学位論文要旨



No 217197
著者(漢字) 藤井,晋也
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,シンヤ
標題(和) ホウ素クラスターの医薬分子疎水性構造としての展開
標題(洋) Development of the Utility of Boron Clusters as Hydrophobic Pharmacophore
報告番号 217197
報告番号 乙17197
学位授与日 2009.07.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17197号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

【序】医薬品創製において、疎水性構造は物性や体内動態に関し大きな影響を有する一方で、実際の医薬品開発では炭化水素骨格以外の疎水性構造の探索は行われていなかった。しかし近年、疎水性構造の違いが物性に与える影響に着目してケイ素官能基やフルオロアルキル基を有する化合物が創製され、それらが興味深い生物活性を有することが明らかになるなど、疎水性構造に関する研究は現在の医薬化学における重要な課題である。本研究では、無機材料化学の分野で注目されているホウ素クラスター「カルボラン(dicarba-closo-dodecaborane)」(図1)に着目し、医薬分子の疎水性構造としての応用を検討した。カルボランは、2個の炭素原子と10個のホウ素原子より構成される含炭素ホウ素クラスターで、正二十面体という特異な立体構造と高い疎水性を有し、水素化ホウ素化合物としては例外的に炭化水素に匹敵する化学的・熱的安定性を持つ。カルボランはこれまでに、レチノイン酸受容体やエストロゲン受容体のリガンドの疎水性構造としての有効性が検討されてきた。私はその知見を基盤とし、ステロイドホルモン受容体であるアンドロゲン受容体(AR)、および脂溶性ビタミン受容体であるビタミンD受容体(VDR)の2種の受容体リガンドの創製を検討した。カルボランを生理活性分子へ利用する手法の有用性や一般性を検討し、また受容体-リガンド結合様式の解析からカルボランと受容体の相互作用に関する分子基盤の確立を目指した。

【AR リガンドの創製】ARは核内受容体スーパーファミリーに属するリガンド依存的転写調節因子であり、DNAの特異的配列を認識・結合し、リガンドの結合により標的遺伝子の転写を制御する。ARは男性生殖機能の発達や筋・骨量の恒常性維持などの多様な機能を担っており、そのリガンドはホルモン補充療法やホルモン依存性癌など種々の疾患の治療薬として応用されている。まず、ARの既存のリガンドの構造要素に基づき、化合物II-23をはじめとするシクロヘキサノン環を有する一群の化合物、および、II-75をはじめとする一群のフェニルカルボラン誘導体を設計・合成した。合成化合物のARアゴニスト/アンタゴニスト活性をレポータージーンアッセイおよびアンドロゲン依存的に増殖するSC-3細胞の増殖促進/抑制試験により評価した結果、II-23はARアンタゴニストであり、その活性強度は代表的なARアンタゴニスト hydroxyflutamideと同程度であることが示された。またフェニルカルボラン誘導体もARアンタゴニスト活性を示し、最も高い活性を示したII-75およびII-109はhydroxyflutamideの10倍程度のARアンタゴニスト活性を有した。

次に、さらに斬新な構造を有するARリガンドの創製を目的とし、フェニルカルボラン自体を疎水性テンプレートとして新しい極性構造の探索を行った。ARは既存のリガンドの水素結合性官能基がニトロ基およびシアノ基等に限定されており、新しい官能基の開拓はARリガンドの医薬開発において重要である。新規リガンドとして、結合に重要なArg752残基との静電的な相互作用を意図し、テトラゾールその他の酸性複素環を導入した種々の化合物を合成した。結合活性評価の結果、1,2,4-オキサジアゾール-5-チオン構造を有するII-145およびII-153が強い親和性を示し、同構造がニトロ基やシアノ基の生物学的等価体となる可能性を示唆した。

一方、SC-3細胞に対しアンタゴニスト活性を示した化合物II-109は、変異ARを有する前立腺癌細胞株LNCapに対してはアゴニストとして機能することが明らかとなった。変異ARに対するアンタゴニストの創製は前立腺癌治療において最も重要な課題の一つである。そこでII-109をリードとした誘導体展開により、LNCapに対するアンタゴニストの創製を検討した。その結果、アミド誘導体II-167等がLNCapに対してアンタゴニストとして作用することを見出した。同化合物はSC-3に対してもアンタゴニストとして機能し、種々の細胞においてアンタゴニストとして作用することが期待される。

また、これまで用いてきたカルボラン(C2B(10)H(12))よりもホウ素原子の数が2個少ないten-vertexカルボラン(dicarba-closo-decaborane:C2B8H(10))を用いた誘導体を合成し、骨格構造における疎水性容積の変化がリガンドとしての機能に及ぼす効果を検討した(図3)。その結果、II-23に対応するten-vertexカルボラン誘導体II-194およびII-109に対応するII-207はARアゴニスト様の作用を示した。これは、カルボラン含有ARリガンドのアンタゴニスト活性が、カルボランの嵩高さを要因の一つとすることを示唆するものである。

