学位論文要旨



No 217237
著者(漢字) 大嶋,貴寿
著者(英字)
著者(カナ) オオシマ,タカヒサ
標題(和) わが国における犬パルボウイルスの分子疫学および分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 217237
報告番号 乙17237
学位授与日 2009.10.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17237号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

犬に感染するパルボウイルスとしては2種類が知られている。1つは犬微小ウイルス(MVC)で、もう1つは犬パルボウイルス2型(CPV)である。MVCは1967年にドイツの軍用犬の通常便から分離された、最初の自律増殖性の犬に感染するパルボウイルスであり、犬パルボウイルス1型とも呼ばれている。発見からしばらくは病原性のないウイルスと考えられていたが、現在では3~4週齢以下の新生犬と胎児に病原性を示すことが明らかとなっている。また近年再編成された分類では牛パルボウイルス(BPV)と共にボカウイルス属に分類されている。CPVは1978年ごろに突然出現した、出血性腸炎を主徴とする犬の致死性感染症の原因ウイルスで、既に発見されていたMVCと区別するため犬パルボウイルス2型と呼ばれている。CPV感染による死亡率は高く、免疫のない子犬では特に高くなるため、子犬にとって重要な病原体と認識されている。CPVは遺伝的に近縁であり、その起源でもあると考えられている猫汎白血球減少症ウイルス(FPLV)、ミンク腸炎ウイルス(MEV)と共に猫パルボウイルス(FPV)亜種としてまとめられており、パルボウイルス属に分類されている。本研究ではこれら2種類の犬に感染するパルボウイルスのわが国における分子疫学および分子遺伝学的研究を行った。

第1章では、MVCの日本由来株3株と韓国由来株1株のゲノム構造の解析を行い、既に報告されているアメリカ由来株であるGA3株との比較からMVCの進化を明らかにすることを目的とした。PCR産物の解析によって全ゲノムの約93%をカバーする塩基配列情報を得た。その解析からゲノムには重なり合う3つのオープンリーディングフレーム(ORF)の存在が推定された。3'側のORFは非構造タンパク質(NS)、5'側のORFは外皮タンパク質(VP)、ゲノムの中央に位置するORFはBPVにも存在する非構造タンパク質(NP)であると考えられた。GA3株との塩基配列の相同性は96.4~98.5%であった。またORFの数、長さは全株で同じであり、重なり合う3つのORFを持つことはMVCに共通した特徴であった。3つのORFの推定アミノ酸配列の相同性はNSが96.5~98.7%、NPが92.5~100%、VPが97.5~99.3%であった。他のパルボウイルスとの比較から最も近縁であったのはボカウイルス属に属するBPVとヒトボカウイルス(HBoV)であったが、そのVPアミノ酸配列の相同性はそれぞれ46%、43%と高くなかった。NP遺伝子の存在はボカウイルス属に特徴的であった。分子系統樹解析の結果からもBPVとHBoVとの近縁関係が示されたが、その進化的距離は他の近縁なウイルス同士、例えばCPVとFPLVとの関係と比べるとかなり離れており、MVCは犬集団の中で長い期間にわたって独自の進化を続けてきたことが示唆された。またMVC5株の分子系統樹解析からMVCが地域内で独自に進化している可能性が考えられた。さらにNP遺伝子の比較から日本およびアメリカ由来株と韓国由来株の2つのグループに分けられる可能性が考えられた。

第2章では、CPVの日本国内における進化を明らかにする目的で外皮タンパク質であるVP-2遺伝子の解析を行った。また現行ワクチンによって産生される抗体の最近の野外株に対する反応性を血球凝集抑制(HD試験により解析した。1980年から2006年の27年間に国内各地でパルボウイルス感染が疑われる症状を呈した犬から集めた糞便12検体と培養細胞分離株43株の合計55検体からPCRによりVP-2遺伝子の一部を増幅し、制限酵素断片長多型(RFLP)解析および塩基配列の決定を行った。その結果、1983年以降CPVの最初の抗原型である2型(CPV-2)は検出されず、1980年から1987年の検体に2種類の抗原変異型CPV-2aとCPV-2bが検出された。1987年の検体からCPV-2aのVP2297番目のアミノ酸がセリンからアラニンに変異したnew CPV-2aが初めて検出され、1990年以降はこの変異を持ったウイルスのみであった。1997年に同じ変異を持ったCPV-2bであるnewCPV-2bが検出され、2000年以降はnew CPV-2bのみが検出された。以上のことから日本国内においても海外で報告されているのと同様なCPV-2からCPV-2a、CPV-2bへ、さらにnew CPV-2a、new CPV-2bへという抗原型、遺伝子型の置換が起きていたことが明らかとなるとともに、現在の流行株はnew CPV-2bであることが確認された(表1)。海外で報告されている新しい抗原型であるCPV-2c(a)、CPV-2c(b)、Glu-426変異ウイルスは検出されなかった(表1)。しかし海外、特にヨーロッパやアメリカではGlu-426変異ウイルスが流行していることが明らかとなっており、newCPV-2aやnewCPV-2bに対して何らかの優位性を持っていると思われるこのウイルスの大陸間移動のモデルを考える上でも、今後も疫学調査の継続が必要であることが考えられた。

