学位論文要旨



No 217206
著者(漢字) 齊藤,知範
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,トモノリ
標題(和) 犯罪不安と社会化環境の構造変容 : 公共空間における子どもの安全の社会学
標題(洋)
報告番号 217206
報告番号 乙17206
学位授与日 2009.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17206号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 衞藤,隆
 東京大学 准教授 針生,悦子
 日本大学 教授 廣田,照幸
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、社会化の過程のなかに安全に関する知識や理解がプログラムされつつある状況を問題の中心に据え、その社会的背景と構造的特質に対して接近を試みた研究である。

子どもを犯罪被害から回避させるために、人々のさまざまな実践が進行している。子どもの被害に関する犯罪不安が高まり、安全に対する希求が上昇した社会が向かいうる1つの方向は、大人による管理・監視の強化である。その核心の1つは、大部分の親たちが、公共空間において「子どもの空間使用を積極的に管理し、規制しようとする」という事態の出現、すなわち犯罪の被害が不確実なリスクとして意識されることによる、子どもに対するリスク回避実践の台頭である。その背後には、子どもが被害に巻き込まれることに対する犯罪不安の上昇が、子育てにおけるさまざまな基盤やこれまで自明であった諸前提を揺り動かしており、保護者をはじめとする大人にとって、リスク回避のための実践を繰り広げないわけにはいかない状況が展開しているのである。

こうした事態の展開をふまえた上で、本研究は、子どもの安全をめぐる社会化の構造変容を明らかにすることを目的とした。先行諸研究の検討をふまえて、本研究における社会学的視座を示すとともに、以下のような未解明の問いに関連する分析や議論を行った。

すなわち、人々が子どもと地域の人々との間の関係や地域の物理的環境(人工的環境や自然環境)との関係を理解し、望ましい価値を置くための基準となる認識や枠組みは、以前にも増して、教育や子どもの自由な遊びというよりも、セキュリティの希求によって方向付けされてきているように見える。そこに安全をめぐる社会化の問題が立ち現れる。そこにはどのような問題や構造が横たわっているのか。さらに、コミュニティにおける人々のつながり方の変容や社会の構造変動がもたらすインパクトをどのように読み解くことによって、安全をめぐる社会化が成り立ちつつある状況とその社会的意味を理解することができるのか。

子どもの安全をめぐる社会化環境の構造変容を問題にしながらも、次のような探究も行う。すなわち、子どもの安全の背後にある、コミュニティの大人たちのセキュリティへの希求、安全と自由をめぐる価値意識を、どう再考すべきなのか。社会における大人の他者との向き合い方や大人が抱く価値意識、つまり社会学が問題にしてきた伝統的紐帯の衰退や親密圏における選択的紐帯のありようなどが、子どもの安全や防犯をめぐる問題群にはどう映し出されているのか。セキュリティの希求の背景に、犯罪不安や親密圏における選択的紐帯がどのように関与していると見るべきなのか。

本研究では、こうした問題意識に沿いながら、公共空間における子どもの安全をめぐる社会化環境の構造変容とその背後にあるコミュニティの社会関係の変質や犯罪不安の問題について、リスクに対する個人の対峙という観点から、新たなアプローチを試みたものである。なお、分析に使用したデータは、大別して2種類あり、5つの小学校の児童(n=2396)とその保護者(n=1875)を対象として実施した調査(学校調査)、同じ地域の成人住民を対象として無作為抽出により実施した調査(n=1082)である(住民調査)。第2章から第4章と第6章においては学校調査を分析に使用し、第5章においては住民調査を分析に使用した。

以下、得られた知見や含意を要約的に記す。

第1章では、まず、関連する学問領域における先行研究や社会学理論を概観し、本研究を一貫する社会学的視座(概念図)と、追究したい問いを立てた。次いで、調査の対象地とデータについて述べ、GIS(Geographic Information Systems: 地理情報システム)を導入することの意義や方法について述べた。

