学位論文要旨



No 217242
著者(漢字) 志村,拓也
著者(英字)
著者(カナ) シムラ,タクヤ
標題(和) 位相共役波による水中音響通信の研究
標題(洋) Research on time-reversal underwater acoustic communication
報告番号 217242
報告番号 乙17242
学位授与日 2009.10.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17242号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,英之
 東京大学 教授 浦,環
 東京大学 教授 浅田,昭
 神奈川大学 教授 遠藤,信行
 東京工業大学 教授 蜂屋,弘之
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

海洋研究開発機構では、広範囲にわたる深海調査のため、自律型無人探査機(autonomous underwater vehicle : AUV)の開発研究を進めている。こうした長距離航行型のAUVと音響による通信を行い、状態監視やコマンドの送信が行えれば、その運用性・信頼性を大きく向上させることができる。しかし、海洋において水平方向に音響通信を行うと、屈折波や反射波などのマルチパス波が数多く受信され、前後の信号に重なってシンボル間干渉(intersymbol interference : ISI)が起き、信号の識別が困難になる。従来は、適応等化器(Adaptive equalizer : AE)によって、マルチパス波を除去するという方法が採られていたが、後述する実験結果にもあるように、受信されるマルチパス波が多いと、適応等化器が処理できず、復調が困難になる。

それに対し、位相共役波を用いれば、こうしたマルチパス波を逆に利用して通信を行うことができる。位相共役波とは、その名の通り位相を共役にした信号(時間反転した信号)のことで、海洋においては、以下の様に発生させる。まず、図1にあるように、焦点側の音源から音響信号を発信し、アレイで受信する。この受信信号を時間反転してアレイから発信すると、時間が逆転した伝搬現象が起き、元の音源の位置(焦点)に音波が収束する。この位相共役波による音波の収束は、従来のビームフォーミングとは異なり、マルチパス波が点に対して収束するため、遠距離であっても鋭く収束する。また、途中の伝搬路の特性や相手の位置を特定する必要がないといった利点がある。なお、位相共役波による通信は、アレイと点の間の双方向に適用され、アレイから点への通信の場合はActiveな位相共役通信と呼ばれ、逆に点からアレイへの通信の場合は、Passiveな位相共役通信と呼ばれる。

本研究では、こうした位相共役波による長距離音響通信の実現を目指して、シミュレーション、実海域試験による検討を行い、その有用性を論じた。

2.位相共役波の収束特性

本研究では、まず、位相共役波による収束特性について、空間的な収束性やアレイの傾斜・配置の影響について検証するシミュレーション、及び、水槽試験を行った。

図2は、100kHzのバーストパルスを目的の信号としたときの水槽試験における焦点とその周辺での受信信号である。焦点では明瞭にパルスが受信されているのに対し、その前後上下の点では受信されていないことから、位相共役波が空間的に鋭く収束することが確認できた。

水槽試験では他に、アレイを傾斜した場合、素子間隔を広げsparseなアレイにした場合について検証し、傾斜しても収束特性にはほとんど影響がないこと、sparseなアレイでも十分所望の信号が得られることなどが確認された。さらに、位相共役波に雑音が加わった場合の収束特性についても試験を行い、アレイ側で位相共役波が雑音に埋もれてしまうほどSN比が悪い場合でも、焦点では十分なSN比で所望の信号が受信できることが確認できた。

また、こうした位相共役波の諸特性は、実海域スケールのシミュレーションでも同様に確認することができた。

3.位相共役波による音響通信

前述したように、位相共役波を用いればマルチパス波が収束することで、ISIのない信号が高いSN比で受信され、通信が可能になる。ただし、位相共役の収束効果だけで通信を実現しようとすると、アレイを構成する送受波器が多数必要になり、膨大なコストがかかってしまう。そこで本研究では、位相共役によって収束させた信号をさらに適応等化器で処理するという方法を提案し、従来の手法との比較検討を行った。

図3は、水深100mの浅海域において、距離を15kmとし、使用周波数を500Hz±50Hz、変調方式を16QAM、アレイの素子間隔を15m(送受器数を7個)としたときの、Activeな位相共役通信のシミュレーション結果である。(a)の適応等化器のみを用いた結果では復調はまったく達成されていない。また、(b)の位相共役の効果だけを用いた場合でも、同様に復調はできていない。それに対して、(c)の位相共役と適応等化を組合せた手法では、エラーのない復調が達成されており、従来の方法では通信が行えない条件下でも、この手法によって通信が実現されるということが示された。これは、位相共役によってできる限りマルチパス波を収束させて利用し、それ以上利用できない部分(収束しきれずにサイドローブとして現れるノイズ状の信号)は、適応等化器が処理をするという効果によるものと考えられる。