またCPV-2ワクチンとnewCPV-2bワクチンによって産生される抗体の最近の野外株に対する反応性を田試験によって比較した結果、初回ワクチン接種3週後の血清において、従来のCPV-2ワクチンよりnewCPV-2bワクチンの方が野外株に対して高いHI抗体価を示し、両者の間には有意な差を認めた。これより最大のワクチン効果を得られるのは野外の抗原型と最も近い抗原型をワクチンに用いたときであると考えられた。移行抗体によってワクチン効果が阻害されるため、子犬は複数回のワクチン接種を受けている。一方で野外株に感染する危険性は移行抗体の減少にともなって高くなっていく。このような状況ではできるだけ早く、少ない接種回数で免疫を得られることは重要である。

第3章ではCPV抗原型間で遺伝子組換えが起きていることを明らかとし、さらにFPV亜種間での遺伝子組み換えを検出した。この事実からCPVの進化における遺伝子組換えの意義について考察した。CPV感染を疑われる10頭の犬から、犬と猫の細胞によりウイルスを分離した。6頭の犬は直前に生ワクチンの接種を受けていた。そのうちの4頭の犬から分離された6株はCPV-2もしくはCPV-2類似株を含んでいた。ワクチン接種を受けていなかった犬からの分離株を含めたそれ以外の分離株は全てCPV-2bであった。2株のCPV-2類似株はモノクローナル抗体による抗原型別が不可能であり、03-029/MはCPV-2とCPV-2aの混合物、1887/fはCPV-2とCPV-2bの組換えウイルスであると考えられた。VP-1遺伝子の解析の結果、03-029/MはCPV-2、CPV-2a、CPV-2とCPV-2aの組換えウイルスの混合物であり、1887/fはCPV-2とCPV-2bの組換えウイルスであった。培養細胞によるウイルス分離により、遺伝子的にも抗原的にも混合物であった検体から組換えウイルスを選択的に分離できたことによって、CPVの遺伝子組換えの証明が可能となった。このことから培養細胞によるウイルス分離を臨床検体からのFPV亜種のウイルス検出方法に用いることの有用性が再認識された。

さらにデータベース上の塩基配列を組換え検出プログラムと系統樹を用いて解析することにより、FPV亜種間の遺伝子組換えの結果と考えられるウイルスを見出した。2007年に中国ハルビン市のSuらによってFPLVとして登録されたXJ-1株(登録番号:EF988660)はCPVとFPLVの組換えウイルスと考えられ、そのゲノム構造はCPV-2b由来のNS-1とFPLV由来のVP-1から成っていた。これまでCPVの進化は高い変異率とVP-2における変異の正の選択が重要な要因であり、遺伝子組換えは役割を果たしていないと考えられてきた。しかしこれらの発見から遺伝子組換えはこれまで考えられてきたよりも起こりやすいもので、CPVなどの肉食動物感染性パルボウイルスの進化において重要な促進要因であることが示唆された。今回の発見はCPVの起源の解明に直接に寄与するものではないが、野外でのFPV亜種の進化に関する研究に刺激を与えるものであり、パルボウイルス全般の今後の進化や新種パルボウイルスの出現に、遺伝子組換えが要因の一つとして考えられるべき根拠が示されたと考えられる。

本研究によりMVCとCPVとの間には、既に言われてきたことではあるが、遺伝的な関係は見られなかった。またMVC、CPVともに地域性を示しながら現在も進化を続けていると考えられ、高い変異率と正の選択、それに遺伝子組換えを進化の要因として考える必要が明らかとなったことから、今後のパルボウイルスの進化に対する継続的なモニタリングの重要性もまた示された。CPVの出現の過程における遺伝子組換えの証拠は発見できず、その起源について明らかにすることはできなかったが、FPV亜種での遺伝子組換えは、種を超えたウイルスの伝播の解明に重要な情報を提供するものであり、研究を刺激する発見であった。

