学位論文要旨



No 217250
著者(漢字) 溝口,寛
著者(英字)
著者(カナ) ミゾグチ,ヒロシ
標題(和) 大規模染色体加工法の開発と染色体縮小化大腸菌の作製に関する研究
標題(洋)
報告番号 217250
報告番号 乙17250
学位授与日 2009.11.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17250号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

大腸菌を用いた物質生産には古い歴史があり、モデル生物の一つであることから配列決定技術が向上するといち早くそのゲノム配列が決定された。ゲノム時代が幕を開け、全遺伝情報が明らかになれば格段に自由に微生物を利用することができると考えられたが、成果は期待ほどではなかった。その一つの理由は、いまだに残る機能未知遺伝子に加え、微生物の営みが複雑な遺伝子の相互作用や制御系の上に成り立っているためで、この問題を解決しない限り微生物を自由に制御することは困難と思われた。実験的に全ての遺伝子の機能を解析し、さらに様々な因子の相互関係を明らかにしていくことも考えられるが、ゲノムの構成を単純化することで、機能未知遺伝子を減少させ、相互作用や制御系を減らすことで制御しやすい細胞を作製することも一つの方法である。ゲノムの構成を単純化し物質生産の宿主とするためには、まず染色体を大規模に加工する方法を確立する必要があった。従来、大腸菌はx配列という特定の8塩基の配列に依存した組換え機構を有するため、任意の位置での組換えが困難であったが、1998年Murphyによりλファージの組換え系を導入することで、両端に40bpの相同領域があれば任意の場所で組換えを起こすことができる画期的な方法が報告された(λRed組換え系)。すぐにこのλ'Red組換え系を利用した染色体の大規模加工法が検討されいくつかの報告がなされた。本論文ではCre/loxPを用いた方法(主論文1)、およびネガティブセレクションマーカーを用いたマーカーレス欠失法(主論文2)について検討した。次に様々な物質生産に利用することを前提に染色体縮小化株のゲノムを設計し、それをもとにマーカーレス欠失法で染色体の加工を行った(主論文3)。以下に主論文の要旨を示した。

(主論文1)

直鎖DNAと染色体間で組換えを行うことのできるλRed組換え系とCre/loxPを組合せた大腸菌染色体の大領域欠失法を開発した。λRed組換え系をプラスミド上に保持されたものが良く利用されていたが、繰返し組換えを行い染色体を加工することが想定されたため、より安定にλRed組換え系が保持される染色体上にλRed組換え系を保持している株を宿主として検討を行った。まず、loxPサイトをλRed組換え系で染色体上の2ヵ所に導入したが、染色体組み込み型のλRed組換え系においてもプラスミド型と同様に40bpの相同領域で効率よくloxP配列が導入されることを確認した。Cre/loxPによる消化と結合は非常に効率がよく、117kbpと165kbpという非常に大きな領域を100%の効率で欠失させることができた。更にマイクロアレイで野性株と欠失株のゲノム構造を比較し、117kbpと165kbpの領域が欠失され、ターゲット領域以外の領域には異常がないことを確認した。

(主論文2)

Cre/10xPを用いた染色体加工法は大きな領域を効率よく欠失することができたが、loxP配列が染色体上に残るため繰返し操作を行うためにはloxP配列を除去する工程が必要であった。そこで、痕跡を残さずに染色体の任意な領域を削除するためネガティブセレクションマーカーを用いたマーカーレス欠失法の検討を行った。この方法では一つの領域を削除するためにλRed組換え系による2回の操作が必要となる。最初の組換えで欠失対象領域をマーカーカセットで置換し、2回目の組換えでそのマーカーカセットを削除する。マーカーカセットは薬剤耐性遺伝子とネガティブセレクションマーカー(BacillussubtilissacB)で構成されているため、カセットが導入された大腸菌はSacBの働きによりシュークロースに感受性を示す。マーカーカセットが挿入された株を形質転換し、シュークロース耐性を示す株を選択することで痕跡を残さずに目的の領域を欠失した株が取得される。この手法を用い染色体上の2ヶ所の領域を順次削除し、1種類のマーカーカセットで繰返し欠失が行えることを確認した。またマーカーカセット除去用の断片に任意の配列を含め挿入も可能であることを確認した。欠失だけではなく挿入も可能であることから染色体加工には有用な手法であると考えられた。マーカーレス欠失法の2回の相同組換えで目的の表現型を示すクローンが取得される確立は、それぞれ24%と93%であった。1回目の形質転換の効率が低いこと、組換えに用いるPCR断片に由来する変異が導入されることが課題として残ったが、十分に大規模な染色体加工が行えると判断した。本論文は2007年Biosci.Biotechnol.Biochem誌論文賞を受賞した。

(主論文3)

