学位論文要旨



No 217221
著者(漢字) 上田,洋
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヒロシ
標題(和) トンネル覆工コンクリートの化学的侵食に関する研究
標題(洋)
報告番号 217221
報告番号 乙17221
学位授与日 2009.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17221号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岸,利治
 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 教授 古関,潤一
 東京大学 准教授 石田,哲也
 東京大学 准教授 加藤,佳孝
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,鉄道トンネルを対象として,覆工コンクリートの化学的侵食について解明し,適切な維持管理方法を提言することを目的としたものであり,全8章から構成される.

第1章では,研究の背景および目的について論じた.経年の長いコンクリート構造物が今後増加してその維持管理が重要になるが,長い経年を有していても健全で今後とも使用可能な構造物に対しては,適切な維持管理のもとで引き続き供用することが社会資本の有効活用に繋がる.コンクリートを技術的に正しく理解することにより,100年程度を経過したコンクリート構造物に対しても,供用可能な構造物はさらに100年以上供用することが可能になる.日本において,経年の長いコンクリート構造物が全国のいたる箇所に数多く存在し,かつその多くが現在も供用されている例として鉄道構造物があり,例えば鉄道トンネルでは経年が100年を超えるトンネルが今後数年から数十年の間に500km以上に達する.トンネルの覆工コンクリートはその多くが無筋構造であることから,中性化や塩害等は一般に問題とならない.多くの現地調査を実施した結果,トンネル覆工コンクリートの主な劣化は化学的侵食であることを認識した.すなわち,化学的侵食を正しく理解し適切な維持管理方法を提言することが,鉄道トンネルという膨大な資産を有効に活用することに繋がり,その社会的使命も大きい.トンネル覆工コンクリートの化学的侵食については古くから報告がなされてきたが,これまでに体系化されておらず,定性的にも十分な理解がなされているとはいいがたい.以上の背景をもとに,本研究においては経年が50~100年程度の鉄道トンネルを対象として覆工コンクリートの化学的侵食について解明し,適切な維持管理方法を提言することを目的とした.

第2章では,本研究の対象としたトンネルの概要および覆工コンクリートの特徴について論じた.本研究における調査対象として,経年が50~100年程度の13トンネルおよび比較用として経年が35年程度の1トンネルを加えた計14トンネルを選定した.これらのトンネルの覆工表面は多くが化学的侵食を受けており,それぞれの劣化状況を考察した上で,その劣化性状を4種類(Type I~Type IV)に分類した.さらに,経年の長いコンクリートの特徴について検討した.

第3章では,Type Iの劣化を生じた覆工コンクリートについて論じ,酸の作用による劣化であることを明らかにした.これらのコンクリートでは,軟化を生じた領域とコンクリート本来の灰色を呈する領域との境界付近に,表面側から順にFe, Al, Mgが濃縮することを見出し,これらの濃縮現象がコンクリート中における細孔溶液のpHを反映していると理論づけた.他の金属種についてもこの理論に準じた挙動をするほか,Caの溶脱についてもこの理論を適用することができる可能性を示し,それぞれの金属種の濃縮現象から細孔溶液のpH分布を推定できることを明らかにした.これらの濃縮層は,細孔溶液pHの空間分布を示すのみならず,時間変化も反映される.これらの濃縮層に関する検討をもとに,覆工コンクリートにおける細孔溶液のpH分布を推定した結果,いずれも酸の作用による細孔溶液のpH低下に伴う劣化として統一的に説明できることを示し,その劣化機構を明らかにした.これらの覆工コンクリートの多くは,酸の作用に伴う細孔溶液のpH低下が表面のごく近傍で生じており,コンクリート内部は健全である.鉄道トンネルにおける酸の生成原因として,その多くは蒸気機関車が通過していた時代の煤煙に起因する酸であり,一部では酸性湧水の影響があった.劣化の進行性について,蒸気機関車の煤煙に起因する酸によって今後コンクリート内部のpH低下を生じる可能性は小さいことを示すとともに,酸性湧水による劣化についても,対象とした事例では今後コンクリートの侵食が進行する程度は小さいことを示した.ただし,コンクリート表層では骨材がセメントペーストによって固定されていないことを示し,はく落に対して考慮する必要があることを指摘した.