表1.日本におけるCPVの流行株の年表(1979年から2006年)*

審査要旨 要旨を表示する

犬に感染するパルボウイルスとしては犬微小ウイルス(WC)と犬パルボウイルス(CPV)2型の2種類が存在する。MVCは1967年に分離された最初の犬パルボウイルスで、4週齢以下の新生犬と胎子に病原性を示すが、ウイルス学的進化の詳細は不明である。これに対し、CPVは1978年頃に突如出現した出血性腸炎を主徴とする致死性感染症の原因ウイルスで、死亡率の高さから犬の臨床において重要な病原体である。CPVの起源は猫汎白血球減少症ウイルス(FPLV)ないしはその近縁種であると考えられているが、その種を超えた伝播の詳細は不明である。本論文では、これら2種の犬パルボウイルスのわが国における分子疫学および分子遺伝学的解析を行った。

第1章では、WCの日本株と韓国株のゲノム構造解析を行い、既報のアメリカ株GA3との比較から、その進化を明らかにした。ゲノムには重なり合う3つのオープンリーディングフレーム(ORF)の存在が推定された。GA3株との塩基配列の相同性は96.4~98.5%であり、ORFの数、長さは全株で同一であった。分子系統樹解析により牛パルボウイルスとヒトパルボウイルスとの近縁関係が示されたが、その進化的距離は離れており、MVCは犬集団内で長期間独自の進化を続けてきたと考えられた。またMVC分離株5株の関係からMVCが地域内で独自に進化している可能性が考えられた。

第2章では、CPVの日本国内における進化を明らかにする目的でVP2遺伝子解析を行った。1980年から2006年に集めた55検体から得たDNAをPCR-RFLP解析および塩基配列決定に用いた。解析の結果、1983年以降、最初の抗原型である2型(CPV-2)は検出されず、1980年から1987年の検体にCPV-2の変異体であるCPV-2aとCPV-2bが検出された。1987年の検体からさらにVP2の297番目のアミノ酸が変異したnew CPV-2aが、1997年にはnew CPV-2bが検出され、2000年以降はnew CPV-2bのみであった。以上、国内においても海外と同様の抗原型、遺伝子型の置換があったことが確認され、同時に我が国における現在の流行株はnew CPV-2bであることが示された。海外で報告されている新しい抗原型であるCPV-2c(a)/(b)、Glu-426変異株は検出されなかった。しかし欧州や米国ではGlu-426変異株が流行していることから、今後も疫学調査の継続が必要であると考えられた。

また、ワクチンによって付与される抗体に対する最近の野外流行株の反応性をHI試験により比較した結果、初回ワクチン接種3週後の血清では、CPV-2ワクチンよりnewCPV-2bワクチン接種犬の方が野外株に対し高いHI抗体価を示し、両者の間には有意な差を認めた。これより最大のワクチン効果を与えるのは野外の抗原型と近い抗原型であると考えられた。

第3章ではCPV抗原型間での遺伝子組換えを明らかとし、さらにFPLV亜種であるCPVとFPLVの間で起きたと考えられる遺伝子組換えを検出した。この事実からCPVの進化における遺伝子組換えの意義について考察した。CPV感染を疑われた10頭の犬から、犬と猫の培養細胞によりウイルスを分離した。直前に生ワクチンの接種を受けていた犬から4株のCPV-2と2株のCPV-2類似株が分離された。それ以外は全てCPV-2bであった。2株のCPV-2類似株は抗原型別が不可能であったが、03-029/MはCPV-2とCPV-2aの混合物、1887/fはCPV-2とCPV-2bの組換え体であると考えられた。VP1遺伝子解析の結果、03-029/MはCPV-2、CPV-2a、組換え体の混合物であり、1887/fはCPV-2とCPV-2bの組換え体であった。培養細胞でウイルス分離を行うことにより、はじめてCPVの遺伝子組換えの証明がなされたことからウイルス分離の有用性が再認識された。

さらにデータベース解析から組換え体と考えられる配列を見出した。中国で報告されているXJ-1株(登録番号:EF988660)はCPVとFPLVの組換え体と考えられ、そのゲノム構造はCPV由来のNS1とFPLV由来のVP1から成っていた。この発見から遺伝子組換えはこれまでの推定より高頻度に起こることが示唆され、FPLV亜種の進化においても重要な要因であることが示唆された。今回の発見は種を超えたウイルス伝播の解明に重要な情報を提供し、パルボウイルス全般の今後の進化に遺伝子組換えが要因の一つである可能性を示したものである。以上本論文は、犬パルボウイルスの進化の解明に寄与し、同ウイルス病の制御に道を開くもので、

学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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