学位論文要旨



No 217251
著者(漢字) 生嶋,茂仁
著者(英字)
著者(カナ) イクシマ,シゲヒト
標題(和) L-乳酸高生産性酵母Candida utilisの分子育種に関する研究
標題(洋)
報告番号 217251
報告番号 乙17251
学位授与日 2009.11.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17251号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 講師 舘川,宏之
 東京大学 准教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

人類が産業を持続的に発展させるためには、地球温暖化の原因となる温室効果ガス・二酸化炭素の上昇について早急に対応する必要がある。そこで、現在は化石資源に依存しているプラスチックなどの化成品をバイオマスから作ることにより、新たな炭素の大気中への排出を避ようとする取り組みに関心が寄せられている(カーボン・ニュートラル)。ポリ乳酸からなるプラスチックは乳酸、特にL-乳酸がポリマー化した化合物であり、このL-乳酸はグルコースなどの糖質から微生物の発酵により生産できる。ただ、高い品質のプラスチックを作製するためには光学純度が高いL-乳酸を高効率で生産する必要がある。以前より、Lactobacillusなどに属する乳酸菌を用いてL-乳酸を生産するための研究が活発に行われてきたが、乳酸菌にはD-乳酸を副生する株が多いなどの問題があった。そこでSaccharomycescerevisiaeやKluyveromyceslactisを素材とした研究が1990年中頃より進められ、前者では約100g/1のグルコースから82.3gllのL-乳酸(>99.9%e.e.)を作る株が構築された。しかしこの生産には168時間以上の長い時間がかかったことや、エタノールを副生したことについては、さらなる改善が望まれた。一方、産業で広く利用されている食用酵母Candidautitisの宿主・ベクター系は1990年代に開発され、異種タンパク質が大量に発現された実績がある。本酵母は増殖力や発酵力にも優れることからL-乳酸を作らせる微生物として有望であるが、ゲノムや倍数性に関する知見は乏しく、組換えDNA技術を使って遺伝子の完全欠損株が作製された報告はなかった。そこで本研究ではC.utilisの遺伝子工学技術の充実化を図り、さらにはL-乳酸を高い効率で発酵生産できるC.utilis株の育種に取り組んだ。得られた成果の概要は以下のとおりである。

第1章新規自律複製配列を利用したCandidautilisの共形質転換系の開発

第1章ではC.utilisから新たな自律複製配列(ARS)をクローン化し、さらにはプロモーターとして機能する新規配列を獲得することを目指した。また、自律複製型プラスミドと染色体組込み型DNA断片の2種を細胞に同時に導入する共形質転換系の開発を試みた。まず、G418耐性遺伝子(APT)発現カセットを持つが自律複製能のないプラスミドに、制限酵素で断片化したC.utilisゲノムDNAを挿入して構築したライブラリーを利用することにより、少なくとも6種のARSをクローン化した。その内の2種について、形質転換頻度や保持効率を指標とした解析を行い、自律複製活性を示す領域を1.9kbと1.8kbにまで短縮した。両断片にはS,cerevisiaeのARSコンセンサス配列に類似の配列も見出された。なお、8時間(2.5~3.5世代)の培養後、プラスミドが保持された細胞の割合は最も高いものでも40%に満たなかった。さらにプロモーターを持たないAPT遺伝子を持つARS含有プラスミドを用いることにより、プロモーター活性を持つDNA断片を複数クローン化した。この際、取得したプラスミドの中には、非選択条件で一晩培養した後も80%以上の細胞で保持率されたものもあった。次に自律複製型プラスミドと、リボソーマルDNA領域を標的とする染色体組込み型のDNA断片を混合してC.utilisの共形質転換を行った結果、陽性クローンを取得することができた。目的の形質転換体の取得効率に課題が残されはしたが、遺伝子組換え株に該当しないセルフクローニング株の構築を実現しうる形質転換系が本酵母でも利用できることが明らかになったことは、今後、産業への応用を進める、特に実用株の構築を行う上で、非常に高い価値があると考えられる。