第4章では,Type IIの劣化を生じた覆工コンクリートについて論じ,硫酸塩の作用による劣化であることを明らかにした.中性化域と未中性化域との境界付近にはひび割れを生じており,その付近にSが濃縮しているほか,ettringiteやCaSO4・2H2Oが集中的に生成していることを見出した.この劣化は,漏水等により外部から供給されたSO42-がコンクリート内部に浸透したのち,中性化に伴って中性化域と未中性化域との境界付近に濃縮し,膨張性の化合物を生成することによってひび割れを生成したものであると推定した.今後は,中性化の進行とともに中性化域と未中性化域との境界付近に濃縮したSがコンクリート内部に移動し,そこで新たなひび割れを発生させる可能性があることを指摘した.

第5章では,Type IIIの劣化を生じた覆工コンクリート用の補修材について論じ,硫酸塩劣化のうちthaumasiteの生成に起因した劣化であることを明らかにした.Thaumasiteの生成は,補修材に含まれる急結剤からSO42-が供給されたほか,補修材にフィラーもしくは骨材として含まれるCaCO3からCO32-が供給されたと推定されること,覆工背面から水が供給されたこと,寒冷環境が保持されたことが重なったことによると推定した.この劣化機構は,欧州等で多く報告されてきた事例と同じであるが,これまでに報告された劣化はSO42-が外部から供給されるいわゆる外的要因による劣化であるのに対し,本章で対象とした劣化はSO42-を材料に内在するいわゆる内的要因による劣化であることに特徴がある.Thaumasiteの生成による劣化は欧州等では報告されているものの,日本国内においてはこれまでに発生事例が報告されていない.しかしながら,本研究では日本においてもthaumasiteの生成による劣化が生じることを明らかにした.

第6章では,Type IVの劣化を生じた覆工コンクリートについて論じ,セメント代用品の使用に起因した劣化であることを明らかにした.セメント代用品とは厳密に定義された名称ではないが,既往の知見をもとに本論文では「潜在水硬性を有しセメントの節約によるコスト低減を主目的として添加される混和材」と定義した.セメント代用品には,火山灰,珪藻土,珪酸白土等が主に使用されていたとされる.現代ではセメント代用品に関する報告はほぼ皆無であるが,大正期から昭和初期にかけて多くのコンクリートに使用されていたことを文献調査から明らかにした.劣化を生じたコンクリートには,シリカ質で結晶性に乏しく,酸に不溶で密度の小さい多孔質な物質がセメントマトリックス中に分散していること等を示し,セメント代用品が混和されていると推定した.セメント代用品を使用したコンクリートの劣化については知られていないが,実験的検討を行った結果,セメント代用品を混和したコンクリートでは中性化を生じやすいことに加え,中性化によって圧縮強度が低下してコンクリートの軟化を生じやすいことを明らかにした.これらの検討により,Type IVの劣化を生じた覆工コンクリートにはセメント代用品が混和され,これが中性化を生じることによりコンクリートの軟化に至ったと推定した.経年の長いコンクリート構造物の維持管理にあたっては,コンクリートの使用材料についても留意すべきであることを指摘した.

第7章では,化学的侵食を生じたトンネル覆工コンクリートの維持管理方法について論じた.劣化機構の推定方法について,現場における簡易推定法と詳細調査による劣化原因の推定方法について提案した.トンネルの性能評価に関して,コンクリートの劣化による影響が現れやすいのは,はく落に関する事象であることを指摘した.その上で,本研究で議論した各劣化の特徴についてまとめ,維持管理の方法を提言した.特に,蒸気機関車の煤煙に起因した酸の作用による劣化では,コンクリート表面付近の侵食が目立つ一方で,コンクリート内部は極めて健全であることも多く,このような事例でははく落のおそれのある部分を除去する方法が有効であることを示した.一般に,劣化を生じたコンクリート構造物の補修では断面修復等によって原状回復を目指すことが多いが,このような事例では原状回復が必ずしも必要ではないことを提言した.その一方で,硫酸塩による劣化では,中性化の進行に伴って中性化域と未中性化域との境界付近に濃縮したSによる劣化が生じることを示し,この場合には表層の劣化域を除去するだけでは対処できず,硫酸塩による劣化を生じた覆工コンクリートに対しては対策方法を十分に検討する必要があることを指摘した.

第8章では,本研究により得られた結論をまとめた.

先人が苦労して建設したコンクリート構造物を,経年のみで判断せず技術的に正しく理解し,適切な維持管理を実施することによって,先人の残した財産を利用可能なものについては有効に利用することができ,社会資本の有効活用に繋がる.有効活用によって生み出された人材や資金は,より手間のかかる構造物の維持管理等に活用することによって,構造物全体の安全性向上を図ることができ,安心して快適に利用できる社会基盤の構築に繋がっていくと考える.