深海域でのシミュレーションでも同様の効果が得られ、この手法であれば数千mの深海域であっても10~30個程度の送受波器アレイで通信が可能であるという結果が得られた。

4.実海域試験

本研究では、シミュレーションと並行して、実海域における実証を進めた。

最初の実海域試験は、水深約1,100mの深度変化がほぼフラットな海域で距離を10kmとして行った。この実験では、アレイ側の送受信装置に水中ウィンチを装備し、高度を変えながら、焦点側との間で受送信を繰返すという仮想アレイ方式で計測を行った。まず、図4はパルス1波の収束を確認した計測結果である。アレイでは、多数のマルチパス波が受信されているが、焦点では明瞭なパルスが受信できており、位相共役の収束を実証することができた。次に、図5は、Activeな位相共役通信の結果である。このとき、周波数帯域は500Hz±50Hz、シンボルレートは50bpsとして行った。シミュレーションでの結果と同様、(a)の適応等化器のみの場合では通信が不可能であるのに対し、(b)、(c)ではエラーのない復調が実現できており、位相共役を用いることで通信が可能になるということが実証された。

続いての実海域試験では、駿河トラフ軸にそって、20、30、40kmと距離を変え、受波のみの仮想アレイ方式でPassiveな位相共役通信を行って、同様に良好な結果を得た。さらにその後の実験では、水深4,000mの外洋において、距離100kmでの通信試験を行い、こちらも良好な結果を得ることができた。

5.流れ、移動による影響

位相共役を用いるには、焦点とアレイ間の伝搬特性が変化しない、つまり、reciprocityが保たれているというこということが前提条件となる。しかし、AUVのような移動体の場合、送波・受波点が変化して、その前提は崩れる。また、流れがあれば、Activeな位相共役の場合、forward propagationとbackward propagationで逆向きにその影響が加わるため、同じくreciprocityが崩れることになる。こうした影響をシミュレーションで検討した。

移動体との通信のシミュレーションは、送波・受波点が移動する影響を考慮したノーマルモード法を用いて行った。その結果、位相共役の効果のみで復調すると移動の影響で位相が回転し、エラーが発生するが、移動速度が2~3knt程度の低速であれば、位相共役と適応等化を組合せた方法によって、そうした影響を補償し、エラーのない通信が可能になることが分かった。

一方、流れのある環境下でのシミュレーションは、PE法に流れの効果を組み入れた手法を用いて行った。こちらも同様に、流れが低速であれば、提案している位相共役と適応等化を組合せた方法によって、その影響を補償し、通信が可能になるという結果が得られた。

6.まとめ

本研究では、長距離航行型のAUVとの通信を目的として、位相共役波による通信手法について検討を行い、位相共役によって、従来の手法では不可能な条件下でも、通信が可能になることを示すことができた。また、位相共役波と適応等化を組合せた方法を提案し、この手法によれば、アレイを構成する送受波器をできる限り少なくして通信が可能になること、移動や流れなどの影響を補償できることなどを示すことができた。

図1 位相共役波の概念図

図2 水槽試験結果

図3 浅海域における通信シミュレーションの結果

図4 実海域でのパルスの収束

図5 Active位相共役通信の実海域試験結果

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、広範囲にわたる深海調査のために開発の進められている長距離航行型の自律型無人探査機(AUV)に関して、運用性・信頼性を大きく向上させるために、状態監視や指令の送信を行うための音響通信に関する研究である。海洋において水平方向に音響通信を行うと、屈折波や反射波などのマルチパス波が数多く受信され、前後の信号に重なってシンボル間干渉が起き、信号の識別が困難になる。従来は、適応等化器によって、マルチパス波を除去するという方法が採られていたが、受信されるマルチパス波が多いと、適応等化器が処理できず、復調が困難になるという課題を有していた。

本研究では、位相を共役(時間反転した信号)にした位相共役波を用いて、マルチパス波を逆に利用して通信を行う方式を提案したものである。海洋においては、焦点側の音源から発信した音響信号をアレイで受信し、この受信信号を時間反転してアレイから発信すると、時間が逆転した伝搬現象が起き、元の音源の位置に音波が収束して焦点を結ぶというものである。この位相共役波による音波の収束は、従来のビームフォーミングとは異なり、マルチパス波が点に対して収束するため、遠距離であっても鋭く収束する特徴を有している。また、途中の伝搬路の特性や相手の位置を特定する必要がないといった利点がある。

