学位論文要旨



No 217241
著者(漢字) 松澤,裕作
著者(英字)
著者(カナ) マツザワ,ユウサク
標題(和) 明治地方自治体制の起源 : 近世社会の危機と制度変容
標題(洋)
報告番号 217241
報告番号 乙17241
学位授与日 2009.10.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17241号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 鈴木,淳
 東京大学 教授 野島,陽子
 東京大学 教授 吉田,伸之
 神戸大学 教授 奥村,弘
 一橋大学 教授 渡辺,尚志
内容要旨 要旨を表示する

本稿の主題は近世・近代移行期における政治権力の変容である。明治22年の町村合併と市制・町村制施行によって成立するいわゆる「明治地方自治体制」は、明治前期の頻繁な制度変容に終止符を打ち、一定の制度的安定を地域社会にもたらした。したがって本稿の目標は、このような明治地方自治体制の歴史的起源とその存立構造の解明に置かれることになる。

その際、第一に、移行期研究においては、「上から」の変革か「下から」の変革かといった二項対立的図式は不充分なものであって、社会を不安定で不定型なものとして捉える地域社会論的方法を採る必要があり、第二に、そのような不安定で不定型な社会を一定の様態のもとに固定させるヘゲモニー的権力のあり方に注目する必要がある。以上の二点が本稿の基本的な視角である。

研究は大きく二部に分かれ、第一部では、近世後期から明治初期にかけての時期を対象として、近世的秩序の危機を分析し、第二部は明治10年代から明治22年の市制・町村制施行までの時期を対象として、近代的な政治秩序の生成の論理を解明する。各部は三つの章から構成され、それぞれ地方制度、社会保障政策、経済政策(社会基盤整備を含む)の検討にあてられる。

第一部第一章「組合村から「大区小区制」へ」では、明治5年から11年にかけてのいわゆる「大区小区制」の制度的性格を検討する。近世組合村と「大区小区制」の連続・断絶についてはさまざまな学説が存在するが、本章では、組合村と大区・小区の双方の制度的性格を比較し、両者がともに権力の身分制的編成、すなわち政治社会と市民社会が未分離の身分制社会において、政治権力の執行者が領主身分の集団として、被支配諸身分集団に対して外在的に存在するような権力の編成形態に根拠を持つものであり、その点において同一の性格を持つこと、しかし、「大区小区制」期にはすでにそのような制度が機能不全に陥っていることを示した。

続く第一部第二章「備荒貯蓄と村」では、このような制度の機能不全の淵源を、近世中後期から維新政権期にかけての救恤・備荒貯蓄政策の検討を通じて明らかにした。その結果、身分集団である村の内部において、村請制に規定された富のゼロ・サム的再分配が進行すること、それによって、窮民救助の責任を負わされた村役人や富める者が、新たな政策への希求を有するようになることが明らかになった。

第一部第三章では、そうした新政策の一つである勧業政策を取りあげた。勧業政策は富のゼロ・サム的再分配を打開するために、富の総体的増大を目指して導入されるが、権力の身分制的編成それ自体がその性格を規定し、挫折を強いられることを論じた。

以上、第一部では、身分制的権力編成の下で、村請制村内の富のゼロ・サム的再分配が進行すること、身分制的権力編成の揚棄なくしてその隙路を打開することはできなかったことが解明された。

第二部第四章は、そのような身分制的権力編成の解体の過程を、明治11年のいわゆる地方三新法、明治17年の連合戸長役場制導入、そして明治21年の町村合併と翌年の町村制施行という制度変容の立案プロセスと、その実際の施行状況を明らかにすることを通じて論じた。ここでは、三新法が府県レベルで政治社会と市民社会の分離を実現し、ついで連合戸長役場制と町村合併が町村レベルでそれを貫徹させたものとして把握される。すなわち、明治地方自治体制の形成は、政治社会と市民社会の分離をもたらした。

