースとして非常に大きな意味をもっていることを論じる。

しかし、自然と人間との多様な関係がリソースたりえるためには、実は、自然資源へのアクセス、すなわち土地所有をめぐる社会的しくみの存在が重要になってくる。そこで、第4章では、そのことを議論する。

すなわち、第4章では、土地所有のあり方について、まず、歴史的な経緯、とくに土地争いの歴史を記述し、トライブ(氏族。人類学でいう「クラン」だが、調査地でのリアリティにしたがってここでは「トライブ」という言葉を使う)による土地所有が、一見伝統的なままでいるように見えるものの、実のところ歴史的に変遷してきているということを明らかにする。その上で、マライタ島における土地所有のあり方を通時的および共時的に分析し、そこから、重層的な土地利用のありようを明らかにする。

マライタ島の土地所有のあり方は、私たちの「所有」概念の練り直しを迫る。そこでは「所有」に3つの次元-(1)かかわりの形態における多様性(採取、植栽、栽培、手入れ、改変、保全、監視など)、(2)かかわりについての社会的承認における多様性(所有権、利用権、用益権、アクセス権、ルールなど)、(3)かかわる対象における多様性(空間としての土地、具体的な土としての土地、栽培したものを含む土地、家畜、景観など)-があることが議論され、その上で、次のことが明らかにされる。すなわち、第1に、所有(権)や利用(権)をめぐる社会的しくみは、その土地や時代に応じてさまざまなバリエーションが存在していること、第2に、所有(権)や利用(権)は重層性を持っていること、そして、第3に、そのしくみは、日常的な実践の中で変化する。別の言い方をすれば、そのしくみは、日常的な実践の中に埋め込まれているということである。「所有」という言葉で表されるようなものは確かに存在するが、それはそれ自体として固定的に存在しているのではなく、日常的な実践とセットになっているのである。すなわち、第4に、その所有のありようは、日常的な社会関係の中に埋め込まれているのである。

そうした理論的考察を踏まえた上でマライタ島の土地所有について分析すると、それは、トライブによる総有を基本としながら、それは近代的な「所有」をはみ出る「所有」であり、さらにその上に「利用(権)」が折り重なっていることが分かる。そうしたいわば「重層的コモンズ」は、重層的な関係をトライブ同士、トライブ内の世帯同士で結んでいるということを意味し、そのことが生活の安定につながっている。さらに、第3章で見たような、自然と人間との問の多様な関係を保証することにもなっている。重層的コモンズという社会的しくみが、人びとの生活にとって重要なリソースとして働いているのである。

続く第5章以下では、人びとの「移住」という側面に焦点を当てながら、その生活の組み立て方を記述・分析する。

第5章では、移住の歴史について分析する。すなわち、19世紀末~20世紀初頭のブラックバーディングから、戦前のプランテーションへの出稼ぎ、そして、戦争直後の労働部隊の経験、さらには、戦後の出稼ぎ・移住のさまざまな形態を記述し、分析する。戦後の出稼ぎ・移住は、(1)未婚男性の単身で稼ぎ、(2)既婚男性の単身で稼ぎ、(3)家族での移住、(4)労働およびぶらぶら歩きのためのホニアラへの短期移住(5)未婚女性の出稼ぎ・移住、に類型化され、それぞれの意味が探られる。そしてそのいずれの類型も、いずれ村に戻ってくる還流型移民であることが指摘され、そのことは、社会構造の視点から見ると、労働者の家族全員の再生産分を賃金として払わないことで安い労働力を確保するという構造に起因していると見ることができる。しかし一方で、このことは、住民自身の生活戦略であるという見方もできる。

そのことをさらにはっきりさせ、議論を深めるために、第6章では、民族紛争という「有事」において人びとがどういう移住をしたか、どういう生活戦略を練り直したかを取り扱う。すなわち第6章では、まず、ソロモン諸島、ひいてはオセアニアにおける紛争の歴史を概観し、中でもソロモン諸島で1999年から始まった民族紛争の背景と経緯を記述した。そして、その中で、ガダルカナル島からマライタ島に避難して戻ってきた人びと(避難民)に注目する。そして、そこに3つの類型、すなわち、(1)ガダルカナルに土地を購入していた人びと、(2)ガダルカナルのアブラヤシ・プランテーションで働いていた人びと、(3)ホニアラの「タウン」内に居住していた人びと、が存在し、その類型によって、民族紛争による避難・移住の意味合いが違っていることが指摘される。しかしいずれの類型も共通して言えることは、彼らのその避難が、これまでの彼らの移住パターンの延長線上にあったということである。

避難が従来の移住パターンの延長線上にあったことは、彼らの避難先が、夫の村へ戻るだけでなく、妻の村へ「便宜」を求めて「戻った」人が少なくないことからも明らかだった。このように、民族紛争による避難が移住の一類型という側面があったということは、別の見方をすると、彼らのリスク回避のしくみが比較的うまく機能したということであった。すなわち、町やプランテーションでの近代セクターと村の自給セクターとの間を行き来してきたマライタ島民の生活は、いずれのセクターも十分な生活の安定をもたらしてくれなかったという側面がある一方、行き来することで、いずれにも偏らないリスク回避のしくみを生活の中に形成してきていたとも言える。

