学位論文要旨



No 217229
著者(漢字) 小倉,正平
著者(英字)
著者(カナ) オグラ,ショウヘイ
標題(和) 金属表面における金の拡散と成長
標題(洋) Diffusion and growth of Au on metallic surfaces
報告番号 217229
報告番号 乙17229
学位授与日 2009.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17229号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福谷,克之
 東京大学 教授 市川,昌和
 東京大学 教授 押山,淳
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 准教授 長谷川,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

基板上に作成した薄膜は,基板原子と薄膜原子の組み合わせや,基板温度などの作成条件により3次元島,2次元薄膜,樹枝状島などナノスケールの様々な構造を示す.このようなナノ構造は高い比表面積や量子サイズ効果により,バルクにはない物理的・化学的性質を示すことが知られており,ナノ構造の制御による新しい機能をもった物質・デバイスの開発が行われている.一方,樹枝状のパターンはその外見の複雑さや美しさから,実験と理論の両面から研究の対象とされてきた.樹枝状のパターン形成はバクテリアコロニーの成長や放電現象など自然界で一般に見られる現象であり,この樹枝状構造の起源は理論的には拡散律速凝集(DLA)モデルによって説明される.このような樹枝状島はフラクタル性を持つことが知られており,パターンの粗密を表す指標であるフラクタル次元は2次元表面において理論的に1.67となることが知られている.ところが実験的に観測される島のフラクタル次元は1.67より大きくなる傾向がある.また薄膜作成時の基板温度を上げるにつれて島のフラクタル次元が2へと変化することが観測されている.この変化には島の外周に沿っての原子の拡散が関わっているとされている.しかし詳細なメカニズムは必ずしも明らかになっておらず,島のフラクタル次元がなぜ変化するのかについての統計力学的な説明もされていなかった.樹枝状構造をはじめ,ナノ構造は非平衡状態で形成される準安定な状態であり,速度論的因子がその構造を決める.表面での成長過程では原子の表面拡散が支配的なため,表面拡散が島の構造とフラクタル性をどのように決めるのかを明らかにすることがナノ構造を制御する上で必要となる.

Ir(111)表面に作成したAu薄膜が特異な化学反応性を示すことが岡田らにより報告された.バルクのAu表面には水素分子は解離吸着しないことが知られているが,Ir(111)表面に作成したAu薄膜には水素分子が解離吸着することが昇温脱離の実験によって明らかになった.一方,我々の実験により,Pt(111)表面に作成したAu薄膜には1層のAuでも水素分子が解離吸着しないことが明らかになった.Auはバルクでは化学的な反応性が低いとされているが,Auのナノ粒子はCOの酸化等に対して特異な反応性を示すことや,Au島の外周のサイトではCOの吸着エネルギーが高くなることが報告されている.これらの結果を考えると、Ir(111)上のAu薄膜は特異な構造や電子状態を持つと考えられるが,Ir(111),Pt(111)表面におけるAu薄膜の構造はこれまで調べられたことはない.

そこで本研究では走査トンネル顕微鏡(STM)を用いて,Ir(111)とPt(111)表面におけるAu薄膜の構造と形成機構を明らかにすることを目的とした.Au島の密度の基板温度依存性,島の形状の下地依存性,成長モードの下地依存性に注目し,これらの表面におけるAu薄膜の構造を詳細に調べた.また薄膜成長のモンテカルロシミュレーションプログラムを開発し,実験とシミュレーションの結果を比較することにより,構造を決める拡散過程とその拡散係数を明らかにした.さらにフラクタル次元がエッジ拡散の障壁に対して連続的な変化をすることを見出し,その連続的な変化が一般化DLAモデルによって説明できることを示した.

超高真空槽内に取り付けられた温度可変STMを用いて実験を行った.下地のIrとPtの基板は高精度で(111)面に研磨したものを用い,テラス幅は200 nm以上である.これらの清浄表面にAuを1×10-3 単原子層s-1の速度で蒸着し,その結果形成されたAuの構造をSTMで調べた.

島の密度に注目すると,図1のようにAu蒸着時の基板温度を下げると島の密度が上がることが観測された.島の密度の温度依存性から,島の密度と拡散係数とを結びつける平均場の核形成理論を用いて,Ir(111)表面におけるAuの拡散係数を見積もった.島のサイズ分布から臨界島サイズを解析し,臨界島サイズが1となる66~160 Kにおける島の密度から,テラスにおけるAuの拡散障壁と頻度因子がそれぞれ0.094±0.007 eV, 2.8×109±1.3 s-1であることを明らかにした.一方,拡散係数を変化させてシミュレーションを行ったところ,Ir(111)表面におけるAu島の密度の温度依存性を再現する拡散障壁が0.1 eV, 頻度因子が2×109 s-1と見積もられ,平均場の核形成理論から得られる値とほぼ一致した.頻度因子が通常の値(1012~1013 s-1)よりも低い理由は,吸着原子間の斥力的な相互作用が原因であると考えられる.また,島の密度は下地にも依存し,下地の格子定数がAuの格子定数に近づくにつれて島の密度が上がる傾向を見出した.