第2章Candida utitisのCre-loxP系による効率的な多重形質転換法の開発

第2章では形質転換時の選択マーカー遺伝子の再利用システムであるCre-loxP系をC.utilisに導入することにより、本酵母の多重形質転換を可能とするシステムの確立を目指した。まず、34塩基のloxP配列が両端に付与されたハイグロマイシンB耐性遺伝子(HPT)を持つプラスミドと、Cre組換え酵素発現用の自律複製型プラスミド(APT遺伝子を有する)を構築した。次にC.utiliSNBRCO988株を原株としてオロチジン5'リン酸脱炭酸酵素をコードするCuURA3遺伝子の破壊を行い、本酵母でCre-loxP系が機能することを明らかにした。なお、本研究では二重鎖組換えによってHPT遺伝子を染色体に組込み、次にAPT遺伝子を有するCre発現用プラスミドを導入することによって細胞からHPT遺伝子を除去した後、その細胞を非選択条件で培養することによりプラスミドを脱落させ、遺伝子破壊からマーカー遺伝子回収までの一連の流れを実践した。さらにCuURA3遺伝子の破壊を重ねたところ、ウラシル要求性株の取得のためには4回の破壊操作が必要であった。EACS解析の結果ではC.utilis株はS.cerevisiae1倍体に比べて3~5倍のDNAを含んでいたことから、C.utilisは3~5倍体である可能性が示された。本章で開発した多重形質転換系と倍数性に関する新たな知見は、今後、C.utilisを素材とした育種を進める上で有用な情報になると考えられる。

3.L-乳酸を高生産するCandida utilis 株の構築

第3章ではC.utiltSNBRCO988を原株としてレ乳酸高生産のための代謝工学を実践した。ただ、L-乳酸の生産においてエタノールは副産物とみなされるため、L-乳酸の収率を高めるためにはエタノール生産量を減らす必要がある。そこでまず、ピルビン酸脱炭酸酵素をコードするCuPDC1遺伝子のクローニングを行った後、第2章で開発した多重形質転換系を用いて本遺伝子の完全破壊株を取得した。なお、この株のPDCの比活性は検出できないほど低く、野生株と異なりエタノールをほとんど生産しなかった。さらにCuPDC1遺伝子のプロモーターに連結されたBostaurus由来のL-乳酸脱水素酵素遺伝子(L-LDH)をCuPdc1遺伝子座に導入した。なお、L-LDH遺伝子を2回組込まれた株は、1回しか組込まれていない株よりも高いLDH活性を示し、12時間目までの単位時間あたりのL-乳酸生産速度およびグルコース消費速度も優れていた。そこで前者の株を108.7g/lのグルコ一スを含む栄養培地での発酵に供したところ、33時間後にはほぼ全ての糖が消費され、99.9%を超える光学純度のL-乳酸が95.1%の効率で生産された。これまでに報告されているL-乳酸生産性酵母と比べても極めて高いL-乳酸生産能を有する株であることが明らかになった。

カーボン・ニュートラルな燃料や化成品の利用は、地球環境を保全するための重要な試みであり、今後もこのための研究開発が積極的になされると予想される。一方、本研究で新たに開発した共形質転換系やCre-loxPシステムによる多重形質転換系、および新規プロモーターは、L-乳酸高生産株の構築に限らず、C.utiltsの育種における汎用的なツールとして利用できる。以上のことより、本研究の成果はポリ乳酸製プラスチックの普及拡大への貢献、さらにはC.utilisの物質生産のホストとしての用途の拡大に貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

地球温暖化防止に適したプラスチック原料として、光学的に高純度のL-乳酸の醗酵生産に大きな期待が寄せられている。乳酸菌ではD-乳酸の副生の問題があり、純度では優れた酵母でも、収率や生産速度に問題が残されている。申請者は、増殖力や発酵力が非常に優れ、調味料の生産にも使われ安全なトルラ酵母Candidautilisの利用をめざした。本論文は、この酵母に於ける遺伝子操作技術を充実させ、多重遺伝子破壊法を開発し、L-乳酸を高効率で発酵生産する菌株を育種した研究をまとめたものである。

