学位論文要旨



No 217202
著者(漢字) 池上,秀二
著者(英字)
著者(カナ) イケガミ,シュウジ
標題(和) アレルギー改善効果を有する乳酸菌 Lactobacillus gasseri OLL2809 の研究
標題(洋)
報告番号 217202
報告番号 乙17202
学位授与日 2009.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17202号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 准教授 伊藤,喜久治
 東京大学 准教授 八村,敏志
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

近年、アレルギー疾患の罹患者数は、増加の一途をたどっており、特に、スギ花粉症(Japanese cedar pollinosis)は、くしゃみや鼻水、鼻づまり、眼のかゆみ、流涙などの諸症状を引き起こし、罹患者のQOL(Quality of life)を著しく低下させる。スギ花粉症の罹患者数も年々増加しており、日本人の約20%が罹患しているという報告がある。花粉症の治療は、抗ヒスタミン薬やステロイドを中心とした薬物療法が主流であるが、いずれも対症療法で根本的な治癒をもたらすものではなく、こうした薬剤の副作用も問題となっている。減感作療法や舌下免疫療法などの新しい治療法も開発され、臨床での応用が試みられているが、著しい治療効果は得られていないのが現状である。一方で、乳酸菌などのプロバイオティクスが、様々な保健効果を持つことが報告され、特に、アトピー性皮膚炎をはじめとしたアレルギー疾患の予防、改善に有効とする臨床試験結果が相次いで報告されている。

そのような中、アレルギー疾患が先進国で特に増加している原因を説明する説として「衛生仮説」が提唱された。これは、「衛生環境の改善による感染症リスクの低下がアレルギー疾患の増加をもたらす」というものである。通常、新生児の免疫系はTh2側に傾いているが、出生後、様々な微生物やウイルス、腸内細菌から刺激を受けて、Th1細胞が次第に発達し、Thl/Th2のバランスがとれた免疫系が完成する。しかし、近年の衛生環境の改善により、微生物等への暴露が不十分となり、Th1の発達が起こらず、アレルギー疾患を発症しやすいTh2優位の状態が続くという説である。一方で、免疫システムの自然免疫を担う樹状細胞やマクロファージなどは、微生物やウイルスなどをパターン認識する受容体であるToll様受容体(TLR)を発現しており、この受容体を介したシグナルがサイトカインの産生を促し、Th1細胞の分化を誘導する。さらに、乳酸菌などのグラム陽性菌の細胞壁成分であるペプチドグリカンやリポテイコ酸はTLR2によって認識され、樹状細胞やマクロファージからナイーブT細胞をTh1細胞へと分化誘導するサイトカインであるIL-12(p70)を産生することが明らかとなった。

これらの背景を総合的に考察して、本研究では、安全性の高い腸内共生菌である乳酸菌の中から、アレルギー疾患の改善作用が高い菌株を選抜し、その活性発現に最適の培養条件を検討して、スギ花粉症に近いアレルギー動物モデルでの評価を行った。さらに、ヒトでの効果を確認するため、臨床試験を実施し、実用化に向けた評価を行った。

第二章では、まず、in vitroにおいてマウス由来脾細胞からのIL-12(p70)産生誘導刺激活性が高く、Th1/Th2バランス改善効果の高い株としてLaetobacillus gasseriやLactobacillus plantarumなどの4株を選択した。この評価において、菌体のIL-12(p70)産生誘導刺激活性の強さは、菌種依存的ではなく菌株依存的であることが明らかになった。さらに、これらの株の加熱死菌体をオボアルブミン(OVA)で免疫したアレルギーモデルマウスに経口投与したところ、L.gasseri OLL2809投与群に有意な抗原特異的IgE抑制効果が認められた。また、L.gasseri OLL2809投与群から調製した脾細胞および腸間膜リンパ節細胞をex vivoで培養したところ、脾細胞におけるIL-12(p70)産生量の増加、脾細胞および腸間膜リンパ節細胞におけるIL-4産生量の抑制が認められた。以上の結果から、アレルギー改善効果の高いプロバイオティクス乳酸菌として、L.gasseri OLL2809株を選抜した。このIL-12(p70)産生誘導刺激活性は、乳酸菌体をN-アセチルムラミダーゼで処理することによって抑制されること、菌体に含まれるペプチドグリカン(PGN)量と正の相関を示すことから、活性発現を担う一つの菌体成分として、細胞壁に含まれるペプチドグリカンの関与が明らかになった。