第2章では、子どもの行動圏を問う意義と分析課題について述べ、地区の生態学的構造や保護者が近隣の人々との間に選択的に取り結ぶ紐帯が、子どもの移動パターンや、子どもが地域における近隣の社会化エージェントなどと取り結ぶ関係性との間にどのように関係しているかを素描した上で、第3章、第4章において深めるべき問題を述べた。分析結果からは、次のことが示された。保護者が近隣の人々との間に有する選択的紐帯(ソーシャル・サポート)と、子どもの庇護的な複数移動との間に有意な関連が見られた。他方、保護者が築いている選択的紐帯としてのソーシャル・サポートが充実するほど子どもと社会化エージェントとのネットワークは活性化している度合いが大きいことが判明した。一方、コミュニティへの不信感や忌避度合いは、社会化エージェントとのネットワーク衰退スコアとの間に正の関連が見られた。

第3章では、問いを深め、地域における保護者による子どもの行動禁止の背景を、保護者の被害伝聞やリスク認知、地域に対する不信感や階層などに焦点を当てながら分析を進め、地域の公共空間のありようなどとの関わりについても議論した。まず、特定の場所すなわち特定の物理的環境(自然環境、人工的環境)における子どもの行動禁止について見た場合、自分の家庭以外の子どもが誘いの被害を受けたことについての伝聞経験がある場合に、保護者がさまざまな特定の場所における児童の行動を禁止している傾向が、かなり一貫していることが明らかになった。他方、経済階層が高い家庭の保護者ほど、山林荒れ地、道路、公園緑地における児童の行動を禁止している割合が高いことが明らかになった。

第4章では、子どもの単独移動距離、複数移動距離を規定する要因を明らかにした。保護者が近隣の人々との間に選択的に取り結ぶ紐帯や特定の場所における子どもの行動禁止や町丁字での被害発生の程度によって、子どもの行動圏がどのような構造的制約を受けているかに関心が向けられた。まず、子どもの単独移動に関して見てみると、子どもの学年が上であるほど単独移動が長く、女子児童は男子児童に比べて単独移動をしている距離が短い傾向が見られた。この傾向は既成市街地地区、ニュータウン地区に共通している。ニュータウン地区の場合には、ソーシャル・サポートが多いほど単独移動距離が短く制約される傾向があり、子育てを中心としてつながる親密圏のなかで、犯罪被害のリスクに警戒して単独移動距離を短くするための情報交換や互いの育児スタイルの参照が起きている可能性が示唆された。次に、子どもの複数移動について見てみると、以下のことなどが明らかになった。すなわち、既成市街地地区では、子どもの学年が上であるほど複数移動距離は短い傾向にあるが、性別の効果は既成市街地地区、ニュータウン地区ともに有意ではないことが示された。保護者が近隣の家庭との間に有するソーシャル・サポートの多さが庇護的な複数移動の長さを明確に規定していることが、既成市街地の場合にもニュータウン地区においても共通していた。この結果は、子育てを中心としてつながる親密圏のなかで、犯罪被害のリスクに対して相互依存を可能にするネットワークが形成されていることを示唆する。以上から、子どもの学年や性別などといった属人的要因に還元しえない構造や背景があることが明らかにされるとともに、郊外におけるニュータウンの社会化環境の特徴についても論じられた。

第5章では、犯罪不安が地域の連帯を生んで地域防犯活動が組織され、不安は快楽に転化して消費される、というシニカルな見方を提起する社会思想研究者の説に疑問を提起し、この説の妥当性を検討するとともに、これに替わる説明図式を提起した。分析結果にもとづいて、以下を論じた。すなわち、先行研究の説は、住民自身の力で地域の問題を解決しようとする連帯が犯罪不安に根ざしたものであるとするが、この説は支持されなかった。本研究が提示するように、防犯や安全の問題が生じる以前に編成されている住民間の既成の選択的紐帯や地域活動への参加によって、連帯が規定されるという構造が成立している。さらに、先行研究の説から想定しうる、犯罪不安と地域防犯活動との関係はかなり弱い。むしろ、犯罪不安が団結した地域防犯活動に向かうとする先行研究の説よりも、犯罪不安が向かう先は、個人や家族による、主としてリスク回避的な防犯行動であると捉える本研究の説明図式のほうが、データとより整合的であった。