審査要旨 要旨を表示する

経年の長いコンクリート構造物は全国の至る箇所に数多く存在し、その多くが現在も供用されている。その代表例として鉄道構造物がある。経年の長い鉄道トンネルの覆工コンクリートは、その多くが無筋構造であることから、コンクリートの中性化や塩害等は一般に問題とならず、主な劣化は化学的侵食による。トンネル覆工コンクリートの化学的侵食については古くから報告がなされてきたが、これまでに体系化されておらず、定性的にも十分な理解がなされているとは言い難い状況であった。このような背景の下、本研究は鉄道トンネルを対象として、覆工コンクリートの化学的侵食の実態および劣化機構について詳細に解明し、適切な維持管理方法を提言したものである。

本研究では、調査対象として、経年が50~100年程度の13トンネルおよび比較用として経年が35年程度の1トンネルを加えた計14トンネルを選定し、化学的侵食を生じた覆工コンクリートの劣化機構を詳細に解明した。まず、第3章で、コンクリートの表層が軟化し、黒色、白色または褐色に変色を生じた覆工コンクリートについて検討した。これらのコンクリートでは、軟化を生じた領域とコンクリート本来の灰色を呈する領域との境界付近に、表面側から順にFe、Al、Mgが濃縮することを見出し、いずれも酸の作用による細孔溶液のpH低下に伴う劣化として統一的に説明できることを示した。鉄道トンネルにおける酸の生成原因の多くは、蒸気機関車が通過していた時代の煤煙に起因する。

第4章では、コンクリートの表層がはく離や軟化を生じ、白色物質等の析出がみられる覆工コンクリートについて検討した。中性化域と未中性化域との境界付近にはひび割れを生じており、その付近には硫黄が濃縮してEttringiteや二水セッコウを生成していることから、この劣化は、漏水等により外部から供給された硫酸イオンがコンクリート内部に浸透したのち、中性化域と未中性化域との境界付近に濃縮し、膨張性の化合物を生成することによることを明らかにした。このような硫酸塩による劣化を生じたコンクリートでは、今後中性化の進行とともに、中性化域と未中性化域との境界付近に濃縮した硫黄がコンクリート内部に移動し、そこで新たなひび割れを発生させる可能性があることを指摘した。

第5章では、白色物質が多量に生成して軟化を生じた覆工コンクリート用の補修材について論じ、Thaumasiteの生成に起因した劣化であることを明らかにした。Thaumasiteの生成は、補修材に含まれる急結剤から硫酸イオンが供給されるほか、補修材にフィラーもしくは骨材として含まれる炭酸化カルシウムから炭酸イオンが供給されると推定されること、覆工背面から水が供給されること、寒冷環境が保持されることが重なったことによると推定した。これまでに報告された同種の劣化は硫酸イオンが外部から供給される外的要因による劣化であるのに対し、硫酸イオンを材料に内在する内的要因による劣化であることに特徴がある。また、日本におけるThaumasiteの生成による劣化の初の報告例となった。

第6章では、コンクリートに軟化を生じているが、変色や析出物がみられない劣化を生じた覆工コンクリートについて論じ、セメント代用品の使用に起因した劣化であることを明らかにした。セメント代用品には、火山灰や珪藻土等が主に使用されていたとされ、大正期から昭和初期にかけて多くのコンクリートに使用されていたことを文献調査から明らかにした。劣化を生じたコンクリートには、シリカ質で結晶性に乏しく、酸に難溶で密度の小さい多孔質な物質がセメントマトリックス中に分散していること等を示し、セメント代用品が混和されていると結論づけた。

第7章では、以上の検討結果に基づき、化学的侵食を生じたトンネル覆工コンクリートに関して、各劣化機構の特徴をまとめて4種類に類型化すると共に、現場における劣化原因の簡易推定方法を提案し、劣化原因ごとに適切な維持管理手法を提案した。特に、蒸気機関車の煤煙に起因した酸の作用による劣化では、コンクリート表面付近の侵食が目立つ一方で、コンクリート内部は極めて健全であることも多く、このような事例でははく落のおそれのある部分を除去する方法が有効であることを示した。一般に、劣化を生じたコンクリート構造物の補修では断面修復等によって原状回復を目指すことが多いが、このような事例では原状回復が必ずしも必要ではないことを提言したことは特筆に価する。

以上、本研究は、覆工コンクリートの劣化機構を詳細に明らかにした意義が大きく、また、現場における劣化原因の簡易推定方法と劣化原因ごとの適切な維持管理手法を提案しており、実務における工学的な適用性も高くかつ有用性に富む独創的な研究成果と評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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