学位論文要旨



No 217216
著者(漢字) 島内,裕子
著者(英字)
著者(カナ) シマウチ,ユウコ
標題(和) 徒然草文化圏の生成と展開
標題(洋)
報告番号 217216
報告番号 乙17216
学位授与日 2009.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17216号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 佐藤,康宏
内容要旨 要旨を表示する

『徒然草』は、日本の古典文学の中で最も著名な作品の一つであり、近代学校教育において、きわめて有効かつ重要な教材であった。その反面で、『徒然草』は「入門書扱い」をされて久しい。換言するならば、『徒然草』の真の文学的な達成と、文化史的な重要性は、いまだ十分には認識されていない。

1604年刊行の『寿命院抄』から始まる『徒然草』の研究史も、400年が経過した。既に膨大な蓄積があるが、作品それ自体の研究が中心であり、『徒然草』という作品が日本文化の中でどのような役割を演じ、どのような潮流を生み出し、人々の心の襞にどのように深く入り込んだのかという問題意識が、いささか希薄だったように思われる。『徒然草』が日本文化史に及ぼした影響力の実態を解明するための総合的な研究視点が、今こそ必要であろう。

このような問題意識のもとに、本論文では「徒然草文化圏」という概念を新たに提唱し、その理論的構築を図り、かつ実証的研究を試みる。「徒然草文化圏」の探究は、現代における古典文化の存在意義や、文学が思想や造形芸術に対して与える影響の実態を明らかにすると信ずるからである。

「徒然草文化圏」とは、以下の諸領域を総合して名付けるものである。

(1)文学作品としての『徒然草』と、兼好の人間像

(2)『徒然草』の注釈書と、近世兼好伝

(3)思想家・文人にみる『徒然草』との響映

(4)挿絵・屏風・色紙など、絵画化された『徒然草』

(5)近代文学への『徒然草』の浸潤

(6)外国語に翻訳された『徒然草』

以上の六つの諸領域の探索と解明を、本論文では第I部から第VI部までで総合的に扱う。以下、それぞれの問題意識と具体的な成果について述べる。

「徒然草文化圏」の核心部分に位置するのは、文学作品としての『徒然草』である。本論文の第I部「生成する徒然草と兼好」においては、『徒然草』という作品の読み方を再検討し、新たな読み方から浮かび上がってくる新たな主題理解と、著者兼好の新たな人間像を提示した。

第一章では、『徒然草』の冒頭部分を連続的に読み解き、この作品が兼好の精神形成の書であったことを指摘し、「無常観読み」「教訓読み」などの過去の呪縛から解き放った。また『徒然草』の後半部分には、多様な文体で人間の心を凝視する視点と、人間の生きる時間をめぐる深い考察が見られることを、『徒然草』の批評文学としての達成として評価した。

第二章には、3編の論考を配置した。『徒然草』を章段ごとに細かく区切らず、連続する章段の大きな流れを重視することで兼好の思索の流れを把握する「連続読み」を提唱し、かつ実践した。第三章は、兼好が近世になって「読書人」と見なされたことに注目し、新しい兼好像を見出した。以上が、第I部の概要である。このような第I部に引き続く第II部以下では、「徒然草文化圏」の拡がりと深まりを、ほぼ時代順に展望した。

第II部は、「徒然草文化圏」が展開した第一段階として、『徒然草』が「古典」となった近世に着目した。『徒然草』が内包していた価値観・美意識・思考法が、どのように顕在化したかを、注釈書を手がかりとして考察したのが、第一章「徒然草文化圏の始発」である。

第1節では、『徒然草』の注釈史の流れを大きく傭鰍した。第2節では、『徒然草』注釈書の嚆矢である『寿命院抄』が、既に注釈スタイルの成熟していた『源氏物語』の注釈書を積極的に活用して成立したことを明らかにした。第3節では、詳細な注釈書『野槌』を著した林羅山が、『徒然草』という作品との思想的な対決によって、自らの思考や人格を鮮明に自覚したドラマを読み取った。また、『寿命院抄』との比較により、章段区分の功罪両面にも触れた。

第二章「隠遁伝から兼好伝へ」は、近世初頭の注釈書による『徒然草』の浸透が、より広い展開を示したという観点から、2編の論文を配した。

第1節では、兼好への関心が高まった事実を「隠遁伝」の系譜の中で捉え直し、現代の目からは荒唐無稽とも見える兼好伝が創作され続けた基盤を考察した。第2節では、兼好が没したという伝説を残す三重県伊賀市の兼好塚を実地調査した。また兼好塚を訪問した多くの文化人を紹介し、現代に生きる兼好伝の系譜を浮かび上がらせた。以上が、第II部の概要である。