第6章では、保護者による子どもの被害防止のための情報入手が、被害伝聞、文化的階層、選択的紐帯などの背景要因とどのような関係があるのかを検討し、子どものリスクをめぐって、家庭による社会化がどのような構造で展開しているのかを議論した。まず、選択的紐帯としてのソーシャル・サポートの形成要因に目を向けた。文化的背景が高いほど、ソーシャル・サポートが多く形成されやすい。また、持ち家に居住する家庭では、ソーシャル・サポートが多く形成されやすい。戸建て、共働きの家庭では、ソーシャル・サポートが少ない傾向にあった。次に、被害防止情報入手を規定する背景要因について検討した。文化的背景が情報入手を直接的に規定するとともに、文化的背景はソーシャル・サポートを通じて間接的に情報入手に影響することが明らかになった。選択的紐帯としてのソーシャル・サポートの多さは、学校区における他の児童の被害に関する伝聞経験の多さと関連しており、伝聞経験の多さは、情報入手の多さを規定していた。

第7章では、これまでの知見と議論を整理した上で、子どもの安全をめぐり、地域の社会化環境の構造変容、子どもの行動の制約などの事態がどのような社会的背景を伴って展開している状況にあるかを論じた。先行研究に対する独自性や従来の知見との相違、さまざまな研究や実践に対する本研究の含意について議論した。

審査要旨 要旨を表示する

現代日本では、子どもが被害者となる事件報道などを通じて、子どもの安全をめぐる意識が高まっている。それは、ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックがいう、現代社会の「リスク社会」としての特徴を反映するものともいえる。犯罪不安の意識に駆り立てられ、リスク回避の行動が導かれることは、現代の子どもたちの社会化環境にいかなる影響を及ぼしているのか。本論文は、このような問題関心に立ち、1)子どもの空間行動の規制や管理が親たちによってどのように行われているのか、2)大人たちの子どもの安全への希求やその裏返しとしての犯罪不安はどのように形成・維持されているのかについて、日本で初めてGIS(Geographic Information System;地理情報システム)を活用して、子どもの行動圏の詳細を計量的に分析・解明した教育社会学の実証研究である。

本論文は序章と6つ章からなる。序章で論文全体の構成が示されたあと、1章では、子どもの遊びや屋外行動などに関する、教育研究や社会学の先行研究のレビューを行うと同時に、本論文の問題設定、調査データの説明、GISを活用することの意義が示される。2章では、子どもの空間行動の特徴をGISを用いて分析し、保護者が近隣の人びとと形成する社会関係の特徴(「ソーシャル・サポート」と呼ぶ選択的な紐帯)によって、安全を意図した子どもの複数移動の距離が長くなることなどが示される。3章では、保護者による子どもの行動禁止箇所の設定に関する分析が行われ、経済階層・文化階層が高い保護者ほど禁止設定が強まること、既成市街地よりニュータウン地区のほうが、被害伝聞情報が禁止箇所数を増やす傾向があることが示される。4章では、ニュータウン地区では保護者のもつソーシャル・サポートが豊富なほど、リスク回避的な行動として子どもの単独移動距離が短くなること、また、コミュニティの特性によらず、ソーシャル・サポートが多いほど安全を考慮した複数移動距離が長くなることが示される。これらは保護者が近隣と形成する社会関係によって、リスク回避的行動に差異が生じることを示す結果である。

これらの行動圏の分析をふまえた上で、5章と6章では、犯罪不安意識を対象とした分析が行われる。5章では、犯罪不安が地域の連帯を生んで予防的措置を促すという先行研究の説とは異なり、犯罪不安と地域の防犯活動との関係が弱いこと、犯罪不安の解消としては地域単位の活動より、個人や家族を主としたリスク回避行動の方が強いことが示される。6章では、家庭の文化的背景が高いほどソーシャル・サポートを多く持ち、そのことがより多くの被害防止情報の入手に結びついていることが示される。

以上のように、本研究は、GISを用いて、子どもの空間行動の規制の実態を解明すると同時に、社会化エージェントとしての保護者のリスク回避的な行動や意識形成の仕組みを明らかにしたことが、審査委員会において高く評価された。その点で、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと考えられる。以上により、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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