第三章では、L.gasseri OLL2809の生育条件がIL-12(p70)産生誘導刺激活性に与える影響について検討した。L.gasseri OLL2809を培養時間、培地の種類、培養pHを変えた様々な培養条件で培養し、IL-12(p70)産生誘導刺激活性を測定した。その結果、IL-12(p70)産生誘導刺激活性は、(1)菌の生育に従って上昇し、対数増殖期の菌体よりも定常期の菌体の方が高く、(2)酸性pHで生育した菌体の方が高く(3)非加熱、中性域のpHバッファー処理で低下すること、が明らかになった。この結果は、IL-12(p70)産生誘導刺激活性が培養液pHによって影響されることを示唆しており、加えて、様々な生育条件下におけるL.gasseri OLL2809のIL-12(p70)産生誘導刺激活性の変化が菌体の自己融解の性状と一致していることを示している。従って、IL-12(p70)産生誘導刺激活性を発現するには完全な構造の菌体が必要と考えられ、菌固有に存在する自己融解酵素の働きを酸性pHや加熱処理で阻害することにより、刺激活性の維持に寄与することが推察された。

第四章では、L.gasseriOLL2809の加熱死菌体をスギ花粉抗原感作マウスに経口投与することで好酸球の局所への集積が抑制されるか検証した。スギ花粉抽出抗原でBALB/cマウスを感作し、腹腔内に同抽出抗原を投与することで、腹腔内への好酸球の集積・増多を惹起した。このマウスに、加熱殺菌処理したL.gasseriOLL2809を実験期間の21日間経口投与した。抗原惹起24時間後、腹腔洗浄液中の好酸球数、サイトカイン濃度、血清中の抗原特異的IgG濃度を測定した。その結果、L.gasseriOLL2809投与群において、好酸球比率が有意に抑制されており、特に、L.gasseriOLL2809 2mg/day投与群において、好酸球数が有意に抑制され、好酸球抑制率も44%と有意であった。また、血清中のIgG2a/IgG1比は、L.gasseriOLL2809 2mg投与群で対照群と比較して有意に上昇した。さらに、L.gasseriOLL2809投与群において、腹腔洗浄液中のIL-2の増加とGM-CSFの減少が見られた。これらのことから、加熱殺菌処理したL.gasseriOLL2809の経口投与により、Th1/Th2バランスの修飾作用を介して、好酸球の集積・増多を抑制したことが推察された。

第五章では、加熱殺菌処理したL.gasseriOLL2809菌末を用いて、100名規模のプラセボ対照無作為化二重盲検試験を実施し、スギ花粉症の諸症状改善効果を検証した。被験物は加熱殺菌処理したL.gasseriOLL2809の凍結乾燥菌体を100mg/dayの量で、2月上旬から8週間、スギ花粉飛散時期に摂取させた。被験者全体で解析を実施した結果、L.gasseriOLL2809の摂取による明確なスギ花粉症症状改善効果は認められなかった。そこで、CAP RASTスコア(スギ花粉抗原特異的IgEレベル)4~5の被験者について、層別解析を行ったところ、L.gasseriOLL2809群において、医師による鼻腔内所見、アレルギー日記による鼻症状・薬剤スコア、日本アレルギー性鼻炎標準QOL調査票(JRQLQ)による鼻症状の改善が見られ、スギ花粉抗原特異的IgEレベル、好酸球数、Th1/Th2細胞比などのアレルギー関連指標も改善されていた。L.gasseri OLL2809の摂取によって、免疫系の調節を介して、アレルギー素因の高い人に対して、スギ花粉症症状の改善効果をもたらすことが明らかとなった。

以上のように、アレルギー疾患の改善を目的として、効果が最も期待される乳酸菌を選抜し、高い免疫刺激活性を保持する乳酸菌の培養条件の検討、アレルギーモデル動物での評価、臨床試験での評価まで一貫した研究を実施した。結果として、Th1/Th2パラダイムを基本とした理論に基づき、選抜した乳酸菌によって、スギ花粉症に対して一定の効果を得ることができた。しかし、最近の研究では、免疫系はTh1、Th2だけでなく、その制御に制御性T細胞(Treg)も深く関わっていることが明らかになり、L.8aε3θガOLL2809の作用メカニズムについても、こうした免疫細胞の関与も視野に入れて研究を進める必要がある。また、こうした乳酸菌の効果をもたらす活性が培養条件によって、大きく影響されることが明らかになり、より効果の高いプロバイオティクスを提供するには、生産条件にも配慮する必要がある。スギ花粉症に対する臨床試験においては、スギ花粉抗原特異的IgEが比較的高い人に対する効果が明らかとなった。これは、動物実験においても、抗原感作されたマウスに対しては強いTh1への誘導作用が見られるものの、非感作の正常マウスでは、この作用は全く見られないことから、Th2に極端に傾いた状態にのみ作用することが示唆される。したがって、スギ花粉症においても、スギ花粉抗原特異的IgEが高い十分に感作された人に効果が現れた可能性がある。免疫刺激活性の高いL.gasseri OLL2809を、スギ花粉症をはじめとしたアレルギー疾患を有する人に提供することで、その症状やQOLの改善に少なからず貢献できるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