島の形状を測定したところ,図2(a)に示すように1層目のAu島は300Kで基板の3回対称性を反映した樹枝状の形状となることがわかった.一方,島の形状には下地依存性があり,Ir上の2層目は図2(b)に示すようにコンパクトな3角形,3層目以降は図2(c)に示すように不規則でコンパクトな形状となった.島のコンパクトさの指標であるフラクタル次元を解析すると1層目では1.81±0.02となり,DLAモデルの理論値1.67より高いことがわかった.さらに2層目以降では2となることがわかった.Pt(111)表面では1層目はIr(111)表面と同様に基板の3回対称性を反映した樹枝状の島となるがフラクタル次元が1.92±0.02となり,Ir(111)表面の1層目よりもやや高いことがわかった.また2層目は不規則でコンパクトな形状であり,フラクタル次元は2となった.

島の形状が下地に依存する原因を拡散という観点から探るため,様々な拡散過程を考慮したモンテカルロシミュレーションプログラムを開発した.テラス拡散に加えて,島の1原子と隣り合うサイトからの拡散であるコーナー拡散と,島の2原子と隣り合うサイトからの拡散であるエッジ拡散,島の上から下へ降りるステップダウン拡散を取り入れ,これらの拡散係数をパラメータとしてシミュレーションを行った.コーナー拡散についてはfcc(111)表面における2種類のコーナー拡散を区別し,それらの拡散係数が異なる場合(異方的)と同じ場合(等方的)について調べた.図3にシミュレーションの結果を示す.コーナー拡散が異方的な場合,図3(a)-(e)のように島は異方的に成長し,コーナー拡散が等方的な場合,図3(f)-(j)のように島は等方的に成長することがわかった.さらにエッジ拡散の障壁を下げていくと,島が樹枝状からコンパクトになることがわかった.実験で得られた各層での島の形状が3種類の表面拡散を考慮するシミュレーションによりよく再現されることがわかった.このときコーナー拡散の異方性が島の対称性を決め,エッジ拡散のしやすさが島のコンパクトさを決めていることがわかった.この結果は下地によってコーナー拡散の異方性とエッジ拡散のしやすさが異なることを示している.実験結果と比較すると,下地の原子間距離がAuに近づくにつれてコーナー拡散が異方的になり,エッジ拡散はしやすくなるという傾向が得られた.

さらにシミュレーションで得られた島のフラクタル次元を解析すると,図4に見られるように島のフラクタル次元がエッジ拡散障壁に対して1.67±0.03から2へと連続的に変化することがわかった.フラクタル次元はある成長モデルを特徴付ける指数であり,フラクタル次元が変化することは成長モデルが変化していることを示唆している.島の外周における成長確率を拡散粒子の濃度勾配のη乗とする一般化DLAモデルを用いて,ηをエッジ拡散係数と結びつけることにより,連続的なフラクタル次元の変化を説明できることを示した.

島の成長モードに注目すると,Ir(111)上においてAuの1層目は2次元的な層状成長をするが,2層目以降は3次元的な成長をすることがわかった.拡散が支配的となる成長条件では島上でのテラス拡散と島からの降りやすさが成長モードを決める.層状成長のための臨界島半径の理論を用いて,島から降りる際に付加的に感じる拡散障壁であるEhrlich-Schwoebel(ES)障壁を1層目のAu 上で0.033~0.036 eV,2層目のAu上で0.04 eV以上と見積もった.またES障壁を変化させて行ったシミュレーションによりES障壁はIr(111)上の1層目のAu上で0.035 eV,2層目のAu上で0.050 eVと見積もられ,臨界島半径の理論を用いて見積もった値とほぼ一致する結果が得られた.低速電子線回折の結果と合わせて,このES障壁の下地依存性をAuと下地の格子定数の不整合と関連させて説明した.

本研究では,今まで未解明であったIr(111)とPt(111)表面におけるAu薄膜の構造を詳細に調べ,その構造を決める拡散過程と拡散係数を明らかにした.さらにエッジ拡散障壁の関数として島のフラクタル次元が1.67から2へと連続的に変化することを見出し,その連続的な変化を一般化DLAモデルにより説明できることを示した.また平均場核形成理論と臨界島半径の理論の実験的検証を与えた.本研究の結果は,表面ナノ構造の制御に利用でき,反応性の制御という観点から触媒へ応用できると考える.また樹枝状構造は光アンテナ等に利用されており,フラクタル次元の制御はこれらの分野でも有用であると考える.

図1 : Ir(111)表面に作成したAu島の密度の温度依存性.

図2 : Ir(111)表面に作成したAu薄膜のSTM像. (a) 0.52層,850 × 850 nm2, (b) 1.2 層, 500 × 500 nm2 (c) 3.6 層, 500 × 500 nm2.

図3 : シミュレーション結果.(a)-(e) コーナー拡散が異方的な場合.(f)-(j) コーナー拡散が等方的な場合.エッジ拡散障壁: (a) 0.75, (b) 0.50, (c) 0.45, (d) 0.35, (e) 0.25, (f) 0.80, (g) 0.50, (h) 0.43, (i) 0.43 eV, (j) 0.25 eV.