【VDR リガンドの創製】ビタミンDは、特異的受容体である核内受容体VDRとの結合を介し、血中カルシウム調節、細胞の分化誘導や増殖抑制など多彩な作用を担っている。現在まで数千のビタミンD誘導体が合成され詳細な構造活性相関が検討されているが、VDRは1α,25-(OH)2D3(図4)が有するセコステロイド骨格への構造要求性が高いため、他の骨格を有するVDRリガンドの報告例は少ない。一方でセコステロイド誘導体は不安定であり、それがビタミンD誘導体の医薬品としての開発を困難にする要因でもある。そのため非セコステロイド型VDRリガンドは、安定な高活性ビタミンDとして、VDRの多彩な作用の解明および新規ビタミンD医薬の開発の礎として期待される。そこで、カルボランを骨格構造として用いた非セコステロイド型VDRリガンドの創製を行い、ホウ素クラスターの有効性をさらに検討するとともに、非セコステロイド型VDRリガンドを創製するうえで基盤となる受容体との相互作用様式の解析を行った。

まず、1α,25-(OH)2D3より安定性や作用分離の点で優れているとされる19-nor-D3をリードに、A環構造および共役二重結合部位を保持し疎水性骨格にカルボランを配置した化合物を設計・合成した。合成化合物のビタミンD活性をヒト前骨髄球性白血病細胞HL-60に対する分化誘導能で評価した結果、これらの誘導体はビタミンD活性を示し、側鎖部の構造を精査することにより19-nor-D3と同程度の活性を持つ化合物III-74の創製に成功した。

続いてIII-74をリードとして、セコステロイド骨格の複雑さや不安定性の要因であるA環構造および共役二重結合部位を、安定な飽和鎖状構造に展開した種々の誘導体を設計、合成した。最も高い活性を有した鎖状誘導体III-170は19-nor-D3に匹敵する高い分化誘導活性を示し、自由度の大きな構造でありながらリード化合物と同等の活性を示した。

創製したカルボラン誘導体の活性発現機構を検討するため、III-170の光学活性体の一つであるIII-174に関して、ラットVDRリガンド結合ドメイン(LBD)を用いた複合体X線構造解析を行った。1α,25-(OH)2D3との複合体構造との比較において、両者の構造はほぼ一致しており、III-174は1α,25-(OH)2D3の場合と同様の受容体コンフォメーションを誘起することで活性を発現することが示唆された。また、カルボランは受容体のリガンド結合ポケットにおいて1α,25-(OH)2D3のCD環に相当する空間を占め、カルボランが受容体表面に対し炭化水素と同様の相互作用をすることを確認した。さらに3つの水酸基も1α,25-(OH)2D3と同様の水素結合様式にて受容体と相互作用していることが示された(図6)。また、III-174では鎖状ジオール構造の炭素鎖が緩やかなターンを形成することで2つの水酸基を最適な空間に配置しており、その自由度の高さにより化合物が最適なコンフォメーションに誘導され活性を発現していると考えられる。なお、この結晶構造はカルボラン誘導体と受容体との結合を直接的に確認した初めての例であり、カルボランを含有する生理活性分子を創製する上で有益な知見であると考えられる。

さらにX線構造解析により、ジオール部の水酸基の周辺に疎水性空間の存在が示された。このため、ジオール近傍に置換基を導入した誘導体を設計しその構造活性相関を検討した。その結果、1α,25-(OH)2D3と同程度の活性を示す高活性VDRリガンドIII-233の創製に成功した。セコステロイド骨格を持たない化合物が1α,25-(OH)2VD3と同等の活性を示した例は稀であり、VDRの機能解明のツールや医薬のリードとして興味深い化合物である。本知見はカルボランの有効性を示すとともに、今後のVDRリガンド研究に新しい方向性を提案するものと考える。

【総括】本研究で私は、ホウ素クラスターを含有するARおよびVDRの2種の核内受容体の高活性リガンドを創製し、ホウ素クラスターが疎水性骨格として一般に応用しうることを示した。ホウ素クラスターが新規部分構造探索のテンプレートとして有効であり、また疎水性空間の制御がリガンドの機能解析へ知見を与えることを示した。VDRのように構造要求性の高い受容体についてもホウ素クラスターが疎水性テンプレートとして効果的であることを明らかとし、そのX線構造解析により、カルボランと受容体表面の相互作用を初めて確認した。これらの知見は、それぞれの受容体リガンド創製に関して重要な指針を示すとともに、カルボランを医薬品の疎水性構造として応用する際の分子基盤を与えるものであると考えられる。

図1. dicarba-closo-dodecaboraneの構造

図2. カルボラン含有ARリガンドの構造

図3. ten-vertexカルボラン誘導体の構造

図4. 1α,25-(OH)2D3および19-nor-D3の構造

図5. カルボラン含有VDRリガンドの構造

図6.複合体X線構造解析による結合様式の解析A)III-174とratVDR-LBDの共結晶構造,B)1α,25-(OH)2D3とratVDR-LBDの共結晶構造,C)重ね合わせ.