第III部「近世の思想と文化にみる響映」では、江戸時代の二人の儒学者、佐藤直方と広瀬淡窓の思想世界を、「徒然草文化圏」の一環として把握した。従来の『徒然草』研究史では、この二人はほとんど視野に入っていなかった。

第一章では、江戸時代中期の朱子学者・佐藤直方による二種類の『徒然草』からの抜書である『弁艸』と『しののめ』に注目した。山崎闇斎門下の佐藤直方は、ごく少数の儒学書を精読する研究姿勢を貫いたにもかかわらず、『徒然草』から約30の章段を抜書している。直方の抽出方法を詳細に検討し、彼が『徒然草』を「心の探究の書」として認識したことを明らかにした。

第二章では、広瀬淡窓の『徒然草』を詠んだ六首の漢詩を分析した。「漢詩に詠まれた徒然草」という新しい展開は、『徒然草』研究史においてほとんど未開拓の領域であり、「徒然草文化圏」の貴重な具体例である。以上が、第皿部の概要である。

第IV部では、絵画に描かれた『徒然草』に関する基礎的・実証的研究を行った。『徒然草』の研究史では、残念なことに、『源氏物語』や『伊勢物語』のように美術史家と国文学者の提携が確立していないのが現状である。そのために、国文学の側から学際的研究の前提となる整備が必要とされる。本論文ではr徒然草』を美術化した諸作品を系統化し、さらに進んで、『徒然草』を描いた美術作品を新たに発掘して報告した。

第一章では、絵画に描かれた『徒然草』を「徒然絵」と総称することを提案し、その分類基準も示した。かつ、従来の『徒然草』研究史の視野に入っていなかった、斎宮歴史博物館蔵『住吉具慶筆・徒然草図』、東北大学附属図書館蔵『つれづれ草四季画絵巻』を具体的に紹介し、考察した。

第二章では、『熱田神宮献納・徒然草図屏風』と『米沢市上杉博物館蔵・徒然草図屏風』とを分析した。前者が一連の仁和寺章段を描いた屏風であることを特定し、『徒然草』の説話的章段への関心の初期の貴重な例として位置付けた。後者は、『徒然草』から合計28場面を描いた六曲一双の豪華な屏風であるが、本論文が初めて本格的な紹介と場面の特定を行った。

第三章では、新出資料である笛吹川芸術文庫蔵『徒然草淡彩色紙』の紹介と章段特定を行った。第四章は、その存在がほとんど学界に知られていなかった東京藝術大学大学美術館蔵『徒然草画巻』の全貌の考察である。分析過程で、鳥居清長の肉筆画が含まれている事実を発見した。これは、清長研究にも少なからぬ貢献となろう。肉筆画が極めて少ない清長の彩色画の作品に「徒然絵」が含まれている事実は、まさに「徒然草文化圏」の充実ぶりを象徴している。

以上が、第IV部の概要である。本論文が目指したのは、「徒然草文化圏」をめぐる新たな資料の発掘と、資料の新たな位置付けであるが、そのような研究姿勢を最も顕著に示す内容となっている。

第V部は、近代文学と『徒然草』との関連を考察した。近代文学者における『徒然草』受容の禄相を辿り、古典文学としての『徒然草』がいかに近代人の自己形成とも深く関わっているかを分析した。第一章と第二章は、『文学界』の同人や小林秀雄・佐藤春夫たちを、「徒然草文化圏」の中に位置付けた。

とりわけ本論文が重要視したのは、樋ロー葉の文学形成である。第三章は、一葉をめぐる長編論文を三編配列し、多角的な分析を試みた。彼女の自己形成と文学形成に果たした『徒然草』の役割の大きさは、従来ほとんど注意されてこなかったが、日記と初期作品の詳細な表現分析により具体的に抽出できた。これによって、『徒然草』という古典の文学的・文化史的な生命力の強靱さが明らかになった。

本論文の最後に位置する第VI部は、「世界文学としての徒然草」と題して、『徒然草』の外国語への翻訳、および外国人による『徒然草』の研究を、「徒然草文化圏」の一環として捉え直した。わが国において400年間蓄積されたきた『徒然草』研究史に、新しい窓を開けるためである。