第二部第五章は、このような新たな権力編成の下で、第一部第二章で挫折した再分配政策は可能となるのかどうかという問題を、明治13年に公布された備荒儲蓄法の理念と実際を解明することによって論じた。その結果、社会総体の再分配によって社会の安定を図ろうとした備荒儲蓄法の理念は地域社会に浸透せず、あらたな権力編成は再分配主体としてヘゲモニー的権力を生成させ得なかったことが示される。

第二部第六章では、それでは新たな権力編成はどのようにしてヘゲモニー権力たりえたのか、という問題を扱った。明治10年代・20年代初頭の道路問題を通じて示されたその回答は、いわゆる地方利益の分配主体としてそれはヘゲモニー権力たりえたのであり、それは市場の安定的な活動こそが社会を構成する諸個人の福祉を支えるものであるという合意が存在していたことによって可能となっていた、というものである。

こうして、明治地方自治体制は、地域社会を、政治社会と市民社会に実体的に分節化し、後者を市場という多方向的で無定形なシステムとして位置づけ、前者の機能をそのようなシステムの安定的機能への寄与として定義することを通じて自らの普遍性を確保する。明治地方自治体制は、その外部に市場という場を持つことによって、一定の安定性を確保し、ヘゲモニー的権力として成立するのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は主に1860~80年代を対象とし、東京都、埼玉県地域の史料と中央の政策立案に関する公私の文書を利用し、地域を本質的に不安定性を持ったものととらえた上で、近代的地方制度の形成とその意味を論じる。当時の地方体制については、近世史研究では地域社会論、近代史研究では地方制度史研究と時期により異なる観点からの研究が主流であった。近年、その接続を意識した研究もなされているが、本論文は農村部を対象とした実証的な検討に基づき、廃藩置県を挟んだ幕末から明治前期までを見通して一貫した観点で地方体制の変容を論じた点で、この分野での近世近代移行をとらえた初めての本格的研究である。さらに、細分化された近代史研究の各分野での重要な問題、たとえば近代政治史で基本的な概念となっている「地方利益」がある時期に政治の世界にたちあらわれる事情や、民衆運動史研究で民権運動と性格が異なると指摘された負債農民騒擾の影響などを地方制度に即して説明し、これら各分野の研究成果を相互に関連させて近世近代移行期の全体的な歴史像の再構築を試みるのが特色である。

論文は幕末から明治10年前後までを扱う第一部「近世社会におけるヘゲモニー危機」と、その後の約10年間を扱う第二部「近代的地方制度の形成」からなる。第一部では、近世期と断絶した印象を与える大区小区制が、実は近世期の改革組合や支配所組合と同じ、村々にとって支配への対応に有意義な機関である村連合として成り立っており、近世期と連続した、貢納の村請制を担う村に基盤を置いた体制であったとする。村をこえて利害を共有するシステムが存在しないことは、明治初年の備荒貯蓄制度や勧業政策を制約した。これに対して区長や戸長となった有力農民は、天保期以来、領主の「御救い」が後退して富裕者に村内の困窮者救済が命じられて村内でゼロ・サム的な関係が生じていたため、現状の変革を求め、開明路線に積極的であった。第二部では、明治11年の三新法が府県会とそこで審議される地方税の創設によって、府県という政治社会を作ったこと、また17年の連合戸長役場設置が、負債農民騒擾やさまざまな個別的要求にさらされる戸長を個別町村から切り離してより大きな単位に置くことで、政治社会を市民社会から分離したとする。そして、これによって地元町村の反対を押し切って「公益」のための道路建設が府県会や連合町村会で合意され、「地方利益」が登場すると論じる。

後半部で市民社会の経済的基盤とされる「市場」の概念が説明不足であるといった問題はあるが、特定の地域に即した研究の実証性と、近世近代移行期の様々な分野の研究を関連づける枠組みを提示した論理的な構想力は高い水準にあり、学界への貢献は大きい。よって、本委員会は当該論文が博士(文学)の学位を与えるにふさわしいものと判断する。

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