近年、アレルギー患者数は増加の一途をたどっており、特に、スギ花粉症(Japanese cedar pollinosis)は、その症状によって罹患者のQOL(Quality of life)を著しく低下させることから社会的問題になっている。花粉症の治療は対症療法が主流で、免疫療法などの新しい治療法も開発され、臨床での応用が試みられているものの、著しい治療効果は得られていない。一方で、乳酸菌などのプロバイオティクスが様々な保健効果を持つことが報告され、特に、アトピー性皮膚炎をはじめとしたアレルギー疾患の予防・改善に有効とする臨床試験結果が相次いで報告されている。

本研究は、安全性の高い腸内共生菌である乳酸菌の中から、アレルギー疾患の改善作用が期待される菌株をin vitro実験系を用いて選抜し、その活性発現に最適の培養条件を検討するとともに、スギ花粉症に近いアレルギー動物モデルでの有効性試験およびヒト臨床試験によって本菌株の実用化に向けての評価を行ったもので6章からなる。

緒論に続く第2章では、マウス脾細胞からのIL-12(p70)産生誘導活性が高く、Th1/Th2バランス改善効果の高い株をin vitro系において探索し、Lactobacillus gasseriOLL2809株を選抜した。また、細胞壁に含まれるペプチドグリカンが、このIL-12(p70)産生誘導活性発現に関与することを強く示唆する結果を得ている。

第3章では、L.gasseriOLL2809の生育条件がIL-12(p70)産生誘導活性に与える影響について検討している。その結果、IL-12(p70)産生誘導活性は、(1)対数増殖期の菌体よりも定常期の菌体の方が高いこと、(2)酸性pHで生育した菌体の方が高いこと、(3)非加熱、中性域のpHといった条件下では低下すること等が明らかになった。この結果は、IL-12(p70)産生誘導活性が菌体の自己融解による性状変化と強い相関を持つことを示しており、菌固有に存在する自己融解酵素の働きを酸性pHや加熱処理で阻害することにより活性が維持されたものと推察された。

第4章では、L.gasseriOLL2809の加熱死菌体をスギ花粉抗原感作マウスに経口投与することで好酸球の局所への集積が抑制されるかどうかを検証している。スギ花粉抽出抗原でマウスを感作し、腹腔内に同抽出抗原を投与すると、腹腔内への好酸球の集積・増多が惹起されるが、L.gasseriOLL2809投与群では、好酸球比率が有意に抑制されていた。特にL.gasseri OLL2809 2mg/day投与群においては、好酸球数が50%近く有意に抑制された。また、血清中のIgG2a/IgG1比は、L.gasseriOLL2809 2mg投与群で対照群と比較して有意に上昇した。これらのことから、加熱殺菌処理したL.gasseriOLL2809の経口投与は、Th1/Th2バランスを修飾することによって、好酸球の集積・増多を抑制するものと推察された。

第5章では、L.gasseriOLL2809菌末を用いて、100名規模のプラセボ対照無作為化二重盲検試験を実施し、スギ花粉症の諸症状改善効果を検証した。CAP RASTスコア(スギ花粉抗原特異的IgEレベル)4~5の被験者について層別解析を行ったところ、L.gasseriOLL2809投与群において、医師による鼻腔内所見、鼻症状・薬剤スコア、QOL調査票(JRQLQ)による鼻症状の改善が見られ、血液のアレルギー関連指標も改善されていた。被験者全体での解析では、L.gasseriOLL2809の摂取による明確なスギ花粉症症状改善効果は認められなかったが、アレルギー素因の高い人に対しては、L.gasseriOLL2809の摂取がスギ花粉症症状の改善効果をもたらすことが示唆された。

第6章では以上の結果を総合的に考察した総括となっている。

以上、本研究は、Th1/Th2パラダイムを基本とした理論に基づいて選抜した乳酸菌L.gasseriOLL2809が、スギ花粉症に対して一定の改善効果を与えることをin vitroおよびin vivo実験により明らかにし、アレルギー疾患を有する人の症状の緩和、QOLの改善に乳酸菌が有用であることを示したもので、学術的・応用的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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