図4 : フラクタル次元とエッジ拡散障壁との関係.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Diffusion and growth of Au on metallic surfaces (和文題目:金属表面における金の拡散と成長)」と題し,論文提出者が行った研究成果をまとめたものである.

論文は7章から成っている.

第1章は序論である.本研究に着手するきっかけとなった「ナノサイズの金が特異な物性を持つ」という最近の研究を紹介した後,固体表面における原子拡散と成長過程の一般的特徴を要約し,これを踏まえて本研究の目的と本論文の構成について述べている.

第2章では,表面における薄膜成長の基礎過程について一般的な事項を解説している.拡散係数と拡散方程式,遷移状態理論,平均場の核形成理論と結晶成長モデルを紹介し,さらに本研究の主題の1つであるフラクタル構造について,その特徴を述べている.また,固体表面における種々の原子拡散過程と実験的測定法についても言及している.

第3章では,本研究で用いた実験方法である,走査トンネル顕微鏡(STM),低速電子線回折,オージェ電子分光,熱脱離分光について論述している.それぞれの実験方法の原理を述べた後,本研究で用いた装置の詳細,試料の作製について詳述している.

第4章は,実験結果である.金属基板としてIr(111)とPt(111)を用いて,主に3つの研究課題について行った実験結果を述べている.1番目の課題は,金を基板に成長させたときに形成される2次元島密度の測定結果である.金を成長させるときの基板温度を変化させ,成長後の表面をSTMで観察することで島のサイズ分布と島密度の温度依存性を求めている.島のサイズ分布から臨界島サイズを解析し,平均場の核形成理論を用いてテラスにおける金の拡散係数の拡散障壁と頻度因子を明らかにした.2番目の課題は,成長した金の島の形状に関する結果である.基板温度と金の被覆率を変化させ,成長後の表面をSTM観察することにより,1層目の金の島は3回対称性を持つ樹枝状の形状を示し,そのフラクタル次元が1.81となることを明らかにした.また,この値が拡散律速凝集(DLA)モデルの理論値からずれていることを指摘している.一方で,島の形状には下地依存性があり,2層目はコンパクトな3角形,3層目以降は不規則でコンパクトな形状となることを明らかにした.3番目の課題は,成長形式に関するものである.STMの実験結果をもとに島の高さ分布を解析することで,金の1層目は2次元的な層状成長をするのに対して,2層目以降は3次元的な成長をすることを明らかにした.実験条件を考察し,成長様式が島端での原子のステップダウン拡散に支配されていることを踏まえ,臨界島半径の理論を用いて,ステップダウン拡散係数を見積もっている.

第5章は,シミュレーションの結果である.表面における原子拡散として,テラス拡散,島のエッジでの拡散,島のコーナーでの拡散,ステップダウン拡散を考慮したモンテカルロ法によるプログラムを開発し,成長過程をシミュレーションしている.これらの拡散係数と成長速度をパラメータとしてシミュレーションを行い,実験結果と比較することで,金原子のテラス拡散,エッジ拡散,コーナー拡散,ステップダウン拡散の拡散係数を求めている.さらにこれらの解析結果が,平均場の核形成理論と臨界島半径の理論から得られたテラス拡散とステップダウン拡散の値とよく一致することを明らかにし,これらの理論の正当性を裏付けた.さらにシミュレーションで得られた島のフラクタル次元を解析し,島のフラクタル次元がエッジ拡散障壁に対して1.67から2へと連続的に変化することを見いだした.

第6章では,実験結果とシミュレーションの結果を総合して,考察を行っている.はじめに,実験結果の解析からえられたテラス拡散係数の前指数因子が理論値より小さい点を指摘し,吸着子間相互作用の影響,遷移状態理論の妥当性,Meyer-Neldel's compensation 則を考慮した議論を行っている.吸着子間相互作用の影響を取り入れることで,部分的には結果を解釈ができるが,完全な理解には至らず,今後の課題として残されていることを指摘している.続いて,フラクタル次元とエッジ拡散障壁との関係を議論している.従来のDLAモデルでは記述が不十分であり,DLAモデルを拡張した一般化DLAモデルを用いて,成長速度を表す指数をエッジ拡散係数と結びつけることにより,連続的なフラクタル次元の変化を説明できることを示している.

第7章は,本研究の結論である.結果の要約と今後の展望が述べられている.

以上を要約すると,本論文では,STMとモンテカルロシミュレーションを用いて,金属表面における金の拡散と成長過程を明らかにした.成長形と成長様式を実験的に明らかにするとともに,金原子のテラス拡散,エッジ拡散,コーナー拡散およびステップダウン拡散の拡散障壁を求めた.さらにフラクタル形状形成の起源を明らかにし,一般化DLAモデルと関係づけることに成功した.本研究の結果は,表面におけるナノ構造形成過程の理解を深めただけでなく,求めた拡散係数をもとに,形成される構造を予測し,さらに望みの構造を作成する指針をも与えることが可能であり,物理工学への貢献が大きいと判断できる.

よって,本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる.

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