第1章では、C.utilisから新たな自律複製配列(ARS)をクローン化し、プロモーターとして機能する新規配列も取得した。また、自律複製型プラスミドと染色体組込み型DNA断片を同時に導入する共形質転換系を開発した、まず、G418耐性遺伝子発現カセットを持つが自律複製能のないプラスミドに、制限酵素で断片化したC.utilisゲノムDNAを挿入したライブラリーから、少なくとも6種のAIRSをクローン化した。2種について、形質転換頻度や保持効率を指標とした解析を行い、Al?5領域を1.9kbと1.8kbにまで短縮した。両断片には5cerevisiaeのARSコンセンサス配列に類似した配列があった。8時間(2.5~3.5世代)培養後、プラスミド保持細胞の割合は最も高いものでも40%に満たなかった。さらにプロモーターを欠いたG418耐性遺伝子を持つARS含有プラスミドを用いて、プロモーター活性を持つDNA断片を複数クローン化した。次に自律複製型プラスミドと、染色体組込み型DNA断片を混合してC.utilisの形質転換を行った結果、両者をもつクローンを取得できた。,以上より、セルフクローニング株を構築しうる共形質転換系が本酵母でも利用できることを明らかにした。

第2章では、形質転換時の選択マーカーの再利用システムであるCre-loxP系をC.utilisに導入し、本酵母の多重形質転換システムを確立した。まず、34塩基のloxP蝉配列を両端に付与したハイグロマイシンB耐性(HPT)遺伝子を持つプラスミドと、Cre組換え酵素発現用のG418耐性自律複製型プラスミドを構築した。8〃〃〃sNBRCO988株を原株としてオロチジン5'リン酸脱炭酸酵素をコードするCuURA3,遺伝子の破壊を行い、本酵母でCre-loxP系が機能することを明らかにした。二重鎖組換えによるHPT遺伝子との置換でCuUth3,遺伝子を破壊し、次にCre発現プラスミドを導入して染色体からHPT遺伝子を除去した後、細胞を非選択条件で培養することによりプラスミドを脱落させ、遺伝子破壊から耐性マーカー除去まで一連の流れを実践した。さらにCuUthj遺伝子の破壊を重ねたところ、ウラシル要求性株の取得には4回の破壊操作が必要であった。FACS解析によるとC.utilisはS.cerevisiae1倍体に比べ約4倍のDNAを含んでおり、C.utilisは4倍体である可能性が高い。

第3章では、C.utilisNBRCO988を原株としてL-乳酸高生産株を造成した。ピルビン酸からL-乳酸への変換収率を高めるには、エタノールに向う経路を遮断する必要がある。まず、ピルビン酸脱炭酸酵素(PDC)をコードするCuPPCI遺伝子を取得し、第2章で開発した多重形質転換系により本遺伝子の完全破壊株を作製した。この株のPDC比活性は検出できないほど低く、エタノールをほとんど生産しなかった。次いでCuPPC1遺伝子のプロモーターに連結されたBostaurus由来のL一乳酸脱水素酵素(L-LDH)遺伝子をCuPPCI遺伝子座に導入した。L-LDH遺伝子を2回組込ませた株は、1回しか組込んでいない株より高いLDH活性を示し、L一乳酸生産速度およびグルコース消費速度も優れていた。前者の株により108.7g/1のグルコースを含む栄養培地で発酵生産させたところ、33時間後にはほぼ全ての糖が消費され、99.9%を超える光学純度のL-乳酸が95.1%の効率で生産された。従来報告された酵母と比べ、極めて高いL-乳酸生産能を有する株が造成された。

以上、本研究では、C.utilisを高度に利用するための遺伝子操作技術を充実させ、高光学純度のL-乳酸を高効率で発酵生産する菌株の育種に成功した。これらの研究成果は、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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