大腸菌染色体の不要な領域を削除すると、機能未知遺伝子、様々な因子の相互作用や制御系が減少し、より扱い易い細胞が作製されると期待された。染色体の加工にあたっては物質生産に利用できる汎用的な宿主細胞を創成するため、旺盛な生育と基本的な代謝経路を維持させることを考えた。まず、大腸菌のアノテーション情報や比較ゲノムの結果から、M9最小培地での旺盛な生育に不要と考えられた領域を抽出し、マーカーレス欠失法を用いてそれらの領域を個別に欠失した大腸菌ライブラリーを作製した。次にこれらの欠失株、およびそれら欠失の組合せをM9最小培地で評価し、旺盛な生育を維持できる欠失を組合せることで1Mbpの領域を欠失したMGF-Ol株を作製した。MGF-Ol株はM9最小培地において生育の立ち上がりや、対数増殖期の生育は野性株と同等であった。さらに、野性株が定常期に移行した後もMGF-Ol株は増殖を続け、最終到達濁度は野生株の1.5倍に達した。生育面で良好な性質が見られたことから、このMGF-01株にスレオニン生産系を導入し物質生産能を評価した。その結果、野生株と比較して2.4倍の生産性が確認され、スレオニン生産においても良好な結果を得ることができた。これまで大腸菌でもいくつかの染色体縮小化株が報告されているが、欠失や欠失の組合せを詳細に評価しながら染色体を加工した例はない。今回は物質生産の効率を直接の指標とせず、旺盛な生育と基本的な代謝経路の維持を目標に加工を行ったが、良好な結果を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

大腸菌の全遺伝情報が明らかになれば、その機能を自由に利用した物質生産が可能になると期待されたが、成果は期待ほどではなかった。その一つの理由は、いまだに残る機能未知遺伝子に加え、微生物の営みが複雑な遺伝子の相互作用や制御系の上に成り立っているためと考えられ、この問題を解決しない限り微生物を自由に制御することは困難と思われた。その解決のためには、ゲノムの構成を単純化することで、機能未知遺伝子を減少させ、相互作用や制御系を減らすことで制御しやすい細胞を作製することが一つの方法と考えられる。

ゲノムの構成を単純化し物質生産の宿主とするためには、まず染色体を大規模に加工する方法を確立する必要がある。第1章では染色体加工法および大腸菌や染色体縮小化株についての背景を説明した。第2章、第3章では染色体加工法の検討として、それぞれCre/loxPを用いた染色体加工法の開発について、ネガティブセレクションマーカーを用いたマーカー一レス染色体加工法の開発について報告した。Cre/loxPを用いた染色体加工法の開発ではこれまでに実績のなかった染色体組み込み型のλRed組換え系を利用して、40bpの相同領域での組換えが可能であることを確認しloxP配列の挿入を行った。続くCreの導入と組換えによるloxP配列間の領域の削除は非常に効率が高く、また165kbの大きな領域の削除も可能であることを確認した。これにより染色体を加工するための新たな手法を確立することができたが、目的領域の削除後に染色体上に残されるloxP配列の削除工程が必要であること、加工に要する期間が2週間程度と長いことなどの問題が残った。これらの問題を回避するため、ネガティブセレクションマーカーを用いたマーカーレス染色体加工法を開発した。この手法を用い染色体上の2ヶ所の領域を順次削除し、1種類のマーカーカセットで繰返し欠失が行えることを確認した。またマーカーカセット除去用の断片に任意の配列を含め挿入も可能であることを確認した。この方法は欠失だけではなく挿入も可能であることから染色体加工には有用な手法であると考えられた。

第4章ではマーカーレス染色体加工法を用いた染色体縮小化株を作製し評価を行った。まず、大腸菌のアノテーション情報や比較ゲノムの結果から、M9最少培地での旺盛な生育に不要と考えられた領域を抽出し、マーカーレス欠失法を用いてそれらの領域を個別に欠失した大腸菌ライブラリーを作製した。次にこれらの欠失株、およびそれら欠失の組合せをM9最少培地で評価し、旺盛な生育を維持できる欠失を組合せを検討しながら1Mbの領域を欠失したMGF-01株を作製した。MGF-01株はM9最少培地において生育の立ち上がりや、対数増殖期の生育は野生株と同等であった。さらに、野生株が定常期に移行した後もMGF-01株は増殖を続け、最終到達濁度は野生株の1.5倍に達した。また濁度が1.5倍であるにも関わらず定常期の糖消費量は野生株よりも少なく、生育面で良好な性質が見られた。さらに、MGF-01株にスレオニン生産系を導入し物質生産能を評価したところ、野生株と比較して2.4倍の生産性が確認され、スレオニン生産においても良好な結果を得ることができた。

最後に第5章で染色体加工法、染色体縮小化株の作製について総括した。

以上本研究は、新たに効率的な大規模染色体加工法を開発し、その新規技術およびゲノム情報を最大限に利用して染色体縮小化大腸菌の作製に成功、さらにそれを実際の物質生産に利用した先駆的研究として、学術的さらには産業応用的に貢献するところが多い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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