そうして第7章では、ポスト民族紛争の動きとして登場した、内陸部への移住計画という事象に注目し、その意味を探る中で、本論文全体の総括に当たるような分析を行なう。

注目したのは、アノケロ村のあるグループが2000年から計画した、内陸部の奥地への移住である。そこで分析されたことは、まず第1に、トライブ・土地をめぐる不安定な状況があり、第2に、サブシステンス・セクターと近代セクターとの間のせめぎあいがあることである。すなわち、まず第1に、民族紛争の影響の中で、民族対立とトライブ問対立が相似形に映り、自分たちの土地に住んでいない多くの海岸部の住民たちの中で、「自分たちの土地へ」という志向が強まったことがある。そして第2に、第6章で見た「避難」と同様、この内陸部への移住もまた、結局のところ従来の移住パターンのポスト民族紛争版であることが指摘される。すなわち、このグループの人たちも、他の多くの人たちと同じように、これまでさまざまなリソースの間で、よく言えば、戦略を練ってきた、悪く言えば、右往左往してきた。今回の内陸部への移住計画も、一見逆コースのように見えながら、実のところ、そうした生活の組み立て方のまた新しいバージョンだと理解することができる。

最後に第8章の結論部では、本論文全体が要約され、その上で、本論文で目指した開発社会学の方向性について議論される。すなわち、開発社会学は、社会学本来の複眼的思考を生かしながら、人びとの種々の社会的なものを明らかにしながら、開発/発展の道筋を考えることがその目的になる。さらに、開発社会学は、住民の視点に立って複眼的に社会的なものをアドボケイトする役割を担うことができる。住民が依存している種々の「社会的なもの」を掘り起こし、学びながら、代弁することができる。それは、何が政策や活動の前面に置かれるべきかという、配置の組み替えの問題である。こうした再配置こそが開発社会学の(ひいては社会学の)主要な目的となるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ソロモン諸島マライタ島アノケロ村を事例に、いわゆる「発展途上国」の村落に生きる住民が、いかなる資源(リソース)をもとに生活戦略を組み立てているのかを、1992年以来継続してきたフィールドワークをもとに論じた研究である。著者の視点は開発社会学の議論を批判的に整理しながら、人間開発・社会開発論が注目した「社会的なもの」の多様な役割や機能を、具体的な生活の歴史的実態のなかで分析していくという点に特徴がある。

第1章において、調査地であるソロモン諸島社会の位置や特色を概説したあと、「実生活経済」論や「包括経済モデル」など既存の説明枠組みを検討しながら、生活を支える資源に注目する筆者の立場を位置づけ、フィールドワークという方法を採用する意味について論ずる。第2章では、国家単位の政治史とは異なる、村の歴史を浮かびあがらせる論点として、海岸部への移住、戦争と反イギリスの自治運動(マアシナルール)、キリスト教への改宗と学校教育、出稼ぎと移住、道路と消費物資などが取り上げられ、生活の領域に焦点があてられる。第3章では「半栽培」が、サブシステンス(非貨幣経済)領域の資源や労働時間を分析する枠組みとして登場し、ガリやサゴヤシ、パンダナス、アマウなど半栽培植物の利用実態を分析しながら、「半栽培」が歴史的であると同時に、人と自然との共時的な相互作用を支える仕組みであることを明らかにしている。それを受けて第4章において、「半栽培」の厚みを支える社会的な空間所有のありかたとして、土地所有と土地利用の実態を分析して、「重層的コモンズ」と呼ぶべき認識を導きだし、第5章と第6章では、個人史のヒアリングを素材に「出稼ぎ」や「移住」や「避難」という移動に光をあてながら、村における資源の歴史的ストックの意味を分析していく。民族紛争という「有事」のなかでの移動や、避難の諸類型を押さえることで、生活戦略の多様性と連続の様相が浮かびあがる。そして第7章では、近年の新たな内陸部への移住計画とその担い手を分析するなかで、複合的な生活戦略の新しいバージョンを、サブシステンス部門をもちながら貨幣経済部門ともつきあう「二重戦略」として概念化し、「重層的コモンズ」の所有・利用の慣習と重ねあわせて理解できる視点を提示している。

筆者は「発展」や「自然保護」や「自立」の観念のもとで、住民の感じているリアリティや迷いを切り捨ててしまうような開発社会学ではなく、その生活が依存しているさまざまな「社会的なもの」の再発見や再評価を、彼らと協働して行いうる社会学の立場を模索している。更なる理論的な洗練は今後に期待されるところだが、調査地で長期にわたる信頼関係を築き、ヒアリング調査や観察実践を積み重ね、住民の生活感覚や意識の内側から「生活戦略」を支える「コモンズ」の複合的なありようを描き出した本論文は、その一つの成果である。本審査委員会は、博士(社会学)の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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