第一章は、『徒然草』の翻訳に関する研究の基礎固めを目指した。1883年のイービー訳から、1967年のドナルド・キーン訳まで、14種類の英・独・仏語訳『徒然草』の内容を紹介し、それぞれの特徴と意義、他の翻訳・研究への影響などを考察した。第二章は、第一章で紹介した翻訳や研究の中から、特に重要と思われるゴーウェンやグンデルトに着目した。その結果、近代における『徒然草』理解の典型である「徒然草趣味論」の背景に、カント哲学との響き合いがあるのではないかという示唆も得られた。以上が、第VI部の概要である。

このような六つの観点から「徒然草文化圏」の生成と展開を辿る作業によって、『徒然草』の現代性が明らかとなった。「徒然草文化圏」という新しい概念を提唱したのは、日本文学史の中で『徒然草』という作品が果たした役割を文学作品の上に見出すためだけではない。美術史研究、思想史研究、比較研究など、さまざまな分野の研究者や、外国の日本文学研究者とも連携しうる方法論の確立を目指したからである。『徒然草』研究の成果を、現代日本文化の活性化に繋げたいという強い念願に基づき、本論文は構想され執筆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、『徒然草』の文学的特質およびそれが後世に及ぼした文化的影響について、「徒然草文化圏」という本論文独自の観点から分析したものである。まず冒頭の「はじめに」において、本論文全体の問題意識と方法および構想を明確にしたのち、本論を六部十六の章から構成する。

第I部「生成する徒然草と兼好」は、三つの章から成り、作品としての『徒然草』そのものの文学的特質を分析する。いずれの章も、同書を現存の章段配列に従って連続的に読解する、著者独自の「連続読み」の方法により、また後世の享受などをも媒介にすることで、『徒然草』から、単一の主題でなく、兼好の思索の深化や成熟を読み取っている。

第II部「徒然草文化圏としての注釈書と兼好伝」は二つの章から成る。まず『徒然草』の初期注釈書『寿命院抄』と『野槌』を比較しつつ丁寧に読み解き、とくに『野槌』の著者林羅山の執筆姿勢から、『徒然草』が自らの教養を開陳する拠り所となった事実を読み込んだ読解に創見が見られる(第一章)。また林読耕斎『本朝遯史』・元政『扶桑隠逸伝』の、隠遁を自由なる精神の表れだとする捉え方が、近代にも通じる普遍的な兼好像の定立につながったとする。さらに伊賀市種生の実地調査をもとに、兼好終焉伝説の文化的広がりを跡付ける。中でも、篠田厚敬『種生伝』ほかの成立等の所見に成果を出す(第二章)。

第III部「近世の思想と文化にみる響映」は、第一章が江戸時代の儒学者佐藤直方の徒然草抄出書、第二章が広瀬淡窓の徒然草を詠んだ漢詩についてで、それぞれをこまやかに読解し、ともに心の深部で『徒然草』を受け取り、同書の文学的本質を浮き彫りにしていることを解き明かす。

第IV部「徒然絵の誕生と展開」は、『徒然草』を絵画化した諸作品を追尋して、その文化圏の広がりを明らかにする。まず第一章で絵画化の諸相を分類し、とくに『なぐさみ草』等注釈書の挿絵の影響の大きさを指摘する。各論として「熱田屏風」・「上杉屏風」(第二章)、新出の「徒然草淡彩色紙」(第三章)、いまだ考察のなかった「芸大画巻」(第四章)を取り上げ、対応する章段を特定した上で、その成立や意義を丁寧に考察する。

第V部「近代文学と徒然草」は、近代における研究史(第一章)と文学作品との関係(第二章)を概観したのち、主として樋口一葉の文業にもたらした『徒然草』の意義を、とくにその日記を詳細に分析することで明確にしている。

第VI部「世界文学としての徒然草」は、海外における『徒然草』研究・注釈の軌跡を初めて一覧整理し(第一章)、諸国の現代芸術家の『徒然草』評を取り上げて、全体の結びとしている。

本論文は、新出資料をも多数発掘しながら、近世・近代の『徒然草』・兼好研究、絵画資料、文学作品などへの影響を具体的に明らかにしつつ、日本文化の中で『徒然草』を意味づけようとしている。個々の指摘の中には、さらに考察を深めるべき箇所などもまた存するが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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