2章においては、位相共役波による収束特性について、空間的な収束性やアレイの傾斜・配置の影響についてシミュレーションおよび水槽実験を行い、位相共役波が空間的に鋭く収束することを紹介している。水槽実験では、アレイを傾斜した場合、素子間隔を広げ疎にした場合についても検証し、収束特性にはほとんど影響せず所望の信号が得られることを確認している。さらに、雑音が加わった場合の収束特性についても試験を行い、アレイ側で位相共役波が雑音に埋もれてしまうほどSN比が悪い場合でも、焦点では十分なSN比で所望の信号が受信できることを確認した。こうした位相共役波の諸特性は、実海域スケールのシミュレーションでも同様に確認できている。

3章においては、位相共役波を用いた通信の可能性について取り組んでいる。位相共役の収束効果だけで通信を実現しようとすると、アレイを構成する送受波器が多数必要になることから、得られた信号をさらに適応等化器で処理するという方法を提案し、従来の手法との比較検討を行った。水深100mの浅海域において、15kmの距離を隔てて、使用周波数を500Hz±50Hz、変調方式を16QAM、アレイの素子間隔を15m、送受器数を7個としたときの、アレイから点への通信のシミュレーションをおこなった結果、(a)適応等化器のみを用いた結果では復調はまったく達成されず、(b)の位相共役の効果だけを用いた場合でも復調はできないのに対して、(c)位相共役と適応等化を組合せた手法では、エラーのない復調が達成されることを示した。従来の方法では通信が行えない条件下でも、この手法によって通信が実現されるということが示された。深海域でのシミュレーションでも同様の効果が得られ、この手法により数千mの深海域であっても10~30個程度の送受波器アレイで通信が可能であるという結果を得た。

4章においては、実海域における実証実験について紹介している。最初の実海域実験は、水深約1,100mの深度がほぼ一定の海域で通信距離10kmの実験を行っている。この実験では、アレイ側の送受信装置に水中ウィンチを装備し、高度を変えながら、焦点側との間で受送信を繰返すという仮想アレイ方式で計測を行った。多数のマルチパス波が受信されているが、焦点では明瞭なパルスが受信できており、位相共役の収束が確認できている。アレイから点への通信を、周波数帯域500Hz±50Hz、シンボルレートは50bpsで実施した。シミュレーションでの結果と同様、適応等化器のみの場合では通信が不可能であるのに対し、位相共役を用いることで通信が可能になるということが実証されている。

つぎの実海域実験では、駿河トラフ軸にそって、通信距離を20、30、40kmと距離を変え、受波のみの仮想アレイ方式で点からアレイへの通信を行って、同様に良好な結果を得ている。さらに水深4,000mの外洋において、距離100kmでの通信試験を行い、こちらも良好な結果を得ている。

5章においては.AUVの移動や流れによる影響について検討を加えている。AUVのような移動体の場合、送波・受波点が変化して、焦点とアレイ間の伝搬特性が変化しないという前提は崩れる。また、流れがあれば、Activeな位相共役の場合、forward propagationとbackward propagationで逆向きにその影響が加わるため、同じく前提が崩れるので、その影響をシミュレーションで検討した。移動体との通信のシミュレーションは、送波・受波点が移動する影響を考慮したノーマルモード法を用いて行った。その結果、位相共役の効果のみで復調すると移動の影響で位相が回転し、エラーが発生するが、移動速度が2~3knt程度の低速であれば、位相共役と適応等化を組合せた方法によって、影響を補償しエラーのない通信が可能になることが示せた。一方、流れのある環境下でのシミュレーションを実施し、流れが低速であれば、提案している位相共役と適応等化を組合せた方法によって、その影響を補償し、通信が可能になるという結果が得た。

以上、長距離航行型のAUVとの通信について、従来の手法では不可能な条件下でも、通信が可能になる位相共役波による通信手法を提案し、さらに、位相共役波と適応等化を組合せた方法を提案し、これによってアレイを構成する送受波器をできる限り少なくして通信が可能になること、移動や流れなどの影響を補償できることをシミュレーションと実海域実験で実証する有益な成果を上げた。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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