審査要旨 要旨を表示する

医薬品の部分構造の多くは疎水性構造で構成されており、医薬品の開発を行う上で疎水性構造の差異は重要な意味を持つ。しかし一方で、実際の医薬品開発においては炭化水素以外の疎水性構造が用いられる例は少なく、新規疎水性構造の探索は現在の医薬化学における大きな課題である。藤井晋也は、安定で疎水性を有する含炭素ホウ素クラスター「カルボラン」に着目し、カルボランを骨格構造として利用したアンドロゲン受容体およびビタミンD受容体の各リガンドの創製を行い、カルボランの生理活性化合物の疎水性骨格としての可能性について検討した。

1.アンドロゲン受容体リガンドの創製

核内受容体であるアンドロゲン受容体(AR)は、男性ホルモン受容体として男性生殖機能の発達、筋および骨量の恒常性維持など種々の生理作用を担う。ARリガンドは主に前立腺癌治療薬として開発されているが、構造多様性に乏しく、新規骨格を有するリガンドの開発が求められている。藤井はまず、既存のリガンドの極性構造要素をカルボラン上に配置した化合物群を設計、合成し、その生理活性を評価した。その結果、フェニルカルボラン誘導体1等が強いARアンタゴニスト活性を有することを見出した。また1をリードとしてARリガンドの新規極性構造の探索を検討した結果、2等が強い結合親和性を示し、1,2,4-オキサジアゾール-5-チオン構造がARリガンドの新規極性構造として機能することが示唆された。

一方ARアンタゴニストの創製においては、化合物に対し耐性を獲得した前立腺癌細胞における変異ARへの活性が問題となる。化合物1も、変異ARを有する前立腺癌細胞株LNCaPに対してはアンタゴニストではなくアゴニストとなることが示された。そこで藤井は1をリードとし、変異部位の近傍に位置すると考えられるリガンド側の部分構造に種々の置換基を導入することにより、LNCaP細胞に対してもアンタゴニスト活性を示す新規ARアンタゴニストの創製を検討した。その結果、複素環アミド構造を有する化合物3等がLNCaP細胞のアンドロゲン依存的な増殖を有意に抑制し、アンタゴニストとして機能することを見出した。

このように、カルボランをARリガンドの疎水性骨格として利用することにより、高活性アンタゴニストの創製、ARリガンドの新規極性構造の探索、変異ARへのアンタゴニストの創製に成功した。これらの知見は新規ARリガンド創製へ寄与するとともに、カルボランが疎水性骨格として一般に適用しうることを示唆している。

2.ビタミンD受容体リガンドの創製

ビタミンD受容体(VDR)は1α,25ジヒドロキシビタミンD3(4)を内因性リガンドとする核内受容体であり、血中カルシウム濃度の制御、骨代謝や免疫など多彩な作用を担う。VDRリガンドの研究は、これまで4の誘導体を中心に展開されてきたが、4の有するセコステロイド骨格に起因する不安定性により、その応用範囲が限定されている。一方でVDRはセコステロイド骨格に対する構造要求性が高く、セコステロイド骨格を持たない、いわゆる非セコステロイド型VDRリガンドの開発例は少ない。藤井はカルボランを疎水性骨格として利用することにより、新規非セコステロイド型VDRリガンドの創製を検討した。

まず、4の疎水性骨格であるステロイドCD環構造部位をカルボランに置き換えた5に代表される一群の化合物を設計、合成した。4はヒト前骨髄急性白血病細胞肌一60に対して高い分化誘導能を示し、高活性のVDRリガンドとして機能することが示された。次に、2つの水酸基を有する環構造を鎖状構造に展開した6等を合成し、その活性の評価したところ、6は5と同程度のビタミンD活性を示した。6は自由度の高い構造でありながらリードと同等の活性を保持し、その結合様式に興味が持たれたため、受容体との複合体X線構造解析により結合様式を考察した。その結果、受容体のリガンド結合ポケットにおいて、カルボランが4のCD環部位と同様の空間を占め、また6の3つの水酸基は4の場合と同様の受容体との水素結合を形成していることが示された。藤井はさらにこのX線構造を基にして高活性化合物の創製を検討し、ジオール部位への修飾により4と同等の活性を有する7の創製に成功した。7は非セコステロイド型VDRリガンドとしては現在のところ最も高い活性を有する化合物のひとつである。

このように、カルボランを疎水性骨格構造として利用することにより、4の活性に比肩しうる高活性の非セコステロイド型VDRリガンドの創製に成功した。このことは、今後の非セコステロイド型VDRリガンドの創製に大きく寄与するものである。

以上の通り藤井は、カルボランの特性を利用してARおよびVDRの各受容体について斬新な新規高活性リガンドの創製に成功し、カルボランが生理活性化合物の疎水性骨格として一般的に応用可能で有益なファーマコフォアであることを示した。また、X線構造解析の結果はカルボランと受容体表面の相互作用を直接観測した初めての例である。これらの知見は今後のカルボランおよび疎水性構造の医薬化学に大きく貢献するものであり、本研究成果は博士(薬学)の授与に相当すると判断した。

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